Others | ナノ

――1週間ぶりに帰って来れた我が家に、居るはずのないヤツが居た。


「…………な、んで、居んの……こんなトコに……」
「久々に会ったっていうのに随分な挨拶だね」


今しがた開いた自室のドアに縋り付くように脱力した私に、顔馴染みの不法侵入者は悪びれる様子も遠慮も無く小さく噴き出した。
年相応な悪餓鬼の笑顔。女の子を落とすときのあの笑顔はどこいった。


「……ったく……来る所が違うでしょ、ミシェル」
「そんなことないさ」


突っ込むべき所は他にも色々あるんだろうけど、何とか気を取り直して足に力を入れる。
……うん、大丈夫。なにも今に始まったことじゃないし。いろんな意味で。

うっかり床に落としてた鞄を拾って部屋に入る。ミシェルの横を通り過ぎて勢い良くソファーに身を沈めると、溜まっていた疲れがどっと襲ってきた。
冷たい合皮と正面衝突した顔をゆるゆると左に向ければ、ベッドに腰掛けたまま私を眺めるミシェルと目が合った。なんだか機嫌良さ気なのがどうにも気に入らなくてじっとりと半眼で睨んでやると、彼はやれやれと言わんばかりに肩を竦める。こいつめ。

「……クランは?」
「もちろん最初に」
「隊長は?」
「その次にね」
「アルトとルカ」
「それも顔出した。S.M.Sは一通り」
「じゃあランカとシェリル」
「……ランカちゃんにはね」


ぽんぽんとテンポ良く続いていた会話に不意に生まれた沈黙。最後のひとりは名前が挙がると思っていなかったのか、ミシェルは少し困ったような苦笑を浮かべる。
――でも残念、予想外なのはむしろ私のほうなのよ。


「前言撤回。それなら、隊長の次くらいには来てくれたって良かったんじゃない?」
「……まぁ、そりゃあ、」


身体を起こして視線の高さを合わせて真正面からじっと見つめてやると、ミシェルはふいと視線を逸らして言葉を濁す。
一瞬翳った翡翠の双眸に胸がちりっと痛んだけど、再び唇が開くのを見てすぐに意識はそっちに集中する。


「……確かに、リノには本当に世話になったしね。でも、だからこそ、さ」
「何が?」

「切り札っていうのは、最後に取っておくものだろう?」


にいっと口角を上げたミシェルの人差し指の示す先は、私。
その言葉の裏側に辿り着くまでに掛かった時間はほんの数秒、されど数秒。間が開いた事で私の混乱を悟ったミシェルは、私が突っかかるより前からくすくすと笑っていた。


「……ちょ、あんた知ってたの!?」
「じゃなきゃ最後になんかしないって」
「誰にも言ってないのに、どうして……」
「姉さんが、ね」


――ジェシカ。

数年前に他界した彼女の笑顔が頭をよぎる。それが私を見上げる落ち着いた表情とダブって見えて、思考は一気に沈静化。脳に余裕が生まれたお陰で、自分が思わず立ち上がっていたことに気がついた。


「……今の今まで信じられなかったけどな」
「うん……」
「リノもリノで一切そんな事言わないし」
「そりゃあ、だって、」
「言うような事じゃないと思ってた?」
「……あんな職場だし、さ」
「そっか。知ってた俺はラッキーだったな」
「そうかな……」
「そうさ」


ミシェルの淡々とした語り口と穏やかな表情にどう反応していいか分からなくて、なんとか返した言葉はただの単語の羅列。違う、違う、もっと言うべき事も言いたいこともあるはずなのに、どうして頭が働かないんだろう。
眼を合わせていられなくなって行き場をなくした視線は足元の絨毯をぼんやりと捉える。そこはずっと単色のままだったけど、気配が動いた、気がした。


「……ごめんな。そんな顔させに来たんじゃないのに」
「っ……」


頭の上から聞こえた声に弾かれるように顔を上げる。いつからだろう、ミシェルをこうやって見上げるようになったのは。いつの間にか逆転していた背丈はジェシカが居なくなってからの時間を明示しているみたいで、意識すると少しだけ悲しくなる。
ねぇジェシカ、貴女の弟は、いつの間にかこんなに大きくなってたんだよ。

ねぇ、それなのに、どうしてかな。


「リノ、」


伸びてきたミシェルの手は、私の頬をすり抜けて虚しく空を切る。
そこに残ったのは暖かい掌の感触じゃなくて、漠然とした冷気。

あぁやっぱり、この子は、本当に。


「……ばかミシェル、なんで、年上みんなすっ飛ばして、あんたが」
「うん……」
「クランなんて、見てるこっちが痛いくらいなのに。みんなだって、私だって、どれだけ、」
「本当にな……」
「ごめん、こんな事言ったって、仕方ないのは分かってる、けど」
「……言われても仕方ないとも思ってるさ」


ミシェルの儚い笑顔に逃れようの無い事実を突きつけられたような感じがする。
違うでしょ、こんな風に笑うなんてあんたの柄じゃないでしょ。

急に動く事を思い出したかのように働く脳。隅から隅までいろんな思いが交錯するけど、言葉として成立しない。
そんな時、無意識に見上げたミシェルがいつもの困ったような苦笑を浮かべていたから、すんなりと出てきた言葉がひとつ。


「……ねぇミシェル」
「うん?」

「ジェシカによろしく、ね」

「あぁ……ありがとう、リノ」


……これで自分の秘密を知るものはこの世に一人も居なくなったというわけだ。
改めてそう思うと、訃報を聞いてもびくともしなかった目頭が、今更ながら熱くなった。









(ありがと、ばいばい)




あとがき&補足
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