施政者の資質は人格に寄らない
「悪いんだけど、マスターを回収してくれたまえ。どうやら、座標の紐付けが切れてしまったようなんだ」
寝ていたところを叩き起こされ、ダヴィンチに言われた言葉はそれ。
魔力リソースを求めて日課のレイシフトを行った藤丸立香は、機材のエラーで座標が特定できなくなった────要するに、行方不明なので帰還が出来ない状態なのだと言う。
わたしは「おお、それってやばいっすね」と回っていない頭で答えて、カルデアで働く人間たちを思い出す。
マスターとして勧誘はされていないものの、それなりに魔術師がいるだろう。別にわたしじゃなくてもいいじゃん。
戦闘に長けた家系のヤツこそ居ないものの、人探しなんかはもっと適性のある人間が居るはずである。記録に長けた魔術持ちなんかは、現地捜査に向いているだろうし。
「いやー、言い分は分かるとも。
でもね、現地でマスターと一緒にレイシフトしてたのが誰だったか...キミなら分かるハズだろ」
わたしは首を捻る。そういえば、いつもわたしは早起きだ。六時きっかりに起きる。
それが今は七時くらい。特に遅くもないが、早起きとは言い難い時刻である。
なぜ普段は早起きなのか?どうして今日は遅いのか?
それは、頭のイカれたサーヴァントが朝から「ブッ殺そうぜ!」と誘って来るからである。
デイリーブッ殺しのため、或いは気持ちよく目覚める為、わたしは六時に起きて、お汁粉を一服。そして六時半に人をなます切りにする日々を送っていた。
物騒なラジオ体操みたいなもんである。それが今朝は無いから、今日は八時まで寝ちゃおうと。
しかし本日は何故無いかと言えば。それは、長可くんが本来の役目を従事するため、藤丸さんとレイシフトをする日程だったからで、まあ、そういうことだった。
わたしがレイシフトすると、訳の分からない座標にブッ飛ばされて大変コストが嵩むからマスター候補生としてはナシ...ということになっていたのだが、エラー時に同伴していたサーヴァントが寄りにもよって長可くんと来た。
別に長可くんが超危険サーヴァントだとか、そんな誹りを言うつもりはない。
危険さで言えば、茶々や源頼光とかの方が余程やばい。狂ってないとまともで居られない人達は本当にやばい。
彼女達に比べると、危険思想と言われる筆頭のジル・ド・レェなどの方が恐ろしくない。
彼はフレンドリーで、「刈った首を並べる...おぉ、これがかの黄金!クゥウウウル↑ジパングの芸術ですか!」などと、わたしの戦果に雑談を振ってくることが多々あった。ふつうに気の良い人である。
脱線した。
...戦闘中の長可くんが些かクレイジーであるというのは、まあ事実である。身内贔屓があったとて、庇い立て出来る獰猛さではない。
「わかったよ。ちょっと待ってね、着替えるから」
ダヴィンチは可愛らしく、そして美しい完璧な微笑みを浮かべた。おお、これがかの有名な。
「そう言うと思って、用意をして来たのさ」
わたしに伸びる無数のマジックハンド。一つは歯ブラシを。一つはタオルを。一つは魔術礼装を。
どうやら、全自動で身支度を終了させられるらしい。
▽
藤丸さんたちが当初辿り着いた座標にわたしは降り立った。
だだっ広い野原の先に、村がある。村からは火の手が上がり、怒声も聞こえて来た。
急いで焼ける集落へと移動すれば、見るからに限界そうな霊機の長可くんが大立ち回りをしている。駆け寄って手を振れば、狂気の瞳が少し正気の色を写す。
近くには藤丸さんも倒れており、どうやら不測の事態で魔力切れらしい。
「ヒャハハハハ!殿様が危ねえっつうのに、サーヴァントも連れてねえヤツが単騎駆けかよ!ウケんな!」
血塗れの長可くんは、藤丸さんを担いで火の手の回る地下道に捩じ込む。
謀殺しようなどという謀りでなく、わたしの魔術をアテにしての判断であり、それは正しいと言えた。
「マジでウケんな。采配間違えてんじゃねぇよ。戻ったら殺すか?」
「待て待て。采配は正しいよ。わたし、武闘派だし」
指先で炎を固定し、空気の道を生み出す。本来であれば、火事の際に川へ逃げるのは良くない。蒸し焼きにされるからだ。しかし、わたしの魔術は物体の挙動を狂わすことができる。火災は良い隠れ蓑となるだろう。
わたしと長可くんは走ってそこを降りて、横穴に藤丸を寝かせた。少し頬を叩けば、薄く目を開く。
「カルデアからの応援...?」
わたしは藤丸の頬に手を添えた。そして唇を薄く開いて、顔を近付けて────。
「待って待って!なにするの!?」
なにって。わたしは長可くんを見る。長可くんは出来た家臣だったので、背中を向けて一切此方を見ていなかった。
しかし雰囲気で察したらしい。彼は口を開いて、殿様へ返答を述べた。
「殿様とオレはパス繋がってっけどよ。そっちは繋がってねえからな」
「じゃ、そういうことで」
今度こそ服をひん剥こうとしたわたしを、藤丸さんは手で制した。
「いや、いや。一旦落ち着こう。もっと他に方法が」
「あるかもだけど、急いでる」
いつ現地人は襲って来るかも分からない。長可くんは魔力不足で今にも座に帰りそうだし、わたしはカルデアにコンタクトを取れない。
魔術特性である固着が、わたしの座標を勝手に出現場所で固定してしまうからだ。
“遅くなってからでは遅い”。
生前から即決即断で窮地を超えて来た長可くんも同意見で、わたしの“藤丸との交合によるパスの変則接続”という判断を合理的と見たようだった。
一回一回長可くんに魔力を与えるより、わたしが藤丸に魔力を流した方が早い。一度しっかり霊脈を繋いでしまえば、スムーズに無駄なく魔力も流せるようになるという利点もある。
なんだったら────非常に宜しくない思想であり、魔術師として論外なのは理解しているが────。
森長可のマスターである藤丸立香にならば。彼を大切に使っていただろう魔術師にならば。
わたしは、全ての魔術刻印を移植して良いとすら思っていた。
しかしそうすると、藤丸立香を婿養子として迎えねば筋が通らなくなる────のだが。その状況になった時、異論を唱えるのは当の森長可であろう。
長可くんは戦国脳のクセして、当人の倫理観自体は真っ当だ。武士や魔術師の家に、一般人である藤丸さんを入れる事に反対するのは見えていた。
なんでそういうとこだけマトモかなー!
「早く脱いで」
だからこう。
わたしは己の上衣に手を掛けて、長可くんに投げた。後ろで静かに受け取られ、畳まれるような音がする。畳むな。
藤丸さんは困った顔でわたしを見た。...そんな目で見られても、不可抗力なのだから仕方が無い。ダヴィンチだって、こうするためにわたしを送ったのだろうし。
内心で謝罪しながら、今度こそ顎をあげて口付けをしようとする。
しかし震える唇に触れることはなく、わたしの頭はがっしりと指で掴まれた。
「やっぱ気ィ変わったわ」
わたしは長可くんを呆れた顔で見る。その気紛れは、非常にだるい。冷静で合理的が常であるのが彼の優秀さだが、時折こうして人間らしい正しさを見せる。
なぜ止めたのか、わたしには理解っていた。
「長可くんは、乗り気じゃなくてもやる人だって思ってたけど」
嫌味な言い方だ。その悪意を彼は分かってるだろうに、予想に反してキレなかった。応対は非常に穏やかで、その瞳は静かなものである。
わたしの方が余程、頭に血が昇っている。
「殿様乗り気じゃねえからよ。そんなら、止めねえのは違うっつうわけよ。まっ、我儘聞くのも家臣の務めだよなァ」
鬼武蔵がそう言うのであれば、まあ仕方ない。
森長可の第一は殿様であり、今行うべき行動は状況の打開と帰還。その為に魔力が必要な訳で、彼は手段がもう二つあることに目敏く気付いている。
わたしはナイフを取り出した。刃渡は十センチほど。それを手のひらで回して、思い切り二の腕に突き刺す。
長可くんはそうなるのを読んでいたらしい。素直に腕を取って、流れる血を啜る。
「血ィ浴びんのは悪かねェけど、こうして吸うのは蚊みてえでクソだせえな!」
黙って吸ってろ!
それに驚いたのは藤丸さんの方で、藤丸さんは絶句してわたしを見た。
言おうとせんことはわかる。血じゃなくて、それこそそっちでキスなりなんなりすればいいのではと言いたいのだろう。
それに藤丸さんは、なんか知らないがわたしと長可くんがデキていると思っている。
元々、藤丸立香は“それしかないならそう出来る”人だ。
混沌で狂...どれかと言えば自認は悪である長可くんや、秩序を守った上で悪人のわたしとは違い、中立の善なる人なのである。
だけど勘違いをしていたから、わたしとの交合を躊躇った。仲良いだけで、全くそんなことないのだが。
「それはちょっと、ほら。恥ずかしいじゃん。わたしたち、毎日顔合わせるし。あと単純に、唾液は効率が悪い。時間掛かるんだよ、前後不覚になる割に。
感染症とか怖いし、汚いし、藤丸さんに血は飲ませられないけど、長可くんなら別に良いからね」
藤丸さんは「森君ならいいんだ...」という顔をした。生で蛇を食うようなヤツなんだから、血液くらいなんの問題も無いだろう。
長可くんはわたしの腕からナイフを引き抜いて、「借りが出来ちまった」と朗らかに笑った。
ピューピューと血の吹き出す傷口を指で押さえて、すぐに表面を固着する。内出血跡こそ酷く残ろうが、後遺症の心配などは無い。
わたしは何度も、これを使って生き延びて来たのだから。
「んじゃまあ...魔力も戻ったし、とっとと此処抜けようぜ!」
森長可は我らが人類代表、藤丸立香を横抱きにした。丁寧かつ、丁重な持ち方である。
次いで片膝を突いて、「ん」とわたしに目配せする。藤丸さんもわたしも、長可くんの意図を測り損ねていた。
「肩に気合いで乗れ」
はえ

いや、現実逃避している場合ではない。気合いで乗れと言ってるのだから、気合いで乗る以外の選択肢など許されない。
軽く息を吐いて、クールに構える。冷静に、冴えた頭で尋ねた。
「槍は?」
「よろしく頼むわ!」
わたしは肩に乗る。そして人間無骨で重心バランスを取るために、藤丸の頭側に傾けて持つ。
当然、長可くんに捕まる腕などない。わたしは完全に体幹の力だけで肩車を成立させた。
太めの自覚がある腿で挟もうと、首は一ミリもブレはしない。筋力、体幹、体格、顔面、メカクレ、全てが揃った最高のサーヴァントである。
バーソロミューも「君たちは実に良い!左のメカクレ...右のメカクレ...二人揃えば非常にバランスの良いメカクレだ!」とよく分からない賞賛をくれている。
長可くんは地下道からスッ飛んで飛び出して、その巨体を軍隊の前に晒す。
構え、撃てと号令が掛かり、弾の雨が降る。わたしは炎の軌道を変えて、銃弾を焼き溶かした。自分が乗っている限り、長可くんの脳天を撃たせることなど有り得ない。
初歩中の初歩のような魔術だが、銃如きで止まった人類にとっては魔法に等しい。なんせ、炎が鉄を食い尽くすのだから。
詠唱の合間、わたしの頭の位置に銃弾がカッ飛んでくる。
背中を後ろに倒して反り返れば、「ヒャハハハハ!大道芸かよ!普通にキメエな!」と長可くんはバカ笑いをした。
腹筋の力で上体を起こして、人間無骨に付着した血液を固めて撃ち出す。
「ライダーだったらなあ」
「違いねェ!」
百段があれば、こんな無茶苦茶な撤退をせずに済んだし、プリクラにも百段で来たって書けたのに。
▽
「浅井は兎も角、女に現抜かして政を疎かにするような野郎に親父が討たれたのは、やっぱ納得行かねえしよ。...あー...思い出したら頭来んなァ...」
話がブッ飛んで恐縮だが、特にブッ飛んではいない。
カルデアに無事戻ってきた藤丸さんと長可くんとわたしは、バイタルチェックを受けていた。
藤丸さんが終わったら次はこちらの番。わたしは当人だから、長可くんは暇だからのそれぞれの理由で廊下で駄弁っていたのである。
そんであんまりにも暇だから、「おっしゃ!なんか喋ってっか!」とのことで、わたしは生前の話をせがんだ。
長可くんはニッコリ笑って「いいぜ!まっ、オレ27で死んでっからよ!いい加減、話の種も尽きそうだけどな!」とギリギリすぎる発言をかまして喋り出したのである。
「まー、親父は立派だわな。大殿守って死んでっからよ。けどよ、朝倉...朝倉はなァ...もうちょいマシな相手に獲られてえとこだったな。
これが浅井なら、オレも仕方ねえなって思うんだけどよ!ウヒャハハハハ!」
めちゃくちゃ朝倉のアンチで草。
朝倉義景というのは、森長可の父である可成を討った、浅井朝倉連合軍の朝倉の方の総大将である。
滅んだ原因は武田を蔑ろにしただとか、それを招いた優柔不断さだとか、日和って討って出なかっただとか色々言われているが、側室である小少将に政治介入させてしまったのが一因であるとも囁かれている。
実際のところどうかは知らんしどうでもいいが、なんか長可くんの口振りだと、失態オールスターロイヤルストレートフラッシュな感じもするが。
そうして廊下でしゃがんで駄弁って時間を潰していると、遠くから信長さまが歩いてくる。こちらに気付いた第六天魔王は、呆れた顔を隠さずに言った。
「なんじゃ、おぬしら。しゃがんでガン付けおって、町のヤンキーか!」
言い得て妙であった。確かに、バスター刺繍のスカジャンを着た長可くんと、いつまでも学生気分で若い格好をしているわたしはそう見えることだろう。
以前、藤丸さんが「森君、ご褒美欲しいらしいけど」と仰るので、では過去の約束をばとミスクレーンに頼んでスカジャンを編んで貰ったのである。
さすれば、わたしも併せてサブカルファッションをするのが道理と言えよう。
余談であるが、最初はアーツが良いかな?と思っていた。長可くんはこんなのだが、インテリなので地味にアーツが2枚だからである。
バスター3枚ではない辺りが、森長可というサーヴァントの“なんだおまえ感”を醸し出しているとわたしは思っていた。
「ウヒャハハハハ!立ちっぱだと首が疲れんだろ!タッパ差デケェからな!」
「あっ、そういうことだったの?」
「意図が伝わっておらんではないか...」
わたしはてっきり、座りたいけどベンチないから屈んでいるのかと思っていた。
信長さまを見やれば、ゴホン!と咳をする。たまたま此処を通ったのでなく、何かの用事があって来ていたらしい。
「マスターが貴様を呼んでおったぞ。次はおぬしの順番じゃなんじゃと言うとったが」
どうやら藤丸さんのチェックは終わったらしい。わたしは信長さまに礼を言って、立ち上がる。
しかし、藤丸さんは信長さまをパシったのか。わたしであれば、例えこのサーヴァントと主従であってもそんな命令は出来ないだろう。
藤丸さんは豪胆だなと感心していれば、信長さまは「あー、なんか勘違いしとらん?」と頬を掻いた。
「お願いと言われては、断る理由もあるまいよ。ほらわし、身内に激甘じゃしね!」
お願い。お願いであるか。それは確かに、信長さまが好きそうな言葉だ。
長可くんも同じように思ったらしく、「ほーん」と感嘆符をこぼす。
「藤丸さんは変わってるよね。信長さまへお願いが出来る立場なのに、享楽主義の魔術使いにも優しいし」
長可くんは「あめーよな!」と歯を剥き出して笑ったが、スンと真顔に戻って言った。
「つーかよ。アンタだってオレに命令しなかったじゃねえか。それも変わってるって言うんじゃねえの」
話がブッ飛んで戻って来て、わたしに言及が来る。
それは地上での話だろう。話だろうが...率直な感想を言おう。
おまえ命令したらキレるやんけ。
わたしはそう率直に思ったが、閉口した。余計な火種を生むのは本意でない。
「いや勝蔵。おぬし命令しても聞かんし逆ギレするじゃろ」
信長さまァ!
「なんじゃ。おぬしだってそう思うておろう。
もー、わかりやすいんじゃから!そういうトコがプリチーなんだけどネ!」
信長さまはわたしの頭を掴んで、わしわしと撫で回した。長可くんにやるような、犬猫の可愛がりである。
「そんじゃ、わし伝えたからのう。早うその腕、診てもらうんじゃぞ」
信長さまはそう言って、姿を消した。腕を怪我したことは言っていないのだが、流石と言うべきだろうか。
彼女は破天荒な人間に見えて、案外細やかな気遣いが出来る人である。そういうところが織田サークルを狂わせたのだろうが。
そのままバイタルチェックに向かえば、長可くんも何処かへ歩いて行くのが見える。
わたしに気を遣って駄弁っていただけで、本当は何か用事があったのかもしれない。
▽
「オレは主君想いだろ。なあマスター!」
森君は開口一番そう言った。
彼と向き合ったマスター...藤丸立香は、その言葉に半笑いで返す。主君想いは事実だが、その行動原理はこちらの望む解釈とは限らないからだ。
並びの良い犬歯をギラつかせ、朗らかだが有無を言わさぬ目で藤丸立香を見上げる。森君は立香を椅子に座らせ、自分はその場に膝を付いたからだった。
そうして指を折って、主君想いたる理由をカウントしていく。
「殿様の意に沿わねえなら一考するだろ。其れに、一騎になろうが最期まで戦い抜くぜ。加えて、オレの目の届く範囲で殿様ぜってー討ち取らせねえ。目の前で死なれちゃ、末代までの恥だしな!」
森君は、どさくさに紛れて乱取りしていたらしい素材の各種を綺麗に並べて、戦果がこちらに分かりやすいよう提示した。
「あとは────他の家臣団が賛成しようが強行しようが、オレが殿様の為になんねーなって思ったら、とりあえず反対してやるしよ」
藤丸には、彼が何を言いたいのかなんとなく分かっている。
首実験...ならぬ心臓実験の係は先輩だったらしく、“わたしが並べました”と心臓に生産者シールが貼られていた。
最近流行りの、スマホで印刷する感熱ポータブルラベルで製造されたものである。
「そんでよ。まあ、率直に言うわ」
渦巻く瞳が藤丸を見た。
嗤っているが、笑っていない。
「褒美をくれよ、マスター」
今回のレイシフトで、森君は褒美を要求して来た。
それは妥当な要望だろう。アッサリ終わる筈の役目で、退去しかける程の長期戦になったのだ。立香だって、その働きには報いるべきだと考えている。
問題なのは、森長可というサーヴァントが望むものである。それがなんなのか、藤丸立香には想像が付かなかった。
何が欲しいかと聞けば「あ?あー、ちげえんだわ」と森君は笑う。
「オレは別に要らねえよ。武働き自体が報酬みてえなモンだし、マスターは十分森家に金子割いてんだろ」
指を開いて、もう一度カウントしていく。
自分のことと、蘭丸のこと。それらを纏めて森家の事だと言い切った上で、こう続けた。
「褒美をやって欲しいのは、“センパイ”にだ。今回はそれなりに出さなきゃ、文句が出んぜ。
別にやらねーならやらねーでいいけどよ、んな些細な事で謀反とかされてもブッ殺さなきゃなんねぇからな。予め重用してやんのは大事な事だぜ、殿様!」
褒美。褒美と言われても、藤丸立香から彼女に渡せるものなど、殆ど何もない。
彼女はカルデアからの給金を断っている。前払いで貰っているし、所長が知り合いだからと。
それに元々、欲しいものは勝手に手に入れて帰ってくるタイプだ。だから今更、何を渡せばいいと言うのか。
検討する、と悩んで返せば「おう。頼んだぜ」と森君は笑った。
その上で、森君は何が欲しいかを尋ねる。
一瞬面食らったようだが、「あァ────くれるっつうなら...そうだなァ」と、即決即断が常の彼にしては少し悩む。
そして個装のお菓子を一つ貰うような気軽さで、森長可は言った。
「あー。そんじゃ、アイツを此処に置いてくれるよう、口利きしてやってくれ」
彼女は元々傭兵で、魔術師同士の抗争で金を得ていたと聞く。嫌々でなく、淡々と。世界中を回れるから天職だと、彼女は言っていた。
その彼女に、根を張る為の安寧の地をくれと森君は言っている。
「そんでもって、オレは退居させずに下げ渡してくれや。不要になった時で良いからよ」
酷い矛盾で、破綻した意見である。
彼女をカルデアに置き、自分を彼女に下げ渡せと言う。
森君が言うならそれで良いが、あっちはどうなのだろう。彼女が良いと言うならば良いと思うと伝えれば、「相変わらずあめーな!」とケタケタ笑った。
「んじゃ、そうしてくれるよう願い出て来るぜ。あんがとな、殿様!」
藤丸立香の思った通り、彼女の自由意志では無い。これは森君の独断で、彼の思う“良い選択”である。
「殿様は平民に戻るべきだけどよ、アイツはそういうのじゃねえらしいんだわ!
...オレに言われんのもあれだが、変わってんよなあ」
彼はそうしみじみ言う。
そして酷く冷静に聞こえる声で、呟いた。
「わざわざ、戦に行きてえなんてよ」
▽
それが、先刻の話。
センパイは多分、森長可のことが恋愛対象として好きなんだろうなと、藤丸立香は長らく思っていた。
だが実際はそうでなく、その心にあるのは一種の連帯感である。
当人は言外しないし自覚も無さそうであるが、彼女は森長可────もっと言えば、織田信長や織田信勝。謎の蘭丸X。それに茶々。
織田家臣と言うには、しっくり来ないカテゴライズだ。正しく評するならば、“特定の血筋に連なる面々を連帯責任の生じるグループとして見ている”気がするのだ。
しかしその割には、別に仕えているという風ではない。彼女は、よく分からない行動原理で存在していた。
「時代を遡ると、紀伊守を拝命してた家系らしくて。それのせいか、信長さまのカリスマに凄く弱いんだよね」
とのこと。
森君についても同様で、
「十数年前の盟友だからね。思い入れもあるし、贔屓しちゃうっていうか。
あー、ドクターっぽく言うと、推し活動に熱が入る...ってやつ?」
らしい。
彼女は時計塔でも開位以上の階位(立香自身は魔術師でないため、よく分かっていないのだが)を有している。
ロードエルメロイ────諸葛孔明が言うには「特筆するような魔術は持たない。しかし、基礎だけで並の魔術師を上回れるのだから、決して侮れる相手ではない」らしい。
得意ジャンルは無いが、苦手ジャンルも無く、どれも一定水準以上に出来る。そういう人材なのだと。
しかし、何某かの光るものは在るらしく「生まれる時代が違えなら、名前残ってたろうなあ」と、火縄を構えた生臭坊主は言っていた。
「────ところでさ。長可くんが何歳で死んだか、知ってる?」
唐突な話題に、藤丸立香は首を捻った。
「享年二十七────ああ、文字通り27年生きたって訳じゃないよ。旧暦じゃそうだけど、今の暦じゃ満26年と一ヶ月。
昔は生誕日で一歳、最初に迎えた旧正月で二歳... そっから、毎年元旦に一歳ずつ加齢して行くのが数え年っていうやつで、だから長可くんは享年二十七なんだよね... って、まあ知ってるか」
欲しい物を尋ねられた彼女は、そんな話を長々とした。
冗長な語り口は、少しだけ織田信勝に似ている。
あー、と彼女は少し思案する素振りを見せた。
しかしその目は全く迷っていない。立香の手前、悩んだ素振りをしたということが見て取れる。
「聖杯をひとつ戴きたく」
それは意外な懇願だった。
彼女は“楽しく生きること”を目標として掲げており、魔術師としての本懐などは二の次なのかと、勝手に立香は思っていたのだ。
このカルデアに居るのは、個人の研究である魔法を優先させずに人理全ての利を取ったような変わり者や、他者の魔術に傾倒した結果居る様な異端ばかりであるが、その中でも彼女は特段変わっている。
そもそも徹底的な個人主義で、自身の利益を真っ先に考えるのが魔術師であるのに、彼女は給金を受け取ってはいない。
「違うよ。根源に至る気は無い。わたしは魔術師として通ってるけど、もはやただの魔術使いなんだろうね」
“だって根源に近付いたら死んじゃうから”
言い放った理由は、確かに魔術師の意見ではない。藤丸立香が出会ってきた魔術師たちは、本懐を果たすために命なんかは幾らでも捨てるような者たちだった。
「たのしい人生を送らないといけないから。これは手段で、目的ではない」
変わり者の彼女は、聖杯を手段だと言う。奇しくもそれは、魔術師たちと同じ意見であった。
だけど、その願いは残念ながら受理出来ない。聖杯は、魔術師に渡すべきではない。例えそれがカルデアの功労者であろうとも、人理修復に多大な貢献をしようとも、彼女には────藤丸立香にも、持ち帰らせて良いものではない。
例えうどんが入っていた聖杯でも、手土産とする事は出来ないのだった。
それを伝えれば、彼女は「そうだよね」とすぐに納得したようだ。
元より、厚かましいとは思っていたらしい。
「でもさ、言うだけ言えて良かったよ。無駄だと切るよりは、ラーメンに卵と、ウインナーと、チーズと、ラー油と、納豆と、バターと...あるだけ全部乗せたいんだけどって最初にお願いしてみた方が、人生良いことあるからね」
最近食堂のメニューに全部乗せがあるのはそういう理由だったのか...と全然関係無いことを思った。
「藤丸さんも、気が変わったらいつでも聖杯を下げ渡してくれて良いから」
なるほど。魔術師としての彼女は、スタンダードに強かで打算的らしい。
しかし、“たのしい人生を送らないといけないから”と言ったか。義務感だけで発せられた言葉には、当人の願いが入っていない。
────彼女は、それに気が付いているのだろうか?
▽
「そんで、代わりにこれを頼んだっつうの?」
わたしは目の前の自動販売機を見上げた。それより背の高い長可くんのことも見上げた。
白いボディの側面には、赤字で数字が書いてある。それは今回、わたしがカルデアにボーナスとして願った一品だった。
中身だけあっても味気ないとお願いして、わざわざ機体から取り寄せてもらった拘りの物である。コインを入れてボタンを押すと、何処からか補充されたアイスが出て来る。
「ほーん。ただ食うだけじゃなくて、やることやった後に食うって手間を挟むわけな」
さすが、長可くんは理解が早い。
これは言うなれば侘び寂び。自動販売アイスの王道。例えば習い事。例えば部活。例えば飲み会。そういう疲れるイベント毎の終わりに、“今日も頑張りました”で食べるからこそ最高においしいものなのだ。
以前、敵陣営を壊滅させた後に食べた時も、それはそれはおいしかった。やることやって食うから、外で食うアイスはうまいのである。
「はい、長可くん。これ、おいしいやつ。今日も頑張りました賞」
「おー?有難く頂戴しとくわ!」
「次何食べるか、今から考えておいてね。毎回食べることを目標にするから、何度も食べることになる」
「あ?...あー、アンタそういうとこ、ちょっとズレてんよな!まっ、良いけどよ!」
わたしは長可くんに一番においしいやつ──── ミルクアイスにチョコスプレーが入ってるやつを手渡し、自分は二番目においしいやつ...クリームソーダを食べる。
森長可は、どうやらこのアイスの記憶は持ち帰れなかったらしい。ならば、もう一度食べさせるまでであった。
「ウヒャハハハハ!結構うめえな、これ!」
「こっちも一口あげるよ。沢山買うのも悪くないけど、特別なご褒美ってのは一個だけ選ぶから尚味わい深いんだよね」
「わかってんじゃねーか!褒美っつうのは、そういうモンだからよ!」
長可くんは大きな口でアイスを半壊させる。わたしは無言で、もう一本購入した。