海!海!海! 海に来た!海! 前回のおさらいをしよう。以前、唐突に海に行こうと家を飛び出した葉子とセイバーは、色々あってまた今度と、アイスを食べて帰ったのだ。 そうして仕切り直した良い天気の日、盆過ぎ。海水浴シーズンが過ぎた海はクラゲを恐れない馬鹿がちらほら見えるばかりで、海の家すら活気が無い...どころか解体されそうな雰囲気である。葉子はハナから魔術でクラゲを避ける気で来ているのだが、彼らは恐れを知らないのだろうか?なんでもいいが、刺されたら痛いぞと心の中で忠告しておく。 既に海パンとビーサンとアロハシャツを怖いほど着こなしたセイバーは「海じゃの〜」とそうだね以外に何も返せない発言をこぼしている。夏バテか平和ボケか知らないが、最近のセイバーは随分と骨が抜けている。出会った当初のツンケンした態度は跡形も無い。 多分、この人はこれが素なんだろうなとぼんやり思う。裏切りと殺人によって研磨された人生、そうして培われた人格は、受肉によって崩れつつある。良いことか悪いことかは分からないが、葉子はどんなセイバーでも好きだった。 「しゃんしゃんしい、準備があるちゅうとったじゃろ」 葉子の手を引いたセイバーは、足早に立ち入り禁止区間に入る。悪いことをしている気持ちになるが、クラゲに刺される数億倍マシだ。魔術は隠匿せねばならず、オープンな場所では使えない。仕方の無いマナー違反だった。目隠しの魔術をかけつつ岩陰に沿って歩けば、立てられた策と壊れた鎮魂碑のようなものが見える。如何にもキープアウトって感じだった。 さくさくと砂の上を駆けて、カバンから乾電池を4個取り出す。簡単な術式が刻んであるそれは、水に放り投げて四角を描くことによって機能する。 梅雨の体育測定で培った剛健は、二十メートルくらい乾電池を飛ばした。ソフトボールの二倍くらい飛んだ。やはり重いものはすごい。それを四度繰り返して適当に詠唱すれば、海が泡立ってクラゲがぶくぶくと浮かび上がる。それをこう、棒で突いて外に出せば、この区間だけはクラゲ無しで泳げる訳だ。 「そういえば魔術師じゃったのう」 失礼すぎる言葉が浴びせられた。「使いね、使い」と訂正すれば「違いが分からん」とどうでも良さげだった。 まあいいやとザブザブ海に入れば、ぬるくて気持ちが良い。強過ぎる日差しは些か厳しいが、やはり水中というのは涼しいのだ。葉子を無視して素潜りを始めたセイバーを横目で見やりながら、波に身を任せる。浜辺で追いかけっことか、水の掛け合いとか、そういうの無い。セイバーと葉子は浮かれすぎない関係だった。 ▽ ぱちり、と目を覚ます。海に漂いながら寝ていたなんて、少し頭が軽過ぎるのではと己のことながら馬鹿だと思った。辺りを見渡したが、セイバーは居ない。しかしこの区間は葉子の魔力が効いているので、何処かに行ったのはセイバーの方だったのだろう。 どこ行ったのかな、と遠くを見れば、石碑が目に入った。来た時も、あれを見ている。どうしてだか分からないが、何かの呪いのように思えて身震いする。早く海から上がるべきだ、と何と無く足を動かした瞬間に、足首に違和感を覚える。 黒い海藻────否、髪の毛。人為的な引っ掛かり方をしたそれは、葉子を海へと引きずり込んだ。 咄嗟にもがくも恐ろしく力強いそれは、平然と葉子を深海へ誘う。酸素が続く内に魔術で空気を確保すれば、海の底から爛々と光が輝いている。ぶくぶくと口の端から溢れる酸素は葉子のものだけで、あれのものは見えない。ヒトの形をしたそれは、人間ではない。沈む最中によく見れば、美しい顔をした少女だった。 「おまえ、光栄に思えよ。今から食べてやるから」 水の中でも、涼やかな声は透き通るように鼓膜へ響く。美しい黒髪に、切れ長の瞳。煌々と輝くピンクは、自然の色では無い。 食われてたまるかとガンドを何発か撃ち出したが、見た目に反して恐ろしく硬い髪が全て弾き飛ばした。というか、これ神秘だろ。土地神か何かだろ。葉子どころか、並の魔術師じゃ傷一つ入らないはずだ。 い、や、だ、と口を動かせば「ワガママな人間だな。大抵のやつは目を閉じてじっとするのに」と平坦な口調で言う。抑揚がなく、覇気もない声で当たり前のように言うのだから、いよいよ持って人外の恐ろしさを実感して来た。彼女にとって、葉子は餌でしかない。 「お竜さんは優しいからな、痛くないように食べてやる。頭から一口だし、意識が無くなってから丸呑みだ。どうだ、嬉しいだろう」 う、れ、し、く、な、い、と水中で勢いが付かないが、平手打ちをお見舞いする。全くと言っていいほど威力の無いそれは簡単に受け止められて「生きがいいな」と酷い感想を浴びせられた。 「というか、人間のくせになんでまだ息してるんだ?」 爛々と光る目が葉子を捕捉する。暫く顎に手を当てて考えたのち、あ、と短く零した。 「分かった、魔術ってやつか。小賢しいな。お竜さんだって暇じゃないんだぞ」 知ったことか!と返す前に、お竜さんとやらは葉子の頭を両手で掴む。足が絡んで、長い髪が両手を包んだ。するりと撫で上げるようだが、完全なるホールドだった。身動ぎさえ出来ないまま、為すがままに頭の角度を変えられる。 「いただきまーす」 ぱく、と食まれたのは頭じゃなくって、唇だった。べろりと舐められて、そのまま口をこじ開けられる。恐ろしく硬い舌だったし、馬鹿みたいに長い。竜なんて言ってるが、蛇のようだと思った。海蛇の土地神か何かか。知らないけど。思えば、立ち入り禁止区間に石碑と楔があった時点で葉子は警戒するべきだったのかもしれない。 元々、決められた空間内を好き勝手に調整し調節するのが葉子の家の魔術だ。それは、元からあった物を壊しやすいということにも直結する。偶々綻びていた封印を突いてしまったとしても、なんの不思議も無い。やってしまったと思っても時は既に遅く、彼女の細く長く白い指は、葉子の指を搦めとる。黒く輝く頭髪は、足の指までくすぐった。 舌も交わって、口内を蹂躙される。歯型を面白がるようになぞられて、舌を吸われて、唾液を舐め取られる。こんな回りくどい真似をせず、とっとと食い破って殺せばいいものを、こうして緩やかに絞り取られていくのはポリシーか何かなのだろう。酷く屈辱的ではあったが、相手が恐ろしく綺麗な顔の美少女だったので激しい嫌悪が湧いてこない。死ぬ前にやられた無数の人々も、役得とか思ったんだろうか。 舌が絡まって、離れる。暫くペロペロと好き勝手にしていた彼女は「んー」と疑問の声を上げて、口を離した。魔力切れが近く、内心セイバーに謝罪していた葉子は、突然のことに惚けるしか無い。 「やっぱお前、クゾ雑魚ナメクジの臭いがする」 人の物を喰ったら怒られるからな〜あいつ器小さいし〜と彼女はふわふわ漂った。クラゲよりよっぽど凶悪な生物に会ってしまったなあと葉子が遠い目をすれば「お前は帰してやるから、元気出せ」と雑すぎる応援がかかった。どうやら、食べるのを止めたらしい。クゾ雑魚ナメクジが何かは知らないが、感謝しかない。 「寛大なお竜さんの気が変わらないうちにどっか行け」 じゃあな、と有り得ないほどの適当さで水面に押しやられば、何かをブチ抜いた感覚があった。恐らく結界だろう。やはり葉子が勝手に侵入していたらしく、こんな理由で死ぬところだったのかと酷く反省した。 ぷは、と海面に顔を出せば、随分と魚を捕ったらしいセイバーが砂浜に座っている。目的を果たしたら一切遊ばないのが、彼らしくて笑ってしまったが、酷く脱力して歩けない。流されながら浜辺に打ち上げられれば、「おまん、寝とっただけじゃろ」と呆れ顔だ。どうやら時間の経過はほぼ無かったらしい。それなりの時間を格闘してたはずなのに。ばかやろー、こっちは大変だったんだぞ、と言おうと思ったが、口の中が塩っぽくて気持ち悪い。 腹が立ったのでセイバーを引き寄せてお裾分けすれば、蛇臭いと嫌な顔をするので「流石セイバー、勘がいいね」と褒める。苦々しげに唸ったセイバーに、訳分からんわと小突かれた。 |