2月22日

 耳が生えた。いや、もともと人間の顔の側面には耳が備わっているので、耳が生えたというのは語弊がある。猫に生えるべき三角形の耳が僕に生えたというのが正しい。
 すうっと息を吸うと保健室の消毒液の匂いと、コーヒーの香りが相まって肺に取り込まれる。もともと丈夫な梓が保健室にやってくるのなんて年に数回あるかないかでめったにないのだけれど、今日は特別にここに避難していた。なんたって、耳が生えたのである。外に出たら大騒ぎだ。…いや、星詠み科なんていう特殊じみた学科があったり、翼の実験に慣れた人が多いから笑ってすむかもしれないが出来るだけ人には知られたくないものは知られたくはない。面倒な事は避けたいし、とくに部活の先輩なんてアウトだ。犬飼先輩と白鳥先輩を思い描いただけですぐに頭から消去した。噂をすれば影なんてシャレにならない。
 手持ち無沙汰に保健室の中を眺めていると、ぱたぱたと廊下を掛けてくる音に勝手に耳がぴくぴくと動く。

「……梓くん、いる?」
「はい、いますよ」

 女の子にしては低めの耳触りのいい声が梓の耳をくすぐる。もちろん、頭に生えてしまった三角形の耳である。梓の声が聞こえると、律義にも失礼しますといって先輩は保健室に恐る恐る入ってきた。そんなこわごわと入ってくる姿がなんだかかわいいと思ってしまうぼくは重症だ。少し前の自分だったら、こんな自分を冷めた目で見ているかと思うと、おもわず苦笑してしまう。
 梓と自分のカバンを苦でもないという顔でとってきてくれた先輩は少しだけ重そうにしながら梓が腰かけているベットの近くにやってきた。ついでに来る途中にあるソファの上にに梓のカバンを置き、自分のカバンもその隣に置いてから。先輩が腰をかけて、ぎしりとベットのパイプが鳴る。

「僕のカバンわかりましたか?」
「うん、クラスの子がね、梓くんのはこれだよって教えてくれたよ」

 クラスの子。誰だろう、なんとなく気になったけれど先輩の口からそいつのことを聞くのはいやだと思って聞かずにおいた。どうせ明日話しかけてくるだろうし。だって、先輩と接点を持ちたい奴はこの学園には多くいるからだ。まあ、接点なんて持たせないけど。
 先輩に会ってから自分の性格が悪さに拍車がかかった気がするのは気のせいじゃない。この間も先輩を取り囲んでいた上級生の先輩方を口で負かしてしまったといったことがあったからだ。そのあとに翼に梓怖いぞと言われたし、先輩にちょっかいかけようとした上級生をあしらうためとはいえやりすぎたと思ったのも事実である。どうにも先輩のことになるとセーブが効きにくくなる。
そ れもこれも先輩が鈍いせいだというのに。先輩に近づこうとする人たちの好意ににこにこと笑う先輩が少しだけ憎い。
 そんなことを考えてるなんて知らずに目の前の彼女はおずおずと口を開く。

「あ、あのね梓くん…」
「なんですか、先輩」
「翼くんがね、後でおくすり持って行くからって。だ、だからね、怒らないであげてね。その、翼くんも反省してみたいだし」

 そういって眉を下げる先輩は心配そうに梓の目を見ては下を見てということを繰り返す。この人はどれだけお人よしなのだろう。ぼくと居るのに、翼の心配をするなんて。
 はあ、とため息をつくと先輩はえ? え? といってしまいにはご、ごめんね? と謝ってきた。

「先輩、悪いことをしてないのに謝らないでください」
「あ、ごめんなさ、あ、えっと…はい」
「あと、もう翼には怒ってませんよ」
「………そうなの?」

 まじまじと驚いたという顔で見てくる。
 思ったことが顔に出すぎというのは先輩の長所であり短所だ。

「昔からでなれてますし。……まあ、あとでこってり絞るし」

 後半が聞こえてなかったのか、ほっとしたように安心した先輩はほぅっと息を出してよかったと笑う。

 ……やっぱり先輩は笑ってたほうがよっぽどかわいいな。

 そう思って安心したと思ったら今度は、ちらちらと顔と頭の部分に視線を行ったり来たりしてせわしなくなった。

「やっぱり、あるんだね。……その、それ」

 なにを言っているのか分かる。
 僕の頭に生えてしまった耳だ。

「ええ。まあ」
「あ、あのね、その…、」
「はい」
「、あの」
「はい」
「うぅー……や、やっぱりいいや!うん!さー、帰ろう!」

 もじもじとした先輩は突然立ち上がると、僕のほうから視線を外してカバンのほうに行こうとした。

「待ってください」
「ぐぇっ!」

 ぐっと首根っこをつかむと苦しそうに先輩があわてた。

「何か言いたいことがあるんじゃないんですか」
「…く、くるしぃ……」
「あ、すいません」

 ぱっと離すとよたよたとこけそうになったので、腰を抱えて、もう一度ベットに腰かけた。

「ち、ちかい、よ」
「大丈夫です」
「わ、私がときめき過ぎて死んじゃうんだってば…!」
「うーん、嫌です。だから慣れてください」
「えぇー、無理だよー…うぅ」
「無理じゃないです。先輩が無理だというならコレ、毎日しますから」

 そういうと「ムリムリムリ」とぐりぐりと僕の胸に頭をこすりつけてくる。「先輩、言ってることとやってることが矛盾してますよ」「そんな先輩かわいいですね」「先輩やわらかいですね」とか言いたいと思うことがどんどん出てくる。

「もう口に出してるからね!」

 真っ赤になった先輩かわいい。
 にやりと口角が上がる。

「じゃあキスしていいですか?」
「どどどうしてそうなるの?!」
「かわいいから」
「梓くんは私を殺す気ですか!」
「だってかわいいんですもん」

 そういって、笑いかけると面白いくらいにぼんっと赤くなった先輩に顔を近づける。顔を真っ赤にしてリンゴみたいだなー、とかかわいいなーとか、思って鼻の頭をちゅぅと唇で食むとびくんと肩を揺らした。あー、かわいい。
 そのまま、ぎゅうと噛みしめてる唇に近づこうとしたら、

「おーい、木ノ瀬ー、陣中見舞いだ…ぞ、」

 ドアがガラリとあいて固まってしまった白鳥先輩と目があった。

「んだよ、白鳥、止まんなよなー」

 そういって入ってきた犬飼先輩とも目があった。

「……」
「……」
「………………………先輩方…」

 思ったよりも低い声が出る。

「「ひぃっ!」」
「空気。読んでくださいね?」

 睨むとコクコクとうなずいて先輩たちは去って行った。
 そのあとはまあ、なんていうか、シーツにくるまって出てこなくなってしまった先輩を引きずりだすのに苦労したりだとか、星月先生が帰ってきて先輩が先生に抱きついたのををもやもやしながら見たりだとか、次の日に先輩方を捕まえて口止めをしたりだとか、そのせいでいろんな人にこの耳のことが知られたりだとかいろいろしたけれど、かわいい先輩が見られたのでいいかと思った。

 ……………ただ、猫耳だけは勘弁だけど。はあ。


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