Others | ナノ

――カフェテリアに続く廊下に、一人佇む後姿を見つけた。


「……リノ?」
「………」


俺の長い脚でなら数歩で詰められる程度の距離しか空いて居ないというのに、我等がスカル小隊副隊長殿は俺の呼び掛けにその華奢な背中を1ミリたりとも動かさなかった。
女も弾も一発必中、のつもりなんだけどな。俺の声に振り向かないなんて、いくら姉貴分とはいえ頂けないぜ。


「おーいリノ、何ぼーっと突っ立ってんだ?」
「……え、あ、ミシェル。ごめんごめん。どうかした?」


伸びた身長のおかげでいつの間にか程よい高さになっていた細い肩に肘を乗せると、リノは弾かれたように顔を上げた。
……妙だな。反応が普通すぎる。

姿を見つけた時に微かに感じた違和感が再び顔を出す。そもそもウチの隊の誰よりも周囲に気を配れるリノが呼び掛けに気付かないなんて、そうそうある事じゃない。
不審げな表情を見せないように気をつけつつも彼女をさり気なく観察するが、特に変わったところは見られない。


「……や、休憩行くならご一緒させて貰おうかと」
「あら、言っとくけど奢らないわよ」
「やだなぁ、俺が女の子に奢らせるとでも?」
「どうかしらね……今日のランチ何だろ」
「もうランチって時間でも無いけどな」
「隊長ってば拘りだすと長いからね」
「副隊長権限でどうにかならない?」
「なるならもうとっくにしてるって」


さらりと肘が退かされるところも、俺とそう変わらない歩幅で左側を歩くところも、肩に回そうとした手が弾かれるところも、流す所は流すテンポの良い受け答えも、何もかもが普段通り。
――そう、至って普段通りなんだけど、どうも何かが引っかかる。


「なぁリノ、大丈夫か?」
「……え、なによ唐突に?」


立ち止まって眼を合わせて単刀直入に質問してみたのはいいものの、逆に質問で返されて答えに困る。質問に質問で返すなよ。
俺を見つめ返す双眸は姉さんのそれと同じ色。ふいにそんな事を思って気付いた。……あぁ、そうか。確信は無いけど、あながち外れてないとは思う。


「熱心に窓の外見つめて、物思いに耽ってるのか俺の声にも気付かないからさ。もしかしたら、」
「え、」

「……いや、悪い、何でもないよ」


舌の先まで出掛かった言葉を、強引に引っ込める。
今、俺は何を言おうとした? 俺らしくも無い、想像でしかない、はっきり言って現実味の無い憶測。確かにそれを肯定して今までの出来事とさっきの出来事を考えれば筋は通る、けど、もし外れていた場合、果たしてリノは明るく笑い飛ばしてくれるだろうか。


「なによ、変なミシェル」
「いやだって、リノを口説いたって無駄な事はもう十分分かってるし?」
「あんたってばまた……そんな事続けてるといつか本命の子泣かすわよ」
「はいはい、肝に銘じておきますよ」


――姉さん。

俺の脇腹を小突くリノの呆れたような笑顔に、数年前に他界した姉の表情がダブって見えた。似てるのは瞳の色だけなのに。リノを通して姉さんを見るのは、リノにも姉さんにも失礼だ。心ではそう思っているはずなのに、俺の脳は未だ姉さんの虚像を浮かべる事を止めない。


「っていうかミシェル、そういやこの前の彼女は?」
「あぁ、先週振られちゃってね」
「毎度毎度続かないわねホント……」
「いいじゃないか、恋多き人生。若いんだし」
「自分で言ってちゃ世話無いわね」
「ま、そういうことで次があるさ」
「あっちもこっちも懲りないわね……私だったらとっくに愛想尽かしてるわ」
「え、何の話?」
「なんでもなーい」


リノの普段通りの語り口と苦笑気味ながらも穏やかな表情を見て、やっぱり言わなくて正解だったかなと内心嘆息する。
本当は聞いてしまいたいんだ、さっきはギリアム大尉を探してたんじゃないかって、あの時も姉さんを探してたんじゃないかって。もしかしたらリノは……亡くなった人達を、視る事が出来るんじゃないかって。


「……何でもない、もいいけどさ、何かあったら言ってくれよ?」
「そうね……」


……それでも、やっぱり俺の口からそんな確証も無い非現実的な事は言えないし、下手したら二人して心の傷を抉るだけになりかねない。折角スカル小隊もあのショックから立ち直りかけてるところなんだ。そんな危ない橋は渡れないから、代わりに出てくるのは使い古された安易な言葉だけ。
なぁ姉さん、姉さんならこんな時、リノにどんな言葉を掛ける?

いつもみたいに、スラスラ言葉が出てこないんだ。


「ミシェル、」


不意に伸びてきたリノの手が、軽い音を立てて俺の頬に当たる。
いつも暖かい掌が今はひんやりとしていて、その冷たさが頭を冷やす。

なぁ、なんでそんな眼をして俺を見上げるんだよ?


「……それはあんたも一緒よ」
「え、」
「すっかり大人になりましたって顔してたって、私にしちゃまだまだなんだから」
「あのなぁ……俺だってもう餓鬼じゃないんだぜ?」
「それでも、年の差ってのは、いつまで経っても変わらないものでしょ?」
「それを言うかよ……」


こっちが心配してるはずだったのに、いつの間にか形勢逆転。
普段は普通に一仲間として割と対等に接してくれてるのに、ここぞという時に限って姉貴風を吹かす。思わず特大の溜息が出たのは不可抗力だ。

心配して損した、とは言わないけど、やっぱりリノにとっちゃ俺が心配するなんざ6年ばかし早いといったとこなんだろう。リアルな数字はそのまま年齢差だ。
そんな彼女に掛けるべき言葉が、今の今になって漸く出てきた。


「……なぁリノ」
「なに?」

「分かったよ。何かあった時はお互いさま、な」

「ふふっ……それで妥協しといてあげるわ、ミシェル」


……ひとまずこれが次第点だろう。リノ相手じゃ、他の女の子達と同じ手は通用しない。
ま、それもそのはずなんだ。彼女らとリノじゃ、居て欲しい位置が根本的に違うから。













(どうか、彼女はこのままに、)




あとがき
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