ハチノスは今日もまた静かにその秩序を保っていたが、その一角では押し問答が繰り広げられていて静けさとはかけ離れていた。


「ほら、花乃子。行きましょう?」
「ん゛〜〜!」


手を差し出すも花乃子にいやいやと首を振られ、苦笑気味に「嫌じゃないですよ」と言った。
まるで小さい子が駄々をこねるように嫌がる。
まあ、確かにあそこに行くのはゴーシュもあまり得意ではないが、行かなくては治るものも治らないのだから仕方がないと連れて行こうとする。
だけど、その努力も目の前の彼女には伝わらないようで、むしろ逆効果のようにその誘いを断られた。


「はあ、どうしましょう」
「あら、ゴーシュ。それに、花乃子も。どうしたの?」
「ああ、アリア・リンク。それが…」


任務帰りに通りかかって声をかけた時、ゴーシュとその視線の先にいる花乃子のただならぬ様子を見て、それだけで付き合いの長いアリアは何となく事情が分かった。


「そういえば、花乃子。今朝歯が痛いって言ってなかった?」


言ってちらりと花乃子のほうを見るとびくりと揺れる肩。
そして、ぎゅううっと服の裾を握って、下を向きつつ唇を前に突き出し「言ってないもん…」と小さな声で呟いた。


「やっぱり歯が痛いんですね」
「い、痛くないもん!」


必死な顔でぶんぶんと顔を横に振るもゴーシュの中では確信を得たのか、その花乃子の否定を流した。


「ウソをついたらだめですよ」
「…ついてないもん」
「お昼にアイスを食べて泣いてたのはどこの誰ですか」
「…あぅ…」
「歯が痛いんでしょう?」
「……うぅ…」


追いつめたゴーシュと、悔しそうに呻く花乃子。
その様子を見て、アリアは一つため息をつく。


「…やっぱりねぇ」
「アリアも気づいてたんですか?」
「気づいてたっていうか、気づかされたというか…」


――花乃子が虫歯だということを。
はあ、とまた一つため息をついてゴーシュを見ると不思議そうに首を傾げられた。
この幼なじみバカ!と言いたいのをぐっとこらえて「まあ、いいわ」と手を振り、ゴーシュの過保護っぷりには参ったものだな、と心の中で頭を抱えた。


「花乃子がどうしても嫌だというもので…」
「どうしたらいいか分からない、って?」
「はい」


どうしてゴーシュはこう、変なところで真面目なのだろうか、とアリアは思う。
ゴーイングマイウェイなゴーシュは花乃子のことになると急に消極的というか、押しに弱くなる。それもこれも、花乃子のことがかわいいから起きてしまう現象なんだろうけど。
ゴーシュを見て、花乃子を見るとアリアはため息をそっとついて花乃子の前に行った。じっと上目遣いで見てくる花乃子に苦笑しつつ、ふわりと優しく花乃子に笑いかけた。
なんだかんだで、アリアもお人よしの真面目っ子なのだけれど、それを突っ込む人がこの場にいないので、置いておく。


「花乃子」
「うう、アリアー」
「まあ、保護者がこの状態じゃどっち道行かないとだめなんじゃない?」


うるうるとうるんだ瞳で助けを求めてくるのをばっさりと切り捨てると花乃子は頭の上にたらいが二個くらい落ちてきたショックを受けたかのようにぶわっと涙が浮かんできた。


「それに、治らないとおいしいケーキもクッキーも食べれないわよ」
「それはいや!」
「そうだよ。シルベットの特製シチューも食べれないんだよ」
「それはうれしい」


クッキーたちを食べれない悲しさにぶわっと出てきた涙も引っ込み、真顔で言う花乃子に、アリアは苦笑した。
アリアもあまり得意ではないからだ。


「シルベットが泣いてしまいますね」
「シルベットが泣くのはいやだけど、あのスープの味は…(ゲボマズ…)」


顔を真っ青にして、恐ろしいものを思い出したかのように(実際恐ろしいのだけれど)ふるふると力なく首を振る花乃子にとうとうゴーシュはしびれを切らしてひょいっと俵担ぎで花乃子を肩に乗せる。


「わ、わ!なにするの!」
「もういい加減、病院が閉まってしまいますからね。説得するのは諦めて、このまま連れて行くことにします」
「やだ!ゴーシュ!おーろーしーてー!!」
「ダメですよ。下ろしたら逃げちゃうじゃないですか」
「いいの!病院なんかにもいかないんだから!」
「はいはい」
「あの、それじゃあ、あたしはもう行かなくちゃ。またあしたね、ゴーシュ、花乃子」
「ああ、引きとめて悪かったね、アリア。またあした」
「いーやーだー!!アリアーー!!助けてー!!」


手を伸ばす花乃子に苦笑いを浮かべつつもひらひらと手を振り、二人がハチノスからでていくのを見送る。「裏切りものおお!!」という声が、閉じられた扉の向こうから聞こえた気もしたが、それも直に聞こえなくなった。
アリアも用事のあったほうへ足を進める。
今日の報告を館長にしないといけないのだ。

そしてまた本来の静かなハチノスが戻ってきた。
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