いい加減潮時なのはわかっていた。 嘘をつく唇まで愛してくれた人 温い舌が私の唇をなめた。 「んぅっ、」 ぴちゃりと卑猥な音を立てたそれは、満足げに口角の上がった彼の中に納まると、今度は腰を引き寄せられてぽすんと大した音も立てずに私の体は彼の胸の中に飛び込んだ。 「それで、今日はどうやって断ってきたんスか?」 私の腕をとって自分の指と私の指を絡めると、彼は満足そうにほくそ笑んだ。 「そうね、私には大事な人がいるから丁重にお断りいたしますって」 「大事な人?」 「そう」 彼の問いに何でもない事のように答えれば「それって、俺のことっスか?」となんのてらいもなく聞いてくる。 「そうね……どう思う?」 月明かりだけが占める部屋は薄暗く、それでいて今日は満月が出ているからひどく明るいのである。それだけで十分、彼が私の問いに顔をしかめたのが分かった。素直な子だ。一回り、とはいかないが、それなりに年齢の離れている彼と私では経験の違いからか、こういう時にすっかり彼は私の掌の上で転がされてくれるのである。 「……意地悪っス」 むっすーと頬を膨らましてすねる彼は大変可愛らしい。 「ふふふ」 思わず笑えば、咎めるように名前を呼ばれた。ツンとしているようで甘いそれは、すっかり私の耳に馴染んでしまっている。拗ねたように名前を呼ぶ声が好きだといえば、彼は頬を染めて照れてしまいそうだ。付け上がるので、言わないが。 指をほどき、向かい合っていた体をぐるりと反転させて頭を彼の胸に預けると、彼が息をのんだのが分かった。 「黄瀬君は、私みたいに悪い女に捕まっちゃダメよ」 「っな、」 言葉を失ったように言葉をこぼす彼は、私の手首をつかんで「なんでそういうこと言うんスか…」と絞り出すように言葉を漏らした。 そりゃまあ、君と私じゃ立場が違いすぎるからね。声に出さずに答えた。しかし、心の中なので勿論彼には聞こえてはいないだろうから、彼が憤るのも無理はないだろう。 片や人気モデル兼バスケットボール界で才能を開花させている高校生の彼と、片や卒業間近な女子大生では立場も何も異なっている。例えば、彼はこれから様々な人と出会ってぐんぐんと吸収していくだろうし、いつか私のことなんて忘れるに決まっている。 彼との出会いはいつだっただろうかと思い出せば、豪雨の中傘も差さずに歩いていた私を彼が傘の中に入れてくれたのがきっかけである。それからは、なんだかんだと偶然にも出会うことがあり流されるまま一緒にいたが、そろそろ離れるべきであろうか。物事には、引き際、というものがある。 離れがたくなる前に離れなければ、弱い私は立てなくなってしまいそうだ。 大人になると傷つくのが怖くなるとは、確かになってみないと分からないが、なるほどと納得してしまった。高校生みたいに捨て身の恋愛はできはしない。 どれほどそうしていたのか、彼の温もりを感じつつ、ぼんやりと満月を見ている間にすぅすぅと彼はすっかり寝息を立てて寝てしまっていた。腰に回された腕と手首をつかんでいた手をそっと外せば、彼は起きてしまうかと思ったが存外ぐっすりと寝てしまっている。残念なようなガッカリしたような。そう思う自分に気づくと苦笑してダメだなあとぼやいた。 そういえば、最近はバスケが楽しいと言っていたしすっかり練習量も増えたと彼が自慢げに話していたのを思い出す。今日もいっぱい練習をしたのだろう。きらきらとした瞳は、私に向けるには眩しかった。 彼の笑顔を思い起こすとぎゅうっと胸を締め付ける感覚に襲われたが知らないふりをして彼にベットの上から引っ張り出した毛布を掛けた。足の長い彼には少し足りなくてはみ出てしまったがお愛嬌だ。 「ばいばい、涼太くん」 頬にキスを落とすと、彼が身じろぎをしてふにゃりとした笑みをこぼすので目頭が熱くなった。 靴を履いて、ドアを開けて、カギを占めるとポストにカギを投函する。 これでもう、お別れである。案外あっさりしたものだったけれど、このくらいあっさりした方が一番いいのだ。 その日、夜に溶けるように女は姿を消した。 |