彼女とマのつくendless days! | ナノ

「ユーリ!!!!」
「……え、?」

 ――それは、本当に一瞬のことだった。

 雑踏の中に居ても耳に良く馴染む落ち着いた高音。緩やかな川の流れのようにおれの耳に届いていたそれが唐突に途切れた。すっという息を飲む音と呼ばれた名前に視線を上げたその瞬間、賑やかな街並みで埋め尽くされていた視界が一転、ダークグリーンで覆われる。突然のことに驚きの声が喉まで出掛かっていた時、耳に届いたのは、小さいながらも重量感のある嫌な音。
 手を伸ばせば容易に届く距離で、ミリィの水色の髪が、澄み切った海から飛び出した魚のように跳ねた。さらり、さらり、音を立てて流れ落ちるそれは重力に従って徐々に纏まっていく。遮るもののない晴れ渡る空から刺す穏やかな日差しが、それを七色に煌めかせる。ミリィの膝が軽い音と共に石畳に崩れ落ちるまで、おれは、馬鹿みたいに突っ立ったまま、彼女のその綺麗な髪を眺めている事しかできなかった。
 そんなおれを正気に戻したのは、腕を引っ張る有無を言わさぬ強い力。

「ユーリ! こっちへ!!」
「な、うわ!?」

 まだ半分呆けていたおれは瞬く間に路地裏へ連行された。相手がコンラッドだったから良かったとはいえ、全くの無抵抗だったのが情けない。彼にしては珍しく少々強く遠慮ないそれのお陰で脳は動き始め、漸く今何が起こったのかが整理される……今、彼女に……ミリィに、何が起きた?
 ……記憶の端にうっすらと残っていたのは、こちらに一直線に向かってくる、鋭く細長い影。

「……っ!? ミリィ!!」
「ユーリ、駄目だ」

 弾き出された答えを反芻するやいなや彼女を振り返る。血相を変えて駆け寄ってきたヴォルフラムを片手で制して宥めつつ、ミリィは立てひざの状態で術を使っていた。粘り気のある強力な水鉄砲のようなものが銃弾の如く連射され、どこかのビルの屋上に消える。それを目印に駆けて行ったオレンジ頭はヨザックだろう。彼の後ろに続くのは、どこからともなく現れた、城で見た覚えのある兵士数人。白昼の事件に普段と別種のざわめきに包まれていたこの街も、軍服姿の人間があちこちに散っていくのを見てか、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 そんな一連の流れを、路地裏で身動きの取れないまま見届けた。

 治安の良い下町だって聞いてたのに。ちゃんと変装もしてきたのに。周りにはこんなに人が沢山居るのに。狙われたのは、言うまでも無く、おれだ。なんで、何で、どうして、そんなことばかりが頭を過ぎる。未だ押さえられたままの腕が地味に痛い。
 飛び出したりしないって、分かってるよ、おれだって一応王様だって自覚はあるんだから。言葉にして喚き散らす事はしないけど、そんな想いを籠めてぐっとコンラッドを見上げる。動揺なんて欠片も見せずに冷静な色を湛えるその瞳に妙にイラッときた。分かってる、分かってるんだ。コンラッドの対応は正しい。少なくとも、彼の立場からすれば。
 でも、彼の次の言葉は、おれの頭に辛うじて引っかかっていた、そんな理性と理屈を軽く吹き飛ばした。

「ユーリ、怪我は?」
「え?」
「怪我は無いですか? ミリィが庇ったとはいえ、流れ矢が脚を掠めたとか……」
「……っ、分かってるだろ、おれは大丈夫だって!!!!」

 僅かに緩んだコンラッドの腕を勢い良く振り払う。感情に任せてキッと睨みつけても少しも揺れない銀を散らした茶の瞳。なんでだよ、今まさに自分の中で折り合いをつけてたところなのに。必死で自分を説得してたのに。じゃなきゃ、また暴走しても可笑しくないんだ。でもミリィは絶対にそれを望まない。こんな人通りの多い往来で上様モード入っちゃったりしたら、きっと物凄い大事になる。だから、だから、押さえ込んでたっていうのに――!

「しっかりしろミリィ、今治療してやる」
「ちょっ……待っ、ヴォル、フ、やるなら、向こうで……」
「うるさい、怪我人は大人しく黙ってろ!」

 身体の中を魔力が電流のように流れるのを感じた瞬間、ごく近くで聞こえたヴォルフの声がそれを押し留めた。ぱっと振り返れば、彼女より背の低いヴォルフラムに肩を借りたミリィが、半ば引き摺られる様にこの路地へと連れられていた。ミリィの身体に刺さる数本の矢とそこから滴る赤いものを見て、溜まっていたモノは弾けるどころか逆に腹の底から冷えるようにすっと静まる。
 食い入るようなおれの視線に気付いてかゆるゆると顔を上げたミリィは、困ったように眉尻を下げつつ微笑んだ。一旦落ち着いた押し留めていた感情が、堰を切ってじわじわと溢れ出す。控えめに伸びてきたコンラッドの腕を避けて、少し震える膝に苛立ちながら彼女の元へ駆け寄った。

「ミリィ……!!」
「……すいません、ユーリ。大丈夫ですか?」
「なんでミリィが謝るんだよ! ごめん、おれの……おれの、せいで……!!」
「そんなに焦らないで。大丈夫ですから、このくらい」
「どこがだよ!」
「……ユーリ。有難う、心配してくれて」
「! ……」

 いつもはふわりという音がつきそうな笑顔もどこか引き攣っていて。額には脂汗がじんわりと浮かんでいて。ヴォルフがゆっくりと矢を抜きながら治療している傷からは、未だに血が滲んでいて。それでもミリィは大丈夫だと笑う。ミリィは一つも悪くないのに思わず食って掛かっても、おれの手を取って宥めるかのように優しく包む。敬語の取れた落ち着いた声にまんまと宥められてしまうおれは、彼女に甘えすぎているんじゃないだろうか。ぼんやりとそんなことを思いつつ黙り込んだおれに、ミリィは更に大丈夫ですよ、と言葉を続けた。

「大丈夫ですよ、このくらい。確かに血は出てますけど、見た目程酷くはないですよ?」
「でも……矢に毒でも塗ってあったら……」
「……それなら、心配ないですよ」

 落ち着きつつも食い下がるおれに答えたのはコンラッド。立場上おれを幾分厳しく諌めたけど、彼だってミリィを心配していないはずが無い。その証拠に、ミリィが近くの安全な場所にいる今、さっきよりも幾分声質が柔らかい。多分、おれの安全云々を抜きにしても。隣に屈んだ彼の表情も同様に和らいでいたおかげで、今度は頭に血が上ることなく、冷静に耳を傾けられる。

「……なぁコンラッド、そこまで言う根拠は?」
「ミリィが水魔術の使い手だという事は知っているでしょう? それも、国内有数の」
「そりゃ、もちろん」
「そんな彼女になら、身体に矢が刺さったその瞬間に、水の膜を張って毒を洗い流してしまう事くらい、造作も無い事なんですよ」
「そう……なのか? 本当に?」
「そういう防御法は、確かに取ります。それに、ヴォルフも居ますしね。治療の方も安心ですよ」

 そうやって穏やかに笑う名付け親コンビ。モヤモヤ感が散り散りに飛散していく。そっか、と呟いたときにがくりと落ちた自分の肩に、今更ながら力が入りすぎていたことを感じた。ヴォルフはやれやれと言わんばかりの表情を浮かべて眉根を寄せているけど、そんな彼を見ても不安感が戻ってこないくらいには、おれは落ち着きを取り戻していた。
 ――忘れていたワケじゃない事を、珍しくも、コンラッドではなくミリィに念押しされるまでは。

「……ユーリ。貴方のその優しさは、貴方の誇れる美徳だわ。……でもね」

 いつもより若干温度の低いミリィの掌がおれの頬に触れた。大きさではおれとそう変わらない、おれより細い指をした、剣だこやまめの残る、でも滑らかで綺麗な手。さらりと頬を撫でたそれは再びおれの右手を取って、ミリィの顔の前へと運ぶ。

「貴方はもう少し、守られる事に慣れなきゃ」
「!」
「私はユーリを守る為に、ここにいるんだから」

 手の甲に触れる柔らかい感触。微かなノイズをひとつ残して、おれの眼前を占めていた水色が離れた。不意に吹いてきたそよ風が撫でるそこは、他と比べてやけに涼しい。

 対するおれの頬は、今、大袈裟なくらい赤くなってるに違いない。










Never forget this.




(――胸を刺す微かな痛みの意味は、)




お題配布元:潦(にわたずみ)(PC)

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