風姿華伝 | ナノ

「あー……寝れねーさ……」

 深夜12時半。夜中とはいえとりわけ遅いと言う程遅いわけではないこの時間、むしろ高校生の就寝時間には少し早いくらい。とはいえ、翌日の朝6時から部活の朝錬を控えている天化にとっては、いい加減眠りにつきたい時間である。
 眠れないときに焦ると余計に眠れなくなる。周知の事実ではあるが、かれこれ30分もの間、布団の中で無意味に寝返りを繰り返している彼に焦るなというのは無理な注文だろう。落ち着け落ち着け早く寝ろ。暗示をかけるように脳内で繰り返したところで、それはむしろ焦りに拍車をかける。
 もう何度目だか分からない寝返りを打てば、暑苦しさを拭わんとばかりに払った腕がカーテンを掠めた。ふわふわと緩く揺れるそれを、天化は視界の端にぼんやりと捉える。

「……窓、開けるか」

 気分転換も兼ねて一度むくりと起き上がる。ジメジメ感が少しでもマシになることを祈りつつ、カーテンごと窓を開いた。
 月明かりよりも先に天化の部屋に差して来た明かりは、勢いを付ければ軽々跳べる距離にある、幼馴染の部屋の窓から漏れるもの。

「まーだ起きとんかい、藍李……」

 思わず、隙間から煌々と光を放つ窓に向かってぽつりと呟く。
 藍李も天化と同じくバスケ部に所属しているが、明日の朝錬は男子のみ。コートを一面広々と使える快適かつ貴重なはずのそれが、今は妙に恨めしい。
 天化は暫くそれを眺めたあと、どさりと枕に頭を沈めて手元の携帯を片手で開き、暗闇に慣れた眼には眩しすぎる液晶を薄目で見つつぽちぽちと弄った。
 決定ボタンを押してぱくりと軽い音を立てて携帯を閉じれば、直後、藍李の部屋から微かに聞き慣れた音楽が流れる。

 ――がらり。ごく近くでそんな音が聞こえたのは、それから五秒と経たないうち。

「天化こそ早く寝なよー、明日男バス朝練でしょー?」
「え」

 暗い部屋に届いた、適度に抑えられつつも良く響く、鈴の鳴るような声。
 天化が跳ね起きるように身を起こして窓の外を覗けば、向かいの窓には、開きっぱなしの携帯片手に己に手を振る幼馴染が居た。
 彼女の行動の根源が自分にあるのは理解しつつも、天化は藍李をちらりと見て盛大に溜息を漏らす。藍李はそんな天化の反応も気にせず、真顔でぴっと指を立てる。

「最後の大会近いしねぇ。3年が遅刻したら笑えないよ!」
「藍李……あーた……」
「ん?」
「……なんでもないさ。俺っちもう寝るかんね!」
「あはは、私ももう寝るよー」

 だらりと窓から投げ出した両腕をふらふらと振りつつ、藍李は窓枠に頭を預けて笑った。不快指数の高い夜でも、彼女の周りには爽やかな風が吹く。
 濁した言葉を追求しないのが彼女らしい。そう思いつつも、天化は内心で安堵の溜息を吐いた。
 ……言えるわけない。意識しまくってんのはどーせ俺っちだけさ!

「じゃ、おやすみ天化。また明日ねー」
「おー」

 天化の葛藤など知る由も無い藍李は、あっさりと部屋の明かりを消して窓に手を掛ける。流石に閉めて寝ることにしたらしい彼女に、天化は言いかけた小言を喉の奥に飲み込んだ。
 がらがらがら。極力静かに閉められる藍李の部屋の窓。きっちりと鍵を掛けるところまで見守ってから、天化もごろりと布団に転がった。きつく閉じた瞼の上に腕を投げ出す。

「……ちっくしょ、藍李のアホー……」

 どれだけ強く目を瞑ったところで、閉じたはずの視界には暗闇に浮かぶほっそりと白い腕がちらつく。
 彼女がタンクトップで寝るのを止める権利はない、けど、いい加減自分が女子高生だという自覚を持って欲しいものだと、天化は深く深く嘆息した。















あとがき
学パロ目次へ
風姿華伝 目次へ
×