×
「#寸止め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

葉子には先週の記憶が無い。
大凡助からない出血量、要するに瀕死の重傷で病院へ搬送されたらしいが、特に外傷も無く、特別な怪我も無く、只々血に塗れていたらしい。
それは紛れも無く葉子の血液だったらしいが、そんな跡は一つも無い。不調さえも無い。安いとは言えない制服だけが穴だらけであったが、医者が異常無しと診断書を書いた。

不思議なこともあるものだ、と言われても、何処か他人事にしか思えない葉子には「そうですね」としか返せない。冒頭でも述べた通り、記憶が無いからである。
ただ、自宅に帰って、出しっ放しの湯呑みが二つ並んでいるところとか、読みもしないスポーツ新聞が投げてあることとか、流石に身に覚えが無さすぎて首を傾げてしまった。

ぼんやりと歩く。いつもの帰り道。自転車は何故か歪んでいて、キコキコと嫌な音を立てるから置いて来てしまった。街並みが色褪せて見える。なにか、失ったような。そうして────なんとなく、振り返って目を惹かれた。
浪人風の、男だった。

どうしてだか知っているような気がしたけれど、葉子は何も分からない。
雨上がりのコンクリートに水泡が浮かび上がって、ぱちんと弾けて消えた。心のどこかが、軋んだ音がする。ゆっくりと振り返ったとき、既に男は居なかった。

目に痛いほど澄み渡る初夏の空を見上げる。気持ちの良い天気だ。だけれど何故だか、それが酷く哀しいことのように思えた。
どうしてなのか、梅雨が終わったことが、雨が止んだことが、惜しいことのように思ってしまったのだった。







岸波白野は走っていた。月の聖杯戦争、第二回目。細かいことは割愛するが、今は大変ピンチなのである。
英国の騎士であるダン・ブラックモア卿のサーヴァント、恐らくはアーチャー。矢を放ち、校舎に隠れ、確実に命を刈り取るスナイパー。

アリーナの中に逃げるか、グラウンドへ逃げるか。廊下を走りながらも、その二択を迫られて居る。正直、校舎内で襲われるとは思っていなかった。しかし起こってしまったのならば仕方が無い。
足早にグラウンドへと駆け抜けようとして、玄関を通過しようとして───止まる。

いや、止まる、というのは正しく無い。止まらざるを得なかった、と言えばいいのか。

駆け抜けた道の先にグラウンドが無いのである。開け放たれた扉の先は、中庭だった。一体どういうことか理解は出来ないのだが、自然に起こるわけがないことは分かる。さあさあと降り注ぐ雨が、事の異常さを際立たせた。
罠を警戒し、己のサーヴァントに霊体化を解かせれば「あー、待って待って」と間の抜けた声がかかった。

声のする方角を向けば、カスタマイズのされていない凡庸アバターの少女が立っている。しかし、その腕には令呪が見えるため、この月の聖杯戦争の参加者なのだろう。一層の警戒をすれば、彼女は困ったような顔をした。

「あー、あのね。貴方に危害を加える気は...」

彼女の声が中断される。「ごめんて」「でも、」「はい...」と聞くからに説教を受けている様子だった。自分のサーヴァントと話をしているのだろう。しかし、どう見たって手綱を握れていないというか...油断してはいけないのだが、正直な話、拍子抜けしてしまった。

話がひと段落付いたらしい。彼女は向き直って「えーっとね」と息を吸った。

「グラウンドに出たら死んでいたと思うので、お節介を焼いてしまいました。アリーナに逃げた方が良いと思うよ」

凡庸アバターの少女はそう言って、中庭の奥の格子を指差す。あちらを通ってもアリーナへ続く道は無いはずなのだが、と疑問に思えば「わたしの魔術だから、あっちでいいんだよ」と続く。

「わたしの起源はしかくに作用するの。四角、資格、視覚、死角、刺客。まあ、なんでも。刺客に追われる貴方を、四角い中庭に逃がして死角へ隠す...ごめんね、何言ってるか分からないよね」

日本語の難しいところだよね〜、と少女は何も無い空間に語りかけている。白野は先程まで全力で走っていたし、突然のことで判断も鈍っている。だから、彼女の言うことはサッパリ理解に及ばなかったのだが...ともかく、助けられたらしい。

礼を言って立ち去ろうとすれば、「あ、いいよ。違うから」と否定が入る。

「ブラックモア卿のサーヴァントは聞くからにアーチャーでしょ。それじゃあ、困るんだよね。私たち、セイバーを倒さないと意味が無い」

貴方たちに勝って欲しいから手を出しただけなんだ、と笑顔を浮かべた少女の目は決して笑っていない。今度こそ立ち去れば「応援してるよ」と他人事すぎる声がかかった。