風姿華伝 | ナノ

ブーッブーッという機械音と共に机が軽く振動する。机に突っ伏して寝てなきゃ気付かないくらい微かなそれ。俺のじゃねーな、そう思ってそのままうたた寝を決め込もうとしたとき、隣の席から聞こえてきた溜息に思わず顔を上げた。携帯の画面と睨めっこしている横顔は珍しく曇っている。
真剣な眼差し、器用に素早く動く親指、微風に揺られる藍色の髪、だんだんと寄っていく眉間の皺。思わず頬杖を付いてじーっと見つめていても、今日の藍李ちゃんは気付かない。
ぱたっ、ぽんっ、どさっ。軽い音と共に閉じられた携帯はぞんざいに鞄の中に放り投げられ、持ち主は二回目の溜息と共に横を向いて机に突っ伏した。運が良いのか悪いのか、ずっとじっと彼女を見つめていた俺と向き合う方向。

ぱちっ、当然綺麗に視線がかち合った。


「………」
「………」

「…どっ……どーしたんだよ、藍李ちゃん。元気無ぇなー? せっかくのプリンちゃんが台無しだぞ?」
「…うーん……」


最初に若干沈黙があったけど、何とか普通に話しかけることに成功。ぼんやりと鈍い光を放っていた藍の双眸に少しだけ明るさが戻る。
でも、内心ホッと一息ついた俺に返って来たのは、今以上に返答のハードルが上がった反応で。


「…天化がさぁ、なんか…冷たいっていうか、よそよそしーんだよね」
「……へ?」
「ねぇ発っちゃん、私、何かしたかなぁ……」


…いやいやいやこれは何て答えればいいんだ? 答えようによっちゃ敵に塩を送るよーな事になっちまうし、逆に俺に有利になるような返答をしたとして、その作為が後から露見したらと思うとそんな事はできない。だからといって適当な返事じゃ俺の信用に関わるし、何より藍李ちゃんに適当な返答なんて出来やしない。

内心の軽いパニックを表に出さないように、とりあえず「そーかぁ…?」と曖昧に相槌を打つ。


「喧嘩とかはしてないし…昨日の部活の時はいつも通りだったし」
「うん…」
「女バスの方が終わるの早かったから先帰ったけど…今に始まった事じゃないし…」
「うん……」
「もー、思い当たる事ないんだからどーしたら良いか分かんないよー……」

「………」


好きなコが目の前で他の男の事で悩んでるのを見る程ツラいものは無い。しかも最悪な事に、俺は多分その原因の一端を知ってたりする。でもまさか天化が後輩に告白されてて藍李ちゃんの名前が出てきたとかなんて言えるわけも無い。そもそも俺も偶然ちらっと聞いちまっただけだからホントの事は分かんねーし。
だけど、聞こえてきたキーワードが大きすぎて、状況は想像に難くない。藍李先輩とはただの幼馴染で付き合ってる訳じゃないって聞いたんです、だから、って。
…アイツ、それでついに気付いちまったのかな。

チクチクと胸が鈍く痛む理由は、罪悪感か、嫉妬心か、敗北感か。
うーん、と唸りつつ頭を抱える藍李ちゃんの視線は再び机に向けられていて、彼女は俺がその瞳を直視できていない事には気付かない。再び迎えてしまった沈黙が痛い。

何か言わねーと、でも、何て言えばいい?
そもそも藍李ちゃんと天化は付き合ってる訳じゃない。今んトコ天化の片思いだ、多分。むしろそれすら分かんねぇ。アイツは藍李ちゃんの事をどう見てる? 幼馴染? 姉か妹みたいな感覚? それとも部活仲間もしくは良いライバル? とにかく『友達以上恋人未満』ってポジションだったのは確かだろ。特に、昨日までは。
対する藍李ちゃんはどうなんだ? 今まではそれこそ幼馴染とか兄弟とかそんな感じだったはずなんだけど、コレがキッカケで意識し始めちまったら困る。もし藍李ちゃんが“そう”だとしても、気付くキッカケを作るのが俺だなんて、そんな事態は何としても避けたい。

でも。
だからといって、やっぱり、藍李ちゃんのそんな顔は見てられなくて。


「……あのさ、関係あるか分かんねーけど、聞いた話でさ」
「うん…?」


俺と藍李ちゃんの視線が絡む。ついさっきも同じように視線が合ったはずなのに、それからもうだいぶ時間が経ってしまったように感じた。
息継ぎをして、普段の俺と同じように、軽く明るく、続く言葉を紡ぐ。


「…天化の奴なー、」


……そこで鳴り響いた始業ベルは、天の助けか、悪魔の悪戯か。始めるぞー、という教師の大声に遮られ、この話は実に微妙な所で途切れてしまった。
さっきまでざわざわと落ち着き無かった教室は水が引くようにスーッと静かになっていく。そんな中、隣の席で教科書を取り出す藍李ちゃんを見やれば、彼女は音は漏らさずに、淡い桃色の唇をゆっくりはっきり動かした。


『あ、り、が、と』


にっ、と微笑って見せてくれた藍李ちゃんは、どうやらさっきよりは元気になってくれたようだった。










支点の見えないシーソー


(ゆらゆら、どっちに傾く?)




あとがき
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