風姿華伝 | ナノ

「407番…407…この列か。一番後ろだな……」


ざわざわと落ち着きの無い室内。広くも無く狭くも無いここは俺にとっては初めての場所。いや、ここに居る殆ど全員にとって、になんのかな。
誰だって条件は一緒、そう思ってもやっぱりこういう所って周りの奴らの方が頭良さ気に見えたり余裕に見えたりするもんだよな。本番独特の空気に当てられるっつーか。

…やっべ、柄にもなく相当緊張してるな、俺。


無意識に胸元に右手をやれば、その真下で心臓がバクバク言ってるのが指先にまで伝わってくる。
おい、落ち着けよ俺、今日は流石に余裕持って出てきたんだからまだ時間もあんだし。

俺の感情を主張するかのように煩く響く心音を抑えようと、はぁっ、と大きく息を吐いてみる。手元の受験票がひらっと揺れた。
405番…406番…よし、407番。ここだな俺の席。隣のコはもう席に着いてノートを見直している。

…お、なかなかのプリンちゃん…っつかどっかで見覚えが…って、あれ?


「…え、藍李ちゃん?」
「あれ、発っちゃん!? え、もしかしてココ? わー、凄っ、偶然って続くもんだねぇ!」
「すっげ、ここまで隣か…! 三年も続いたら最早偶然じゃねーよな…」


どこかも何も、見覚えがあって当然。むしろすぐに気付かなかった俺に自分でビックリだ。自慢のプリンちゃんレーダーも今日ばかりは鈍ってるみたいだな。

三年間という短いようで長い期間ずっと同じクラスで、何度席替えしても毎回凄い近くになってた藍李ちゃん。まさか今回もとは思ってなかったぜ…。
これはもう偶然ってレベル越えてんだろ。いや、普通に凄ぇ嬉しいんだけどな?


正面から向けられた藍李ちゃんの笑顔で別の意味で心臓が煩くなったけど、肩に入ってた力はだいぶ抜けた。鞄を下ろして藍李ちゃんの隣の席に着く。


「っはぁー、いよいよ本番だな…!」
「あれ、珍しい。発っちゃん緊張してる?」
「そりゃー、さすがにな…。この前の模試だってまたD判定だったんだぜ?」


毎回A判定取ってる藍李ちゃんとは違うって、と言いかけて危ういところで口を閉じた。こんな事言っても八つ当たりにしか聞こえない。試験前に無駄に困らせてどーする!
そもそも俺だって無理を承知で受けてんだ。同じトコ行きたかったから、って、この鈍い藍李ちゃんが分かってんのか知らねーけど。

…あー何か余計に頭ぐるぐるしてきた!
今の顔を見られたくないのもあって、頭を抱えて机に突っ伏す。


「あーもー、ちくしょー!」
「…まぁまぁ発っちゃん、大丈夫だよ。まずは深呼吸深呼吸!」
「そーは言うけどなぁ……はぁ」
「ほら、溜息吐かない! 幸せも勉強した事も逃げちゃうよ? シケた顔してると受験の神様に見放されちゃいそうだし」
「う、それは困る…!」
「じゃー顔上げて、ホラ」


そこまで言われたら従わざるを得ない。
渋々顔を上げた俺に藍李ちゃんは、楽しげに人差し指を立てて笑った。


「ねー発っちゃん、いいこと教えてあげよっか?」
「…なに?」
「陸上部の、引退試合のときの話なんだけどね?」


…その時走ることになってたのは800メートル。
それが私にとって最後のレースで。
三年間の集大成になると思うと凄い緊張して、もうやだ、怖い、走りたくない、ってまで思ってたんだけどさ。

でも、よく考えてみて?
それまで走ってきた距離に比べたら、それなんてもう計算できないくらい凄い短い距離なんだよ?

だってさ、それまで一日何キロも、毎日のように走ってたわけじゃない?
塵も積もれば山となるって言うじゃん。
気付かないうちに、物凄い距離を走り抜けてきてたんだよ。

それなのに、今までの何千分の一にも満たない距離を怖がるの?



「…そう思うと、一気に楽になったっていうか、何ていうかさ…。要は、自分が思ってるよりも意外とやる事やってきてるんだから大丈夫、って事!」
「ほー……」


…何と言うか、さすが元陸上部。

でもそう言われると確かに、三年間の授業時間数とか、全部足したら思いもよらない物凄い数字になんだろーな。
今年はそれに受験勉強の時間も足されるわけだし。

今度は感嘆の溜息を吐く俺に、藍李ちゃんは更に畳み掛ける。


「ねぇ、だからホラ、自信持ってさ? 発っちゃん最近凄い頑張ってたじゃん! 放課後に残ったり朝早く来たり」
「え、ちょ、待っ…! 何でそれ藍李ちゃんが知って…」
「あ、それにさ」


今物凄い重大な事をさらりと言ってのけた藍李ちゃんは俺の慌てようも気にせず、俺が手に握りっぱなしだった受験票を手に取った。


「407番!」
「……は?」
「だから、407で、し・あ・わ・せ!」


にっこり。

心底楽しそうに満面の笑みを浮かべて、自慢げに数字の羅列を指で叩く藍李ちゃん。
まだよく意味が分かっていない俺に、今度はひとつずつ順番に数字を指差して見せる。


「4で『し』で、ゼロが輪っかの『わ』で、7がラッキーセブンの『せ』になるでしょ? 『あ』は無いけどそこはオマケってことで。…ね、凄くない!?」

「………おおぉお! ホントだ、凄ぇ!!」
「でしょ!? もーこれは受かるしかないって!」


…やっと意味が分かった。語呂合わせって訳か。言われなきゃ絶対気付かなかったな。
こうして見ると、自分の受験番号に物凄く幸運が詰まってる気がしてくる。

今まで馬鹿みたいに煩かった心臓は徐々にその動きを落ち着け、変な緊張感は嘘のように消えていく。
試験官が部屋に入ってきて席に着けだの何だの言っても、もう落ち着き払っていられる。

今残っているのは、本番に相応しい程良い緊張感と、やる気と、根拠の無い自信だけ。


「…よっしゃ、いっちょやってやっか!」
「よぉっし、頑張ろっ!」


正面向いて席について、少し離れた俺達の距離。
隣の藍李ちゃんに左の拳を突き出せば、藍李ちゃんも俺に倣って右手をグーにして突き出してきた。

こつん、と小さな音を立てて、拳と拳が合わさる。


「受かろーぜ、ふたりとも」
「もっちろん!」


視線を合わせて口角を上げたその時、始まりの鐘が鳴った。










桜色の約束


…さぁ、新しい始まりのための、最後の大勝負のはじまりだ。




あとがき
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