氷上フィアンケット | ナノ
「うぉわっ!!!?」
「なっ!!!?」
焦りを帯びた二つの声に続いたパリィィンという乾いた音。背後で響いたそれに首だけで振り返れば、すぐそこに居るはずのラビとユウの姿が無い。代わりに、そこらじゅうに積み上げられていた本やダンボールの山がドサドサと崩れ落ちていく。……あらあら、二人揃ってコケたかしら。
瓶が割れた音から察するに、おそらく転んだだけじゃ済まないはず。両腕を塞いでいる大きなダンボールを手頃な机に置いて、二人の救出と山の積み直しに向かう。
「二人とも、大丈夫?」
「っつー……」
「チッ……」
散らばる本を踏まないようにしつつダンボールを掻き分けて二人の下へと向かえば、聞こえてきた呻き声は普段のそれより幾分か高い、気がする。内心首を傾げつつ最後の障害物をひょいっと避けて顔を出せば、そこにあった二つの小さな人影。
――そこに居たのは“彼ら”ではなく、予想だにしなかった懐かしい顔。
「……!」
「「………」」
もわもわと仄かに立ち込める煙、床に零れた液体。この二つを見れば、彼らに起こった異変にも頷ける。なんせここは科学班のテリトリー。怪しい薬なんて、至るところから出てきてある意味当然。だからこそ、二人には悪いけれど、最初に心を占めた感情は心配でも驚きでもなく純粋な好奇心。
今、私の目の前で自分の手足や全身を隈なく観察して愕然としているのは、紛れも無くラビとユウだ。それは間違いない。
……ただし、彼等の視線の高さは、私の腰のあたりまでしかない。
「なななな何さコレェェェ!!!!」
「うわぁ……これ幾つくらい?」
「知るか!! ……ッのヤロ……!!!!」
「うわぁ、ユウが声変わりしてない……!」
「え、なんかリズが……目線が……えぇぇぇええ……!!!?」
「ふふ、何だか変な感じね」
自分に起こった異変の正体を一瞬で判断したらしいユウと、現状が飲み込めず目を白黒させるラビ。頭の天辺から足の先まで見事に縮んでしまった二人は、騒ごうが喚こうが子供が駄々を捏ねている様にしか見えない。本人達が必死なのは分かるけど、微笑ましくてつい口角が緩む。
……と、そんな私の様子を見てか、ユウが半眼で私を睨んだ。
「……何ニヤついてんだお前は」
「あら、ごめん、つい」
「ついじゃねェ!!」
彼等の頭に無意識で伸ばしかけていた自分の腕を、ユウにがしりと掴まれて漸く自分の行動に気付く。
科学班に怒り心頭のユウと、意気消沈気味のラビ。微妙な表情で私を見上げる彼等と眼が合って、ようやく(彼らにとっての)事の重大さを思い出した。
床に膝をついてみれば、視線の高さがちょうど揃った。未だ瞳に苛立ちの色を残すユウに苦笑して、両手を挙げてみせる。
「ごめんって。でも、なんだか……懐かしくて、さ」
「………」
「リズ……」
……そんなつもりは無かったのに、思いのほか寂しげな声が出てしまった。
掠れ気味に呟いた私に、ラビが薄っすらと困惑の表情を浮かべて一歩前へ進み出る。私の頭目掛けて伸ばされた短い腕は、きっとさっきの私と同じように無意識によるものなんだろう。そんな事を考えて、ひとりでちょっと微笑を漏らす。
そんな、ややトリップ気味だった頭を現実に戻したのは、ズリッ、という不吉な音。
「おわ!?」
「「!」」
彼等は子供サイズになったとは言っても、着ていた服はそのままで。
気付いた時には既に時遅し。だぼだぼに余った服の裾を踏んづけて、ラビは見事にスライディング。
――この位置関係なら、着地地点は、おのずと限られてくるわけで。
「ぶっ」
「……あら」
体勢を崩したラビは、ものの見事に私の胸元にダイブしてきた。
普段なら笑顔で寸止めするそれも、可愛らしい子供の姿でやられれば毒も害も無い。中身はそのままだということも忘れて、むしろ反射できっちり抱きとめてしまう。一瞬で茹蛸のように赤くなったその様子さえ、微笑ましく映るから不思議なものだ。
対するユウは普段と何ら変わらない(むしろ普段の二割増くらいの)勢いで、すらりと六幻を抜刀した。ラビの顔からさっと血の気が引く。
「ちょちょちょちょちょい待ちッ!! 落ち着くさユウ!!!!」
「……確信犯かエロ兎。遺言くらいは聞いてやる」
「こここここれは事故さ事故!! 助けてリズ!!」
「まぁまぁ、落ち着いてユウ。それより二人とも、その服なんとかしなきゃ」
対応が普段より甘い、っていうのは私も自覚してる。けど、子供の姿で凄まれても正直怖くないし、子供の姿で震えられれば母性本能みたいなモノも刺激される。
私の背後に隠れるラビと彼の味方をした私に、ユウは本気の舌打ちをひとつ。とはいえ、言ったら怒るから言わないけど、今のユウの動きだって、ラビ同様に危なっかしい。
「ユウも動きづらいでしょう? このまま裾垂らしてたら、ユウまでコケるわよ」
「……チッ」
「え、じゃあいっそこのままの方が美味しい……?」
「おい」
遠まわしに指摘して話逸らして、せっかく丸く纏まりそうなところで、ラビが冗談交じりの茶々を入れる。それを黙ってスルーできるほど、ユウは実は大人ではない。
半ば反射の如く繰り出された手刀は子供の姿ながらに鋭い。ラビはラビで最早慣れきったそれを、最小限の動きで身体を反らして綺麗に避ける。
……となると、今度はユウがバランスを崩すわけで。
「ッ、のやろ……!」
先ほどのラビと同じ軌道を描いて倒れこむユウの小さな身体。しかし彼のプライドは、自身がラビの二の舞になる事を決して許さない。でも、倒れまいと掴んだモノが悪かった。
彼が咄嗟に掴んだテーブルクロスはユウの重量に負け、上に置かれたものを巻き込んで床へと吸い込まれるように垂直に落下。彼の倒れこむ方向には、先程落として割れたガラスの瓶の欠片が散乱している。
――考えるよりも先に、身体が動いていた。
「!」
「リズ!」
「ラビ、伏せて!」
両手を伸ばしてユウを抱えて身体を反転。倒れる方向を調整して安心しかけた所で、ユウの頭の向こう側に見える複数の瓶。……あぁもう、科学班ってば覚えてなさい!!
内心毒づきつつ、左腕でユウをしっかり抱えて右手は左耳へ。ぱちん、と軽い音が響いたのと、背中に衝撃が来たのは、ほぼ同じタイミング。
「“氷盤操士(グランドマスター)”、タイプ:『城(ルーク)』」
私の言葉に呼応して、チェス盤型のイヤーカフスが瞬時に杖へと変化する。帽子型の方は今回は割愛。
ブウン、という微かな発動音と同時に、私達三人の頭上に生まれた平らな防御壁。重力に従って降って来た色鮮やかな瓶たちは、パリンバリンと賑やかな音を立ててその上で弾けて砕ける。……良かった、間に合った。そこまで危険なモノは無いと思いたいけど、流石に一度に二種類も浴びると厄介だろうし。
音が漸く落ち着いた頃、ふう、と安堵の溜息と共に身体の力を抜く。胸に抱えたままのユウも、つられてか僅かに肩を落とす。
ころん、と床に頭を着いたら、そこは何故だか湿っていた。
「あ」
「「!!!!」」
液体の正体に気付いた瞬間、ポンッと軽い音を立てて、身体が煙に包まれる。
ユウが飛び退き、ラビが駆け寄ってきたときには、私は彼らと同じ道を辿っていた。
「……あは、やっちゃった」
「「………」」
薬品に触れたと分かった瞬間に、その効果が分かっていただけ気は楽だ。パンパンと埃を払って立ち上がれば、先程よりいくらか身体が軽い。
でも、ぽかんと口を開けた二人の顔は、相変わらず私を見上げている。
「薬が少なかったからかしら……? 身長差、あんまり変わらないわね」
「うわ……なんつーか、これは……」
「あら、なに? その反応は」
未だ赤い顔したラビが、私の視線を受けてついっと顔を逸らす。逸らしながらもちらちらと注がれる視線から、彼が浮かべているであろう考えの方向性はひとつ。発動しっぱなしだった氷盤操士(グランドマスター)を一振りして、自分の前に鏡面の防御壁を作る。
「……へぇ、アレンと同じくらいかしら?」
鏡に映った自分の姿は、リナリーよりも若干幼い。身長も五センチ近く縮んでいる。お陰で服も二人ほどではないけど中途半端にブカブカで胸元も余り気味。あぁ、やっぱりね、と胸元を軽く押さえつつラビを見やれば、彼はバツが悪そうに再び顔を逸らした。
とはいえ、二人よりも状況がマシなだけ、なんだか楽しくなってきた。ぴょんっと両足で跳ねてみれば、軽い身体はいつもに増して軽快なステップを刻める。くるりと足先でターンすれば、思った以上に回転する。筋力とバネは落ちてるけど、軽さでカバーできそうだ。
「……リズ、なんか楽しんでねぇ? 精神年齢まで落ちてる気がするさ」
「……だな」
「普段綺麗系なだけに、なんつーか……可愛いんだけど、あれ……」
「………」
「今リナリーと並んだら……コムイが発狂するな……」
「やめろ」
この歳での身体の使い方を思い出すべく飛んだり跳ねたりしていたら、茫然と私を見上げる二人から聞こえたひとつの名前。
……そっか、今の私はリナリーと同い年くらいなんだっけ。気付いてしまえば、次に取るべき行動は一つ!
「そうだっ、リナリーに見せに行こ!」
「待て馬鹿!!」
「ちょい待ち!!」
くるりと踵を返せば、途端に両腕が拘束された。子供の姿ながらに全身で私の歩みを妨げるラビとユウは、必死の形相で私を見上げる。ラビはさっきからだから良いとして、ユウまで見上げる顔が赤い。
――何だろう。首を傾げて意図を問えば、彼等の叫んだ言葉は、見事なまでに調和した。
「「その服どうにかしてからにしろ――!!!!」」
「……あぁ」
追想フリージア
★あとがき
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