氷上フィアンケット | ナノ

 国境を二つ越える、ちょっとした小旅行のような今回の任務。電車の時間を考えれば、出発までに残された時間はあとわずか。今回の相方は頼れる先輩エクソシスト。強さは折り紙つきだけど時間には少々ルーズな彼を探して、教団の廊下を早足で歩く。
 まっすぐに伸びるメイン通路を抜ければ、突き当たりにはT字路。右かな、左かな、迷ったのは一瞬で、根拠はないけど足は自然と右を向いた。
 曲がり道の手前、あと数歩で向こう側が見えるといったそんな時、右耳が捉えたのは探し人の声。

「……ああ、そうだな。今回は長くなると思う」
「分かってる。場所は言わないでね?」
「それこそ分かってるだろ、言いたくても言えないって」
「ふふ、言ってみただけよ」

(あっぶな……!)

 ……反射で駆け出さなくて正解だった。何を思ったかふと無意識に止まった自分の足に感謝しながら、外野が聞くべきではない会話から半ば逃げるように踵を返す。危ない危ない、とんだお邪魔虫になるところだった。あれ、あの二人、付き合ってるんだっけ? まだだっけ? どっちかが片思いしてる、みたいな話は聞いた事あった気がするんだけど。
 ほんの一瞬ちらりと見えただけなのに、穏やかな笑顔で言葉を交わしていた二人の姿が、脳裏にきっちり転写されたみたいに離れない。他人事ながらどきどきと強めに音を立てる心臓を抑えるかのように、胸のあたりを押さえながら大きく深呼吸をひとつ。この位置なら見えないのは確実なのに、なぜか柱の陰に隠れたくなる。

(時間は……まだ、もうちょっとなら大丈夫だよね)

 有難いことに、二人は私に気付かなかったらしい。内容までは分からないけれど、続いている会話が漏れ聞こえてくる。こそこそと確認した時計を懐に仕舞って、縮こまっていた背筋を伸ばす。よし、五分経ったら戻ってこよう。
 そう決めて顔を上げたら、だれも居なかったはずの廊下に、こちらに向かってくる人影がひとつ。

「おっ、リズ!」
「!」

 その人は私の姿を目にとめると、片手を挙げて軽く振った。呼ばれた私が不自然に身体を震わせた事には気付かなかったのか、彼はへにゃりと笑うと意外とよく通る声で言葉を続ける。

「なんだ、こんな所に居……」
「しっ! しーっ!!」
「?」

 唇に人差し指を当てて大きくジェスチャー。反対の手でT字路の向こう側を指し示せば、リーバーは軽く首を傾げつつも私の意図を汲んでくれたらしい。さすが科学班、頭の回転は速い。
 口を噤んで足音も心なしか抑えて私の元までやって来ると、どうしかしたのかと視線で問う。無言で示した私の指先が向かうところを察して、彼は曲がり角からこそりと頭を出した。
 ほどなく首を引っ込めて私に向き直ったリーバーの顔に浮かぶのは、納得の色。こそこそと小声で状況を告げれば、彼は私の口元の高さに合わせて少し身を屈める。

「もうすぐ出発だから呼びに来たんだけど、お取込み中でね」
「なるほどな」
「まだ時間大丈夫っちゃ大丈夫だし、二人にしといてあげよ?」
「はは、さすが、女の子は早いうちからそういうとこ良く分かってるなぁ」
「……あのねリーバー、私もうすぐ16だよ?」

 そりゃあ、成人したリーバーお兄さんに比べたら子供だけどね? 浮かんだ軽口をそのまま口にしたらそれこそ子供っぽいなと思って、後半は喉の奥にしまっておく。
 そんな私の些細な抵抗など知る由もない彼は、ちらりと二人を振り返ると「おっ」と嬉しげな声をあげた。つられてこそりと覗き込んでみれば、相方の先輩がなにかを受け取っていたところで。

「そうだった、コレ渡そうと思って探してたんだよ」
「え? なに?」

 そうだそうだと呟きながら、リーバーは白衣のポケットを探る。右をごそごそ、左をごそごそ。ペンにメモ帳、ルーペ、試験管、小銭、飴玉、他国語が書かれた小冊子。色んなモノが出てくるけど、探し物はなかなか見つからないらしい。あれっと声を漏らしつつ内ポケットをひっくり返せば、それは漸く彼の手元に姿を見せた。
 ころりと転がっていきそうなビー玉大の球体。私の目線の高さに掲げられたそれの、深い青色が鈍く光る。

「珍しいエネルギー反応がある、って、ファインダーが見つけてきたんだ。イノセンスかと思ったら違ったんだけどな」
「ふーん……? 綺麗な石だね」
「そ、鉱物学専門の奴が見たところ、ちょっと力の強いパワーストーンなんだと。害は無いが研究に使えるもんでもない、っつーから貰ってきたんだ」

 ほい、と軽く手渡された石は、私の掌でひんやりと存在を主張する。かと思えば、すぐに温度を馴染ませて、ころころと滑らかに掌を滑った。
 渡そうと思って、っていうのは、どうやらコレの事らしい。良く分からないけど、綺麗だし、有難く頂いておくとして。なんで、が少しだけ気になって、続く言葉を遠回しに促してみる。

「くれるの?」
「ああ、リズのイノセンスに色が似てるな、と思って」
「……あー、確かに!」
「地質学専門の奴が言うには魔除けの石だっていうしな。科学班で眠らせておくより、現場に出てくお前が持ってた方が良さそうだろ?」

 にっ、と笑うリーバーを見て合点がいった。だから任務前の私を探してくれてたんだ。あっちでまだ穏やかな会話を続けてる先輩も、お守りでも貰ったのかなぁ、なんて思って、ちょっと心があったまる。
 ありがとう、そう言いかけたところで、リーバーはがしがしと頭を掻きつつ苦笑を漏らした。

「ま、リズにはいらん心配かもしれないけどな。なんせ、五回連続無傷の帰還だし」
「ううん、わざわざありがとね」

 それってイノセンスのお蔭だけどね、とか、毎回相方に恵まれてるからね、とか、ぽこぽこと頭に浮かんでくる言葉はきっと照れ隠し。分かってるから敢えて呑み込んで、素直にお礼の言葉を返す。 待ってる側の人に無用な心配を掛けないなら、それに越したことはない。そう思うようになったのは、割と最近のこと。まだまだ年少組扱いして貰ってるけど、教団生活はそれなりに長い。少しは大人になれたかなぁ。
 受け取った石をとりあえず胸ポケットにしまっていると、ちょうど向こう側で会話が途切れた。かつり、かつり、足音がふたつ、それぞれ反対の方向へ動いていくのを聞いて、私とリーバーは思わず顔を見合わせる。

「……やば、あからさまかな?」
「はは、頑張れよ」
「えええ、他人事!?」

 今更ながら、先輩はきっと私(たち)になんてとっくに気付いてるはず。立ち聞き疑惑を掛けられたら、言い逃れは出来ないだろう。それを察してさっさと退散しようとしてるリーバーは、いっそ胡散臭い程の爽やかな笑顔で私の肩をぽんぽんと叩く。
 ……かと思えば、ふと真面目な表情を浮かべて私の眼をじっと見たあと、彼はゆるりと微笑した。

「……うっし、今回も怪我せず帰ってこいよ」
「ふふ、りょーかい」










ルリハコベの約束




「記録更新も掛かってるしね!」
「ははっ、頼もしいな」
「……ようお前ら、こんなところで奇遇だな?」
「「!」」


あとがき
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