魚目燕石前日記録
「あのね。あなた、正式な職員じゃないの」
病室。
呼吸音だけが聞こえる、白い部屋。
わたしはそこに寝かされていて、固定された腕には点滴が繋がれている。
オルガマリーは縫合された足に触れて、それからアタッシュケースに手を触れた。
中身は彼女に頼まれた物品で、この怪我は道中に負ったものだった。
足は呪術に蝕まれている。数日もすれば治るだろうが、一般人であれば切断していたような傷。
わたしはオルガマリーを狙った暗殺に巻き込まれ────それを庇い、カルデアに滞在していた。
「雇われなんだから...っていうか。わたしがそこまでやるなと言ってるんだから、死ぬまでやらなくていいのよ」
わたしは首を傾げる。
雇用主を死ぬ気で庇うのは、当たり前のことではないか。わたしは楽しく生きるため、死ぬ予定は無い。死ぬ気は無いが、業務活動は本気で挑むべきだろう。
「そんな訳ないじゃない!?
...それは、業務外に決まってる。というか、時代に合わない価値観です。即刻、考え直しなさい。今の年号、分かる?」
「平成...」
「そう、そうよ。あなたの国では、平成と言うのでしょう。中世ではないのよ、わかる?」
魔術師の癖に、オルガマリーは不思議な事を言う。まるで、わたしが死ぬのを恐れているような発言だ。
納得しないわたしに、オルガマリーは苛立ったらしい。語気を強めて、こう畳み掛ける。
「迷惑だって言っているの。勝手に庇われて、勝手に死なれたら。あなたが死んだら、誰に報酬を支払えば?」
確かに、それはそうかもしれない。しかし、それは言葉通りの意味でも無いような。
死なれて迷惑という事柄。わたしは、それを知っているような。だけれど何処で感じたか、正しく思い出せない。
わたしは疑念に思いつつも、一度謎を置く。そしてデジタルカレンダーを見遣った。
────よかった。思ったより、日数は経過していない。回復を待って下山しても、今後のスケジュールは狂わないだろう。
そう胸を下ろして居れば、オルガマリーは少しだけ視線を背けて、指で髪を遊ばせながら、こう言った。
「わたしの...アニムスフィアの技術があれば、下山くらい簡単に出来るけど」
「いいよ。スノーボードで下山してみたいから」
「馬鹿じゃないの?」
「オルガマリー。スノーボードは、雪山で流行りのスポーツなんだって。多分、楽しいんだと思う」
「あなた、それ本当に面白いと思ってる?」
楽しいと定義は出来るが、それが実感を伴うかと言えば、怪しいところ。
長年わたしは娯楽を嗜み、気付いた事がある。
一人遊びは、楽しさの基準がよく分からない。寿司はおいしい。ゲームはたのしい。しかし他の娯楽は、何処が楽しいのか、よくわからない時があった。
競技の中に点数があればたのしさは理解る。点数は、百に近ければ近いほど“たのしい”筈だ。
やはり同行者や解説者、価値観を共有する人物が必要なのかも?と、わたしはオルガマリーに伝える。
「...まあ、カルデアスの異常を修正したら。...少しくらい、付き合ってあげても良いわ。いい?本当に、少しだけ」
オルガマリーはそう言っているが、彼女は多忙である。
これからカルデアの所長として、稀代の天才マリスビリーが書いた道筋を、彼女が辿っていかなくてはならない。
マリスビリーは人智を超えた天才だ。根源にも近かっただろう。
対してオルガマリーは、優秀だが経験が浅い。維持の時点でキャパオーバーであるのに加えて、スポンサーからの反感もある。それを宥めたら、次はシバの調整。
わたしなどという、魔術師崩れなどの余生に付き合う時間なんて、彼女には全く無いはずだ。
それを聞いたオルガマリーは、一層呆れた表情をした。「バカなの?」と吐き捨てて、
「だって、あなた────」
心底バカにしたような顔をして、それなのに。
わたしでもわかるような、親愛の見える笑みを浮かべたのだった。
「一人じゃ、全然ダメじゃない」