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「#総受け」のBL小説を読む
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キミの笑顔は2万光年



 サーヴァントが槍で刺し穿たれる。
 雪のように白い姿には全く返り血がない。相手にしたのは人でなく、神霊に近い何かだったのだと魔術師は思った。
 
 事前の調査では、大した霊基も魔力も無いと聞いていた。
 魔術師は悪名高い妖精國帰りのヤツだったが、そのサーヴァントはハズレであると。アサシンでも無いのに、全く強さを感じさせない佇まい。武芸者でなく、それらしい宝具も無い。
 魔眼で見たステータスは軒並み低く、脅威足る数値は一つも無い。
 
 しかし相手のサーヴァントは宝具でも特別な技でもなく、その単純な技量だけでランクをひっくり返し、魔術師の使い魔を消滅させる。
 序でに言えば、サーヴァントは己がマスターの助力すらも借りなかった。
 
 警戒していた魔術師は、なんのアクションも取らず、無表情でサーヴァントの戦いを眺めるばかり。
 つまらなそうな顔と目で、戦いの行く末を見ていた。

「あっはっは!如何しますか? 此度の戦、我々の勝ちですよね。まあ、当たり前なのですが」

 何処からか取り出した酒を口にする。マスターはそれを無感情に見遣って、「はい」と小袋を手渡した。
 サーヴァントはそれを取り出して、舐める。「あー、おいしー。やっぱりこれですよねえ!」と笑顔を浮かべた。

 女もまた、包装紙を取り出す。サクサクと音を立てながら棒を口に入れた魔術師は、血生臭い空気にスナック菓子の臭いを混ぜ込む。
 率直に言って、気持ちの悪い女だった。

「何回来ても負けませんし、逃がしても良いのでは?」

「ダメだよ。ランサーはそう言って、リベンジマッチして欲しいだけでしょ」

「あちゃー、バレてました?」

「まあね」

「しかし、それだけでも有りませんよ。仏門では、無益な殺生は善い行いでないとされています。
勝敗が付いているのですから、これは不要な処断ではありませんか?」

「殺すまでが勝敗だよ。生きてる限り、負けじゃないんだから」

 どうやらサーヴァントとマスターは方針で話し合っているらしい。
 魔術師は命拾い出来るかもしれないと静かに思う。
 マスターの女は殺すべきだと提言しているが、サーヴァントの方は見た目らしく清く正しい武士のようだ。無益な殺生を嫌う人物なのであれば、仲違いもあり得ると思案した。
 
 助かるかもしれない。そうしたら、もう聖杯戦争に関わることはやめて、もうこんなサーヴァントにも、魔術師にも二度と会わないように、

「それに」

 感情の読めない、冷ややかな瞳が魔術師を見た。

「次こそはなんて思ってないよ」

 女は立ち上がって、魔術師の腕に手を掛ける。
 令呪を力任せに引き剥がし、剥ぎ取った皮を手に持った。痛みでのたうちまわる魔術師の背中は、サーヴァントに踏み付けられている。

「義を掲げるのに、こういうのは別に良いんだ?」

「おかしな問いですね。此処は戦場、首の代わりに印を取っているんでしょう?なれば、これは道理です」

「首も取るけどね」
 
 魔術師が最期に見たのは、表情を削ぎ落としたかのような女と、笑い狂う白いサーヴァントだった。

 
 ▽
 わたしは妖精によって攫われた子供で、それと同時に呪いを与えられた大人である。
 
 この現代では時折、チェンジリングに寄る交換────所謂、神隠しが起きる。
 その実それは神が隠したのではなく、妖精どもが物を外に捨てる時、たまたま近くにあった人間とチェンジしてしまうなんていう、傍迷惑な人災...いや、妖精災?なんにせよ、最悪で災厄なのは変わりがない。

 そんなこんなで妖精に境界を超えさせられた自分はその地で彷徨い歩き、運良く妖精に送還される。
 当然、対価を支払って。
 
 妖精は言った。
 “キミの笑顔は可愛いから、僕だけのものにしたい!”

 傍迷惑な感情である。それに対して、少女は言った。
 “それなら、この顔の皮をあげる。だから、現世に帰してよ“

 妖精は首を振って、こう答える。
 “ダメダメ!それじゃ、キミはまた同じように笑うだろ。それを見るのは、僕で終わりにしなきゃ。だから────”
 
 そして後に残ったのは、顔の神経を引っこ抜かれた哀れな女魔術師だった。

「あはははははは!こういった行為は無縁と思っていましたが、マスターが首級をお求めとは!
たまには良いものですね。一兵卒のように、こうして手柄を挙げるのも!」

 表情の変わらないわたしは、空中に魔術で顔文字を書いた。
 
 ( ^ ^ )
 
 やったねの意である。それ見たランサーは、「なんです、それ?」と笑いながら問い掛ける。
 喜びを表していると返せば、彼女は笑顔のまま神妙そうに呟く。

「喜び?これが?」

 ランサーは心底不可解と言った顔で問い返す。あくまで笑顔のままであったが、此方にはそう見えた。

「喜びとは酒でしょう。酒の味こそが楽しさであり、戦に勝利することが人の喜びなのでは?」

 わたしは速攻で彼女が一般的な感性から著しく隔離している英霊であると理解した。
 軍神────神と称される人物であるとは知っていたが、それは比喩ではなく概ねその通りだったとは。
 
 こんなにも道理を持たない存在というか、通常の人間を理解しない存在であるとは思わず、わたしは少し面食らう。まあ、顔は少しも動かないのだが。

 しかし、そんな相手に何かを説いたところで無意味ではないだろうか?
 少し考えたが、ランサーがわたしという人間に問い掛けるならば、それには全て答えようと今決定する。そして目先の質問に対する答えを、迷わずに告げた。

「人の喜びは、笑うことだよ」

「笑うことがですか?楽しいから、喜ばしいから人という物は笑うのではないのです?」

「違う。笑うから楽しい。行動が感情を生むんだよ」

 ランサーは澱んだ目で此方を見た。言葉の意味は理解出来たものの、いまいちピンと来なくて首を傾げているらしい。
 聖杯からのバックアップは、心理学者の言葉を不要と判断したのだろう。或いは、在った上で不理解のものであったのか。

「だから私も形から入ってる。ほら、すごい形あるでしょ」

「ありませんよ。平面の絵に形は」

 わたしが描いた顔文字をバッサリ切り捨てたランサーは、笑顔のまま答える。

「ふーむ。しかし、そういう教えがあるのですね。眉唾とは思いますが、其方がそう仰るなら乗ってみるのも一興。
では私、もっともっと笑って行きますかね!にゃははははは!」

 そう笑ったランサーは、地面に顔文字を描いた。わたしが描いたものを真似て、非常にそっくりな笑顔の顔を描く。
 文武に優れた英傑であることは知っていたが、こういった方面での器用さもあるらしい。


 ▽
 わたしとランサーは組んでは居るが、主従では無い。

「我こそは刀八毘沙門天の化身、長尾景虎。
そなたの願いを聞き遂げたが、仕える道理は特にありませんし... まっ!食客程度にお願いしますね!」

 呼び出した瞬間、ランサーはそう言ったからである。
 顔に出ないタイプで良かったとわたしは強く思う。表情筋が少しでもあれば、なんだテメー!とキレていたに違いないからであった。
 
 よくよく思えば、自分が召喚を実行した時、システムに願ったのは“一般人である自分を守ってくれるサーヴァント”だ。
 少し魔術が使えて、少し人を殺せるだけの魔術師。それがわたしで、そんな召喚者に長尾景虎が応じたのは道理と思う。

 魔術師が自己申告する“一般人である”などという主張、当たり前だが通る訳がない。
 だから、“己以外の全てを弱いと思い“、”弱きを守るが務め”と思っているランサーが召喚されたのであろう。
 まともな感性のサーヴァントは、頭のおかしい魔術師の主張を聞いた瞬間に「うーん、一ちゃんさ。それって一般人て言わないと思うのよ」とか言うに違いなかった。

 だからランサーは主従でないのにわたしを守るし、助けて欲しいという願いも聞く。
 弱い者の頼みを、彼女は代行するのだ。それが“人として正しい”ので。
 
 上記の通り、ランサーはしっかり役目を果たしている。
 しかし、わたしの手は鮮血に染まっていた。傷を負ったのはランサーの落ち度では無い。
 単純に、わたしが油断していたからである。

「ひどいことをするものですね。そなたは一般人であるのに。
生家の後ろ盾も無く、家臣団も無く、たった一人の民草であるというのに」

 彼女に映る“弱き者”。それがわたしだった。

 不可視の一撃。武器による攻撃でなく、魔術の類いであったのだろう。
 ランサーが対応出来ないのも当然であり────というかそもそも、ランサーは義を掲げ、聖人ぶって弱者を守ると提言しているだけで、本来そういう細かい心配りとか出来ないタイプなのだろうと思う。
 
 “そうであるべきと言われたからそうしているだけ”というのが、彼女の全てであると予想していた。
 全ての事象に対し、事前学習した提携文だけで返すロボットのようなもの。それが、長尾景虎という英雄であるとわたしは感じている。
 
 皮一枚で繋がった指を押さえて、くっ付けようとするわたしをランサーは貼り付けた笑顔で見ている。

「くっ付くと良いですねえ、それ。繋がらないと、武器持つ時に困りますから」

 そうだね。そう軽く返す。
 痛みに耐えながら治療に当たっていたが、ふとランサーがこちらを凝視していることに気が付いた。
 心配...などはする筈があるまい。単に、疑問があるのだと思った。
 
「難儀ですね、表情が変わらないだなんて。澄ましてますが、痛いのでしょう?」

 やはり気になっている事があっただけらしい。わたしはどう返すか悩んだが、足で文字を書くのは難易度が高い。
 サラサラっと爪先で、今の気持ちを砂に描いた。
 
 ʅ( )ʃ

 ランサーはぐるぐると渦巻く目を、砂場と此方へ交互に移動させる。
 理解に及ばなかったらしい。くだらなすぎて流されるかと思ったものの、ランサーはすぐに意味を尋ねた。

「それはどういう意味ですか?」

「もはや笑うしかないし、笑っとこうかなくらいの気持ち」
 
 そう説明すれば、口角が少しも動かない笑顔がわたしを見る。

「なんです、それ。笑うしかないという場面が思い浮かびませんが、あるんですかそういうの」

「悲しい事があったら、とりあえず笑うんだよ」

「悲しいのに笑うのですか? ヒトというのは、喜ばしいから笑うのでしょう?」

「意外とそうでもないんだよね」

「では、なにゆえ? 壊れてしまうのですか?」

 壊れてしまうとランサーは表現した。彼女の人生では、幾度も痛みで精神崩壊する人間が居たのだろう。
 戦国社会って怖いなあ!とわたしは内心冷や汗を掻きつつ、此方の見解を示した。

「どうしようもなくなったら、笑い飛ばしてマシにする。これぞ人間の知恵」

 わたしは指で口角を上げようとして、指が取れていたことを思い出した。実践してやりたかったのに、無念である。
 そんなわたしをランサーは能面の様な笑顔で見つめていたが、ふと呟く。

「...どうしようもないから笑う、ですか」
 
 声は水を打つように静かだが、人を狂わすような清廉さがある。例えるなら、純水のような。
 彼女が嘗て煙たがられた理由も、わたしには少しだけ理解に及ぶ。人の理を解さないから────というのは、後付けだろう。ランサーの神仏のような佇まいは、そこにそう或るだけで人の身に余る。

「それは少し、私にも理解が及びますね」

 少し意外であった。
 驚く表情を隠さないわたしに、ランサーは笑って返す。実際のところ此方の顔は少しも動いてなかったが、彼女には分かったらしい。

「ふふん。意外と思ってますね。其方が地面に描かずとも、今のは察することが出来ました」

 ...とのことだ。驚きを隠さずにランサーを見れば、彼女は言う。

「思えば、私もそうだったかもしれませんから。
 私より弱い兄に唆られた時も、父と母に寺へ出された時も、姉に憐れみ泣かれた時も、この景虎は笑っていましたよ」

 口角は上がっているが、目は全く笑っていない。
 渦巻く瞳の中に、暗くて底の見えない黄金が映る。それは確かに笑いであったが、彼女の心は決して本心から笑っている訳ではない。
 本人も自覚があるだろう。人間らしく振る舞うために、彼女は笑顔を作っているに過ぎないのだから。
 
 わたしはそれを理解して、それでもと答える。

「きっとそうだよ。わたしも、そんなことになったら多分笑う。笑うしかないから」

「あははははは!笑えないではないですか、貴女は!」

 ランサーは明け透けでズケズケで、こういう所があった。ノンデリカシーである。
 不満を訴える為に見つめれば、彼女は地面に槍先で絵を描く。国宝でそんなことをするなと更に咎めるものの、可笑しそうに声をあげて笑うばかり。

 (^^)

「こうでしょう、其方の心は!」

 全然違う。まったく一ミリも掠ってないが、それはそれとして関心した。
 ただの人間などを何とも思っていなさそうな彼女が、わたしの描いた“喜び”を覚えていたのである。その絵を見て、動く心は確かに絵の通りであると言えるだろう。
 
 わたしは確かに、それを“喜ばしい“と思ったのだから。
 
「これもまた、人の行動なのですね。人は苦境の中にある時、それをくだらなくする為にも笑うのですか」

「うん。笑いは万能だから」

「それで結局痛いんですか?」

「どっちだと思う?」

 問いを聞いたランサーは、笑って槍に付着した血を拭った。魔術師の服が、泥と血に塗れて汚らしい。

「さあ。私はどちらでも構いませんから」
 
 
 ▽
「それ、美味しいですか?」

 ふと、ランサーが珍しいことを聞いた。

「其方は表情が変わりませんから。どういう感情でそれを食すのか、私には分からないんですよねえ」

 ナチュラルボーン煽りである。わたしは空いた指で口角を上げた。

「うまい」

 わたしは間髪を容れず返答をする。
 それというのは、現在わたしが愛食している駄菓子だ。美味という旨が記載された袋は、口に入れずともうまいことがわかる。
 それを伝えれば、ランサーは「へえ、やはりですか!」と笑う。

「美味でなければ、趣向品など食さないでしょうから。そうだろうと思っていたんです」

 ランサーにとっては、美味しいから食べるというのが趣向品の扱いらしい。なんだかんだ、彼女は酒が美味しいから呑んでいるということか。
 袋を空けて口に持っていけば、ランサーはそれを迷わず食した。

「強い塩の味がします。美味しいですね」

 わたしは指を振る。ちっちっちっ。これは美味しいけど、美味しいではない。

「これは“うまい”。うまいんだよ、ランサー」

 ランサーは理解出来ないようだ。いつものように貼り付けた表情で「なにを言っているのでしょう?」と首を傾げた。
 だが、うまいもんはうまいのだ。特に理由なく、これはうまい。うまいのである。

「サラダ味だから健康にも良いよ」

「なにゆえ嘘を吐くのです?」

「真実だよ。ランサーも塩で呑まずに、これでも呑んでみたらいい。うまいしサラダ味だから」

 彼女は腑に落ちないようであったが、一先ず“うまいもの”のことは分かったらしい。
 そのお菓子こそが“うまい”であり、万人の思う“うまい”であると。

「それにしても、ランサーって私に関心あったの?」

「失敬な!其方のことを何時も見ていますよ!目を放した隙に死んだら哀れではないですか」

「そうじゃなくて。個人も見ているんだなって思って」

 彼女はわたしに関心はあまり無いように思っていた。それどころか人類全体に対して興味があるのかも怪しい。
 ヒトを知りたいと願ってはいる様子だが、個人の動向それ自身には全く思う所が無いのかと。そういう風に感じていたのである。

 そう正直に言えば「あはははは!」と笑う。これはおかしいのでなく、リアクションとして反射で返しているに過ぎない。
 
「否定はしません。しませんが、そう。そうですね。其方が、我を畏れぬから────」

 半月のような口に、望月のような瞳。煌々と輝く両眼は、此方を静かに見据えていた。
 そして一歩進んで、わたしの頬に手を触れる。親指が目尻に掛かって、黄金の中に己が映り込む。

「────この長尾景虎に、其方はものを説く。この我に世の道理を語り、自らの尺度に過ぎぬ正しきを、毘天の化身たるこの景虎に申す」

 ただでさえ人間味が希薄なランサーは、神や仏にでもなったようにそう告げた。

「正しく、不埒者よな。言い逃れも出来ぬだろう。人の身で、神を神とも畏れぬのだから。そうであろう?」
 
 糾弾のような言葉だったが、それは確かに質問だった。わたしは、そう思った。
 わたしという個人に、“神仏に物怖じしない人間は不敬であると思うが道理だろう”と。そう尋ねている。
 
 はいと応えれば、彼女はどう思うか。
 ────笑うのだろう、きっと。神のように、仏のように。
 
 だが、そうとは応えない。それは答えではない。答えというのは、神の声を肯定するだけの物じゃない。
 聞かれたならば答えると最初に決めた。わたしは迷わず、心のままに返答をよこす。

「貴方が何者だろうと関係ない。聞かれたから答えているだけ。この誠実さを不埒って思うなら、まあその通りなんじゃないの」

「随分意地悪な物言いですね!」

「へえ。ランサー、意地悪されてるの分かるんだ」

「あははははは!私も、余計なことを言ったかもにゃー、と先程思いましたから!」

 互いにちくちく言葉で攻撃し合った魔術師とサーヴァントは、まったく笑ってない目でケラケラ笑った後に、真顔で向き合った。
 ランサーには、先程の話を適当に流す気は無いらしい。

「応えることは、我への礼節。答えることは、私への誠実。其方は、人の身の私を取ったのだと。そう申すのですね」

「有体に言えばそうだね。私は別に、神仏に縋ったわけじゃないし。いつだって長尾景虎さんと話してるつもりだよ」

 それを聞いたランサーは、壊れたように笑った。それは楽しそうにも、哀しそうにも見える。
 わたしはそれを黙って見ていた。彼女は、何かを話したいように見えたから。

「私の問いに、母は応えをくれませんでした。姉も、嘆いてました。父は会話すらもしませんでした。
私に人を説いた坊主も、頷くばかり。いずれ何も答えなくなりました。家臣も、我が言葉には応えるばかりですから」

「私はそうしない。ランサーの今迄とか関係無い。貴女が私に聞くなら考えて返す。
何も答えなくなるとか、絶対ないから」

「はは、あははははは!」

 答えを聞いたランサーは、より一層大笑いをした。
 此方の返答に対して「浅ましい!」と「訳がわかりません!」と「愚かとは、このような事柄か!」とボロクソに言った。
 彼女としては大変珍しく、実感のこもった言い方であった。

「其方は、そう!そうですか!人の身で、この景虎に!そう────そう、なのですね」

 何か腑に落ちたらしい。静かな瞳が、凪いだようにわたしを見る。
 
「其方はその弱き頭で、この景虎を見つめて、ただ一つのありふれた────其れでいて、私だけの為の答えを思案するのですね」

 ん?悪口か?

 
 ▽
 わたしという魔術師の話をしよう。
 
 妖精に拐われた子供は、まともに生きれる筈も無い。魔力に当てられた事もそうだったし、人の理から離れた存在になってしまったこともそうだ。
 遠い遠い親戚の血筋に引き取られたわたしは、魔術師としての生を定められる。そうしなければ、生かす価値が無いからだ。

 それだけでも不幸であったのに、忌々しい妖精の呪いは続くもので。とことん運が無い魔術師は、直系でも無いのに令呪を当てた。
 早い話、興味関心の無い聖杯戦争への片道切符を手に入れたのである。それで辞退しようと教会へ令呪を渡しに行ったが、その道中に襲われた。

 本来、召喚前の魔術師を襲うなど有ってはならない事象である。七機が出揃った時点で始まる儀式として、前提が破綻しているからだ。
 しかし前述の通りわたしは直系でなく、事前に想定されたマスターなのでは無い。令呪が出ていることも、ごく一部の人間しか知らないことだった。
 
 まあ、結論を明け透けに言えば、わたしが一時でも令呪を持つことが気に食わない身内勢力────家族として迎えてくれた筈の、血族の差金で襲われていたのだった。

「あはははははは!疎まれたのですね、其方は!」

 まっ!そういうこと!

 ランサーはサーヴァントの首を刎ねて、わたしに手渡した。消え行く首を見つめて、感傷に浸る場合でないと思い出す。
 そして深い黄土が魔術師を見下ろして、「如何します?」と此方に微笑んだ。

「────まず、この人を処分して。隠れてる親族も探して処分して。使用人も処分しようか。
 そうしたら、火を掛けて全部片付けたい」

 震える男を見下ろす。魔術師が恐怖に怯えるなど、愚かしい。
 そんな俗物であるから、ランサー陣営は狙い目だなど、実家から懸賞金が出るだなど、くだらない甘言に踊ってこうなるのだ。
 
 呆れながら裁決を下せば、ランサーは「ううーん」と平坦に唸った。
 悩むような言葉であるが、その声は何処までも空虚なものに感じる。
 
「気が乗らないんですよね」

 そんな声色で無いのに?

「ほら私、毘沙門天の化身ですから。正しくないことをしては、人の身から離れてしまうと言いますか」

 そうは言うが、その言葉は酷く中身の伴わない物である。
 そうと言われたから。そう教えを受けたから。
 ────そんな感じ。ヒトの受け売りを実行しているような。誰かがそうであれと言ったから、そうしているような。
 ランサーの言葉は、ランサーの心では無いとわたしは感じた。だから、こう答える。
 
「別にランサーが何をしようと、人間じゃなくなるとは思わないけど」
 
「え?」

 大衆よりかは希薄だとは思うけど、普通のところもある。神様っぽい雰囲気もあるけど、ごく稀に人っぽい時もある。
 それが暫く隣で見ていた、長尾景虎という人物像であった。

「しかし、私は人がわかりません。わからないのですから、義の在る生き方をせねば、この景虎は、」

「そんな些細なことを気にして、人を知りたいと悩む貴女が人で無いなら────何が人だって言うんだよ」

 ランサーは押し黙った。
 
「私は笑えないけど。それくらいで人間じゃないと、笑顔すらも欠けたヤツは人でないと、ランサーはそう思う?」

 指で口角を上げて、笑顔を作る。

「私の分まで笑ってよ、ランサー」

 彼女が“笑顔こそが人間の条件”だと、“人間らしい表情”だと思うならば、それを行うことこそが人らしさと言えるのではないか。
 わたしの屁理屈に、ランサーは笑った。相変わらず目は空虚だが、やはり少しだけ、本当に少しだけ、彼女は正しく“笑っている”ように思えた。

「─────ええ。貴女が、そう言うのならば」


 ▽
 結局実家に馬鹿みたいに疎まれたわたしは、聖杯戦争中にも関わらず追手を差し向けられていた。

 彼女に笑えと言った手前なんだが、わたしはまったく笑えない状況である。
 敬愛する師父に死を望まれ、当主を差し向けられ、それを殺して生き存える。こんなのは、人間の所業ではない。浅ましく、惨い。

 血に塗れたコートが重く肩に伸し掛かる。真っ黒になったそれを投げて燃やして、マッチも捨てる。
 しかし地面に着く前に、ランサーが火種を指で挟んで消した。

「ポイ捨てはいけませんよ」

「いいよ、ここ聖杯の前だよ。どうせ最後に燃やすんだから」

「随分ヤケクソですね。そんなに親が恋しいですか?」

 ランサーは積み上がった骸を見る。それはわたしの血族達で、結局みんな、みんなみんな、わたしが殺すことになった家族達だった。
 
 魔術師として半端者のわたしは、駄菓子を好む。
 生きる上で必要の無い娯楽を好きだと感じる。
 一族というだけの魔術師を愛しいと思っている。
 無駄を愛して、非生産な行いをする。
 
 殺され掛けたのに。死ねと願われたのに。それを哀しいと魔術師らしくない感情を抱いて、結局は魔術師らしく敵を殲滅した。
 わたしは、わたしという人でなしは。
 
「生家に弓引き、死を願われたのに拒む。私は、何のために儀式をやっていたのだろうね」

「さあ。私には、わかりませんから」

 アンニュイな気分が霧散した。あんまりにもバッサリ行かれるものだから、此方もバカらしくなる。
 
 なんのため、など瑣末な物だ。
 死にたくないからそうして、ランサーとつるみたいからこうした。それだけだったと、その答えで思い出した。
 
 しかし、なんと言えばいいか。ランサーは前以上に“人間らしくなさ”と言うか、人間離れした、あまりにも達観し客観視過ぎる目線を此方に隠さなくなった。
 今までひた隠しにしていたそれを、彼女はなんの心変わりか全く隠さなくなったのである。
 
 わたしは随分、ランサーに好かれたものだと思う。
 いや、彼女には好いてる自覚は無いかもしれない。ただ興味があって、聞いたら答える都合の良い存在だから、なんとなくつるんでいるだけなのかも。
 
 だが確かに、そこには執着のような物があった。
 名前も付かない淡い感情であるが、わたしのランサーは、長尾景虎は、間違いなくわたしという人間を気に入っている。
 だから彼女は微笑んで、わたしを瞳に映して、楽しそうなのだった。
 
「────ああ。違いましたね。私は、笑わなくては。他でもない、貴女の為に。だって今、どうしようもないんですよね」

 ランサーは笑った。微笑んで、槍を振るって、声を張る。
 
「良いではないですか。そなたには私が居て、私のことはそなたが認めてくれるのでしょう?」

「ええ?...まあ、うん。そうだね」

「でしょう?そうでしょう?そうなんですよね?ね!ね!ね!」

 ね。ひとつ言うたび、武器が薙がれて鮮血が舞った。
 聖杯の周りに罠として仕掛けられた、屍人の自動人形どもである。腐敗した肉は黒ずみ、液垂れを起こしていた。
 
 しかしその中でも、ランサーは汚れずに白く、清く有り続ける。
 そうして全てを片付けた、何よりかわいい笑顔のわたしのサーヴァントは、楽しげに微笑んだ。

「ね!」

 ランサーはわたしの頬を掴み、にいっと口角を上げさせた。
 そうして自分もいつもの決まった目で、じいっと此方を注視する。こえーよ。

「でしたら、それで良いではないですか!」

 ランサーはわたしの手の中の聖杯を、ブン投げた。地面がヒビ割れ、無傷の器がキラリと光る。
 彼女は笑って、何度も何度も何度も何度も踏み付ける。聖杯が汚れても、足から血が出ても、気にも止めずに。

「やはりこの程度ではダメですね。ですから、宝具を」

「なんで?」

「こうすれば、もっと楽しくなりますよね。いずれ更なる追手が来ます。さすれば、そなたとこれからも戦し放題です」

 わたしはランサーの言い分がヤバすぎて笑ってしまった。いや、顔は笑って居なかったんだけれど、心の中で大爆笑である。
 そう来たか!という感じであった。手に入れた聖杯を勝手にブッ壊したら、秒速でお尋ね者だろう。だって聖杯戦争は、沢山の魔術師たちが心血注いで一生懸命運営している一大イベントなのだから。

 そう思って、わたしはまた面白くて笑いが溢れる。笑えないのに、笑っていたかった。だってわたしという魔術師は、聖杯戦争をその程度としか思っていなかった。
 こんな儀式どうでも良くて、ただランサーが好きだったから。彼女と笑っていたかったから、こんな事をしていたのだと気付いたからだ。

「あはは、はは!あははははは!」

 代わりにランサーが大笑いしてくれる。
 わたしも指を口角に当てて、それを彼女に見せた。ランサーは槍の先で(=^x^=)と壁に掘って、「どうですか!見て下さいよ、ほら!にゃー!」と自信満々に言った。
 
 そんな顔文字教えていない。驚いてランサーを見れば、軍神はしてやったりと笑った風に見えた。

「わかりますよ。其方に表情はありませんが、私に驚いたのでしょう。
今それが理解出来ました。私には、そなたが少し分かったのです」

「人のことは分からないのに?」

「ええ。人は分かりませんが、そなたの事は分かります。今どんな顔をしたいのか、見せて差し上げましょうか」

「いい。わかるから」

「あはははははは!左様ですか!この景虎を、人如きが分かったと!あはははははは!」
 
 彼女はこんなだが、いつだって“ヒト”を知りたがっている。そんなところが一番、わたしは好きであった。

「破壊しよう、ランサー」

「ええ!そうこなくては!」

 ランサーは飛び切りの可愛い笑顔で、わたしを指差した。滴った血が線を引いて、こちらの顔に掛かる。
 それを拭うことも忘れて、わたしは口角を指で上げた。ランサーはいっとう可憐に微笑んで、聞く人が聞けば恐怖で震えるような笑い声を高らかに上げる。

「やはり、そなたはそうでなくては。
いつでもそうしていて下さいね、此方の調子が狂いますから!」
 
 ひどい言い分だ。それを聞いて、尚おかしくなる。調子が狂う?あの長尾景虎が?人の事なんか、分からないのに?
 顔が笑えなくても横隔膜は震えているので、腹筋ともども引き攣る。わたしが爆笑したのに気付いたランサーが、不理解と言わんばかりに笑顔のまま首を傾げた。

 彼女にとって、今のは曇り無い本心だったのだろう。
 それを笑われているから、ヒトってやっぱ意味分かんないみたいな気持ちなんだろうか。

 ────だけど、私も彼女も。
 今の気持ちはきっと、“よろこばしい”である。それだけは明確に、互いが分かることだった。




 2024.1 追加 謙信と晴信と元マスター。蛇足です。
 聖杯戦争終わって、なんだかんだ円満に別れて、結局カルデアで出会ったという謎時空。


 ▽
 晴信は驚く。
 眼前に揺れるのは忌々しい白。天敵であり仇敵であり人生最大の汚点であり、説明しようとすると一生つらつら語ってしまいそうな相手である女の長い毛である。
 
 顔を合わせたら戦戦川中島戦。気分だったらやってやらんこともないが、マスターの手前そう頻繁に殺し合っていては示しも付かない。
 すると当然、景虎のただのウザ絡みの頻度が増えて大変に晴信はむかつくので、出来るナイス甲斐はスマートに物陰に隠れた────のだが。

「私、人がまあまあ分かったんですよ。ま、わからないものはわからないですが。
敗北感とか?劣等感とか?恐怖心とか?そういうの、私には無いと言いますか」

 なんだテメエ。やんのか。
 思ったが、閉口する。ここで飛び出して食って掛かると、あのクソ女と同レベルである。

 それよりも。いや全然それよりもでは無いのだが、一旦冷静に、スマートに話を置く。
 景虎の話は超絶にむかつくのだが、そのことを横に置いて置けるほどに異様な光景が広がっていた。

「へえ。良かったじゃん」

 全然良かったとか思ってなさそうな、一ミリも顔がぴくりともしない女。
 終始笑顔で、本当に心底たのしそうな景虎に────それこそ、晴信と戦り合っている時からギラつく闘志を引いたような。
 そんな珍しい顔の景虎に、全く気持ちのこもっていない適当な返答をしている真顔の女。晴信の身を隠す廊下の奥で、やべえ女とやべえ女が会話をしていた。

「其方ならば、必ずこの吉報で喜ぶだろうと思っていました。
私、分かりますよ。何故、そなたがこの話で喜ぶのか...当てて差し上げましょうか?」

「えっ、いいよ」

「当てて差し上げましょうか?」

 すげえウザ絡みである。元からだいぶ晴信には鬱陶しい粘着を見せ付けていたが、会話相手の女に対する態度もかなりうざい。
 晴信は適当に景虎をあしらっていたし、敵軍敵国であったからウザ絡みの度合いも高が知れていた訳であるが、そうではない場合────同陣営で、ウザ絡みを一生許容した場合。
 最終的にああいう風になるのか...と他人事ながら強く危機感を抱いて頭を振った。

 景虎は真顔の女に一歩詰めて、指を掬い取った。そしてその額に額を合わせて、ハッキリと分かるような堂々とした声で言い放つ。

「そなたが私を好いているからです。私を愛し、慈しみ、愛で...まあとにかく、私好きですよね?」

「ランサーは私のこと好き?」

「わかりません!でも、そなたは私が好きですよね?」

 うお、すげえ言い草。
 思わず女が気の毒になれば、女は変わらずの能面だった。

「ランサーが私のこと好きだったら好き」

 女の方も大概だった。随分と意地の悪い事を言う女である。あの長尾景虎が、そんなことを分かる筈が無いのに。
 案の定それは気に食わない返答だったらしく、景虎の目に渦巻く暗さが灯った。

「それでは分からないではないですか」

 めちゃくちゃを言う景虎に、女は、同じくらいめちゃくちゃな返答をする。
 表情は変わらないが、苛立ちながら景虎を弄んでいる様子だった。何故そう思ったかと言えば、彼女はリズミカルに靴を鳴らしていたからである。
 
 しかし、その返しは上杉謙信となった筈の女に最高火力のダメージ、というか精神的動揺を誘ったらしい。
 心底理解できないと言った顔の景虎は、首を人間離れした動作で回転させて晴信を捉えた。えっ、俺?
 
 景虎の奥に居た女が手をひらひらと振って何処かへ歩き去っていく。
 肝心の景虎は、全く後ろを向かずに手を振った。なんで一切見ずにモーションがわかるんだよ。

「晴信。見ていたでしょう、先程から。私はあの者が好きですか?」

「無茶苦茶なことを聞くんじゃねえよ...」

「あっ、ダメですよ。
 あれは意地が悪く、褒められた性格では無いですが、私と今生楽しく過ごす誓いをしていますから」

「んなこた聞いてねえよ...」

「しかし彼女を賭けて戦をするならば、話は別です。受けて立ちますよ。当然私が勝ちますが」
 
 晴信のやるきない返答にも、景虎はケラケラ笑うばかりだ。呆れ返って溜息を吐いても、晴信の動向くらいじゃ景虎はブレない。

「好きかどうかも分からねえのか、テメエは」

「よく分かりませんね。生涯不犯であったのは、正直なところ異性にも同性にも興味無かったみたいなのありますし。
しかし、あの者のことは他者よりもよく分かります」

「ああそうかよ。じゃあ、あの女が機嫌悪いのも分かったのかよ」

「? 違いますよ」

 心底不思議そうな目が、晴信を見た。本当に不理解そうに、何を言っているんだコイツと言わんばかりの顔だった。

「あれは、楽しんでいたんです。靴を鳴らして、上機嫌だったでしょう?」

 景虎はつらつらと先ほどの女のことを語っていく。彼女の名前。機嫌の良い時の癖。不機嫌な時の態度。
 それに、景虎を呼ぶ時の声。そして景虎以外の者に対する態度。どれだけの我儘を言って許されるか。どれほどの無茶振りをして答えてくれるか。
 
 それらは事細かく、ただの一個人に対する見解にしては酷く多い情報であった。

「あの女のこと、随分しっかり見てんじゃねえか」

「? 見ずともわかりますが」

「はあ?」

 景虎は、酷く穏やかに笑った。
 希薄な彼女らしくもない、非常に実感のある語り口であり、そこには強い親愛と執着があった...風に思える。

「言ったでしょう。私、あの者のことは他の人よりよくわかるんです」

 それを好きだと言うのだが。