冬の冷たい空気に晒されて赤くなった鼻を隠すようにマフラーに埋める。
家への道のりを歩きながら「さみぃさみぃ」と呟いても暖かくなるわけもなく、ぐいぐいと頭にかぶったニット帽を深く被る。
はたから見たら不審者みたいだが、誰でもやってしまうことだと思う、うん。


(帰ったらそっこーで風呂に入る!)


ぶるぶると震える体を温めるために帰ってからの計画を考えながら、黙々と歩く。
マンションに着くとカンカンと厭に響く階段を上りきって、ポケットから鍵を取り出す。
寒さでかじかんだ指ではなかなかうまく鍵穴にうまく入らないのを、なんとか挿しこんで急いで部屋に滑り込んだ。
一人暮らしの自分の部屋は自分がいないと当たり前だけど温かくない。
それでも、外よりはマシだとぐるぐるに巻いたマフラーや深く被った帽子をとりながら部屋に上がる。
ピッと暖房にスイッチを入れ、そのまま風呂場にいって蛇口を緩めてお湯を出した。


「これでよしっと」


しばらく放置していたら沸くであろう風呂の湯を待つことにして冷蔵庫に向かう。


「なんか食うもんあったっけか…」


開けると漁る必要もなくがらんとした冷蔵庫。しばらく大学の実験室に篭ってたからなあ、と数日間の自分の生活を振り返った。
教授の頼みとはいえ、実験に泊まり込みはさすがに疲れた。それに、酒を持ち込んだ奴らの後始末もさせられるし…。
損な性分だと肩を竦める。
だけど、その思考も自分のお腹に飼っている虫がぐぅ、となる事で中断された。食べれないとなるとどうしてこうもお腹が空いてしまうんだろうか。唯一の救いは小分けにして冷凍しておいた白米の存在だ。


「でもなぁ、これだけで食うのも…」


寂しいよなあ、と思った。
どうやって食べようかと頭を捻るとピンポーンとチャイムが鳴った。


「こんな時間に誰だ…?」


配達かなにかかと思ってドアを開けるとそこにはグレーのコートに身を包んだ隣の鈴木さんがいた。


「あ、花井さん!」
「鈴木さん…こんな時間にどうしたんすか?」


鈴木さんは隣の家に住んでいて、たしか、同い年の違う大学に通っているはずで。特に親しいわけでもなく、朝とか夜とかにすれ違ったりすれば軽く挨拶をするくらいの仲だ。

「あの、その…これ、」


鈴木さんはしばらく挙動不審な行動を取ったあとに手元にあった紙袋を渡してきた。


「これを俺にっすか…?」
「その、煮物なんだけど作り過ぎちゃって、おすそ分けにきました。……あ、あの!花井さんが嫌いならいいんですけど、」
「い、いります!」


思わず条件反射で大きな声で応えると鈴木さんはびっくりして、目を真ん丸にしたあとにふわりと笑った。
白い息が唇からこぼれる。
それに一瞬どきっとする。
そんなに嬉しそうに笑うなんて思わなかった。


「あの、それじゃあこれで」
「あ、はい!これ、ありがとうございます!」
「…はい!」


パタパタと小走りで隣の部屋に入る鈴木さんを見送ると、寒い風が肌を撫でてぶるりと体が震えるので急いでドアを閉じて部屋に入った。
ぽんと机の上に紙袋を置いてどさっとベットに腰掛ける。


「…よかったのか?」


今更ながらにもらってよかったのか?とも思ったが、あっちから持ってきてくれたものだし、煮物は好きだし、まあいいかと片付けた。
ベットの上から下りて、机の上に置いた紙袋を開けると中にタッパーが入っていて触るとまだじんわりと温かかい。
これと御飯をチンして食べるか、と思い至った時、不意に耳にドドドドドっと水の音が入って、大慌てで風呂場に行き蛇口をひねる。


「…あぶねー……」


あと少しで溢れるところだった。
とりあえず、風呂に入るかと部屋に戻って下着やらスウェットやらを取り出して風呂場に向かう。
その時、ふと視界に入ったタッパー。
誰が見ているわけでもないのに、なぜか左右を確認してから蓋をあけるとおいしそうな煮物の匂いが鼻を掠めてお腹がぐぅっと鳴った。
一つ摘まんで口に放り込むと昔懐かしいと世間一般で言われるような味が口の中に広がった。


「…うま」


ご飯と食べるのが楽しみになってきた、とタッパーに蓋をして、風呂場に行った。
隣の部屋の住人がクッションに顔をうずめて叫んでいるとも知らず。
そして彼が緩んだ自らの頬に気づくことはなかった。
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