運命は始まる 全てを知る彼女を軸に 何も知らぬ彼女を中心に 常盤みちるは死神志望である。 死神統学院、二年生。流魂街出身。加えて言うのであれば、更木にだいぶ近い地獄送りスレスレのような下層の出身である。元の魂はかなりヤンチャだったに違いない。今はそんなこと無い。再構築された人格は、思ったよりも穏やかで朗らかであった。生前の記憶など無いが。 当然ながらマトモな暮らしなど望める筈も無かったわけであるが、偶々、たまたまである。 みちるの住む地区に、この流魂街の卑しさなど知らぬ者が来た。かの者は常盤と名乗り、護衛も付けずにこんな場所に来た世間知らずであった。 勿論、そんな絶好のカモを地区の住民が逃すわけも無い。直ぐに身包みを剥がれて、ぽい。命が有っただけ良かろうと冷ややかに見下ろして居れば、彼は泣き出してしまった。 どうしたものかと困惑していれば、男は奪った輩に食って掛かろうとする。妻の形見を返してくれと。十字の飾りが有るはずだと。 それは木の上からも目視出来た。追い剥ぎをした大男は、簡素な銀の十文字を身に付けている。 きっと売るのだろう。だって銀は高く売れる。少女だって、大男が奪わなければ掠め取っていたに違いない。 だが、男の悲痛な姿を捨て置けるほど外道では無かった。今にも殺されそうな彼を放っておけば、夢見が悪いと思った。 そっと木から飛び降り、何食わぬ顔で近付いて、軽くぶつかった。そして大袈裟に喚いて見せて、憂さ晴らしに一発殴られる。なんの儲けも無い。やらなければ良かったと思った。 気の逸れた大男は何処かへと立ち去る。尚も追いかけようとする馬鹿男に十字を見せ「おまえは馬鹿だ」と謗れば、彼は大きく目を見開いた。 そうして、頬を撫でたのだ。優しい子だと、常盤みちるになる魂を褒めたのである。 それからトントン拍子で養子に迎え入れられた。驚きである。妻に先立たれ子も居ないという男は、名も無き魂に性と名を与えた。 男は瀞霊廷に住む下級貴族であった。妻は流魂街の出身で、生まれ育った母屋を探していたのだと言う。 家族が居れば、その死を伝えるために。然し乍ら流魂街の魂というのは殆どが現世から来た魂である。男には悪いが、みちるからすれば馬鹿らしい話であった。 正直に伝えても彼は怒らなかった。君の美徳だと言って快活に笑う。素直で正直なところが気に入ったのだと、目一杯に愛情を注がれた。 ずっとずっと良い暮らしをさせて貰った。 そうして病に伏せた男が死ぬまで、大切な一人娘として可愛がられた。ここで暮らせなくなることよりも、男が死ぬことが寂しいと思った。 死に際に彼は言った。君の将来が心配だと。まだこんなに小さな子供なのに。食べ盛りであるのに。二十年程しか共に暮らしていないのに。そう言って嘆いた。 みちるは、常盤みちるは。男が哀しげな顔をするのが嫌だったのである。だから、死神になるから大丈夫だ。家も望むのであれば継ぐから、憂いなど無いと。そんな心にも無いことを言ってしまったのだ。 男が優しい子だと言ったから。そんなところが愛おしいと言ったから。みちるはそういう風に育ってしまった。 分かっているのか分かっていないのか、男は嬉しそうに微笑んで、みちるの頭を撫でる。綺麗な顔で笑う人だった。しっかりと男性であるのに、嫋やかで美しい人であった。そうして、どうか君の未来に幸あれと。そう告げて、静かに息を引き取った。 大切な人の居ない未来に、幸福なんてあるのだろうか。思ったけれど、言わなかった。答えなど分かっていたからだ。 そんなくだらない理由で、もはや未来など無い理由で、常盤みちるは死神を目指しているのである。 ▽ まあそんなこんなで、当然みちるには目指すべき目標も指し示されたレールというものも無い。 望むことと言えば、程良い給金と安定した暮らし。既に輪廻を巡ったであろう家族が嘆かぬ程度に人間らしい生き方をすることだ。 だから、そう。真面目にはやっているが何処か身が入らない。授業内容を掻い摘み、書き取ることが好きじゃない。 家族だった男は熱心に教育を施したが、文字は未だ綺麗に書けない。やる気が無い。当然のように落ちこぼれである。 特にやりたい事が無ければ、成し遂げるべきことも無い。今時期は学徒皆が己の斬魄刀を始解させている頃合いなのだが、みちるは解号すら聞こえない。方向性が全く定まっていないのだから、当然の帰結と言えよう。 しかしそれが非常に不味いのも分かっている。 死神と斬魄刀は切っても切り離せない。卒業条件どころか進級条件である。 既に同門の学徒は大多数が始解を済ませ、己の刀と対話し、その能力の一端を見ていることだろう。 白打や体術、鬼道は良い。みちるはそもそも流魂街の人間だ。戦う術であれば、程々に得意であった。育ちの悪さを隠しながら、程々に立ち回ればいい。 だが、斬魄刀との対話はそうではない。これは志の問題であろう。誇りのため。出世のため。家族のため。平和のため。そんな何かがみちるにあるかと問われれば、無い。 ほとほと困り果てて居るのであるが、どうしようもない。なるようになれである。 溜息を吐いて、箒を持つ。みちるは倉庫掃除を仰せつかった。所謂ところの雑用である。 それはみちるの点が不足していることの表れであり、落第を回避させようとしてくれている先生の慈悲である。やはり、この時期にもなって始解が出来ないのは不味いのだった。 重い足取りで廊下をずって歩けば、軽い足音が床板に跳ねる。足踏みをするように、非常に軽やかであったが今この時だけは勘に触る。 振り返れば、思った通りの人物が手を振っていた。こいつは同門の中でも恐ろしく早い段階で始解の会得を済ませていた筈。敵だ。 「やあ、みちるちゃん。今忙しい?」 「忙しい」 一瞥して歩き出せば、彼、京楽春水は「ちょ、ちょっと。相変わらず釣れないんだから」と焦ったように追い掛けてくる。 相変わらずはこっちの台詞だ。彼は心が異常に強い。みちるであれば、このような対応をされれば直ぐに関わるのを止めるが。彼については、どうやらそうでは無いらしい。なんでも、逃げれば逃げるほど追いたくなるのが業なのだと言う。 同級生のよしみか、好みの顔だったのか、この男は異常にみちるに付き纏った。 養子とは言え今や下級貴族の跡取り。平民であれば追っ払ってやろうと思っていたのだが、この京楽春水という男は結構な身分の家の次男坊であった。おかげさまで、数少ない友人となってしまっている。 「見て分からない?私はこれから掃除がある。君に構っている暇はないんだけど」 「うーん、辛辣。でもねえ、ボクも軽い理由で来たわけじゃないんだよねえ」 妙に真剣にそう言う。みちるは少し驚いたが、そう言うこともあるのだろうと畏まる。 「失礼なことを言った。非礼を詫びる。改めて、要件を聞かせて欲しい」 「紹介したい男が居てね」 「撤回しよう。サ、ヨ、ウ、ナ、ラ!」 「ああー!待って、待ってみちるちゃん。待って!」 呆れかえって踵を返せば、酷く慌てたように京楽はみちるの服を掴む。雑に振り払おうとも上手くいかず、チャランポランな態度と裏腹な技量の高さが余計に癪に触るわけである。 「待たない!お前は私が同種に見えるのか!」 「辛辣!君はボクを何だと思っているのさ」 「サラッと隊長格にまで出世しそうだが隊長羽織だとカッチリしすぎて落ち着かないだのなんだの言って女物の着物でも羽織って歌舞伎そうなヤツ」 「具体的に失礼だね...」 日頃の行いだろうと言及すれば、京楽は押し黙った。心当たりはありまくるのだろう。 もう行っていいかと聞けば、それはダメだと彼は言う。 「掃除が終わった後はダメかい?時間があれば、付き合って欲しいなあ」 「無い」 「そんなこと言わずに、ね。数分で良いんだ」 「...まあ、それくらいであれば」 「ありがと、みちるちゃん。今日もカワイイよ。今度お茶でも行かないかい?勿論、二人でね」 「撤回しようか?」 「今のナシで」 押しに弱いのはいつものことである。常盤みちるという魂は、ゴリ押しというものにめっぽう弱かった。 「それじゃ、また後でね」 そうして無理やり約束をさせて行った京楽春水を尻目に、倉庫の扉を開ける。埃臭く、カビ臭い。長居したら身体を悪くしそうだと思ったが、これも単位のためである。出来ないものを補う為には、他を努力せねばあるまい。 掃除などしたくは無い。だが勉強は頑張りたく無い。戦いたくも無い。何もしたく無い。何も無い。 こんな自分はどうなっているのだろう。 湧いて出た、小さな疑問である。 未来も過去も、現在すらも、あやふやで不確定。そんな自分は、どうなって居るのか。 京楽春水はアレでやる時はやる男だと知っている。軽くて軟派な態度で、根は熱く抜かりないのを知っている。みちるに冗談を掛けながら、しっかりと言質を掴んでいくのを知っている。相手に主導権を与えたようで、自分のペースに乗せている。 遊びに付き合わせて、振り回して、ヘトヘトにさせることが上手いのだ。 それに比べて、みちるはどうか。 鏡に映るみちるは、酷く曇った眼差しをしている。鏡面と同じように、靄の掛かった映えない色だ。今さえもよく見えなければ、見通せるものなど無いだろう。 先日だってそうだ。みちるは何が出来た?何をした?─────逃げただけだ。 注意を引くなんて以ての外。強い誰かが居ると知っていたから、死なないように当たり障りの無いように、それっぽく振る舞っただけだ。意思も理想も存在などしない。 家族の善意を形だけでも真似ているだけ。結局みちるは偽物で空っぽの身代わりだ。 充たされない。心が空虚で、孔でも空いてしまいそう。其れこそが、常盤みちる。自分という存在。透明な空気のようだ。薄っぺらい紙のようだ。 溜息を吐いて机を退かせば、指に木片が刺さった。痛い。引き抜いて指を拭う。血が床に落ちた。 呆れながらも箒を握り出せば、異変に気付く。音が、なにかが、抜けるような。 たせ。 声がした。冷ややかな声だ。よく聞いた声だ。驚いで振り返っても、声は響く。直接脳を揺さぶるように、酷く底冷えする音で。 ─────充せ。 今度ははっきりと、解号を告げる。対話などでは無い。一方的な、押し付け。屈服などさせられていないのに。 斬魄刀自身が、みちるの意思を無視して開こうとしているのか。何をする気かと問うても、浅打は応えない。ただ、充せ充せと繰り返すだけだ。 こんなの対話では無い。話してなど居ない。恐ろしくなって後退れば、骨董品に掛けてあった布が落ちる。 鏡が全容を見せて、濁った瞳が綺麗に写る。だが、先程とは違い鏡面は滑らかな水のよう。というか、なんだこれは。 雑魚死神のみちるでも分かる。有り得ないほどの霊圧が、ビリビリと指先を痺れさせて、鏡が砕け散りそうなほど震えて、てゆうか、なんでこの鏡、 「発光してるん、」 だ。 |