彼女を泣かせる為の僕ならばそんなものはいらないと思った。元々涙脆い一面があるにしたって、それはまた別の話であって引き合いには出せないものなのだ。つまりは愛しいあの子に僕はいつだって笑顔でいて欲しいだけであって、もうここまで来てしまえば僕はそれ以上何も望まない。僕の傍にいること自体が彼女を苦しませるとわかっていて、僕はなお彼女を隣に置いた。理由は山ほどあるけれど、一緒に居たいというごくごくシンプルな思いに勝る理由はない。隠れて泣かれるくらいならば目の前で泣かれた方が幾分もましだ。よくよく見れば泣き顔だって可愛いものだということもわかった。くすくすと笑いながら頭を撫でれば、鼻の頭を真っ赤に染めて彼女はいっそう激しく泣いた。最早僕がこの世に思い残すことは少なかった。けれど惜しい。残された時をこの子と過ごすことが出来ればどれほど幸せだろうか。この子に残された何十年もの未来を他の男に譲らなければならないのは、たまらなく惜しまれた。けれど幸せになるんだ、とそんな無責任な事しか僕は言ってやれない。本当なら彼女には死ぬまで僕を愛して欲しいと思っていた。それが嘘偽りのない僕の欲求だ。でも一人きりの人生を彼女に歩ませることなんて僕は望んでいないのだ。





「周助」

「ん?」

「早く元気になってね」

「…頑張るよ」





何もかもわかっているのに、彼女はまだ希望を捨てていない。こういう究極の事態が起きてみると、当事者というのは案外平気なもので、かえって辛い思いをするのは周りの人間なのだと思い知った。みんなが泣くのだ。母さんや姉さん、父さんに裕太。そして彼女もまるで信じられないというように泣いた。死なないでという彼女のお願いをどうにかして聞いてあげたいと思った。僕は死にたくない。死ぬのは怖い。もっと生きていたい。彼女を一人にしたくない。僕と彼女の立場を逆転させて考えれば、彼女がどれほど胸を痛めているかなんて事はすぐに理解できた。愛している人間を失うという事は、心の支えを突如失ってしまうようなもので、想像を絶する。





「周助痩せたね」

「ふふ、スリムだろ?」

「私より軽いかも…」

「え?お前何キロ?」

「…うるさいな」

「冗談だよ、男なんだから痩せても骨で重たいの」

「…でも周助、手首なんてほら、こんな細い」

「お前だって」

「…私は女だもの、…病気じゃないもの」

「仕方がないんだよ、僕はもう」





長くないと言おうとして、止めた。ほらやっぱり彼女は希望を携えながらも、近い未来に起こる出来事をきちんとわかっているじゃないか。僕がいない未来と僕がいなくなってからの日常を彼女は模索しているのだ。考えたくないと思ってはいても、目の前にこんな病人面した当人がいたら、嫌でも想像してしまうんだろう。こんな弱々しい彼氏でも、傍に居て欲しいと思ってくれているのだと思うと、やっぱり僕はたまらなく悔しいのだ。そして心配だった。僕の数少ない心残りはこれだった。目の前で目を赤くしているこの子は、僕がいなくなったらどうなるんだろう。僕は彼女の親ではないけれど、いつだってこの子の身を案じて守ってきたつもりだった。彼女はそんなに気丈な女の子じゃない。苦しみを一人で堪えて、黙って心を折らせてしまうような子だから、僕は彼女がそれこそ死ぬほど心配だった。



「…周助」

ゆっくりと指が絡まる。体調が優れない僕と寝不足の彼女の指は冷たい。彼女の薬指に光る小さな指輪だけが、沈黙する僕たちに幸せを分けてくれた。





「…わたし酷い事言う」

「うん」

「あのね…周助は、たぶん死んじゃうよね」

「うん」

「寂しくて、わたし考えてすぎると、いま周助が生きてるのが夢かなって思う時がたまにあるの」

「…」

「…周助と一緒に居たい、一人になるのがすごく怖いの。困らせるって分かってるけど…ごめんなさい、私も死にたい…」



彼女は泣かなかった。顔こそ俯いていたものの、声色は最初から最後まで変わらなかった。こうもはっきりと彼女の思いの丈をぶつけられたのは初めてだったけれど、予感はしていた。当たり前の事なのかもしれない。僕だってそう思う。仮に彼女を失うとしたら僕だって真っ先にそういう事を考える。誰だって一人になるのは怖い。けれど実際に面と向かって告げられてみれば、それはそれで僕の心臓を芯から冷たく凍らせた。死にたいだなんてそんなことを考えるような彼女じゃない、ああ本気でそう思っているのかと悟った。



「…だめだ」

「…やだ」

「だめ」

「…っ…ならどうすればいいの…」

「……ごめんね」





彼女を抱きしめる力さえない。彼女を慰める方法さえ忘れてしまった。抱き締められない代わりに両手を小さく広げて、彼女を腕の中に誘いこんだ。こんなふうに悲しい雰囲気を作るつもりなんてなかった。泣きじゃくる彼女を生きているうちに目にするつもりなんてなかった。生きていて欲しいと思うのに、彼女の悲しみの深さを思い知らされては決心が鈍ってしまう。君には生きていて欲しいのだというのはかっこつけだ。死ぬ覚悟までして僕と一緒に居たいなんて、最上級の殺し文句じゃないか。泣きたくなった。この子の親御さんには本当に申し訳ないことをすることになる。僕は娘を引きずりこんだろくでもない男として、生涯恨まれることになるかもしれない。許されないだろう。本当にごめんなさい。僕も寂しいんだ。一緒にいたい。まだ一人にはなりたくない。死別を経験するには僕達はまだ若くてあまりにも未熟だった。





「…あいしてる」

僕は本当にずるい男だ。













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