風邪なんてひいて、彼に迷惑をかけたくなかったのに、


 ごほん、と大きな咳をして目が覚めた。
 ひどい起き方で最悪の寝起きだ。ひどく喉が痛くて熱を持っているように思えてしょうがない。寝ている間中咳をしていたのだろうか。

――ごほん…ごほんごほん、ごほっ、

 咳をするとともに痰が口から飛び出して、傍に置いていたティッシュを数枚とって口を押さえる。痰を口から出すとなんだかねっとりとしたものが喉に張り付いて気持悪くていやな気持ちになる。

「ごほっ、ごほっ、」

 このまま咳をし続けたら血を吐いてしまうのだろうか。ひりひりと痛む喉は熱をもっていてそのまま頭をぐらぐらと痛ませる。痰を包んだティッシュを丸めてそばのゴミ箱に入れると息をついて天井を見上げた。天井にあるシミがなんだか、お化けの顔に見えて柄にもなくいおびえてしまい、腕で目を覆った。彼に、錫也に会いたい。ベットサイドに置いていた携帯に手が伸びる。いや、でも今日は仕事があったはずだ。我慢しなくちゃ、ね。きっと、風邪になったから弱気になっているだけだ。それだけ。伸ばした手を引っ込める。天井のシミと目が合って心臓が止まるかと思うほどどきりとした。

 そもそも一人暮らしというのをしているわたしにとって、風邪というのは歓迎出来るものじゃはない。いや、むしろノーウェルカム。だって風邪をひいてしまったら溜まった洗濯もできなければ、埃が積もる前に掃除機だってかけれない。それに、ご飯を作るのもひどく億劫になってしまう。

「ごはん…食べなきゃ……」

 でも、ご飯を食べて、薬をのんで、後は寝なきゃ治らない。

「(早くしなくちゃ、)」

 ぐるぐる頭はそのことを考えるのに体はうまく動いてくれない。重たい腕を持ち上げて、どうにかこうにか、布団も避けると風邪が体の上を滑ってぺたりと肌に張り付くパジャマがすごくいやだ。この汗のすべてが自分の水分だったのかと考えるとどうやら人の70パーセントは水と言うのも嘘ではないらしい。重い体をゆっくりを起こせばくらりと目眩がしてベットに倒れこんだ。ああ、やっぱりご飯は作れそうにない。………ああ、まぶたが下とくっつきそう…、…これぐらいできついのだから、自分が何度あるのか恐ろしくて体温計を見ることもできそうもな、い、なあ……。



 名前を呼ばれた気がしてゆるゆると目を開けるといつも見る天井がそこにはあった。あのまま寝ていたんだろうか。記憶があまりない。周りを見渡すと誰もいなくて、気のせいかと思って息を吐くと、前触れもなくドアが開いた。

「ああ、起きてた?」
「錫也…?」

 なんでここにいるの?横を向くとちょうどドアの入口に彼がいて、わけが分からなかった。今日は別に会う約束もしていなければ、彼は仕事じゃなかっただろうか?不思議そうな顔をみせていたのだろう。錫也はお盆を片手にわたしのベットのそばに来て「宮地くんが教えてくれたんだ」と一言言ってわたしの額に張り付いた前髪を払った。

 なんで宮地がわたしが風邪だということを知っていたのだろう?確かに同じ職場で昨日話したけれどそれっきり。わたしが外出をしていないんだから当然だけれど、今日は会ってもいなければ、顔だって合わせていない。

「宮地くんがお前の様子がおかしいから見てやれって電話してきたんだ」
「……宮地のおせっかい」
「はは、たしかにね。…でも、おれは助かったけど、」
「どうして?」

 錫也のことだから、きちんと仕事を終わらせてきたのだろうけど、どうせならその後にゆっくりしてほしかった。だから、電話だってしなかったのに。あのわたしの我慢はなんだったんだと腹を立てていると「お前が甘えてくれる絶好の機会だからな」と錫也は嬉しそうに笑う。それにわたしは目頭が熱くなった気がした。
 宮地は、彼は知っていたのかもしれない。わたしがすごくすごく不器用な人間で、すごくすごく錫也に会いたがっていたのを。そう思うと宮地を怒る気にもなれずに、しょうがないから会社の近くにあるうまいと評判のケーキ屋にだって連れて行ってあげてもいいかもしれないと考えた。

「……じゃあ、しょうがないから、今日は錫也に甘えてあげる…」

 そっぽを向いていえば、それは嬉しそうに錫也が笑ったのが視界の端に見えて、熱なんて吹っ飛んでいきそうだな、と考えた。もう天井のシミだって怖くない。


110612


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