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「#甘甘」のBL小説を読む
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悪魔で私のレーザーエッジ



 ─────気合いがあれば、大体なんでも出来るはず。
 
 上記はわたしの持論である。
 努力、友情、勝利。少年漫画の三原則。
 わたしはそれらが好きだ。よく分からないけど、がむしゃらに頑張ったらどうにかなる。努力する者が報われる。
 それがシンプルで、単純で、一番納得しやすい答えだからだ。
 
 剃刀理論なんかもサイコー。生きる上で、なるべく複雑な仮定は用いない方がいい。
 物事は分かりやすければ分かりやすいほど、明快で気持ちが良いのだから。

「ええ。それは、一理ありますね」

 如何にも謀りそうな、胡散臭いスーツの男はわたしの言葉に半分くらいの同意をする。
 全肯定でないのは、彼────キャスターが、此方の最終的な結論を見越しているからだろう。
 
 話を戻そう。
 物事は無駄に複雑である必要は全くないし、そうでない方がいい。
 
 だから────だから。
 喚び出したサーヴァントの熱力学第二法則とか、なんとかかんとかエントロピーとか、意味分からなすぎて考えたくも無い。
 というか魔術師だから!科学とか、ダメだから!禁じられた機械は教えに背くから!あと機械に甘えたら金取られるし。神秘を薄めるから、ダメ。
 
 そう彼に言えば、サーヴァントはサングラスを指で押して笑ったような仕草をする。あくまで“ような”に過ぎず、笑ってはいない。
 少し困った風に肩をすくめてはいるが、それらは内情の伴わない、空虚なジェスチャーなのである。
 
「まあ、それは、それは。魔術を収める人間であれば、当たり前ですよね…」
 
 彼には悪いが、わたしは数学も苦手だ。
 義務教育や高等教育、魔術師になってもある程度の計算が要るから収めているだけで、出力を調整するのだって本来やりたくはない。
 だから、適当な見積もりでなんとかなるような魔術式を好んで組んでいる。この聖杯戦争だって相方に細かい事柄を全て任せたかったから、比較的几帳面な人種の多いキャスターを望んで召喚したのだった。

 それを告げられたサーヴァントは、より一層深く肩を落とした。わたしに呆れている様な仕草である。
 
「はあ…ええ、マスターがそう仰るのであれば、そうなのでしょうけど... 完全分業制度を採用するにも、今現在の私の弱さでは役不足ですよ。魔力エンジンすら始動しませんから。
 マスターが方法を考えるのであれば、何某かの手はあるかもしれませんけど」
 
「無理無理、わたしバカだし。キャスターの提案は却下するけど、代案はない。思い浮かぶまで保留にしてくれなきゃ」

「...バカ、ですか? それは、何を基準として?」

「足りないんだよ、言葉。頭使うのも好きじゃないし。
 だから────とりあえず。キャスターが戦闘能力を持たないって言うんだから、わたしが前出たらいい」

「確かに。考え無しであるとは、正しく定義出来るでしょうね」

 わたしたちは絶賛、揉めている最中であった。なぜかと言えば、それはシンプルかつ単純で明快。

「そのような手段を取らずとも...私を廃棄し、辞退すれば宜しいのでは?」

 此度の戦争での相棒──────キャスター。彼が自分との契約を取り消し、この聖杯戦争を早く降りるべきだと言っているからだ。
 
 それは...ふつうに嫌。わたしだってウィザードの端くれで、勝とうと思って此処に来たのだ。それに、可能性がゼロじゃないなら、なんとか頑張るべきでは?
 わたしの意見に、キャスターは困った顔をした。

「ゼロに等しいから、私はそう提案しているのですがね...」

 キャスターは現在の戦力...わたしの特性と自分の能力を鑑みて、月の聖杯戦争を勝ち抜くのは非常に厳しい事であり、無意味な努力だと判断したらしい。
 わたしは彼から憐憫を含んだ視線を受け、少々居た堪れなくなった。

「ムーンセルってのは、この地上で最も優れた演算装置だって聞いてたんだけどな」

「それは真実と言えるでしょう。現状この世界に、これよりも優れた計算機は存在しませんから」
 
「その割には、随分な結果を出してくれたけどね」

 わたしはマックスウェルの悪魔を見る。
 双方の利点を潰すような召喚で、何故ムーンセルはGOを出したのか。

「搦手ナシのデスマッチの割に...勝率が0%じゃないからオッケーみたいな? 中々すごい召喚システムしてるんだね。
 まあ、なんかわたしら以外にも、まあまあ終わってる組み合わせあるみたいだし。案外良いとこまで行けるかもよ」

 わたしは数刻前に見た、饒舌な少年のサーヴァントと、腹に一物どころか二物も三物...下手すれば、NPCを喰らって百八物くらい吸収合体してそうだった尼との主従を思い出す。
 あちらもマスターにこそ一流以上の何かを感じたけれど、サーヴァントがどう見たって非戦闘英霊であった。加えて言えば恐らくキャスター。...もしかしてキャスターって、ハズレクラス?
 逆転出来る宝具が無ければ、そのまま静かに敗退するだけだろう。

「はあ...それはそれは。
 しかし、周囲がある程度私たちと同じだった所で、確実に存在している“終わっていない組み合わせ”の主従が優勝するだけですよね」

 上ではなく下を見たこちらに、キャスターは呆れ交じりの苦言をこぼす。
 わたしは誤魔化すように、咳払いをしてから返答をした。

「...まあ、たしかに?その可能性の方が高いけど...」
  
 通常の聖杯戦争であれば、キャスターはこんな提案をしなかっただろう。
 このムーンセルで行われている聖杯戦争はトーナメント式。そして規定に沿って決戦日が設けられ、直接対決のデスマッチを必ず行うのだ。
 まあつまり。戦闘能力を持たないキャスターでも、戦う機会が最低七回あるということ。
 
 地上だったならば、打てる手はあった。
 例えば─────帝国軍を裏から操り、軍隊を好きなように動かしてしまうだとか。宗教の総本山に魔術工房を構えて、信者を兵隊にしてしまうだとか。
 あとは、ワンチャン横から聖杯掠め取ったり。そういった本人外の要素でも戦えただろう。悪魔名乗るだけあって、彼は狡猾そうだったし。
 しかし上記の形式で戦争を行なっているから、搦手は殆ど使えないのである。
 
 だが、わたしは降伏を選びたくない。
 キャスターの、“勝てる可能性がゼロに等しい”という主張には同意しよう。そこに異論は無い。
 だが、後半部分────”ゼロに等しいから最初から諦める“には、強く異議があった。
 
 無駄かどうかは、やってみないと分からない。黙って死を待つよりかは、足掻いた方が満足出来るだろうし。
 そう言われたキャスターは、「度し難いですねえ」とぼやいた。
 
 彼が非常に合理的で、人間らしい精神論を少しも考慮しないのは明確な理由がある。彼は思考実験の中で生まれた、仮定の中の存在だからだ。
 それがマックスウェルの悪魔であり、わたしのサーヴァントのキャスターの正体であった。
 
 本来そんなものは存在出来ない筈である。存在証明を成されておらず、寧ろ否定を食らってる。実現可能な逸話も無い。
 というか提唱された1867年頃ならまだしも、2030年代の今現在に於いて、こんなもん出て来てどうすんだという話である。
 だって彼を完全に否定する方法が、二十年前には既に発見されているのだから。
 
 マックスウェルの悪魔が聖杯戦争で召喚されることなど、絶対に有り得ない。存在せず、信仰も盲信もされず、フィクションとして在るにも逸話が無い。
 一時的なものであれ、無から有を産めるなら────エントロピーの操作が出来るヤツが居れば、それは確実に魔法使いだろうし、そいつこそが悪魔だろう。
 
 無秩序を行使出来るならば、時間移動もついでに出来るに違いない。蒼くて、赤くて、何よりも青そうである。
 この月にNPCとして発生していた[[rb:第五魔法使い > あおざきあおこ]]を、わたしは三度見して、そして見なかったことにしたのは余談であった。
 何故蒼崎姉妹が揃って居るのかは分からないが、あんなのに関わったら根源どころの話ではない。失言をした日には、21g以下の質量になるまで擦り潰されて消されるだろう。

「実は、マックスウェルの悪魔じゃなかったりする?」

 キャスターは表情を固まらせた。
 人間がするような、驚いた時の反応ではない。わたしの言葉の意味を測りかねて、思考を停止したような動きであった。
 わたしは慌てて、補足説明をする。彼の想像の斜め上をブッ飛ぶバカで申し訳ない。

「えーっと、なんだろう。水子の霊が、ジャック・ザ・リッパーに成ることあるじゃん?」

 「はあ」とキャスターは生返事をする。話の中身が見えて来ないと言いたげである。

「生まれる前に消えて行った悪魔たちの怨念とか。そういうの、サーヴァントに...みたいな?」

 そこでやっと、キャスターは合点が行ったように「ああ」と一言。

「いえいえ。正真正銘、マックスウェルの悪魔ですよ。それを証明しろと仰られると、どうしようもありませんが。
 これも、悪魔の証明のようなものでしょうか」

 彼はマックスウェルの悪魔だが、それを証明する手立てが無いと言う。
 宝具は起動出来ないし、他に固有能力もない。そもそも、英霊足り得る特殊技能をひとつだけしか持たないのだと言う。
 それに対して、彼は「詰んだ、とでも言えば宜しいですかね」と形だけの微笑みを浮かべた。
 
 上記の通り、マックスウェルが唱えた論理はとんでもないものである。それは科学であり、魔法。彼の理想は、魔術師も至るべき場所だ。
 つまり明らかに有り得ないのだが、此処は月の中であった。ムーンセルは例外中の例外が許される、思考実験場なのである。
 
 架空のシュミレーターの中にだけ存在出来る机上の現象。この人造ムーンもまた、“もしも”を具現化した存在。
 月の聖杯戦争だったからこそ、彼とわたしは肩を並べているという話だ。
 
 だが、まあ。なんていうか。やはり弱いものは弱い。
 わたしはまあまあ優れたウィザードであり、出力だけ見れば超一流の魔術師だ。軽く見積もっても、対人性能はこの月でも上位に食い込むだろう。
 自身の長所である膨大な出力量を活かし、その瞬間火力を惜しみなく使える相棒を望んでいたのだが...彼はエネルギーの生成が売りのサーヴァントである。
 
 永久機関こそが彼の力であり、唯一の強み。それを攻撃手段に優れたマスターに与えることが勝ち筋…である筈だったのに、そもそもエンジンが始動しない。
 だってわたしは、彼を起動させるような術式が組める魔術師ではない。
 回路は単純で一直線。複雑な魔術には向かず、一行で済むようなコードでないと最高出力が出ない。魔術素養からして大雑把で適当だから、緻密な歯車など回せやしないのだった。
 
 どれほど沢山の魔力を持とうと、どれほど多大な消費を行えようと、注ぎ口が正しくなくては意味がないだろう。
 単一電池が入るケースに、永久機関を乗せちゃいました。でも規格が違うので送電出来ません...みたいな。そういう話。
 
 一つ噛み合わせがズレているだけ。それでも、歯車は正しく回らないだろう。
 わたしたちは、あり得ないくらいに最悪の組み合わせであった。

 かと言って、諦めるという選択肢は特に無い。
 やれるとこまでやってみよー!とわたしは手を挙げる。サーヴァントは呆れた仕草でこちらを見ていた。

「考え直しませんか? 私、弱いですから。無意味な徒労に終わるだけなんですよ」
 
 それはそうなのだが、わたしは速攻で棄却する。普通に嫌だからである。
 すぐに断れば彼、マックスウェルの悪魔は肩を落とした。わたしはそれを見て、「ふん」と抜けた息を吐く。

「なんでしょうか。何か、おかしなことでも?」

「まあ、おかしいよね。貴方“そういうの”じゃ無いんだし」

 キャスターは「それはそれは」と如何にもな語り口で、胡散臭そうな笑顔を浮かべた。
 それすらも、わたしにとっては“おかしなこと”だ。だって彼はサーヴァントという人外である以前に、存在しない悪魔なのだから。
 
 キャスターには本来、そんな機能などは不要である。人間のようなツラをしているが、こいつは人外中の人外。神ではなく、想像上────いや、言い直そう。机上の悪魔である。
 だがしかし、現界する以上ある一定の反射機能を備えて来ているのであろう。
 
 パッと見であれば違和感などは微塵にも無いし、実際自然に会話もコミュニケーションも試みることが出来ている。大変に人間のフリが上手な人外であった。

 しかし、それこそ無意味な事ではないのか。キャスターが人間のような感情を持つ事など有り得ないし、そう扱う事に意味も無い。
 そこまで思って、わたしはすぐに思考を振り払った。
 彼が自分をどう思おうと、例え人間らしい感情が無かろうと、わたしがキャスターを軽んじるのは違う。

 誤魔化すように背中を叩こうとして、腕が擦り抜けた。驚けば、彼は困った風に笑う。

「本来であれば、肉体を伴って召喚されるんですけどね。
この年代では、そうもいかず。僅かな熱ノイズに縋って現界しているんですよ」
 
 そういう英霊だから、現在は物理干渉が不可であると。苦笑からは、そんな言葉が読み取れた。

 彼の縋る事象────それは、2010年代に行われた実験のことだろうとわたしは判断する。
 本来、無差別に動く熱ノイズから、電力を生み出すことは出来ない。電流は一定方向に動いている為、バラバラではないからだ。
 だが、その無秩序を選定し、一定の方向へ動くエネルギーだけを正しく観測し選別する“悪魔”が居るならば、電力は生まれる...という、実験。
 
 それはわかる。わかるけれど。
 わたしは眉根を寄せた。英霊の座が、キャスターを軽んじているように感じたからである。
 
「なんだよ、それ。君は此処に居るのに」
 
 そう言えば、彼はなにかを言おうとして止めた。言うだけ無駄だと思ったらしい。



 マックスウェルの悪魔は、出オチに等しいサーヴァントである。
 
 わたしは膨大なアーカイブを閉じて、自身のキャスターに向き合った。
 彼は通常攻撃では倒せない────まあ、他のサーヴァントだってそうだと言えばそうなのだが。
 
 キャスターには、一般的な英霊すべてに適用される“神秘の力でなくては傷を付けることが叶わない”という常識が通用しない。
 魔力が籠った攻撃しか通らないというのが、通常のサーヴァントである。物理攻撃は効かず、魔術や幻想を介したものしか打点として成立しない。
 
 しかしマックスウェルの悪魔は、神秘とは掛け離れたもの────科学による[[rb:証明 > ひてい]]のみが通るのである。
 まあつまり、彼の真名が分かった時点で終わりという話であった。
 
 理系に参考書で殴られただけで消滅すると当人は言っているが、それは嘘偽りなく本当のことなのだと、わたしにはなんとなく分かる。
 なんだったら、わたしのキャスターがマックスウェルの悪魔だと判明した時点で、“そんなのないやい!”と口頭で否定して、それからパンチ一発で終わりなのである。
 
 伝説や伝承の存在は信仰心によって現界するけれど、近代史の理論はそうも行かない。
 打ち立てられた説というのは、迷信などという呼称を付けられることもなく、ただ普通に“ない”の一言で終わりなのだから。
 魔術的な伝承、事象...下手をすれば、壊れた幻想の証明よりも。よっぽど困難で無理難題なのだ。

 月の聖杯戦争は彼の現界を可能にした。
 しかし現代社会に於いて、かなり弱体化というか無力化が進んでいるマックスウェルの悪魔には、更に厳しい一手が掛かっていたのだった。
 なぜなら月のデータベース...図書館で少しでも調べようものなら、彼を否定するための文章がもう大量に引っ掛かるのだから。わたしもそれを目にして、ちょっと頭痛い。

 つまり。つまりだ。
 わたしたちは、キャスターの真名が露呈しないよう、他の主従よりも更に繊細な立ち回りをしなくてはならなかった。
 
 だが。苦労の甲斐あって、楽に勝っても居た。
 キャスターは真名さえ秘匿出来るならば、攻撃を受ける事が無い。その間、時間は掛かるが、わたしが魔術による補助で一方的に相手を削り続ける事が出来る。
 つまり、基本的に負けることが無いのだ。

「案外なんとかなってるよね」

 わたしは魔術師を足蹴にする。
 サーヴァントは既に居らず、我々の搦手によって廃棄済だった。

 残った魔術師を圧縮し、令呪ごとリソースの箱に変える。簡易電池のように加工された生命は、既に使い捨てのエネルギーに過ぎない。

「そうですね。考えを、改める必要があります」

「わたしたちなら勝てるって?」

「いいえ。貴方は戦いを選んだ末に、苦しみ抜いて敗北する。...やはり辞退をすべきでは?」

 人外の癖に、随分人に甘い。

「余計なお世話だけど、気遣いはありがとう」

 そう言えば、キャスターもまた肩をすくめた。
 我々の議論は平行線で、答えの出ないものだったからだ。

 

 ▽
 最近知ったことである。
 やけに余所余所しいわたしのサーヴァント。マックスウェルの悪魔は、別にわたしを嫌っているわけではない。
 ただ、彼は否定され尽くしたからこそ、予防線を張っているのだ。これ以上、存在証明を脅かされないように。
 
 それを突き付ければ、彼は困り顔…に見えるが真偽は定かでない。
 眉を下げて、こう言う。
 
「はあ、それはまた。貴女はいつも突飛な仮定を展開しますね」
 
「トンデモ理論の体現者に言われてしまった!」
 
 文句を言えば、益々悪魔は困ったようだ。
 
「それは仕方が無くないですか?」
 
 彼は肩を落とす。とりあえず肩を落とすモーションをしておけば、生物らしいとでも思っているのだろうか。
 確率でしか物事を見ず、割合でしか判断をしない。その癖こちらの心配は何故かするものだから、わたしは彼がよく分からなくなっていた。
 
「そうやって君は。肩を落としておけば、わたしが引くと思っているのか」
 
「いえ、全く。貴方がそれだけで諦めるような人であれば、私が何度も肩を落とすことはありませんね」
 
「ああ言えばこう言う!」
 
「はい、はい、私が大人気なかったですから、どうどう…」
 
 て、てめえ…!と買い言葉にはなるものの、彼がこうして話を逸らすのは結構ある話である。
 そうしていつも適当に流そうとした。これ以上の裏切りを受けないように、これ以上の見切りをせずに済むように。
 
 その態度が気に食わないのも勿論あったが「あのね、」とわたしは言う。はっきり言っておかなければ、彼はわたしの言葉を聞かないだろうと思ったからだ。
 普段は此処で戯れを止めている。わたしは軽口を好むが、諍いは好まない。驚いたように悪魔は身構えた。
 こちらを向いて、わたしを見下ろす。
 
「可能性を諦めたらゼロだよ、マックスウェルの悪魔」

「元より、0のようなものでしょう。
今現在に於いて、それを求める必要は有りません。どう転んでも、完了出来ない事柄なのですから」

「でも、途中で投げ出すのは違うじゃん」

「投げ出すのではありません。切り捨てるんですよ」

「だからさー、そういう事じゃなくって...」

 本来、彼はこのように卑屈な事を言わないサーヴァントだとわたしは思う。
 それを言わせてしまっているのは、“わたしがマスターだから”だ。
 
 英霊は当人ではない。記録として残された人物を、事象を、物語を“おおよその形で”焼き直しているというだけ。
 だから現世に顕現する際、召喚者の精神構造に引き摺られてしまう。
 そのシステムがあるからこそ、即興で組まれた主従がある程度上手くいきやすいのだけれど────。
 
 わたしは前向きに振る舞っている筈だ。
 曇りなど見せず、一心に足を進め続けている。そうだ。彼から見ても、わたしは向こうみずの、恐れを知らない蛮勇を持つモノである筈。
 大雑把で、適当で、行き当たりばったりの単純な人間で─────剃刀の刃を渡るような、不必要なリスクを選ぶ愚か者として見えている筈なのだ。
 
 なのに。
 わたしの隠した一点を、悪魔は正しく映していた。

「...やっぱり、違うよ」
 
 彼は肩を撫で下ろしたように、見えた。彼はわたしの口から、何が出ると仮定していたのか。
「否定なんかしないっつーの」と悪態を吐く。そうしてこう続けた。

「君自身が証明を諦めてないから、今ここに居るんでしょ」
 
 サングラスの奥の瞳が、揺れた気がする。
 返答は来ない。言葉の意味を、珍しく熟考しているらしい。

「魔術師は、なぜ聖杯戦争に挑むのだと思う?」

 わたしはキャスターに問い掛ける。

「根源へと至る為、ですか?」
 
 彼は即座に返した。
 それは模範的な回答であるし、少なくとも大部分はそうだ。この月の戦争は母数が大きい。中には、よく分からない理由で参加したやつも沢山いるだろうけど。
 
 でも基本的に、魔術師が聖杯を獲るのは根源に至る為。魔術師としての願いを、夢を、存在理由を叶えたいが為だ。
 しかし正確に言えば違う。根源に至る事を願うのではない。根源に辿り着く為の、計算式を求めるのだ。魔法の為に辿り着くのではなく、魔法を得るから辿り着くのだ。
 そして魔法は有り得ざる事象。マックスウェルの悪魔と然程変わらないような、突飛な話である。

 そう言われたキャスターは「それはそれは」と気の無い返事をする。
 わたしは肩をすくめる。明らかに、こちらの意図が伝わってなかったからだ。

「わたしは、君と同じだ。ゼロに近しい事柄を、ゼロにしない為に此処にいる」

 こちらの言葉に、キャスターは思い当たる事がある、と言った動作をする。

「存在の証明、ですか」

 確信を持った言葉だった。
 わたしは頷いて、彼の回答を肯定する。
 
 この現代に於いて、魔術師は存在していて存在しないようなモノである。
 神代が終わって数千年。減少した神秘は、地上から魔法を消し去り、従来の魔術すらも無くなった。
 地上は既にマナどころか資源すらも枯れかけ、広大な砂漠に僅かな人類が生きているばかり。

 時計塔にも、聖堂教会にも、アトラス院にも所属せず。傭兵などでもない。封印指定を受ける程の技量は無く。ただ、細々と継いだ魔術を継承しただけの、何処にでも居るような魔術師。それがわたし。
 だけれど、この刻印には願いがあって。望みがあって、祈りがある。
 
 現状この地上は、ただ待っていれば滅ぶだけだろう。
 リソースは枯渇し、情報資源はじきに失われ、僅かな望みを持ったウィザードが月へ降りるに過ぎないのだから。

 わたしは静かに滅びを待つなど性に合わない。わたしが居たと、我が家名が存在したと、確かな証明をしたい。
 だから、聖杯戦争で勝つ必要があるのだ。

 それを告げられたキャスターは「それは、それは...」とお決まりの文句を吐いた。
 だけどそれは普段の、中身の伴わない相槌ではない。わたしの言葉を噛み締めて、同調するような。然しそれでいて、確かな悲観が滲む声だった。

 

 勝算の低い敵に当たった時、“負けた後をどうするか“。
 そう考えるのは魔術師のサガであろう。
 わたしは余裕がある強者のように振る舞っていたけれど────“魔術師未満の何か”にとって、そうであったかは自信がない。もしかすると、ハッタリであると最初から見透かされていたのかもしれない。

 対面したマスターは、あまり利発そうには見えなかった。
 サーヴァントだって、昔の文明の人間だろう。その奇抜なファッションは、数学どころか倫理すら修めて居なさそうである。服の後ろからお尻が見えているし、前からもお尻が見えている。
 百歩譲ってそれは最先端のオシャレと言えるが、彼女はそれを“完璧な男装”と。おおよそ正気ではない言及をしていた。
 
 女は見た目に違わず、内面も奇抜である。
 具体的にいえば、宗教を迫害して反感を買うような。相手のサーヴァントは美だと芸術だと自身を謳うが、根底の所でそういう野蛮さが伺えた。

「────その語り口、その言葉。そなたたちは学者だろう」

 静寂を打つのは、謳うように高らかな声。
 喝采を浴びるオーケストラのように、ステージの中央に立つ花形歌手のように、そのサーヴァントは胸を張って主張する。
 
「清らかであるだけでは、皇帝は務まらぬ。
 椅子の上で踏ん反り返り、あれやこれやと文句を言うばかりの頭でっかちには、分からぬ事やも知れぬがな」
 
「さあ。それは如何でしょうか。私については、当然お答え出来かねますが... マスターが学者かと問われると、それは些か疑問がありますね」

 「そうでしょう」とキャスターは感情の見えない声で言った。彼の軽口に対して、わたしは返答に困る。
 
 魔術師は誰しも、魔術という学問を学ぶ学者と言えるだろう。だがそれは根源に至る為であり、学に志しているから研鑽をしている訳ではない。
 研究を仕事としている訳ではなく、それは最早趣味というか、宿命というか、やれるかやれないかを求める人生の命題であるのだ。
 
 やはり学者として定義するには、彼が言うように些か疑念が残る次第であり、相手サーヴァントの“学者だろう”という推測は、合ってもいるが間違っているとも言えるというか。
 自分の勉学の納め方で学者を名乗るには、不足があるのではないか。

 そう思わない?と相手のマスターを見れば、非常に困った顔で視線を彷徨わせた。
 そうして隣のサーヴァントに困惑の眼差しが向いて、赤色のセイバーは少し怒ったように声を張り上げる。

「まどろっこしい!では学者で良いではないか!」

 そうやって適当に片付けるのが暴君っぽい。
 やーねー、とキャスターを見れば、キャスターは「マスター、そういう態度は... ほら、私たち穏健派ですから。なるべく控えましょうね...」と煮え切らない態度である。
 
 わたしたちは戦略的観点から喧嘩腰で挑んでいる筈なのだが、コイツはちゃんと相手を煽る気があるのだろうか?
 キャスターが煽るのは、専ら身内である筈のわたしばかりである。おかしい。

「ええい、忌々しいタキトゥスめ!
 あやつが人を暴君だなどと、暗君だなどとボロクソ言うから、後年の学者も余をあのような目で見るではないか!」

 わたしはそれを見て、小さく笑う。相手のサーヴァントの真名が絞れたからだった。
 此方は事前に、キャスターと大まかな予想を立てていた。相手のサーヴァントは、セイバーであるとか。自信家で高慢だが、頭痛持ちで繊細な所があるとか。
 それに加えて、今回のことだ。
 
 姑息でも陰湿でも、こちらは相手のミスを狙って真名を突き止めるのがわたしたちの勝ち筋である。だってキャスターは戦闘をするサーヴァントではないから。

「学者のせいにしても、ねえ。学のある者から見た貴方は、結局そうだったって話なんだから」

「余は市民からは人気だったぞ!に、ん、き、だ、っ、た、ぞ!」
 
 上手いことやって、真名を引き出して、相手に合った消耗戦を仕掛ける。それが唯一の勝ち方であったから。

 あちらは闇雲に魔力消費をする。遂にそれが枯渇して、赤いセイバーは剣を置いた。肩で息をして、我々をキッと睨み付ける。

「ぐぬぬ...奏者に無限の財があれば!このような屈辱、すぐに返すというのに!」

「永久機関でもあったら良いのにね

 キャスターは肩をすくめる。わたしの失言に、呆れた動作を重ねる為だった。


 ▽
 しかし、人は見かけによらぬもの。
 あのぼんやりとしたマスターは、わたしのキャスターの真名に辿り着いてしまった。

“────キャスターの真名は、マックスウェルの悪魔だろう”

 静かに告げられた瞬間、わたしは息を呑んだ。足が凍り付いたように止まって、身動ぎも出来ないほどに動揺する。
 だが、なんとなく。そうなるだろうとは思っていた。あの茶色の瞳を見た時から。遠坂の魔術師を倒して勝ち上がったと聞いた時から。
 キャスターの「マスターは、素直ですよね」という、緊張感の無い溜め息が、わたしを正常な思考へと引き戻した。
 
 セイバー陣営が言うには、幾つかのヒントがあったと。それこそ、神秘が効かないだとか。
 彼は人のようだが、人でも神霊でもないことだとか。
 
 そして迂闊にもわたしが発した“永久機関”というワード。自身のサーヴァントが直感的に閃いた、“学者”という偏見。序でに言えば、キャスターの語り口はいつだって、事象を証明するような切り出しだった。
 そんな少ないピースから、茶髪のマスターはわたしたちの謎を暴いてしまった。
 
 机上の空論。そんなものがサーヴァントになるなど、まず思いも付かない筈なのに。
 わたし自身でさえ、ポール・バニヤンや鶴女房、ペイルライダーなどがサーヴァントと成った事例を知らなければ、マックスウェルの悪魔を怪訝な目で見ていたに違いない。
 そう驚けば「ナーサリーライムを見た事がある」と相手のマスターは言った。
 
 驚く程の強運...いや、思考の柔軟さである。
 そして、幸運にも恵まれていたらしい。童話がサーヴァントとして召喚されるのを知っているならば、理論の中の仮定がサーヴァントとなることに行き着いても不思議はないだろう。

「だからと言って、思考実験がサーヴァントになるなんて有り得ないんじゃない?」

 悪足掻きとも言える問い掛けに、相手のマスターは微笑んだ。クラスで三番目くらいの、目立たないがよくよく見れば綺麗な顔をした魔術師。
 “あなたが証明だ”と。わたしに掌を向けて、そう宣言する。

 マックスウェルは「あらら」と困った風に笑った。彼はわたしを責める事こそ無かったが、こちらの詰みをよく分かっている。
 頑なにサーヴァントを出さず、徹底的に搦手のみで勝とうとした意味。わたしは決してキャスターに触れず、戯れは口頭だけ。例え自分の身に刃が迫ろうと、彼に自分を守らせたりはしない。
 
 だって────。
 わたしが触れれば、マックスウェルの悪魔は崩壊するから。

 そうなるとわたしはいよいよ持って手段を選べなくなる。
 キャスター、マックスウェルの悪魔がどうやったら消えるかなんて、すぐに分かることだったからだ。

 相手のサーヴァントは、恐らく暴君だろう。薔薇の皇帝。なぜ女性なのかは分からないが。
 しかしそんなことが分かったところで、キャスターに辿り着かれた以上どうしようもない。真名の開示に寄る有利不利どころでは無いのだから。

 命など使い捨てであり、乾電池ほどの価値しかない。
 真理を得られない事が決まった以上、血族への投資を考えて何かしらの有益を探す。
 
 そうして最善の道を出した際に、命を捨てる必要があればそうするのも当たり前のことであった。
 やればできるの根性論を語るには、先ず己が実行せねばなるまい。
 
「わたしは貴方を否定しない。わたしは貴方を証明する」
 
 電子の身体に腕を差し込む。霊核に触れれば、システムアラートが鳴り響いた。

「令呪を持って命ずる────」

 腕を掲げたわたしを見て、キャスターは酷く動揺した。
 友好的な関係を築いていた筈のマスターが裏切り、令呪を切った事か。それとも、今から何をする気か分かっているからか。

「第六魔法を証明しろ、マックスウェルの悪魔!」

 歯車が回って、キャスターの宝具が展開される。彼は人外らしく、言われた通りにわたしを焚べた。
 “[[rb:機械仕掛けの神 > デウス・エクス・マキナ]]”と、セイバーは言葉をこぼす。終幕に神が舞台に降りて、物語を終わらせる...だったか。終わるのは、きっと────いや、こんなことを考えてはいけない。
 
 マックスウェルの悪魔は悪魔なんぞを名乗ってはいるが、その実、誠実で、潔白で、真摯である。他の悪魔と称されるようなサーヴァント...ハイドや、メフィストフェレスなんかとは、大違い。
 彼はそもそも、人の役に立つ為に生まれてきた。人類の幸福を願って産まれてきた存在なのだ。
 
 否定されることに諦めながらも、肯定を求めている。産んだ親に託された夢を、証明することを目標としている。
 ならば、ならばだ。マスターであるわたしが信じるならば、少なくとも一人は彼の信者となれる。
 彼の第六魔法を補助する、オーダーメイドの乾電池には成れる筈なのだ。

 わたしは指を銃の形にして、ガンドを放つ。
 有りったけの魔力を────それこそ本来自分が持つ筈もない量の魔力を、回路を壊す程に開きながら放てば、赤いセイバーは剣を取り落とした。

「待て、奏者。...余は、何に攻撃を受けている?」

 相手のマスターは息を呑む。そうして指と視線が彷徨って、わたしに合う事無く下げられる。
 サーヴァントもまた、次の言葉を紡がない。彼女たちは既に、その問いに対する答えを失っていたからだ。

 無から有を作ることが、マックスウェルの悪魔だ。
 わたしというエネルギーを使用するのは、有から有を生み出す行為に過ぎず、差を作るというエネルギーの作成方法に則っているに過ぎない。それは、マックスウェルの提唱する法則ではない。
 
 ならば“わたしを焚べてから、わたしを燃料とした事実が無くなればいい”だろう。

 指先が溶けていくのを感じる。電子の海の中で、限りなく1から0へと近付いて、わたしという存在証明が揺らいでいく。
 ハーウェイの殺し屋や、カルト宗教の破戒僧。彼らはムーンセルに不正アクセスを行い、自身の強化をしていたようだが...わたしは、その方法を取る必要はない。不正データとして自身を登録し、居ないモノとして書き換えるだけでいい。
 
 ──────最初から無かった事にしてしまえば。仮想空間上の存在する全ての記録データから、わたしは消える。
 月の上の、わたしたちの記憶。それは仮想マシンの上で、あるものと定義されて構築されているに過ぎない。肉体や物体を伴ったモノではなく、0と1で作られた情報を実体があるかの様に感じ取っているだけなのだ。
 
 既に相手のマスターもサーヴァントも、わたしを識別出来てはいない。マックスウェルだけが、わたしを静かに観測していた。
 彼とわたしはパスで繋がっている。それだけが今、わたしが在るという存在証明である。
 
「マスター。貴方、知っていましたね。
 私の宝具が、魔法に通じるものであると。私の願いは、未だ証明されていない幻想であると」

「馬鹿だから、君に無茶振りをしているだけかもよ」

「...悪いひとだ。理解しているからこそ、無知であろうとしましたね」
 
 なんのことだか。
 言えば悪魔はおかしそうに笑った。そうして直ぐに表情を消して、消したくせに、酷く温度の感じる声で懇願する。
 
「やめてください。そんな不完全は、私の望むものでは無い」
 
 震える指がわたしに触れる。
 咄嗟に身を引いたが、その指先は崩れ落ちた。剃刀で切り落とされたかのように、垂直に落下する。
 キャスターを睨むが、彼はその手を向けたままだ。

「キャスター。君、そんなに感情的だった?」

 彼は言葉に詰まる。非効率な行いをしたと、自身がよく分かっているからだろう。
 彼はわたしに────否定者に触れてはいけないのに、自ら手を伸ばしたのだから。

「協力者が望んでエンジンに入るんだ。キャスターが否定する理由はない。そうでしょう」

「...貴方の祈りは、願いは...魔法の再現ではない筈です」

「そうだね。でも、必要なら妥協するよ」
 
 誰にも肯定されぬ思考というのは、信者を喪った神に似ている。定説を唱えるもの、それを信ずるもの、それを心に抱くもの。少なければ当然、力は弱い。
 
 逆に言えば、共通認識が、周知される概要が、サーヴァントの後ろ盾となる。英霊には、その土地の認知補正と言うものがあるのだ。
 この彼は、マスターと同じだけの力すら無い。わたし以下。それは他でもないわたしのせいで────元から、強い弱いの次元では無かったのだ。
 
 破綻などさせない。シラードのエンジンを成功させる。それには、永久機関に至るまでの心臓が要る。完全無欠の永久燃料。そんなもの、否定者が作れる筈が無い。
 
 だけれど、それが“在る”と信じ込ませることならばわたしにだって出来る。だってここは、月だった。
 存在出来ない現象を固めて作ったファンタズムなのだから。
 
 仮初めの心臓。虚偽の燃料。信仰するものが増えれば増えるほど、机上の空論は答えに近付く。根源に至り、無象を手にする。
 但し、悪魔は未完の理論であった。それの証明のために、半端な犠牲を必要とする、不完全の心臓であった。その足掛かりになることしか、馬鹿には出来ないのだ。
 
「マスター!」
 
 しかし、悪魔はそれを望まないらしい。
 届かない指を伸ばして、響かない声を張って、彼らしくない無駄なことをする。わたしは魔術師なのだから、我欲でしか動かないと計算出来るだろうに。

「君も分かってるだろ。わたしたちに勝算はこれしかない。
だから────」

「だから、貴方が嫌う“報われない方法を選ぶ”と?」

 それは此方のダブルスタンダードを突いて、強くわたしを咎めているような言い草だった。
 人の口癖を揚げ足取りに使ったキャスターは、わたしが開幕で語った基本理念をよく覚えていたらしい。
 
 しかしそれは、論点ずらしだった。
 あのマックスウェルの悪魔が、意図的に話を逸らし、議論を有耶無耶にしようとしている。
 わたしの想定していた“机上の空論の物質化”の行動からは、著しく逸脱した行い。
 
 残念ながら、彼の意図が全く読めない。その上で行動も阻害され、非常に頭に来ていた。
 わたしは苛立ちながら返答をする。

「聖杯持って、願えばいいじゃん。過程なんて何でもいいよ。結論を先に出して、穴空きを埋めたら良いんだから」

 わたしの恨み言に、キャスターは酷く困った顔をした。
 こちらの提唱する論理自体には穴が無い。不完全な計算式を、完全にする。今は一度欠陥から目を背けて、後でその方法を求めれば良い。算数ですら、左から順番に計算する訳じゃないだろう。
 答えに辿り着く術式を、ムーンセルに計算させればいいだけだ。

「...成程。確かに、貴方は言葉が足りない。答えを導き出すのに、想定よりも時間を要しました。
 ...適切な結論を出せず、宝具も使ってしまいましたし」

「適切だよ。わたしがそうしようって言ったんだから」

「貴方に不足しているのは、数学ではない。国語...いえ、道徳もですね...」

 キャスターは苦々しげに言う。わたしはムッとして、すぐに言い返した。

「マトモな道徳あったら魔術師なんてしてないよ」

「それは、そうかもしれませんが...」
 
 魔術師だって、大体みんなそうしてるだろう。
 わたしは以前伝えた筈だ。聖杯は根源に至ることを願うものではなく、根源に至る方法を知る為の願望器だったのだと。

「マスターは、間違ってはいない。魔術師としても、学者としても正解でしょう。道理である筈です」

 マックスウェルの悪魔は、人外らしい意見を述べた。
 導き出された答えに破綻は無い。これで目的を果たせるのだから、正しい結論なのだ。
 わたしの存在だって、聖杯に辿り着くまで保てば良い。マスターは外装と令呪さえ残っていればいいのだから。

「...しかしそれでは、貴方がゼロになる」

 ────それは、自身の心に戸惑うような。
 決断しかねているような声だった。
 
 正しい事を、正しいと言えず。現状はハッキリ不快だと明言できる。
 これが理想と理解はできるのに。そんな心境が覗くような、惑う声だった。

 わたしは“有り得ない”と内心思いつつも、”納得に足る“とも考えていた。
 元より、マックスウェルの悪魔は存在しない。それが今此処に在って、サーヴァントとしてわたしの元に居る。
 それが有り得るのだから。彼に明確な自我と心が有る事くらい、当たり前だっただろう。
 
「嫌なんだ?」

 わたしは意地悪く問い掛けた。
 キャスターは心底困った顔で、溜め息を吐く。

「...ええ、そうですね。ハッキリ申し上げますとね」

 手が崩れることも厭わず、マックスウェルの悪魔はわたしに触れた。

「嫌です。貴方の存在を否定するなんて、私はしたくない」

 このまま行けば、順当に勝てるだろう。
 起動した永久機関を止める術など、否定する言説などを、今の文明は用意出来ない。そもそも、現段階の人類史では到達出来ないから、彼は確実な存在証明に至っていないのだから。
 それは、魔術で戦うウィザードを、横からインチキの魔法で殴る様な行いだ。レギュレーション違反。勝てて当然である。

「マスターは、剃刀理論がお好きでしたね。物事はシンプルに、単純明快に。不要な要素など、入れるべきではないと。
 ...それを適用して、自身を切り捨てるなんて。私、流石に驚きましたよ」
 
 わたしは苦笑する。マックスウェルの悪魔を信じると言いながら、わたしは彼に触れられなかった。
 だって、自分のサーヴァントを知れば知るほど、“そんなのは有るはずがない”という事実に直面した。わたしは最初から答えを出している。こんなものは魔法だろう、と。

 令呪の刻まれた、否定者の手。それは、マックスウェルの悪魔を崩壊させる。
 彼の理解者足ろうと、信者足ろうとした結果。わたしは彼を否定してしまったのだった。

 だから邪魔になった。わたしの存在は、彼を壊してしまうから。
 
 前向きで向こう見ずなど、虚構も甚だしい。
 打算的で、人間の領分をよく分かっている。現実主義で嫌味っぽくて悲観的。現状を理解しない馬鹿であろうとするのは、最初から“いつか必ず負ける”と自分が一番思っていたから。
 それがわたしというウィザードで、キャスターはそれを最初からよく理解していたと思う。

「私は人類の幸福を願われて生み出されました。
 マスターが私に希望を見たならば、貴方の献身を肯定していたと思います。...ですが、それは単なる妥協でしかない」

 マックスウェルの悪魔は、欲しいものは完全なる希望だけだと言った。終わりの見える、不完全の悪夢などは許せないのだと語り出す。

「さて。ここで一つ、問い掛けましょう。
 ────妥協から生まれた魔法は、貴方の願いを叶えるものでしょうか?」
 
 言外に、彼はこちらの考えを否定した。わたしを犠牲にする事もしたくはないのだと、穏やかではない視線が雄弁に物語っている。
 随分わがままを言う。そんなに縛りを設けていたら、いつまで経っても第六魔法なんか到達できっこない。犠牲の上で、願いは叶うものだろう。

「確かに、貴方の仰る事も一理あるでしょうね。
...しかし。幸福の定義は結果だけが全てでは無い。その過程にも、確かな意義があるのですよ」

「...どんなに非効率でも、馬鹿らしくても。真面目にコツコツ、誠実にって言いたい訳?」

「ええ、その通りです」

「......それで、一人も取りこぼす事なく。全ての人が、無限の希望を手にするべきだって?」

「その認識で間違いありません」
 
 思えば、キャスターの自己主張は、これが初めてであったと気付く。
 サングラスの奥が鈍く煌めいて、机上の悪魔の本心をやっと知った。その色は、何処か残念そうに、哀しげに感じる。

「悪魔の癖に真面目すぎるでしょ...」

 呆れるわたしに、「そういう貴方は、随分と悪魔的ですけどね...」と軽口が返される。
 
「おかげで大変な齟齬がありました。...貴方は本当に、度し難い」
 
 マックスウェルの悪魔は言う。
 馬鹿にするような口振りであるが、声の端は震えている。機能として存在する彼は、人のように振る舞う人外であったが、ちゃんと此処に在るでは無いかとわたしは笑った。
 可笑しくて声をあげるわたしを、彼は非常に険しい目で見た。なに笑っているんですか...とでも言いたそうである。
 
「というか、どうしてマスターが私の証明を否定しない為に、私が貴方の存在を否定しなくてはいけないのでしょうか...?
 自分が嫌な事は人にしない...エントロピーより簡単に理解出来ることだと思いますけどね...?」

 あっ。これちょっとすごく怒っている。
 しかし、それも仕方がない事に思う。わたしはマックスウェルの地雷を踏んで、彼の思う“一番嫌な実現方法”を取ろうとした。それは怒られて当然である。
 
 第五魔法すら実現ができない“人類全ての希望”。
 彼のその願いを叶えるために、不要を切り捨てるのは仕方がないことだと私は考えた。
 だけど、第六魔法を目指す悪魔は。それは間違いであると。犠牲の上に立つ幸福などは間違いなのだと。そう心の底から言っている。

 わたしは魔力の供給を止めた。怒られたのもあるが、彼の意志を尊重する為だ。
 半端に中断されたそれは、何にもならない。

 しかしこれで良いと思った。案外人間らしい架空の悪魔。彼の気持ちを初めて知ったからである。
 まさか“道徳”だなどと用いて、こちらの非情を否定するだなんて。彼はあくまで人外であると軽視していたわたしは、謝罪すべきだろう。
 彼はそういう反射をしている現象なのではなく、確かにそこに居た。マックスウェルの悪魔は、存在したのだった。
 
 この無様な終わりは、らしくないことをした結果だと思う。精神論者の癖に結論ありきの答えを取るから、挑む前に負けている訳だ。
 結局利益を優先せず、彼の心などというゼロを優先した。元から、魔術師なんか向いてなかったのだ。
 
 わたしがそういった人格であったからこそ、思考実験の悪魔が来たのは道理だろうと思う。
 ゼロはゼロだと言いながら、1と0の間には、表せない何かが有ると信じていたから。
 度外視すべきわたしの心と、ある筈がない彼の心。わたしはそれを、”1“と処理したのだ。

「あげる。もう要らないから」

 令呪を二画切って、わたしはキャスターの手を再生させた。
 マックスウェルは恭しく傅いて、「愚かな人よ、感謝します」そう言って手を取る。
 慈しむように拾い上げた指先は、触れた先から壊れていくけれど、令呪のブーストによって再生され続けていた。

 この様子では、わたしの自壊の方が速そうである。
 令呪をすべて使ったマスターは、自動的に分解されていく。これは、ただの自害だった。
 
 悪魔の証明には観測者があってはならない。
 観測者が存在することで、その者こそが悪魔となるからだ。彼の立場を奪い取って悪魔と成らないためには、観測者は消える必要がある。
 わたしが心臓と成らずとも、彼を正しく観測した時点で消えなくてはならない。肯定するには、存在を無くさなくてはならない。

 冷たく、何も感じない手のようなもの。
 情報の集合体であり、触れることは叶わない。だけれど確かにそれに触れる。此処に在るように、触れる。
 触れられないのはわたしが消えるからだ。彼が存在しないのではなく、観測者が存在しないからだ。それを声高らかに宣言する。

 怪訝な顔の皇帝に、真っ直ぐこちらを見る茶髪のマスター。喋っていたのに突然消え始めたのだから、そうなって当然だ。
 ネロは我々を理解しないだろうが...あの人。いや、あれ。人のように見えるアレは、きっとキャスターを理解ってくれる。そこに在ってそこに無い。あれらは、おんなじようなものだからだ。

「マスター、どうなさいますか?」

 キャスターは問い掛ける。
 わたしは心からの言葉を投げ掛けた。

「勝てるかもしれないし、一回挑んでおこう」

 彼はため息を吐いたけれど、そう言うことが分かっていたように肩を落とす。
 そうして「冗談ですよね?流石に」と聞いてきたので、素直に頷く。もうわたしたちに、戦えるリソースなど全く無い。あのマスターに勝てるビジョンも見えない。
 とりあえず言ってみただけだ。
 
「忘れないでくれよ。貴方が証明した、わたしたちのこと!」

 わたしの言葉に、相手のマスターは頷いた。素直な良い人である。
 彼らはエスカレーターへと戻って、茶色の瞳だけがわたしを正しく認識した。それに小さく会釈をして、勝者の背中を見送る。

「...聞くまでもない事だと、思うかもしれませんけど。
 良かったんですか、このような結果で」

 マックスウェルは、肩を落としてわたしに尋ねる。
 良かったからこうしたに決まっているのだが、彼が求めるのはその先。どうしてこの結末を選んだか、だろう。

「いいよ。彼らが参加している時点で、多分ダメだった。
 ちゃんと立ち塞がったって事実が重要だから、勝敗や外聞はまあ...良いんじゃない?」

「...それは、何故?」

「だってあの二人、きっと聖杯獲るよ。
 そしたらさ、マックスウェルの悪魔を見た事がある...って、この先も言ってくれるに違いない」

「あれらは、私たちよりも劣っていた筈です。...もっと言えば、この聖杯戦争に於いて、誰よりも優れていないマスターだった。
 それでも貴方はそうなる筈だ、と?」

「最後まで諦め悪く立っているのは、結局ああいう人種でしょう。向こう見ずで、畏れ知らずで、ゼロじゃないなら挑むべきだと心の底から言う人だ。
 案外、あの人は最後の人類になるかもしれないよ。人間が滅んで、地上が無くなって、月面とAIだけの世界になっても」

「...」
 
 呆れているのがジェスチャーから分かる。
 そんな話、あり得ないでしょうと目が口ほどに語っているが、その一方で“ゼロでは決してない”とも思っている顔である。

「わたしたちが半端に上がるより、高くない? 勝算が」
 
 身体こそ無くなるが、相手の記憶に我々は必ず残るだろう。それは決してゼロではない。
 マックスウェルの悪魔の目的は、証明と認知。わたしの目的も、わたしという魔術師の認知だ。
 ...まあそれは残念ながら、“聖杯戦争を勝ち上がった最優の主従”としてではないのだが。
 
 あのマスターからの印象だって、どういうモノか分からない。
 勝手に口論して、勝手に自爆した、愚かな二人組として記憶されたかも。
 結局何をしたかったかも分からない、馬鹿のマスターとサーヴァントとして認識された可能性もある。

「ええ。そうでしょうね。マトモな神経をしていれば、善い認識にはならない。
 ...道を譲ったのではなく、確率の良い方に相乗りしたという事ですか...それは...随分、いえ、これ以上はやめておきましょう」

「だってキャスターが我儘言うから」

「令呪で命じれば良かったじゃないですか。口答えをするな、と」

 そんなことをするわけがないのは、キャスターが一番良く知って居るだろうに。
 わたしは「はいはい、悪口禁止。勝手にやったわたしが悪かったって」ともう無い腕を掲げた。

「貴方と言う人は...」
 
 わたしたちは、間違いなくみっともない。確率でモノを見て、良い方に相乗りをして、ハナから机の上で戦っていた。
 シンプルな方が良いと切り捨てた“マックスウェルの感情”という仮定は、仮定でなく事実であったのに。
 その時点で、あのマスターには負けていたのだ。
 だけど確かに、わたしたちは存在していたと言えるだろう。
 
 わたしも、マックスウェルの悪魔も! この月で、確実に! 存在していたのだ!
 
 必然の帰結に笑えば、悪魔は溜息を吐いた。
 その眼差しには呆れが混ざっていたけれど、ひどくやさしいように見える。わたしはそれに、確かな親愛を感じていた。

「...貴方が、考え無しであれば」

 マックスウェルは言葉をこぼした。

「何も考えていなければ、適当に進んで、適当に負けて、順当に消えていたのでしょう」

 本当に“やれるところまでで良い”などと思っていたならば、ここまで緻密に戦略を練ることはなかった。

「貴方が、無鉄砲であれば。今の戦いも正攻法で挑んで、想定通りと敗退していたのかもしれません」

 取れる策を吟味して、一番確率の高い戦法を選び、姑息な真似を行う事もなく。
 馬鹿正直に挑んで、正面から負けていたはずだ。

「無念?」

「当たり前ですよ。無念極まりない。
 人類が在る限り、私に願いを掛ける限り...この私は、何度でも現れますけど...マスターとはこれっきりなんですから」

 青い光がサーヴァントを照らす。
 最初は一面のブルースクリーンだったけれど、今や空が近い。わたしたちは勝ち上がって、ムーンセルへと近付いていたからだ。
 この手に届きそうだった天上を見て、わたしはふと思う。

 ああ。そうだ。最後に、言う事があるんだった。
 わたしは、確かに自分が負けると思っていたし、自分の全てに妥協はしていたけれど────。

「────私さ。君に希望を見たから、ここまで行けると思ったんだよね」

 マックスウェルの悪魔は勢い余って、サングラスをずらす程に淵を触った。
 
 心底驚いた様子でわたしを見て、「...それは、それは」と今までで一番感慨深そうに呟く。
 きっと彼は、この現実主義で非常に悲観的なマスターが、マックスウェルの悪魔に絶望したからこんな手段を取ったと勘違いをしていたのだ。
 
 実際は逆。わたしはずっと、彼にだけは希望を見ていた。
 有り得ない魔法も、人類全ての希望なんて突拍子もない願いも。永久機関を求める道中にある、原動力という幸福も。
 彼が実現する日が来るのならば、第六魔法と共に生まれると考えて─────それはきっと全てを救う、最後の魔法の筈だ。そして、本当にあったら良いな、と。
 彼が有れば良いのにと願ったのは、間違いなく本心。純然たる祈りだった。

「ありがとう、マックスウェルの悪魔。私は心の底から、貴方の証明を願っている」

 キャスターは変わらず呆れた風だったが、消え行く顔には脱力したような笑みがあった。
 困ったように眉を下げて、やっぱり「度し難い」なんて最終的な結論を述べた。そうしていつものように片手を背中に当てて、手のひらを向ける。
 
 消え行く青は電子の海に溶けていく。
 既に無い手首の先が煌めきながら、演算装置の中へと還って行く。

「...全く。貴方が本当に馬鹿であれば、こうはならなかったのに」
 
 わたしは笑った。
 だって────それは。最高の、褒め言葉だったから。