氷上フィアンケット | ナノ

 飛び込んだ闇の中に現れた、淡く光る延々と続く階段。上も下も不確かな、果てのない空間に響く靴音は五人分。別れた二人が心配なのは当たり前だけど、苦しみながらも“信じること”を選んだ皆の足取りには、確かに力が戻ってきている。
 とはいえ、元気そうに見えるアレンとラビにだって、蓄積されている疲労は計り知れない。訳のわからないままに巻き込まれたチャオジーは、自分の身を守る術が無い分恐怖も大きいはず。精神的にも肉体的にも一番ダメージを受けているリナリーは、自身の力で戦えなくなったことで更に焦りと不安を募らせている。アレンに手を引かれながら、うまく動かない足を必死に動かす彼女の背中を見つめながら、杖の形をとったままの氷盤操士を握り直した。

 ――この子たちがこんなに頑張ってるんだもの、私も負けてられないな。

「……ねぇ、そういえばチャオジーって、歳いくつ?」
「へっ!? お、俺っスか!?」
「えぇ。ほら、さっき、ラビが『お兄ーさん達も』って言ったけど、チャオジーの歳知らないなぁって思って」

 唐突に名前を呼んだせいか、チャオジーは声をひっくり返して軽く飛び上がった。脈絡無くぽんと出した話に、前を歩いていたアレンとリナリーもきょとんとした顔で振り返る。最後尾を歩くラビが少し眉を上げたのを一瞥してから、歩みを止めないままチャオジーに向き直った。
 先程落ち着いたばかりの話題を敢えて明るく掘り返せば、ラビは若干バツが悪そうにわずかに視線を逸らす。肝心のチャオジーは未だに話の矛先が自分に向いているのに驚いているのか、ややどもりながら口を開いた。

「あ、えと、ハタチっす」
「え、まじで! ホントにお兄さんだったんかい……」
「あら、成人仲間がもう一人いたのね」
「ふ、二人とも……」
「あ、いや、別に、気にしてませんから!」

 意外な答えに正直に驚く私とラビを、最年少のアレンが控えめに諌める。それにチャオジーがぶんぶんと無事な方の右手を大きく振るもんだから、リナリーがくすりと小さく笑いを零した。普段だったら見逃してしまうくらいのそれだけど、アレンとラビはきっちり視界に捉えていたらしく、彼らの顔には僅かに安堵の笑みが浮かぶ。
 ……そうよ、心が負けちゃったら終わりだけど、笑えるならまだ大丈夫。

「ふふ、そっか。他は、クロウリーとマリが28で、ミランダが25で」
「お、記憶なら負けねぇよ。リーバー班長が26でジョニーが25。コムイは三十路一歩手前の29な」

 さらに続けた私に、ラビは意図を汲んでくれたのか上手く乗っかってきてくれた。へぇえと感心の声をあげるアレンと、ことんと小首を傾げ気味に私を見つめるリナリーに、教団でたわいもない話をしてる時みたいに、笑顔を浮かべて口を開く。

「ほら、お兄さんもお姉さんもいっぱいいるわよ?」
「ってかむしろ、俺ら世代より下が居ねぇもんなー」

 今更ながら当たり前の事を言ってみれば、二人は再びきょとんとした後互いに顔を合わせて、ふっと表情を緩めた。

 だからどうした、って訳じゃないし、元気を引き出すような上手いことを言えた訳でもない。
 ――ただ、名前に沿って浮かんできた皆の顔は、きっと笑顔だったと思うから。

(帰りたい、って、その気持ちが少しでも強くなれば……)

 そんな事を考えながら、続く言葉を紡ごうとした、そのとき。

「っ!?」
「なっ!?」

 軽い振動と重低音を響かせて、突如前方に現れた光の扉。頼りなく続いていたステップの上に浮かんでいるそれは、私たちに向かって真っ白な口をぽっかりと開いている。続く先に何があるのかも分からない眩い扉。とはいえ、漏れ出てくる気配から察するに、敵さんが待ち構えているのは疑うまでもない。それぞれに武器を握る手がきゅっと締まる。
 一様に歩みを止めた私たちの中で、最初に一歩前に踏み出したのはアレンだった。

「……行きましょう。リナリー、大丈夫ですか?」
「うん」

 落ち着いた頷きを返した彼女の手を握り直して、アレンは扉をじっと見据える。リナリーの隣まで足を進めてアレンの横顔をちらりと覗けば、彼の眼に浮かぶのは固い決意の色。横目で後ろを振り返って、ラビがチャオジーの隣にいるのを確認してから、私も頭上のクラウンを被り直す。
 ひんやりとしたそれに触れた瞬間、氷盤操士の片割れは、私に何かを伝えるように振動した。

「アレン、ちょっと待って」
「え?」
「入る前に探れそうなのよ。……“探索(サーチ)”」
「お」
「………」

 振り返るアレンを一歩追い抜きながら、氷盤操士に力を籠める。向こう側の見えない光の扉に杖先を翳せば、小さな起動音と共にチェス盤上に立体画面が現れた。
 ぽぽぽぽぽ、と次々に浮かび上がるのは黒のポーン。溢れんばかりにひしめき合うそれらの頂点に君臨するのは、圧倒的な存在感を持った大きなクイーン。それが軽くかぶりを振れば、無秩序に押し合いへし合いしていたポーンがさっと綺麗に整列した。……これは、もしかしなくても。
 私の背後から盤上を覗きこんでいたラビが、黒の大群と対峙する五つの白駒を数えてふぅむと唸る。

「雑魚がたっくさんとボスが一匹、ってか?」
「たぶん、ね」

 続くであろう言葉を遮るように、詠唱せずにイノセンスのタイプを変える。クラウンからシルクハットに変化した帽子を見て、ラビは小さく目を瞠った。
 ……まったく、相変わらず察しが良いんだから。余計なことを言われる前に、皆を振り返って先手を打つ。

「さて。今度の敵さんは、今までとパターンが違うわよ。アレン、ラビ、リナリーとチャオジーのフォロー任せたからね」
「リズ……?」

 僅かに眉根を寄せたアレンに軽く笑って、前だけ見据えて扉の向こう側へ足を踏み入れる。後ろからいくつか上がった声は、光の壁を通り抜けた途端に遮断された。

 ――こつり。床に足を着いた感覚は、思ったよりも早くやってきた。

「………」

 一度目を瞑ってからゆっくりと瞼を上げれば、白一色だった世界が徐々に色を取り戻す。こつり、こつり、後ろから続いた皆の足音を捉える頃には、部屋の様子をくるりと見渡せた。
 広い立方体型の部屋に障害物は見当たらず、今しがたくぐった入口の対極にぽっかりと出口が開いている。チェス盤を拡大して埋め込んだかのような床には、部屋の半分ほどを埋め尽くすAKUMAの大群が整然と列を成す。見たところ、おそらくレベル1とレベル2が半々といったところ。
 そんな中、群れの中から頭一つ飛び出した、周りより二回りほど小柄なAKUMAが一体。敵側のキングの位置に浮遊しているそれは、私たちを歓迎するかのように大きく両腕を開いて、ぱっくりと裂けた口を意地悪く釣り上げた。

「イラッシャァァイ、エクソシスト!」
「やっぱりね……」
「……?」

 私の後ろでそれぞれ武器を構えるアレンとラビは、動く気配のないAKUMAの群れと私の呟きとに、様子を伺うかのように沈黙する。その更に後ろでは、リナリーとチャオジーが自身の気配を極力抑えて成り行きを見守っている。

「……オヤ、人数ガ減ッテイマスネ?」
「お陰様で足止めされてるわ」

 人型に近いそれ(おそらくレベル3)はなおも動かず、私たちを挑発するようにクツクツと静かに笑う。左手で後ろ四人を「口を出すな」の意味を込めて制止しつつ、様子を伺う時間を引き延ばす。
 私の意図はバレていると思うけど、親玉らしきそのAKUMAは気にした様子もなく尊大に嗤った。

「フフ、足止メ、デスカ……随分ト楽観的ナ」
「そうかしら?」
「ワタシハ嫌イジャナイデスガネ、強気ナ人間ハ」
「………」
「ソノ方ガ、遊ビ甲斐ガアル」

 視線は親玉から逸らさずに、視界の端に映る出口の位置を確認する。クイーンサイドのルークの位置にあるそこまでの通路は、通ってみろと言わんばかりに敢えて空けられている。

 ……そっちがその気なら、乗ってやろうじゃない。

「おい、リズ……」

 くすり、密かに笑いを漏らした私の肩に、痺れを切らしたラビの手が触れる。反対側ではアレンがリナリーの手を放して、一歩前に踏み出した。そんな二人を振り返って、とおせんぼうする形で杖を横に構える。
 敵に背を向けた私に彼らが驚きの声を漏らす前に、声量をぎりぎりまで絞って小さく口を開く。

「……長くは保たないわよ。よく考えて」
「え?」
「!」
「“城壁(ランパート)”!」
「「!!」」

 あらかじめ城型(ルークタイプ)に変形しておいた氷盤操士から、詠唱と共に光の壁が生み出される。密かに杖に溜めておいた力のお陰で、それは文字通り光の速さで、床から天井まで一部の隙もない壁を築いた。
 私とAKUMAの群れと、その他四人と出入口との空間を完全に遮断したそれを見て、次の瞬間、敵味方関係なく悲鳴にも似た声が飛び交う。

「リズっ!!」
「何ですか、これ……!?」
「っ!? リズ、何を……っ!!!?」
「何ダコレ!! フザケルナヨ!!!!」
「エサガ減ッチマッタジャネェカ!!」
「リズ! いくらリズでも、一人でこの量は無理です! 開けてください!!」
「逃ガソウッテノカ、コノヤロウ!」
「壁ガドウシタ! コンナモン……ッギャアァァアア!!!!」
「………」

 皆の焦った声とラビの沈黙とを背に受けつつ、一息吐いて親玉に向き直る。出口までの道筋を付けた巨大な壁を見て、レベル3は楽しそうに口端を上げた。
 右手を握りしめたアレンが、ばしばしと光の壁を殴りつける。一度張ったこれは、たとえアレンが左手の爪で引っ掻いたってびくともしない。無謀にも壁に牙を剥いたAKUMAの一体は、派手に火傷を負って弾き飛ばされた。

「ンノアマ……!! 殺シテヤル!!!!」
「落チ着ケ駒共。黙ッテ待機シテロ」
「……ッ!!」

 火傷したAKUMAが眼を血走らせて私を睨む。来るか、と思ったそれは、親玉の鶴の一声で見事に動きを止めた。……やっぱりこいつ、頭が良い、というか、完全に下級レベルを掌握している、というか……。
 なおも悠然とキングの位置に浮遊している親玉を見据えながら考えていたら、背後に一際大きな衝撃音が響いた。

「リズっ!! こんな大技使えるんなら、どうして貴女は『こっち側』に居ないんですか!」

 ついに左手を使ったアレンが、渾身の力を込めて壁を殴りつける。そこまで震えた声で言われちゃ思わず苦笑が漏れる。それでも、壁を維持する力は緩めず、視線は親玉から逸らさないままに、背後のアレンに静かに答えを返す。

「あいつは、誰か一人でも“遊んで”あげなきゃ満足しないタイプよ。全員で逃げようとしたら、きっと部屋ごと潰される」
「ホウ、良クオ分カリデ」
「……でも逆に、全員である必要はない」
「でも……!」
「ほら、だって、私をご指名してるかのようなステージじゃない。片して追っかけるから先行きなさい」
「……っ、」
「……アレン君」

 ひらひらと後ろに手を振れば、アレンの反論がぴたりと止んだ。諌めるように彼の名前を呼んだのはリナリーか。
 相変わらず攻撃してくる気配の無い親玉AKUMAは、きっと私が始めの合図を出すまでこのままだ。好戦的な割に妙に律儀なAKUMAに内心嘆息しつつ、顔だけでアレンを振り返る。

「さっきクロウリーに言われたばかりでしょう? 大丈夫。おねーさんを信じなさい」
「リズ……」
「それとね、私も、ひとりじゃないから」
「え?」
「……“氷盤操士(グランドマスター)”第二開放、タイプ:『王(キング)』」
 
 杖に送る力を一段階上げれば、それに呼応するようにイノセンスが発光する。良く手に馴染んだ杖とクラウン型に戻った帽子とが水晶の如く透き通っていくのと比例して、私の背後に半透明の白いチェス駒がぽこぽこと生まれていく。握り拳二つ分ほどのサイズとはいえ、数はAKUMAの大群と比べても遜色ないほどに増えた私の“味方”。氷盤操士の第二開放を初めて見るアレンが小さく息を飲んだ。
 口裂け親玉AKUMAの笑みが深くなる。始めたくて仕方ないと言わんばかりに眼をギラつかせるそいつの視界には、もはや後ろの四人は入っていない。こっちに向かって飛び出してくるのは、もう時間の問題だ。ほとんど誰も気付いてないだろうけど、天井に近いところの壁はじわじわと歪んできている。こっちもそう長くは保たない。
 最後の一押し、とばかりに、視線をまっすぐ前に戻して強めに声をあげる。

「ほらっ、時間無いんだからさっさと行く!」
「……リズが対多数得意なのは本当さ。行くぞ!」

 ぱしり、乾いた音を響かせて、ラビがアレンの腕を掴む。ちらりと後ろを振り返れば、リナリーとチャオジーが私を見て神妙な表情で頷いた。誰よりも引き攣っているラビの横顔に内心感謝の言葉を送りつつ、アレンと目を合わせてゆるりと微笑う。

「ね、またあとで」
「……っ、絶対、ですよ……!」

 返事の代わりに、氷盤操士を親玉AKUMAに向かって構える。一瞬の間の後、ぱたぱたという四人分の足音が、出口に向かって駆け出した。親玉AKUMAはそちらを退屈そうに一瞥した後、満面の笑みで私を見つめた。

「……サテ、ソレデハ、“ゲーム”ヲ始メマショウカ!」
「“ゲーム”ね……」
「ソチラガ白デスカラ、オ先ニドウゾ?」
「……それじゃ、遠慮なく!」

 四人全員が部屋から出たのと同時に、杖を一振りして、駒達の戦闘体制をオートメーションへ。ぶわりと空気を波立たせて浮き上がったそれらを横目で見届けながら、氷盤操士を歩兵型へ変換。私の初手が打ち終わったのを待ち構えて、奇声を上げつつ嬉々として突進してきたレベル1の大群と対峙する。

 ……ラビの言うとおり、対多数――特に、雑魚が多いのは、得意どころかむしろ私にとってプラスだ。エネルギー吸収用のカモに成り得る黒の群れを見て、無意識のうちに口角が上がった。頬を伝う冷汗をやや乱暴に拭う。

(さて、さくっと片づけて、ちゃんと追いつかなきゃね……)

 ――正直、随分ハンデの大きいゲームだけど、負けるわけにはいかないから。










隔絶カモミール




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