風姿華伝 | ナノ

 いわゆる『燃え尽き症候群』がようやく落ち着き始めた頃、“それ”は思い出したかのように出回り始めた。

「青いアルバム?」
「そ! 天化知らない?」
「あー……そいや、一昨日あたりに見たよーな気はするさ」
「一昨日かー……じゃ、もう他のクラスに回っちゃったかな」

 珍しくウチのクラスに遊びに来ている藍李が、ふむふむと相槌を打ちつつ廊下の窓枠から教室内に身を乗り出す。廊下側の前から向こうの窓側の後ろの席までぐるりと教室中を見渡して、うぅん、と一言。その途中で眼が合ったらしい知り合いたちに笑顔でひらひらと手を振りつつ、藍李はちょうど廊下側の窓の真下にある俺っちの席に視線を戻した。
 少し残念そうに言う藍李に、俺っちは内心びくつきつつ曖昧な相槌を返す。

 ――藍李の言う『青いアルバム』が何なのか、俺っちはぶっちゃけ知っている。

 三年の学年劇がいろんな意味で話題を掻っ攫っていった、先日の学園祭。
 陰謀かと思うような配役に文句を言う隙も与えられず、夏休み返上して夢に出るほどガチで練習して、俺っちも含め皆して開き直って腹括ってやった演劇本体。最後のデカい場面でとんでもねぇトラブルはあったにせよ、運良く怪我人も無く、それ以外の出来はほぼ言う事なし。その上、衣装から外装までめちゃめちゃに凝ってがっつり作ったんだから、それ相応の評価が貰えるのは良い事さ。
 でも、あんだけのモノを作っといて、学校側が出してくれる雀の涙程の予算で金が足りるわけがない。その結果が、一部はあとで絶対返すと言われて、ひとまず学年全員が一人当たり二千円の集金。
 それでも、総監督っつー肩書を手に入れた蝉玉と、財布を握る鬼会計の旦が、何を思ったか二人してGOサインを出しちまうもんだから、かき集めた金は湯水のように使われた。……まぁ、一部のヒトたちの私物が使われたり、親の仕事やコネを生かしまくって、使わずに済む金は節約したらしいけど。

 それから、学祭が終わって一ヶ月。そのうち千五百円は、一律に返金された。

 収支を合わせた結果、とだけ説明されたそれの“収入”のほとんどを占めたのが、今回藍李が言っている奴の前に出回っていた、『赤いアルバム』によるものらしい。
 客席に潜り込んだカメラ部隊と有志の奴らが撮った写真を集めて、修学旅行の写真販売のような形で出回っていたそれ。統括していたのは勿論というか、総監督と鬼会計の二人組。実家が写真屋やってる奴も実行グループに入ってたらしく、1枚50円かそこらで売っていた。
 学校側も黙認、っつかほとんど公認だったらしく、先生たちも注文をしていたらしいともっぱらの噂。いいのかそれで、っつー突っ込みは、きっとするだけ無駄ってモンさ。
 売り上げの半分以上は主役級の写真、っつってたけど、正直内訳は聞きたくねぇな……。

 そこまで思い出したとき、藍李がまさにその名前を口にした。

「でもさ、アルバムならこの前赤いやつが回ってたし、注文した写真も来てるのに、なんでだろうね?」
「さー……追加の写真でもあったんかね」
「……ね、あんまり興味ないでしょ天化」
「んん、正直」

 ……いや、興味がねぇっていうより、関わりたくねぇんさ……!

 なんて、そんな本心のままに反応を返せば、何も知らない(らしい)藍李は「えっ天化何か知ってるんじゃん!」って突っ込んでくるに決まってるさ。喉まで出掛かったそれを無理やり飲み込んで、くぐもった声で最低限の返事を返す。苦し紛れに、コーヒー牛乳のパックを手にして一口。
 俺っちの反応を見て情報収集を諦めたらしい藍李は、そっか、と呟き小さく肩を竦めた。

「じゃ、それなら隣行って……」
「え」
「ん? どーかした?」
「あ、いや……」
「?」

 次に行こうとしている藍李に、思わず変な声が出ちまった。中途半端に止めたような形になっちまって、藍李は首を傾げて俺っちを見下ろす。……ちょ、どーする俺っち。
 関わりたくはねぇけど、このまま藍李を行かせるのはマズい。非常にマズい。だって例の『青いアルバム』は、確かさっき隣のクラスに回ってったはずさ。
 引き留めるほどの話題も出せないままに俺っちが固まっていると、ひょこり、藍李の後ろに新顔が現れた。

「……おっ、やっぱり藍李じゃん。珍しいな、ここまで来るの」
「!」
「あ、友乾」

 男にしちゃ長い髪を靡かせながら顔を出したのは、わざわざ隣のクラスから出張してきたらしい高友乾。奴は俺っちにも「よっ」と軽く手を上げたあと、振り返った藍李と眼が合うとにやりと笑う。

「……久しいではないかフィリップ、父はお主がおらんで退屈しておったというのに」
「ふふっ、申し訳ありません父上。ご無沙汰しております」

 腕を組んで尊大に藍李を見下ろす高友乾に、藍李は跪いて綺麗に一礼。
 そこまでやった二人は、顔を見合わせると肩を震わせはじめて、それから堪え切れずに爆笑し始めた。

「……なにやってんさあんたら」
「あはははは、友乾ってば、な、にその、してやったりなキメ顔……! 本番でもそこまでしてないのに!」
「おっ、そこにいらっしゃるのは、我が愛息子の妃、オーロラ姫ではないか! 今日も変わらず美しい!」
「俺っちを巻き込むんじゃねーさ!!!!」
「っくくくくく、まってまって、笑いすぎてお腹痛い……っ!!」

 どこがツボに嵌まったのか、うっすら涙目になるほど爆笑する藍李と、そんな藍李の反応に調子に乗る友乾。
 散々笑い倒した藍李の呼吸がやっと落ち着いた頃、藍李は質問相手を高友乾に変えた。

「っはー、笑ったぁ……。ね、ところでさ友乾、最近出回ってるらしい『青いアルバム』って知らない?」
「青いアルバム?」

 友乾はその単語を聞くと、最初の俺っちと同じ反応を返す。でも、一瞬ちらりとこちらを向いた瞳は、面白いものを見つけたと言わんばかりに輝いている。……おいちょい待ち、コイツも確実に知ってるさね!!!!
 友乾が様子見なのか考える素振りを見せていると、藍李は更に言葉を続ける。

「ほら、学祭の後、赤いアルバムで劇の写真販売してたじゃない?」
「あー、あったな。俺も貰ったのとは別に何枚か買ったわ」
「うん、私もそうなんだけどさ、最近になって、また別のがこっそり出回ってるらしいって」
「へぇ……それ誰情報だ?」
「蝉ちゃん」
「!?」
「ほぉ」

 ……蝉玉あんにゃろ!!!! どの口で言ってんさ首謀者がぁぁっ!!!!

 対する友乾はというと、おそらくニヤニヤとひん曲がってるであろう口元を手で隠して短く一言。どう出るんさコイツまじで。答えによっちゃ後で覚えてろよと言わんばかりの視線を送れば、しばらくの沈黙の後、ちらりと俺っちを一瞥してから口を開く。

「蝉玉が言うなら違いねぇだろうけど、俺は知らないなぁ」
「!」
「あれ、そう?」
「あぁ。うちのクラスの連中もなんも言ってなかったし」
「そっかー」

 友乾の答えに、藍李は僅かに肩を落とす。知りたがってた割にはあっさりな反応さね。
 そんな感想を内心で漏らしていると、爆弾は突然降ってきた。

「ま、いっか。大抵の子の写真は、もうキレイに撮れてるの貰ってるしね」
「お、もしかして主役特権か? ずりぃな藍李!」
「えへへ、いーでしょ! 蝉ちゃんが選別してくれたベストショット! 天化も可愛く撮れてるのあるよ」
「ぶっ!!!?」

 話振られねぇように飲んでたコーヒー牛乳が仇になって盛大にむせる。げほげほと声にならない声をあげる俺っちを、藍李は悪戯っ子の笑顔を浮かべて見下ろした。

「部屋のコルクボードにみんな飾ってあるから、今度見せたげるよ」
「え、遠慮しとくさ……」

 藍李と俺っちを見比べて、それはそれは楽しそうなにやにや笑いを浮かべる友乾が口を開きかけたとき、ちょうどタイミング良く予鈴が鳴る。校舎も違う学年の端っこクラスまで来ている藍李は、さすがに帰るらしく窓枠から一歩離れた。

「あははっ、じゃーまたね友乾! 天化はあとで部活でねー」
「おう、また来いよー」
「おー……」

 廊下走ってこの前コーチに注意されたもんだから、藍李はぎりぎり早歩きと言える速度でぱたぱたと帰っていく。ひとまず危機脱出か、と大きく溜息を吐けば、隣のクラスの厄介な友人は相変わらずニヤニヤ笑いを浮かべて窓枠に凭れていた。
 早く帰れよ、という距離でもないし、結果的には助かったわけだ。嫌々ながらもちらりと見上げれば、友乾は勝ち誇った笑顔を浮かべて窓越しに俺っちの肩をた叩いた。

「天化、ピザまん一個で勘弁してやるよ」
「……………ちっ、しゃあねぇさ……」
「アレが女子にバレたらちょーっと面倒だもんなぁ。首謀者も女子ってのがおっかねーけど」
「………」
「特に藍李はなー。枚数も割とあったしな」
「……………」

 ――そう、例の『青いアルバム』は、男連中の中だけでひっそりと回されてるモン。

 なんとも微妙というか絶妙というか、色々な意味で厭らしい角度で撮られた写真たちの集合体。大抵は、ぱっと見は普通に見える写真。敢えて言うなら、狙ったようなアップだとか、特定の部位が凄ぇ綺麗に映ってるとかいう可愛いモン。あとちょっと悪ふざけしてるムサい裏方たちの写真とか。全校向けに回すにはちょっと気の引ける写真。
 需要あんのかね、と思ったら以外に食いつきが良いうえに、男子連中はここぞとばかりに団結力を見せて女子の目から隠している。そこらへんも見越したうえで、ちょっとした問題にならない範囲の安全ラインのきっちり内側で持ってくるあたりが蝉玉だ。
 因みにそれはタチの悪ィことに、『文句を言おうにも言えない』と同義。言ったら言ったで蝉玉は「藍李の写真をほかの男に売るなってこと?」とか何とか、嬉しそうに迎撃してくるだけさ。
 気の抜けた大きなため息をもひとつ吐けば、友乾は相変わらずのニヤニヤ顔のまま、俺っちの机にずいっと顔を寄せる。

「……っつかさ、ホレてる幼馴染の部屋に自分の女装写真があるってどうよ?」
「ピザまんにタバスコぶっかけたろかコノヤロ」
「お、否定はしないんだな」
「ほっとけ」

 ……何をいまさら。こちとらとっくに開き直ってんだから、痛くも痒くもねぇさ。

 しっしっと手で追い払えば、友乾は小さく鼻を鳴らしながら肩を竦めて俺っちに背を向けた。じゃーまたな、と言い残して足取り軽くクラスに戻っていく。意外とあっさりさね、と思って時計を見れば、そろそろ本鈴が鳴る時間。

 友乾が扉の向こうに消えた時、机の中で携帯がぶーんと振動した。受信メール一件、差出人は藍李。
 あまり良い予感がしないまま、前後左右を軽く確認した後ひっそりと開いた携帯には、本日最大の爆弾が搭載されていた。

『そいえば、蝉ちゃんが天化に“特別”な写真一枚あげたから、見せて貰えって言ってたんだけど!』
「……!!」

 “あの”瞬間を鮮明に捉えた写真と実際の瞬間とが、反射的に頭に浮かぶ。
 授業始めるよー、って太乙センセが入って来たけど、暫くは机から顔を上げられそうにねぇさ。










魔法の解けたそのあとで。


「(……蝉玉あいつ、俺っちに恨みでもあるんかい!!!?)」




あとがき
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