「海が見たい」

 唐突にそう思って、昨日の夜にそうぼやいたのを四季は聞いた。
 夜に溶けてしまいそうなほど小さな声だった。


朝になったら行方不明、


 朝起きると、隣に寝ているはずのなまえがいなかった。
 どこにいったんだろうか。寝ぼけ眼で四季は考える。
 眩しくて開かない目を擦りながら起きるといつも香ってくるおいしそうな朝食の匂いがした。ぺたりぺたりと裸足のままリビングに向かえば机の上には、こんがりときつね色に焼けたパンにほかほかのスクランブルエッグ。緑のレタスと赤いトマトの彩り鮮やかなサラダの上には白いアイスクリームのように球状のポテトサラダが添えられていて。四季のお腹はぐぅぐぅと鳴りだす。

(早く、食べたい)

 そう思うのに、肝心の料理を作ってくれたはずのなまえがいないことが、四季には気がかりだった。なまえのことは、星詠み科でも優秀な四季でさえも詠み取ることができない。現在も、未来も見ることのできないなまえのことが四季は気になり、惹かれて、そして、好きになったのだった。
 けれども、今ほどそのことを恨んだことはない。普段なら気にならないのに。けれど、いつもあるものが無いことがこんなにも心を騒がせるなんて。
 四季はぺたぺたと裸足の足を鳴らしながら、家じゅうを探したが一向になまえの姿を見つけることができなかった。

「……どこ、いったんだろう。……あ、」

 そういえば、昨日の夜に海が見たいと言ってなかっただろうか。そのことを思い出すといてもたってもいられず、四季は着の身着のまま、裸足にサンダルをつっかけて海へと足を向けた。
 ひゅうっと風が四季の体を撫でつけるが、夏ももう目前となったこの時期では、肌のでた部分もちっとも寒さを感じることはなく、むしろ心地よい。
 二人で住むと決めた時、海が見えるところに住みたいと言ったのはなまえの方で、四季は特にどちらでもよかったのだが、住んでみてよかったなと今の四季なら言える。
 家の玄関を出て、心もち速足な四季を不知火が見たら笑うだろうか。二階建てアパートの階段を裸足と同じようにぺたぺたと鳴らしており、そこから海へと続く坂を下る。
 ぺたぺたと鳴らしながら、徒歩十分もかからず海の砂浜が視界に入るとともに、四季の視界になまえが見えた。
 朝焼けのキラキラと水面を照らす太陽が、なまえの漆黒の髪もキラキラと輝かせる。
 思わず、手の届かないもののように思えて、四季は名前を呼んだ。

「なまえ……」

 とくに大きな声で読んだわけでもないのに、なまえは振り返ると四季に気付いたようで、手を振った。逆光で見えないが、きっと四季の大好きな笑顔でにっこりと笑っていることだろう。今度はざりざりと音を鳴らしつつ、足の指の間に入ってくる砂を楽しみながらなまえに近寄れば、今度こそ顔が見えてやはりにこにこと笑っているのが見えた。

「ふふ、四季ってばよくここが分かったね」
「きのう、なまえが言ってたから」

 訥々と言葉を零すように話す四季の特徴的な話し方に耳を傾けているとなまえは驚いたように目を大きく見開いた。

「聞いてたの?」
「うん」
「寝てるのかと思ったのに」
「……寝ながら、聞いてた」
「ふふ、なあに、それ」

 四季の言葉ににっこり笑うとなまえは海風で目にかかった四季の髪を払いながら「もどろっか」と言う。

「もう、いいの?」
「うん。それに、四季もお腹すいちゃうでしょ」

 首を傾げる四季になまえが言うと、頷くように四季のお腹がぐぅーと鳴り響く。

「……あ、」
「ふふ、お腹が待ちきれないって言ってるね」
「…恥ずかしい…」

 そういう四季の手をなまえは絡めとるように握りしめる。

「迎えに来てくれてありがと」

 そういうなまえに一瞬目を見開いたがすぐに目を細めつつ四季は「うん」と返す。ぶらりぶらりと繋がった手を揺らしながらなまえと四季は歩いて二人の家へと帰る。
 海の笑い声のようにさざめく波の音に四季は振り返るとそっと目をつむって、また開いた。眩しい。

「四季…?」
「…なんでもない。帰ろう」
「うん!」

 嬉しそうななまえの声に手の平を握りしめる。
 繋いだ手から幸せがあふれた。


海が見たい
(……この時がずっと続きますように)
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