風姿華伝 | ナノ

「あー、終わった終わったー!」

 流石に真夏の強烈さよりは緩くなってきた日差しが、真上からぽかぽかと地面を照らす。雲ひとつ無い爽やかな秋晴れ。朝晩は冷え込むようになったとはいえ、日中はまだまだ半袖で十分だ。部活始まったら行き帰りのチャリは寒ィだろうな、なんて思いつつ、まだ昼メシも食ってないような時間に、丁度良い温度の中を呑気に歩いて帰る。
 隣を歩く藍李は、パンクしたチャリのお陰で歩きだってのに妙に上機嫌だ。しかもパンクしたのは俺っちのチャリで、藍李はわざわざ付き合いで歩いて来てるだけだってのに。なんか妙に調子狂っちまって、返した言葉はなんの捻りも無い事実を述べただけのツッコミ。

「……まだ明日もあるさよ」
「ふふん、明日は数学と化学だけだもんね。今回の範囲は得意だからもーほぼバッチリ」
「あーはいはい、藍李サンには楽勝コースだったさねー」

 今日が二日目だった実力テストは、残すところあと一日。その最終日が俺っちにとっちゃ山のピークもピークだってのに、藍李はもう全部終わらせたみたいに鼻歌混じりで軽快に足を運ぶ。……そらそーさ、なんてったって藍李は“あの”聞仲センセーと雲中子センセーのお気に入りだ。油断してっと危ねぇさよ、なんてツッコミは、したらこっちが馬鹿を見る。
 半歩前を行く藍李の頭が、歩幅とシンクロしながら小さく上下に揺れる。このちっせぇ頭に、数字とか化学式とかがめいっぱい詰まってんのかね。
 そんな事を思ってたせいか、俺っちの右手は無意識に上がっていた。

「? どしたの天化?」
「や……なんでもねーさ」
「……?」

 その濃藍に触れるか触れないかのギリギリのところで、ぱっと振り返った同色の瞳が俺っちを見上げる。行き場の無くなった手は、とりあえず自分の後ろ頭にやっておく。
 藍李は俺っちを見上げたままきょとんとした表情を浮かべていたけど、すぐに小首を傾げつつ視線を前に戻した。

「……ね、そいえばさ」

 無言の間がぎこちない空気を醸し出すより前に、藍李はのんびりと口を開いた。多分、本人は無意識なんだろーけど。というより、無言の時間が気まずいような間柄でも無ぇけど。
 浮かんでは消える考察を頭の隅っこに押しやって、出てくるであろう新しい話題に意識を移す。

「日本史のテストで選択問題あったじゃない?」
「あぁ、最後の?」
「そうそう、長い文章の穴埋めの。選択肢がやたら多かったやつ」
「んー、最終問題にしちゃなかなか手応えあったな……藍李にゃキツかったんじゃねーさ?」
「……それがさぁ」

 斜め下に軽く視線をやりながら、さっきの仕返しにニヤリ笑いをひとつ。厭味じゃなくて事実、藍李は暗記物弱いワケでも無ぇのに日本史だけはどうも苦手だ。俺っちにとっちゃ、態々勉強せんでも勝てる数少ない科目のひとつ。
 そんな俺っちの余裕を打ち砕くかのように、藍李はちらりと俺っちを見上げて同質の笑いを返してよこした。……こりゃー珍しい。
 続く言葉に気を取られつつも、歩く速度は落とさず視線は前に戻す。

「確かに選択肢は多かったよね。これでもかってほど」
「あー、アから始まってワ・ヲ・ンまであったさね」
「そ。それに対して設問は16題で、複数回答アリだったでしょ?」
「そーさ? 問題数までよく覚えてんなぁ」
「ふふっ、だってさ……」

 藍李にしちゃ長い前置きに、堪えきれていないクスクス笑い。一体どんなオチが待ってんさ。
 期待を籠めてちらりと視線をやれば、藍李はぴたりと同じタイミングで俺っちを見上げた。

「答えを続けて読むとね、“オニユリノウツクシサハセカイイチ”になるんだよ!」
「はぁ?」

 予想の斜め上を行く返答に、一瞬頭は無様にフリーズ。なんのこっちゃ!
 分かって無い俺っちを楽しそうに見上げて笑う藍李を視界に捉えつつ、彼女が零した怪文を落ち着いて脳内変換してみる。オニユリノ、ウツクシサハ、セカイイチ――オニユリの美しさは、世界一。
 ……いや、そんな、まさか。

「はぁあ!? あの玉鼎さんがンな冗談みたいなことするさ!!!?」

 確かに意味を持った文章になった16文字の片仮名。ただ、その内容とテストの制作者とは、どう頑張っても結びつかない。
 思わず声がひっくり返りかけた俺っちに、藍李はくすくすと止まらない笑いの合間に答えを返した。 

「っふふ、あはは……これ、絶対、趙公明センセの、入れ知恵だって!」
「は? なんでさ?」
「だって、趙公明先生のお気に入りだもん。オニユリ」
「あー……っつか、それにしたって、何の為に……」

 漸く笑いの発作が収まりかけたらしい。藍李は目尻にうっすらと溜まった涙を拭いながら、大きく深呼吸をひとつ。ふう、と大きく漏らしたそれの後に、藍李はやっとこの難題の解を口にした。

「採点しやすいんじゃない? 文章になってるとさ」
「はー……まじか、全っ然気ぃ付かんかった……」
「ふふ、私、気付いたお陰で間違い三つも直せちゃったよ」
「え、なんかそれズルくねーさ!?」
「あーほら、しっかり見直しするのも大事ってことでしょー?」

 笑って誤魔化す藍李は、あー笑った笑った、となおも笑みを含んだ声で前を向く。再び俺っちの視界の大半を占めたご機嫌な後姿。さっきよりも大きく上下する濃藍を見て、ふいに感じた小さな違和感がひとつ。
 なんだか分からないそれを思考のまんなかに持ってきつつ、少し離れた彼女との距離を大股一歩で詰める。俺っちと藍李との間が半歩差に戻ったとき、違和感の正体はいとも簡単に解き明かされた。

「……、あぁ」
「? どしたの天化?」

 降って来た答えにひとり相槌を打てば、藍李はくるりと綺麗にターンする。俺っちを見上げる大きな瞳を、少し目線を下げてまっすぐに見下ろした。

「……へへっ、なんでもねーさ」
「ふぅん……?」

 ――こんな発見があるんなら、偶には歩いて帰んのも良いかもしんねぇさ。











透明定規の背比べ




(いつの間にか結構開いてたんさね、身長差……)


あとがき
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