リレー企画 | ナノ

(沢田千代の場合)





日当たりの良い自室に朝日が差し込むよりも、最近新調した目覚まし度計が鳴り響くよりも早く千代は目を覚ました。お世辞にも寝起きが良いとは言えない彼女には珍しく、視界にも思考にも曇りの無いスッキリとした目覚め。
それに疑問を持つことなく、寝返りをひとつ打って起き上がる。うーん、と唸りながら両腕を大きく天井に向けて身体を伸ばし、カーテンを開ける。真っ暗だった部屋にほのかな光が差した。


「……やっぱり、今日か」


薄暗い部屋にぼんやりと浮かび上がった白地のカレンダー。付けられた赤い丸と携帯の待ち受け画面とを交互に見て、千代はぽつりと呟く。
毎回毎回この日だけは不思議と寝覚めが良い。忘れるなよ、という『あの人』の念でも伝わってきているのだろうか。いや、それは無い。念やら霊的なものやらには全くと言って良いほど関わりのなさそうな『あの人』の顔を思い浮かべ、千代はふっと笑った。

普通に学校に行くにはまだまだ早すぎる時間。しかも今日は休日だ。確か今日の部活は9時からだったかなぁ、と、普段よりだいぶ動きの良い脳の片隅でそんなことを考えつつ、千代は綺麗に整えられた勉強机へと向かう。
部活前のウォーミングアップにひとっ走りしてくるにしても、外が十分明るくなるまでまだ1、2時間はある。それだけの時間を充てられれば、夜にやる分の作業がだいぶ少なくなるはずだ。鍵の掛かった一番上の引き出しを開ければ、黄色い6穴手帳とオレンジのシャープペンが覗く。

千代はよしっ、と小さく気合を入れて、椅子を引いて腰掛けた。





「あ、了平」


早起きで得た時間を有意義に活用した後、余裕を持って出かけた部活。午前の練習が終わって道場を出た千代は、前方に芝生頭と形容される短髪を見つけた。
呼びかけるでもなく半ば反射的に名前を口に出せば、その声を拾った彼はくるりと軽いステップで振り返る。


「お、千代か! 極限に良い朝だな!」
「おはよ、もう昼だけどね」
「そうか! それはともかく、お前、そろそろ本気でボクシング部に入らんか?」
「はいはい、あたし空手部だからごめんねー」


普段通りの会話を交わしつつ、千代は校舎外の自販機を目指して裏門へと向かう。軽くあしらってはいるが、これでも気心知れた仲の良い友人。了平も毎度の事と別段大きく凹むことは無く、歩幅を少し小さくして千代に続く。


「むぅ……異種格闘技戦でも良いから、一度手合わせしてみたいものだ」
「んな事やって暴れたらまた雲雀がうるさいよ。突っ込まれるキッカケ与えちゃダメだって、後が面倒なんだから」
「この前も危なかったようだしな。千代、お前一体雲雀に何をしたんだ?」
「何にもしてないって! 何か知らないけど、入学当初からやたらめったら突っかかって来るんだよ。あたしはゴタゴタ起こしたくないのにさー。この前は、みちる先生のお陰で助かったけど」
「千代と雲雀か……良い勝負になると思うんだが」
「勘弁してよ……」


心底うんざりだと言わんばかりの表情を浮かべ、千代は遠い目をして明後日の方向に目を背けた。彼女にとって、天敵・雲雀恭弥は頭痛の種でしかない。いざ戦闘になったら意地でも負けたくないというのも本音だが。

千代は話を変えようと了平を見上げ、ふと顔はあまり似ていない彼の妹を思い出した。


「……あ、そいえばさ、ホントは今日、京子に買い物誘われてたんだよ」
「お前もか。俺も誘われたんだが、部活があったんでな」
「んー、あたしもそれで断っ……」


先を続けようとした千代の言葉を遮るように、機械的な音楽が鳴り響く。千代は焦ってポケットに手を突っ込み音を消すが、今日は休日。携帯を没収するような先生は居ない。一応周りをきょろきょろと見回し了平以外に誰も居ないことを確かめ、届いたメールを見るべくそれを取り出した。


「ツナからだ」
「沢田か! あいつと千代が我が部に入部してくれれば言う事無しなんだがなぁ……」
「まだ言うかこのボクシング馬鹿ッ」


なおも諦めた様子の無い了平を小突いて軽口を返しつつ、一学年下の従弟からのメールを開く。どうやら叔母が不在の中、ビアンキから子供たちの世話を任され、京子との約束に出掛けられないらしい。
ツナが京子を好いているのは知っている。助けてやりたいのは山々だが、そもそも自分もその京子の誘いを部活で断っているのだ。その上、午後練が何時に終わるかも分からない。

……不憫な従弟に内心合掌しつつ、千代は謝りのメールを返した。


「あーあ、ツナも災難だねぇ」
「ん、どうした?」
「それがさぁ……」

「沢田先輩ー、いませんかー?」
「千代先輩ー!」


続けようとした言葉は再び、今度は千代を探す後輩たちの声で遮られた。彼女はそれに応えるより先に、目立たぬ動きで携帯をポケットに仕舞う。
数人のうち一人が千代に気付き、走って向かってきた。話を聞けば、顧問に急用が入り、急遽午後練が中止になったという。今日は部長が不在の為、締めは副部長である千代の担当。休憩で出て行った部員達をかき集めている最中だから、用が終わり次第道場に戻って来てくれ、と。
用件を伝え終えると、彼等はバラバラと部員探しに散っていった。


「……どうしよ」
「とりあえず、まずは道場に戻ったらどうだ? ほれ」


捲し立てるように説明して忙しなく去っていった部員達の背を見やり、千代は少々ぽかんとする。部活の締めや片付け云々よりも、急に出来た午後の空き時間をどうしたものかとぼんやり思案していると、後ろから話の間どこかに消えていた了平の声が降ってきた。
差し出された青い缶は、千代が今まさに買いに行こうとしていたもの。


「ありがと了平、ツケにしといて!」
「おう、じゃあな!」


いつも意外と気の回る友人に笑顔で返し、千代は道場へと駆け出した。





「お邪魔しまーす」


部員を集めて説明して片付けして道場に施錠して、と、何だかんだで遅くなってしまったが、千代は昼過ぎに合鍵片手に沢田家に到着した。行けるようになったと連絡も出来なかった上、最初のメールからだいぶ時間も経っている。代役を頼んでるかもなぁ、という千代の予想は見事に当たって、玄関には見慣れないバレエシューズがきちんと揃えて並んでいた。

サイズから見ておそらく中学生の女の子。京子はツナと出掛けているし、了平や自分にも連絡が届いているのを考えれば、ハルも居ないはず。それ以外で、ツナが子供たちの世話を頼むほど仲の良い女の子といえば、自分は未だ会ったことの無いあの子だけだろう。話によれば良く気が回る子のようだから、京子の方に行かなかった理由も分かる。

……きっとハルや隼人たちのお陰で、その気遣いは無駄になってしまったんだろうけど。


かちゃかちゃと音がするリビングに向かえば、こちらを向くランボやイーピン、フゥ太と向き合う見慣れない背中を見つけた。


「……えーっと、凍ちゃん?」

「あっ、千代姉!」
「千代だ千代だー! ランボさん待ってたんだもんねー!」


呼びかけた彼女が声を返すより早く、イーピンが異国語で何かを言いつつ千代に飛び込んできた。残念ながら言葉は分からないが、その笑顔を見れば歓迎されているのは分かる。続いて走ってきたフゥ太やランボにも挨拶を返していると、年の割に大人びた気を持つ少女がゆっくりと近付いてきた。


「千代先輩、ですよね? 初めまして、寒崎凍です」
「うん、会うのは初めましてだね。ツナから話は良く聞いてるよ。あたしは沢田千代、知ってると思うけどツナの従姉ね。よろしく!」


笑顔で手を差し出せば、彼女の纏う気が一瞬、ほんの一瞬だけ変わった。
常人なら気付かない程度のその変化はすぐに消え去り、凍も合皮の手袋をした手を柔らかい表情を浮かべて差し出す。


「こちらこそ、宜しくお願いします」


彼女の一連の行動を見て、確信した。
話に聞いて思ってた通り。この子なら大丈夫だ。

千代は年相応の無邪気な笑みを引っ込め、大人びた微笑を浮かべて、凍の耳元で囁いた。


「だいじょぶだよ。皆にはまだ内緒なんだけど、あたしも、ビアンキに近いトコに居る人間だから、ね」


「え……?」


「あーお腹空いたー! フゥ太、何か食べる物無いー?」
「お昼ご飯のチャーハンと、おやつに水羊羹があるよ!」
「やった! ねぇ、皆はもう食べた?」
「とっくに食べちゃったもんねー、ランボさん早くおやつ食べたい!」
「えー、あたしが炒飯食べちゃうまで待っててよー。終わったら一緒に食べよ?」
「えー……じゃー千代待っててあげるー!」
「あはは、ありがとー」


何事も無かったかのように子供たちと話し始める千代と、呆然と彼女の背を見つめる凍。
千代はくるりと彼女を振り返り、ウインクをひとつ寄越してキッチンに向かった。


「(凍ちゃんには……一部は今日、話しちゃうのも良いかもね。敵じゃないのに無駄に怪しまれたくないし)」


でも、彼女や綱吉たちに詳しい話をするのは――もう少し後の方が、きっと面白いから。





「……真田女史にですか?」
「そうそう。アレはホント助かったよー。そんなんだからみちる先生、今じゃ『ヒバリキャンセラー』なんて通り名まで付いてるみたいで」
「ヒバリ……先輩、って、あの風紀委員の、ですよね」
「うん。みちる先生が来るとフイッと居なくなっちゃうんだって。……その口ぶりだと、あんま知らない? 雲雀の事」
「はい、ほとんど関わりが無いですね……」
「う、羨ましい……!!」

「ただいまー」


遊び疲れてお昼寝中の子供たちを横目に千代と凍が談笑していると、玄関で鍵が開く音がした。扉の開く音とツナの声に続いて、聞き覚えのある声がふたつ。京子たちとの買い物を終えて男子組がそのままやってきた、といったところだろう。
予想通りのメンツがリビングに顔を出したのを見て、千代は立ち上がって彼らを迎えた。


「おかえりー」
「えっ、千代姉、来てくれてたんだ! 部活は?」
「急に午後練無くなっちゃってさ」
「おーっす、千代先輩!」
「や、武。いらっしゃい」
「おっ、お姉様! お久しぶりです!!」
「……ねぇ隼人、それ、ホント何とかなんないの……?」
「いやでも十代目の従姉上様ですし……」
「ははっ、獄寺お前、千代先輩に会うといつもこれだな!」
「うるせぇ野球バカ、お前ちょっと黙ってろ!!」


従姉が連絡無く来ていた事に驚いていた綱吉の視線も、千代が獄寺・山本と毎度お馴染みの会話を始めたのを見て凍へと動く。3人のテンポ良い会話をお茶を片手に微笑みつつ見つめる凍に、「隣いい?」と断りを入れて椅子を引いた。
席に着いたツナにお茶を淹れて差し出しつつ、凍は口を開く。


「千代先輩、皆と仲良いんだね。はい、お茶」
「あ、ありがと! ……千代姉は人と仲良くなるの上手いんだよね。顔と名前覚えるのはからっきしなんだけど」
「そうなの?」
「うん。だから千代姉、よく自分の手帳に人の似顔絵と名前かいてるんだよ。まぁ、流石にインパクト強いとすぐ覚えるみたいだけどね」
「沢田くんの周りって、インパクト強い人だらけじゃない? 千代先輩を含めて」
「う……ん、確かにそうかも……ははは……」


顔を引き攣らせて苦笑する綱吉を見て、凍が小さく笑った。
そんな二人を見て、千代そっちのけで言い合いを始めた獄寺と山本を見て、千代もくすりと微笑った。

千代は自分に注目が集まっていないのを確認して、静かに廊下に出る。音も立てずに後ろ手にドアを閉めると、視線を下へ。


「うちの従弟は、良いファミリーに恵まれてるよね、リボーン?」


自分の膝よりさらに低い位置にあるシルクハットを見下ろすと、屈んで視線を近付ける。それでもなお自分を見上げる位置に居る程の小さな赤ん坊に、千代は穏やかな微笑を向けた。
赤ん坊――リボーンは、それを受けてニヤリと笑うと、千代の細い肩へと器用に飛び乗った。


「あたりめーだろ、オレが直々に勧誘してんだぞ」
「そっか。リボーンのお眼鏡に適うなら当然、ってね」
「まぁな。そういやお前、了平の事は?」
「ん、それは前から知ってる」
「流石だな」
「鍛えられてるからね」
「今日だろ、『約束の日』は。今回は何か面白ぇモンあったか?」
「あはは、分かってるくせに」
「どーだかな」

「……今回特筆すべきは二人、かな」





夜。
朝のそれとはまた違う薄暗さに部屋の明かりを灯し、千代は朝と同じように机に着いた。鍵の掛かった一番上の引き出しを開け、細かい字で埋め尽くされた沢山の6つ穴メモ用紙と予備の紙束を取り出す。鞄から手帳とシャープペンを出せば準備は完了。
朝の時間に目を通しておいたメモ用紙から必要なものを取り出し、時々思いついたように加筆修正をする。その作業が終わると、手帳から数枚の紙を抜き取り、メモ用紙の山に加える。
一番上の紙には、似顔絵が二人分。

一通りの作業が終わると抜いた分を補うようにまっさらな紙を追加して、ぱちんと手帳を閉じて鞄へと戻す。文字で埋め尽くされたメモ用紙の山を横目に、千代は別の引き出しからシンプルなレターセットを取り出した。


「……さーってと、じゃ、親愛なる叔父様にラブレターでも出しますか!」


便箋の一行目の文字は、『拝啓 家光様』。

千代はメモ帳の山を眺めつつ、断片的な情報の切れ端をパッチワークのように集めて縫い合わせ、ひとつの綺麗な布地にするかのように文章を綴っていく。最近の自分の近況に始まり、彼の息子であるツナの事、ツナを取り巻く友人達の事、最近あった出来事、新たに出会った人について。

それは、姪っ子が自分の叔父に、自分と従弟を取り巻く友人達のことを教える、微笑ましい手紙。
そう、それは、一見すれば、の話。

しかし実の所、千代と家光は、ただの姪と叔父の関係ではない。

『最近、面白い子と先生が並中にやって来ました――』


筆はするすると滑らかに進み、今回のメイン――最近出会った二人の人物――寒崎凍と、真田みちるの話へと及んだ。……そう、この二人は少なからず十代目ファミリーに関わってくるはず。
千代は二人の顔を思い出しつつ、便箋の端によく似ていると毎回評判の似顔絵を添える。記憶力が悪いというのは実は真っ赤な嘘だ。
似顔絵と共に、凍について、みちるについて、それぞれ良い印象を受けたという文面と、分かった範囲での彼女等の情報を書き綴ると、千代は一度ペンを置いて一呼吸吐いた。


『こちらの近況はこんなところです。そっちはどうですか? オレガノは元気? またバジルに妙な日本の風習教えたりしてない?』


ラルはどうしてるかな、ターメリックさんは相変わらずだろうな、と、遠いイタリアで活動する自分の属するチームの仲間達の顔を思い浮かべ、千代は再び筆を進める。頭に浮かぶ門外顧問チームの面々に引きずられ、うっかり『親方様』などと書かないように、細心の注意を払いながら。

――そう、この手紙の本当の目的は、ボンゴレ門外顧問への、十代目ファミリーについての情報提供。

暗号というほどの物も使っていないが、普通の手紙と言っても怪しくない程度の多少の隠語はある。門外顧問チームの情報屋としてではなく、あくまで『姪からの手紙』として送ることで、危険性を少しでも減らそうという工夫だ。
もっとも、配達を依頼するのは優秀な運び屋なのでそんな心配は無用なのだが、用心はするに越したことは無い。

みんなに宜しく、との旨を書き終え、今回書くべき事は全て書き終えた。時計を見れば、運び屋が取りに来るまではもう少し時間がある。
最後に少し余った便箋の余白に何か付け加えようと少し考えて、千代はもう一度ペンを手に取った。

従弟の笑顔を思い出しつつ、似顔絵をもうひとつ追加した。
時間も余白ももう少し余裕があったから、彼の最愛の人――奈々ママの絵も描いておいた。


「……よしっ、任務完了!」


こうやってするやり取りは、あとどれだけ続くのだろうか。

千代がそれなりに楽しんでいるのも事実だが、従弟やその仲間達に隠し事があるのが心苦しいというのもまた事実。
しかし何より、秘密をバラした後にどういう反応をするかが、楽しみで仕方ないというのも、千代にとっては紛れも無い事実だ。

――きっと、そう遠くない未来に、『彼』は日本に戻ってくる。
だから、それまでは。

『あたしの従弟は、良い人達に巡り合えて、ここ最近急成長してるよ。だから、心配しないでね』


未だ自分が『中心』だと未だ気付いていない従弟を想いつつ、千代は手紙に封をした。




end...


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