氷上フィアンケット | ナノ

 ――初任務を終えて教団へと帰還した僕を待っていたのは、任務に匹敵しそうな大騒動だった。

「……というワケだ。悪いな……こんな理由で」
(アホくさ……っ!!!!)

 嵐で遅れた汽車から舟へと乗り継ぎ、真夜中になって漸く辿り着いた黒の教団。本来静まり返っているであろうそこにけたたましく響くのは、暴走する巨大な機械が立てる破壊音。麻酔針で眠らされたというリナリ―を背負って何が何だか分からないままに逃げ回る道中でリーバーさんから聞かされたのは、室長が作ったという万能ロボット、“コムリン”の存在だった。
 ……騒ぎの原因が分かったからと言って、容赦なく撃ち込まれる攻撃は変わらないし、解決法も分からない。とりあえず今は、事態を収拾しようと動いてくれているらしい科学班の面々に任せよう。
 そこまで考えたところで、先程のリーバーさんの言葉が頭をよぎった。連想的に浮かぶのは、先日出逢ったばかりの、僕の姉弟子にあたるお姉さん。

「……リーバーさん、コムリンはエクソシストを狙ってるんですよね?」
「ん? ああ」
「今教団にいるエクソシストって、僕とリナリ―だけなんですか?」
「ああ……たぶん、まだ、今のところはな」
「え?」

 含みがある返答に引っかかったところで、唸る重低音が僕らの会話を遮った。

「おぉーい、無事かー!!」
「室長! みんな」

 吹き抜けから姿を見せたのは、逆三角錐の浮遊体。科学班の面々が乗り込んでいるそこは大騒ぎで、各自が好き勝手に大声をあげる。

「班長ぉ、早くこっちへ!」
「あ、アレンとトマも帰ってたの? こっち来い早く……」
「リナリィー! まだスリムかい――!?」
「落ち着けお前ら……」

 リーバーさんの呆れ声がそこまで届くはずもなく、騒ぎは収まる気配がない。助けに来てくれたはずなのに、浮遊体はふらふらと頼りなく揺れる。
 せっかく上手く撒けたのに、そんなに騒いだらヤバいんじゃないかな。そう思った時には遅かったらしい。ふと気配を感じて上を見上げれば、真上から降ってくる巨大な鉄の塊。

「来たぁ!!!!」

 寸でのところで飛び出して逃げれば、一瞬前まで自分たちが居た床が見事に砕かれる。6本の腕を振り回して暴れまわるコムリンはもはや兵器。今更ながらにぞっとしつつ、何とか無事な場所めがけて着地する。
 ――着地を終えて顔を上げれば、そこにあったのは、振り上げられた立派な腕。

「「「!!!!」」」

 やばい。そう思った瞬間、まるであの時をなぞるかのように、同じ落ち着いた声が届いた。

「……タイプ:『騎兵(ナイト)』」

 コーヒー色が目の前を舞ったのはほんの一瞬。僕ら三人が彼女の登場に気付いたのと同じタイミングで、鈍い金属音が吹き抜けに響く。何が起こったのか理解できたのは、僕らを狙っていたコムリンの腕一本が、ごとりと重い音を立てて床に落ちた時だった。

「なにこれ、重っ……! だいじょぶ、みんな?」
「リズ!!」
「リズさん!」
(すっ……げえええええ!!!?)

 くるりと振り返った彼女の手には、基本はチェス盤と杖の形ではあるものの、先日見た時と少し形の違うイノセンス。頭上に鎮座しているのも、王冠ではなく兜のような形状の帽子。
 この状況から見て、コムリンの腕を切り落としたのは間違いなくリズだ。その証拠に、浮かぶ逆三角錐の上では、科学班が鬼の首を取ったかのような大盛り上がりを見せている。

「よっしゃあああ!」
「リズねえさあああん! 待ってた! 待ってた!!」
「うおおお! ナイスタイミング!!」
「かっけえええええ!!」
「リズ! いいぞ、もっとやれー!!」
「はー、助かった……! サンキュー、リズ!」
「ふふ、どういたしまして。でもまだ終わってないわよ?」

 希望の籠った眼差しでリズを見上げるリーバーさん。そんな彼に爽やかに笑って、リズは僕の方に向き直る。

「おかえり、アレンにトマ! お互い、帰って早々災難だったわね」
「た、ただいま」
「……っと、のんびり挨拶してる場合でもない、か」

 お互い、ってことはつまり、リズも今帰ってきたところなのか。相変わらず乱れも汚れも見当たらない団服に感心していたら、リズは杖を軽く振るう。変わった形状もまた初めて見るもので、頭に乗るのはシルクハット。
 リズがイノセンスをもう一振りすれば、僕ら三人の上に生まれた、屋根のような薄い光の板。両端を押さえるように建っているのは、淡い光を放つ白黒対のルークの駒。

「これは……」
「簡易的だけど一応ね。リナリ―もいるんだし、三人とも、そこでちょっとじっとしててよ?」

 先生が生徒に言い聞かせるかのように、指示棒のように杖を振るリズ。再び形状を変えたそれは十字を模っている。一体何タイプあるんだろう。やっぱりそれぞれ働き方が違うんだろうか。……そういえば僕は、他のエクソシストのイノセンスを、ほとんど知らない。
 かくかくと大人しく頷く僕らを残して再びコムリンへと踵を返した彼女を見送りつつ、浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「リーバーさん。リズのイノセンスって、どういうモノなんですか?」
「お? なんだアレン、来た日に聞いてなかったのか?」

 意外そうな表情で振り返ったリーバーさんの目がぱっと輝く。解説好きの科学班の血が騒ぐのか、ニッと笑った彼は視線をリズに戻して杖を指差した。

「リズの対アクマ武器は『氷盤操士(グランドマスター)』。見ての通り、チェス盤と駒を模った装備型イノセンスだ。杖と帽子が対になってる」
「普段はイヤーカフスですよね?」
「あぁ。アレンはチェス分かるか?」
「駒の種類と動き方くらいなら……」
「そんだけ分かりゃ十分だ。氷盤操士には、駒の種類と対応した6つの型(タイプ)があるんだ」

 たとえば、と前置きしたリーバーさんは僕らの頭上を守る光の屋根を指差す。おそらくそれを保持する要になっているのは、両端にあるルーク……つまり、城。

「城型は防御用なんですね?」
「んー、攻撃にも使えるんだが、主にはな。別の型に切り替えた後でも、この駒に残ってる力の分だけは維持出来る」
「へえ……」
「さっきコムリンの腕を斬り落としたのは、攻撃特化の騎兵(ナイト)型。で、今は……」

 視線で促されてコムリンと対峙するリズを見れば、彼女の頭上には輝く宝冠……つまり、今の型はクイーンか。縦横斜めに動ける最強の駒。科学班の声援をBGMに、繰り出される攻撃を軽やかに避けつつ、相手の隙を窺っている。
 コムリンを中心に円を描くように動き回っていたリズが、ふいに姿を消した。がれきの山をうまく使って隠れていた彼女が次に姿を見せたのは、コムリンの背後。
 両手で杖を構え、床に突き立てた彼女の口端は、緩やかな弧を描いていた。

「……“礫嵐(ラブル・ゲイル)”!」
「!」

 詠唱と同時に、リズを中心にしてぶわりと巻き起こる竜巻。コムリンが破壊した残骸が四方八方へと飛び散り、飛礫となってコムリンを襲う。発動範囲を限定しているのか、僕らや科学班の面々に被害はない。
 無数の礫による襲撃にコムリンの動きが鈍る。がくりと膝をついたコムリンを見て、科学班の大歓声が一段大きくなった。

「うわ……」
「6種の型を自在に操り、最少手で勝利を収める司令塔(ゲームマスター)……それがお前の姉弟子だよ」
「ふふ、そんなに褒めても何も出ないわよ? 広く浅くなだけだって」

 誇らしげに賞賛の言葉を並べるリーバーさんに、戻ってきたリズがくすりと笑う。今のところ動きを止めているコムリンをちらりと振り返ると、リズは僕に向かって手を差し出した。

「ほら、今のうちにリナリ―連れてもうちょい離れて。これで収まってくれる程、可愛いもんじゃないんだから」

 きりりとした表情で言う彼女の背後で、コムリンが地響きを立てて体勢を崩す。低い轟音と舞い上がる砂埃に、科学班のテンションは最高潮。

「おぉぉおリズかっけえええ! 俺たちも負けてらんねぇ!」
「インテリをなめんなよぉ!!」
「壊れー!!」
「!!」

 頭上を守ってくれていた光の屋根は、いつの間にか役目を終えて消えていた。リナリ―を背負い直して、有難くリズの手を借りて立ち上がる。コムリンは巨大な砲弾でとどめを刺そうとしている科学班に任せて、あとは少しでも安全な場所まで非難するだけ。
 ――事態の収束がようやく見えてきたその時、事の張本人の必死の叫びが吹き抜けに響いた。

「僕のコムリンを撃つなあ!!!!」
「!?」
「ちょっ!?」

 かちり、不吉な作動音がした直後、コムリンに向けられるはずだった弾が、ところ構わず教団を破壊していく。ものすごい勢いで回転する逆三角錐から放たれるそれは予測不可能で、なんとか飛び回って回避するしかない。
 降り注ぐ砲弾と崩れ落ちてくる壁とを見て、リズが小さく舌打ちした。比較的無事な壁際に横っ飛びに飛んで、壁を背にして杖を構える。

「どわわわわっ!!!?」
「――あぁもう、タイプ:『城(ルーク)』、“城柵(ストッケード)”!」

 リズは素早く氷盤操士の型を切り替えると、壁と床と光の防御壁とで三角形を描くように、被害の及ばない安全地帯を作り出す。未だ逃げ惑う僕たち三人が十分に逃げ込めるスペースを確保しつつ、リズは鋭い声を上げた。

「みんな! こっち!」
「何してんだお前ら!! 殺す気か!!」
「は、反逆者がいて……」

 銃弾切れでようやく収まった銃撃の嵐。その隙に、瓦礫の山を飛び越えつつリズの元を目指す。
 反逆者、もとい、コムイさんの捕獲に忙しい逆三角錐の上から、さらに不吉な台詞が聞こえたのは、リズの下まであと数メートルといったところだった。

「コムリン……アレンくんの対アクマ武器が損傷してるんだって。治してあげなさい」
「え゛?」
「損……傷……」
「コムイ……あんた……」
「優先順位設定! アレン・ウォーカー重症ニヨリ、最優先ニ処置スベシ!!」
「!」


 *

 ――その後、エクソシスト改造のため暴走したコムリンに狙いを定められ、コムイさんの吹き矢で痺れさせられ、コムリンの中に捕獲され……気付いたら、科学班のソファーで横になっていた。結局コムリンは、その後すぐに目を覚ましたリナリ―によって撃退されたらしい。
 僕の様子を看ていてくれていたらしいリナリ―。ぼろぼろの様子で、でもどこか楽しげに城内を修理するみんな。イノセンスを届けたへブラスカ。みんなに「おかえり」を言われるたびに、「帰って」来たことを改めて実感した。

 ヘブラスカの所を出て、ぼろぼろに破壊されたらしい自分の部屋へと向かう。遠目からでも見て分かる盛大な壊れっぷりに呆れる前に、扉の内側で動く人影を見つけた。

「……リズ?」
「あら、おはようアレン。だいじょうぶ?」
「あ、はい、もう痺れもないですし」
「そう、良かった。まったく、人騒がせよねコムイってば……あ、ごめんね、勝手にお邪魔してて」
「いえ、……?」

 リズの手には、一番最初に見たのと同じ形の杖状イノセンス。頭には小さい王冠。視界の下の方で小さなものが複数動いているのを捉えて、視線を床へと下げる。
 そこでせっせと僕の部屋を片付けてくれていたのは、握りこぶし大のポーンの駒だった。

「え、えええ、こんな使い方も出来るんですか!?」
「ふふ、神の結晶とか言うけど、使えるものは使わないとね?」
「あ……ありがとう、ございます……?」

 にいっと悪戯に笑う彼女を見て思い出した。そうだ、リズもクロス元帥の弟子だった。まだ知らないことが多すぎて、知っている僅かな情報も記憶に定着していない。
 今日はゆっくり休んでよ、そうコムイさんから告げられたのはついさっき。昨日任務に出ていたらしいリズも、あの騒ぎに巻き込まれたリナリ―も同じらしい。せっかくだから、いろいろと話をしてみたいな。科学班のみんなやジェリーさんは城の修理で駆り出されてるみたいだから、手伝いがてら顔を出しに行こうかな。
 まるでそんな僕の心を読んだかのように、リズは一つの提案を口にした。

「……さて、ここもそろそろ片付くし、下もひと段落着きそうな頃だし、みんなで遅めの朝ごはんでも食べに行きましょ?」
「! はい!」 杖の軽い一振りで、十数個のポーンと杖と王冠とが姿を消して、リズの掌に残ったのは一対のイヤーカフス。……そうだ、まずは、リズとリナリ―のイノセンスの話から聞こうかな。










朝咲きのペチュニア




あとがき
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