風姿華伝 | ナノ

『結婚……私が、一国の王子と、結婚……?』

 第一幕、第二幕に続く第三幕。今までで一番の盛大な拍手によって迎えられたそれは、始まりから怒涛の展開だった。

 想いを寄せる青年・フィルを呼ぶことはできなかったものの、幸せな気分で迎えたはずの誕生日。育ての親にあたる妖精たちが、自粛していた魔法を16年振りにこっそりと使ったおかげで、パーティーは盛大なものとなった。
 しかし、ローズはその中で、自分がこの国の姫であり、16歳の誕生日を迎えた今日、城に戻って生まれた時から決められていたという顔も知らない許婚と結婚しなければならない、という事実を初めて知らされる。
 驚きに茫然としている間に城からの迎えがやってきて、感動の涙を流す両親と再会し、あれよあれよという間に準備は進められる。ようやく事態を把握した時には、ローズ……改め、オーロラ姫は、純白のドレスに身を包み、見慣れぬ城の中を当てもなくさ迷っていた。

『そんなことって……そもそも、私が姫だったなんて、そんな事が……』

 重いドレスと整理のつかない心を引き摺るようにとぼとぼと歩けば、ふらり、バランスを取り損ねて壁に凭れ掛かる。流れるような黒髪を垂らしてしゅんと俯く姿はまさしく美女と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出しているが、やや多すぎるほどのフリルに包まれた肩は、残念ながらその幅広さを隠しきれていない。
 はぁ、また一つ大きな大きなため息を漏らしたオーロラは、ゆるゆると壁から身を起こし、足取り重く城の上を上を目指す。細くなってきた通路にぽかりと空いた小窓から自分が育った森を認めると、彼女はまたぐったりと項垂れた。

『フィル……』

 漂う哀愁と悲壮感に、観客も思わず息を飲む。最初の登場には黄色い声を上げた女子たちも、もはや“彼女”を演じるのが天化であることなど忘れたかのように、オーロラの感情に移入している。
 ふらり、ふらり、彼女が頼りない足つきでとうとう辿り着いたのは、城で最も高い塔の頂上。

『あら……何かしら?』

 小部屋になっているそこで、それ自体が光を放っているかのように存在感を示している“なにか”を捉えるオーロラ。その光に誘われるように“それ”に歩み寄ると、彼女は先端にきらりと光るモノに吸い込まれるように手を伸ばす。

 ――ぷすり。
 “それ”に触れた次の瞬間、オーロラは床に崩れ落ちた。

『おぉーっほっほっほ!! 残念だったわねぇ、ステファン王!! ざまぁ見なさい!!!!』

 塔の頂上から狂ったように笑う甲高い声が響く。どこからともなく現れた黒い影は、ひとしきり笑うと、倒れたオーロラ姫に恨みを籠めた蹴りを軽くお見舞いして、再びどこかへ消え去って行った。

 ……その蹴りが台本に無いものだということを知る者は、客席には殆どいない。


 *


『ごめんなさいオーロラ……私たちが目を離した隙に……!』

 一旦暗転した舞台が再び照らされる。冷たい床に倒れていたオーロラは、今は軟らかいベッドに寝かされていた。作り物とは思えない流れるような黒髪をふわりと広げて、オーロラは安らかな寝顔を見せる。帝氏演じる緑の妖精・フォーナは、艶やかな長い髪を靡かせて、オーロラの眠る寝台に突っ伏した。彼女を慰めるように傍らに立つ赤雲……赤の妖精・フローラも、唇を噛みしめ肩を震わせて俯く。
 そんな中、碧雲扮する青の妖精・メリーウェザーは、ひとり穏やかな笑みを浮かべて杖を手にした。

『大丈夫、16年前を思い出して。オーロラは眠っているだけ。彼女が目を覚ますまで、この国も眠りについてもらいましょう』

 しゃらららら、彼女の杖の振りに合わせて、涼やかな音色ときらめく光が辺りを踊る。それらが徐々に小さくなっていくのと比例して、一国全体が眠りについたことを示すかのように、照明が一段階落とされた。
 ぽっ、立ち上がった三人にスポットライトが照らされる。視線と頷きを交わしあった彼女らは、片手にしっかりと杖を構えて身を寄せ合った。

『オーロラは、真実の恋人からのキスで目覚めるのでしたね』
『えぇ。16年間彼女と暮らしを共にした私たちが、今思い浮かべる人は……あの人しか、居ないでしょう?』
『!』

 ――フィル。
 見事に揃った三重奏に合わせて、照明がすとんと落とされた。


 *


 三人の妖精たちが向かったのは、ローズとフィルが逢瀬を重ねていた森の広場。しかしそこに彼の姿はなく、代わりに鴉の羽根が一枚。黒の魔女の手が伸びたことを示すそれを見た三人は、果敢にも敵の根城へ忍び込むことを選択した。

 魔女の館最奥にひっそりと存在する地下牢。そこには、彼女らの予想だにしない衣装に身を包んだ青年が閉じ込められていた。
 スポットライトが牢屋の人影を照らす。直後、観客席は押し殺された黄色い悲鳴で包まれた。

『……あなたたち、は、ローズの……?』

 三人の姿を認めて、よろりと力なく立ち上がる人影を演じる藍李。その顔は煤と血と擦り傷で汚れているが、瞳の奥に灯る濃藍の輝きは隠せていない。
 そんな彼女が身に纏う衣装を捉えて、帝氏――フォーナは、ことりと小さく首を傾げた。

『フィル、ですよね……!?』
『貴方、まさか……フィリップ王子……!!!?』
『!』

 王族のみが袖を通すことを許されるそれを指して、赤の妖精・フローラがはっと息を飲む。この状況を掴みきれていない“彼”も、呼ばれた二つの名前にぱっと顔を上げた。
 三人が驚きに固まる中、メリーウェザーは冷静に杖を掲げて声をあげる。

『話は後です。皆、下がって!』

 ぽう、杖先に灯る明るい光。まっすぐ牢に向けられたそれの意図を汲んで、三人はぱっと身を翻す。直後、がらがらと激しい音を立てて、檻にも似た牢屋は見事に崩れ去った。
 積みあがった瓦礫の山を、藍李はひらりと飛び越える。蓄積した疲労によって、着地をやや崩すところまで自然な演技。痛みに耐えるように俯き片膝をついた“彼”に、フォーナが駆け寄り手早く回復の魔法をかけた。ここが魅せどころだと言わんばかりに、音響と照明が見事に魔法のような効果を生み出す。

『大丈夫ですか?』
『えぇ。有難う、お陰で動けそうだ』
『それなら走るわよ! じきに魔女に気付かれる!』

 上品な動作で差し出されたフォーナの手を取り、フィルは力強く立ち上がる。先んじて退路を確認していたフローラが鋭い声をあげれば、それを合図に四人は舞台下に向かって走り出す。客席の合間を縫うように走る四人を追いかけるスポットライト。外の雷雨を表す効果音も、強弱を付けて場を盛り上げる。
 演者も裏方も一丸となった迫真の演技を、観客達は息を潜めて見守る。 

『ここまで来れば、一先ずは大丈夫でしょう……』
『そうね、フィル、貴方への説明もしなくては』

 客席をぐるりと一周して、再び舞台に上がった四人。その間に、舞台背景も薄暗い地下牢から魔女の館入り口へと変えられていた。
 ゆるゆると立ち止まったフローラの言葉をフォーナが継ぐ。彼女の視線を追って、三妖精の中で最も冷静な説明役――メリーウェザーに、全員の注目が集まった。

『そうですね。……フィル、私達は貴方の仰るとおり、ローズの育ての親をしておりました』
『妖精の方、だったのですね』
『えぇ』
『ローズは、この事は?』
『知ったのは……今朝ですわ』
『……育ての親を“している”ではなく、“していた”なんですね?』
『えぇ。――単刀直入に言いましょう』

 すう、と浅く一呼吸。会場全体が息を飲む。

『フィル……いえ、フィリップ王子、ローズは、貴方の許婚の“オーロラ姫”です』
『!?』

 誰もが分かっている物語の核心部分。それでも観客たちは、フィリップ王子同様、息をするのも忘れていた。
 
『彼女は訳あって、16年間、魔女の手の届かない所に隠れていなければならなかったの……』
『……?』
『そう。だから、貴方達が森で出逢ったのは、偶然です。それでも私達は、これが偶然とは思えない』
『どういう……ことです……?』
『ローズは、今……』

 ――がっしゃぁぁああああん!!!!

 会場を襲った突然の轟音。音と共に完全に落とされた照明。客席のあちこちから本気の悲鳴があがる。それを掻き消すほどの雷鳴が続き、ごろごろざあざあ効果音が鳴り響く。
 カッと照らされた眩いスポットライトの中には、大きな杖を手にした黒の魔女が立っていた。

『……あらあらあらあらぁ……可笑しいわね、どうして牢から出ているのかしらぁ、フィリップ王子?』
『!!』
『誰だっ!!』

 館の主の登場に、三人の妖精はぴしりと身を硬くする。それでも、彼女の様子を探りながら、杖を構えることも忘れない。彼女の手下に襲われ連れ去られて来たため、魔女の事を知らないフィリップは、果敢にも魔女に鋭い声をあげた。
 対する黒の魔女は、余裕たっぷりに不敵な笑みを浮かべる。

『まぁ、随分なご挨拶ねぇ……。でも、強気な男は嫌いじゃないわ』
『………』
『王子! あの魔女はローズを逆恨みしているのです!』
『黒の魔女の呪いで、ローズは……!』
『!?』

 ――ばりばりばりばりっ!!!!

 フォーナの言葉を遮るように、魔女の杖から雷魔法が迸る。難なく避けたフィリップと妖精たちだったが、彼等は地に走る深い亀裂で隔てられてしまう。
 戦闘は避けられないことを悟った三妖精は、それぞれに手に取った杖を魔女とフィリップへと向けた。メリーウェザーの水魔法が魔女の頬を掠める。黒の魔女がそちらに気をとられた隙に、フォーナとフローラはフィリップに向けた杖を勢いよく振った。

『……フィリップ王子!』
『これをお使いになって!』
『!』

 二人の杖の動きに合わせて、舞台後方から飛んできた二つの影。藍李演じるフィリップはひらりと身を翻し、ぱしんぱしんと小気味良い音を立ててそれらを受け止める。
 舞台中央へと躍り出た藍李は、妖精たちの贈り物をライトに翳した。

『これは……』
『「美徳の盾」と「真実の剣」です! 貴方なら使いこなせるはず!』

 魔女の雷撃を避けながらメリーウェザーが声をあげる。彼女を援護するフォーナとフローラの魔法が、見事に魔女の足を掬った。長い裾をひるがえし、黒の魔女はがくりと膝を付く。
 プライドを傷付けられた黒の魔女は、怒りに肩を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。

『おのれ、よくも、この私を馬鹿にして……! 見てらっしゃい!!』

 見事に恨みが籠められたその低い声に呼応して、照明がちかちかと明滅を繰り返す。ふっ、と暗闇に覆われた舞台が轟音の雷鳴と共に照らされたとき、姫発演ずる黒の魔女は、見事な造形をしたドラゴンの張りぼてへと成り代わっていた。

『まずはお前からだ! フィリップ王子!!』
『!!』

 獲物を狙う肉食獣のように、ドラゴンはフィリップに狙いを定め、血の滴るような赤い眼を光らせる。その眼光に彼は思わず一歩後ずさるが、すぐに覚悟を決めたかのように盾と剣と握る手に力を籠めた。
 きらり、照明を反射して煌めく真実の剣。藍李はフェンシング部の面々に散々叩き込まれた“魅せる構え”をとって、そのよく通る声の高さを抑えて、静かにドラゴンに宣戦布告。

『……貴方に恨みは無いが、ローズに危害を加える者なら放ってはおけない』
『どいつもこいつもあの女かぁぁぁ!!!!』
『!』

 悲鳴にも似た雄叫びをあげて、ドラゴンが大きく身を捩る。数人掛かりで動かされているであろうそれの立派な尻尾が、ぶうんと鈍い音を立ててフィリップを襲った。
 妙に呪いの篭った恨み声に藍李は一瞬焦りの色を浮かべたが、すぐにきりりとした表情を作って後方へと一飛び。地の亀裂を飛び越え三妖精と合流すると彼女らと目配せを交わし合い、一呼吸置いて、剣を両手で構えてドラゴンの元へと飛び出した。
 と、同時に、妖精たちが見事に調和したタイミングで杖を煌めかせる。互いに影響し合ったそれは強力な魔法となり、ドラゴンの動きを瞬間的に止めた。

『『『今です!!!!』』』
『やぁぁぁっ!!!!』
『うわぁぁあああああああ!!!!』

 勇ましい掛け声と共に繰り出される見事な一閃。急所を射止めたそれによって、ドラゴンは激しい断末魔と共に崩れ落ちる。
 ずん、と重低音を響かせて動かなくなったそれを後目に、フィリップ王子は静かに剣を鞘に収めた。


 *


「……………すっげぇ、な」
「あぁ……。正直、想像の遙か上を行っているよ」
「まっさか、文化祭でここまでやるたぁな……」
「学年総動員、というのも頷けるな」

 アクションとしての一番の盛り上がり所を終え、舞台は再び暫し幕を閉じた。最終幕へとセットを作り変えている幕裏からは、複数の人が焦り気味に忙しなく動く気配が漏れているが、それは未だ冷めやらぬ興奮に包まれている客席には届いていない。
 呆気にとられた表情を崩さないままに、ぽつりぽつりと感想を述べ合う雷震子と伯邑考。兄弟たちの驚き様を見て、作り手側の一人でもある旦は人知れず口角を緩めた。

「で、次が最後か……」
「そうだな。なんだか名残惜しい気もするが」

 何気なく言葉を漏らしたのは雷震子。しかし、その言葉に最も反応を見せたのも、彼本人。

「……や、待てよ……?」
「どうしました?」
「眠れる森の美女って、確か……」

 さっと顔色を変えて複雑な表情を浮かべた弟に、旦は平然と問う。ぎぎぎとぎこちなく顔を動かして兄を見た雷震子は、ぱくぱくと口を動かし無声音を発したが、やがて諦めたかのように大きく嘆息した。

「……や、な、なんでもねぇ」
「そうですか。それなら、最後までカメラをしっかり頼みますよ」
「……………」

 澄ました表情のままで閉じたままの幕を眺める旦、兄を疑心の目で眺める雷震子、一人首を傾げつつも穏やかに微笑む伯邑考。
 彼等を含む客席全体を照らすライトが、ふっと一段階暗くなる。ゆっくりと絞られていくそれに比例して、客席からはまたしても盛大な拍手があがっていった。


 *


『ローズ!!!!』

 ぱっ、と明るく照らされた舞台中央は、一国の姫君の寝台に相応しい豪奢な寝室と化していた。白で統一された明るい部屋を、天井に煌めくシャンデリアが照らす。その真下に位置する大きなベッドに純白のドレスを広げて横たわる女性の姿を認めると、フィリップ王子はマントを靡かせ一直線に駆け寄った。

『あぁ、ローズ……君が、オーロラ姫だったんだね……』

 眠り続けるローズ――オーロラ姫の頬を優しく撫で、フィリップは王子様スマイルと呼ぶに相応しい微笑みを湛える。彼女がゆっくりと呼吸をしていることに安堵して、フィリップはゆっくりと三妖精に向き直った。

『ふふっ、確かにこれは、素晴らしい偶然ですね』
『ええ。“真実の恋人”と“婚約者”が一致しているなんて』

 聖母のような慈愛に満ちた微笑を浮かべて、帝氏――緑の妖精・フォーナがしみじみと言う。感情の篭ったそれに赤雲と碧雲、藍李は密かに眼を合わせて笑った。
 こほん、小さな咳払いで気を引き締めてから、碧雲がメリーウェザーの台詞を述べる。

『フィリップ王子、ローズ……オーロラ姫は、あの魔女の呪いで眠りについています。呪いを解く方法はただ一つ……“真実の恋人”からの、キスだけです』

 きらきらと期待に眼を輝かせるメリーウェザーの台詞を、うんうんと大きく頷くフローラが後押しする。ついにやってきた物語最大の魅せ場に、客席にはそわそわと緊張が走る。
 空気を読んだ三妖精が、しずしずと舞台後方へと退がっていく。今までの凛々しさを保ちきれなくなった藍李の頬は、照明効果だけでない色付きを見せるが、やがて彼女は覚悟を決めたかのように小さく息を吐いた。

『ローズ……君も同じ気持ちだって信じているけど、順序が逆転してしまったことを許してくれ』

 さらり、艶々と輝く黒髪を一掬い手に取り口付ける。それだけで客席からは押し殺した悲鳴が聞こえるが、二人の耳には届いていない。

「……いくよ天化、動かないでね」
「お、おう……」


 口付けたままゆっくりと降ろされる髪に隠れて、藍李は天化にこそりと耳打ちする。眠る演技を続けながらも、赤面を通り越して顔面蒼白になりかけている彼を見て、藍李の緊張はむしろ緩んだ。

「(よし、さくっと終わらせよ。さくっと!)」

 藍李は右手で衣装のマントを掴むと、ばさりと翻してオーロラの身体を隠す。これに上手いこと隠れて“それらしく”見せろ、というのが総監督・蝉玉の指示。……客席からは今、オーロラの頭くらいは見えているはずだ。隠れすぎず出しすぎず頼むわよ、という彼女の無茶振りを思い出して、藍李はマントに隠れて密かに笑った。
 左手をオーロラの頭の横に付き、右手のマントで上手く隠しながら、フィリップ王子はゆっくりと顔を沈めていく。客席から上がる悲鳴にも似た声。ざわめきが最高潮になったときに離れろ、との蝉玉からの御達しを守るべく、藍李はその聴覚を、じわじわと主張する心音から客席へと向けた。

 徐々に高まるざわめき、と、悲鳴。
 何かが頭に引っかかった藍李が、動きを止めた、その時。

「藍李っ、危ない!!!!」
「!?」

 彼女の耳が捉えたのは、劇中には聞こえるはずも無い蝉玉の声。


 *


 ――がっしゃぁぁあああああん!!!!!!

「「「!!!!」」」
「藍李! 天化!」

 最初は、おそらくは、誰もが演出の一種だろうと思っていたそれ。ゆらゆらと不自然に揺れるシャンデリアに目をつけた、始めの一人は誰だったか。裏方班が異変に気付いた時には既に遅し。蝉玉が声を張り上げたと同時に、それは舞台天井から落下した。

「きゃぁああああああ!!!!」
「いやぁあああ、天化先輩!!!!」
「藍李ちゃんっ!!!!」

 文化祭の演劇で使うには、本格的過ぎるシャンデリア。クライマックスを彩るはずだった豪奢なガラス細工は、舞台上に叩きつけられ無残に砕け散った。
 客席も、舞台裏も、思わぬアクシデントに場内は俄かに騒然とする。そんな中、一人冷静にシャンデリアの落下先を見定めていた蝉玉は、飛び交う悲鳴を振り払って気丈に声を張り上げる。

「藍李っ!! 当たった!?」
「〜〜〜っ、だいじょぶ!」
「オッケ、韋護っ、幕閉じて!」
「お、おう!!」
「帝氏たちはそこでストップ! ガラス落ちてるから動かないで!」
「は、はいっ……!!」
「張奎、蘭瑛に伝令! ナレーションでフォロー入れて!」
「了解!」
「次の準備ある子は続行して、手ぇ空いてる子でガラス掃除お願い! 大きい破片だけでも!」
「分かった!」

 主役の無事が確認され、的確に指示が飛ばされると、舞台裏のメンバーも冷静さを取り戻していく。シャンデリアの残骸と破片が取り除かれ、客席に向けたアナウンスが入り、それと平行して次の場面への準備も整えられていく。
 舞台上の安全が確保されてから、蝉玉は藍李たちに駆け寄った。

「……藍李、怪我してない!?」
「だ、いじょぶ……蝉ちゃんので気付いて、庇ったし……ありがとね」
「っはー……良かった、流石に焦ったわ……」
「ふっ、あ、はは……マントが役に立ったよ」

 天化の上に覆い被さるような形で蹲っていた藍李が、漸くゆるゆると身体を起こす。額に脂汗を浮かべ、力が抜けたかのように笑う藍李の頬は赤い。それを見止めた蝉玉は、先程から何一つリアクションの無い、もう一人の主役を覗き見た。

「……天化ー、生きてる?」
「お、お、おう……」
「そ、良かったわ。藍李に感謝しなきゃね」
「………」

 眠り続けるオーロラ姫のまま固まっていた天化の顔は、藍李の比ではなく赤く染まっている。敢えて言わなくても良い一言を付け加えれば、彼は完全にだんまりを決め込んだ。気付いているのかいないのか、天化の上に座ったままの藍李も固まっているのを見て、蝉玉は内心ニヤリとほくそ笑んだ。
 が、それも一瞬。すぐに総監督の顔つきに戻ると、彼女は真剣な眼差しで主役二人に問う。

「藍李、天化も……次、演れる?」
「誰も怪我してないんでしょ? ここで終わらせるなんて、しないよ」
「……あったりまえさ」

 今までの硬直っぷりが嘘のように、藍李はひょいっと身軽にベッドから飛び降り舞台に降り立つ。天化もむくりと身を起こし、折角の見事な女装とは不釣合いの、開き直ったニヤリ笑いを見せた。
 蝉玉がぐるりと舞台を見渡す。眼が合った面々が一様に頷くのを確認すると、総監督最後の指令を高らかに述べた。

「よし! じゃ、ラストいきましょ!!」


 *


『フィル、貴方がフィリップ王子だったなんて……』
『ローズ……いや、オーロラ。君こそ』
『ふふ、そうね、私はまさか自分が姫だなんて、考えた事もなかったもの』

 ざわめく会場に演劇再開のアナウンスを入れて、舞台はようやく無事に最終幕を迎えた。場所は物語の始めと同じ、オーロラの生まれた城である。
 正装に身を包んだ二人が、舞台中央で手を取り合う。騒ぎの余韻を思わせる赤い頬をしたままの二人だが、むしろそれは、この場面には相応しかった。

『オーロラ、僕はね、見知らぬ婚約者と結婚しなければならないと言われて、父上に抗議しようとしていたんだ』
『え?』
『……僕には、ブライア・ローズという、心に決めた人が居ると』
『……!!』

 ほんのりと色付いた頬と、やや掠れ気味の声。一国の王子の堂々たる様子、とは言い難いが、柔らかく温かいそれに、一部の女子達はほうっと夢見心地な表情で頬を染める。
 演技としても間違ってはいないが、二の句を告げない天化。そんな彼の左手を取ると、藍李は優雅にふわりと跪く。フリルの目立つドレスから覗く“男の子の手”に、今更ながら密かに苦笑を漏らしたあと、軽く触れるだけのキスを薬指に乗せた。

『改めてお願いします。オーロラ姫、僕と結婚して下さいませんか?』
『……は、はい、喜んで……』

 真っ赤になって俯くオーロラからの返事。長かった演劇の終わりをも示すそれを聞いて、藍李は安堵の微笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がった。ぷつり、マイクの電源音が控えめに響く。

『――こうして、魔女の呪いは打ち破られ、フィリップ王子とオーロラ姫はめでたく結婚します。
 黒の魔女も倒された今、やがてひとつになる二つの大国は、平穏な時を迎えるのでした――』

 蘭瑛のナレーションを合図に、舞台袖から三妖精や国王夫妻、隣国の国王夫妻が拍手をしながら現れる。彼等が二人を中心に舞台前方に整列すれば、舞台袖からは、更に黒の魔女の衣装を纏った姫発、“彼女”が変化したドラゴンの張りぼて、その他の脇役たちも現れて同じ列に並んだ。
 物語のグランドフィナーレ。徐々に大きくなる客席からの拍手に答えるように、キャストたちは互いに手を取り合って、舞台前方に一列に整列する。
 全員の視線が藍李に集まる。まっすぐ前を見据えたままひとつ頷いてから、藍李は両隣の仲間と繋いだ手を頭上に掲げた。

「ありがとうございました!」
「「「ありがとうございましたー!!」」」

 締めくくりの言葉代わりに御礼を述べれば、続くはキャストたちの大合唱。顔を上げて客席に手を振る彼等の後ろからは、わらわらと裏方スタッフたちも現れ、同様に客席に手を振り礼を述べる。
 盛大な拍手に見送られながら、舞台の幕はゆっくりと降りていく。完全に閉まってしまったあとにも暫く残っていた残響は、やがて熱っぽく感想を述べ合う声へと切り替わっていった。

 そして、降りきってしまった幕の裏側では、キャストも裏方も入り混じってのハイタッチと抱擁が繰り返されていた。

「っはー……終わったー……」
「うわーもーホントどうなるかと思ったー……! 良かったー!!」
「あぁもう赤雲、擦ったらメイク取れるわよ!」
「ふふっ、でも本当に、無事に終わって良かった」
「いやー、発、お前案外ハマり役だったんじゃねぇの?」
「はっ、そりゃもう、やると決まっちまったからには全力でやるっての!」
「開き直りか!」
「っつか、天化蹴ったのアドリブだろ!」
「アドリブっていうのかあれ!?」

 ぐすぐすと半泣き状態の人、うっすらと眼を赤くしている人、燃え尽きたかのように座り込む人、テンションが下がらないままにじゃれあう人々。
 思い思いに劇の余韻に浸るメンバーたちは、やがてある程度落ち着きを取り戻すと、同じ所に辿り着く。

「いやしかし、アレはホント焦ったわ」
「留めが甘かったのか、重すぎたのか……」
「何事も無かったから良かったようなものの……」
「来年からは禁止されるだろうな、あーいうの……」
「主役の真上に落ちるとかなー……」
「……あれ、主役といえば」

 本来最も労われ賞賛されるはずの二人とその周辺が妙に静かなのに気付くと、誰も彼もがちらりとそちらを窺う。くじ引きという名の裏工作によって選ばれた二人は、ぐったりと疲れ気味に床に座り込み、総監督様の労いを受けていた。

「ねぇ、あんたたちさ、まさかとは思うけど……」
「してねぇさ!!!!」
「ん? したって、何を? 何を思い浮かべたのかしら天化くん?」
「〜〜〜〜〜!!!!」
「蝉ちゃん……」

 ――二人の頬が揃って赤い理由を知るのは、“オーロラ姫”と“フィリップ王子”のみ。




<end>


あとがき
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