相手が自分のどこに惚れているのか当てないと出られない部屋

「夢、ではないよね」
「残念ながら現実だ。どうやら私と名前は閉じ込められているようだな」
 傑が眼光を鋭くして、部屋の四方へと注意深く目を走らせた。警戒を解く様子はない。
 嘘のようだが本当の話だ。昨晩は傑と同じベッドに入ったはずなのに、目が醒めると見知らぬ部屋にいた。ライトも無いのにやけに明るくて、真っ白な壁紙が目に痛い。何も無い正方形の部屋で、隣に立つ男の袈裟の黒さだけが一点の染みのように存在感を放っていた。あの世かと錯覚するほど異質な空間だが、天国にしては無機質すぎる。それに罪深い私達が死後に行き着くのは天国なんかじゃなくて、醜くて血生臭くて底のない、きっと地獄のような――
「他の呪詛師の領域か?」
 私達と敵対している何人かの呪詛師の顔を思い浮かべる。呪術師殺しなんて非効率的なことはせず猿共からお布施という名目で金を巻き上げる私達をよく思っていない同業者は少なくない。術式に心当たりはないけれど、既に術中に嵌っているなら油断はできない。
「もしそうなら厄介だね。美々子や菜々子や他の家族は無事だといいけど……もしあの子達に何かあったら」
「彼らも戦う術を持っているから簡単にはやられないさ。私達は早くこの馬鹿馬鹿しい部屋から脱出しよう」
 心配で取り乱す私とは違い、傑は落ち着き払っていた。手持ちの中で最高硬度の呪霊を出して、外界の唯一の接点であろう扉にぶつける。部屋を揺るがす轟音が響くが、肝心の扉には傷ひとつ付いていなかった。傑が鋭く舌打ちをする。
「妙だな。攻撃を無効化する縛りでもあるのか、本体を叩かないとダメなのか」
「禍々しい呪力は感じられないけれど……」
 もしここが術師による領域ならば、これほど完璧な領域展開をする人間を私は五条悟以外に知らない。間違いなく特級レベルの罠に、私の背中には嫌な汗が伝う。
「名前。これを見てくれ」
「なにそれ?」
「いつの間にか袈裟の袂に入っていた」
 ガサゴソと袖の中をまさぐっていた傑が、神妙な顔をして私に一枚の紙切れを見せた。くしゃりと少し皺の寄った紙には黒のゴシック体でただ一文が印刷されている。二度見して、己の目を疑う。
『相手が自分のどこに惚れているのか当てないと出られない部屋』
「出られない部屋って……あの都市伝説の?」
「ああ。私もいつか悟に聞いたような」
 落とされた懐かしい名前に、心臓がキュッと波打った。傑が悟の名前を出すのはいつぶりだろうか。タブーにしている訳ではないけれど、最強を信じて気づけぬに少しずつ足元が崩れていったあの輝かしい日々を、まだ懐かしめるほど私の心の整理はついていなかった。奇妙な空間でにわかに時間が巻き戻ってしまったような錯覚に駆られながら、特に他意はなさそうな傑の横顔を盗み見る。
「都市伝説が呪霊化したと考えるのが自然かな。お題が殺し合いとか心中じゃなくて良かったね」
 記憶ではもっと下品なお題を課せられていたような気もする。例えばセックス、とか。傑も同じことを考えていたようで、しげしげと書面を眺めながら首を傾げた。
「正誤判定はどうするんだ? むしろセックスなら楽だったのにな」
「せ……!」
「あれ、意識した?」
「してない! それに呪霊の領域で無防備に脱げるわけないでしょ!」
「一理あるな」
 可能不可能はともかく解決法が提示されたことで余裕が出てきたのか、傑はニヤニヤと笑みを深めて私で遊び始めた。家族の前では頼れる家長らしく振る舞う傑も、二人きりだと覗かせる無邪気な表情に、性格は高専生の頃から大して変わらないなと思う。
「とにかく、傑も真面目に考えてよ!私も帰って美々子と菜々子の夕食つくらないといけないし」
「そうだね。お題は君が私のどこを好きか、って意味で合ってるかな」
「たぶんね。全部はナシだよ」
「そこまで思い上がっちゃいないさ」
 ハッと自虐的に笑う傑は、どうしてこうも自己評価が低いのだろうか。これでも恋人の立場にいる私としては、少しだけ悲しくなる。私が傑の全てを愛していることに嘘はないのに、いくら言葉を並べ立てたところで私じゃ役不足なのだ。傑は悪くない。ただ、独りよがりで優しいわからずやに時折どうしようもなく腹が立ってしまう。
 守れたものよりも守れなかったものばかりを指折り数える傑の生き方は、どこまでも孤独で救いがない。自分は五条悟には敵わないのだと、真っ当なやり方では誰ひとり救えないのだと、傑が自己を卑下するのはやめて欲しいのに。私は傑の生き方を変えられないし、変えるべきだとも思えない。けれど傑の背負う十字架を、どうか一部だけでも譲って欲しかった。
「私と名前が付き合い始めたのは何年も前のことだからひとつに絞るとなると……うーん」
 傑が唸りながら親指で額を掻いた。迷っていたり苛立っているときの癖だ。
「顔かな?」
「……」
「……外れたようだね」
 容赦のない沈黙が落ちる。うんともすんともいわない扉と私の表情を見て、傑は全てを察したようだった。
「……答えを外すのも、我ながら恥ずかしいな。とんだナルシストになった気分だ」
「もちろん顔も好みだけど、他にあるでしょ。顔だけでここまでしないよ……」
 顔が好きなだけで逃亡生活を共にしているとしたら私はとんでもない阿呆だ。げんなりして私が物も言えなくなっていると、傑は決まり悪そうにくしゃりと髪を乱した。
「顔はさすがに冗談だよ。でも実はわからないんだ。あの日名前が家族も高専も捨ててまで、なぜ私について来てくれたのか。私が猿を殺す道を選んでも、優しい名前がどうして私を見限らないのか」
「そんなの、」
 理由なんてわかりきっている。傑を愛しているからだ。過ちなんてどうでも良くなるくらい、この人から離れがたいからだ。声に出せば笑ってしまうくらいチープな響きだけど嘘はなかった。薄々予想はしていたものの、難航しそうな雲行きに恋人とは難しいものだなとどこか他人事のようにしみじみとしてしまう。
「……傑が今までそんなこともわからずにいたことに私は驚いてる」
「改めて聞くのも失礼な気がしてね。名前が私に尽くしてくれるのに甘えて、理由は考えずになあなあで済ませてきてしまった。悪かったと思ってる」
「傑が謝ることではないけど……」
 あえて触れずにきた面もあるのだと思う。仲間、肉親、呪術師の立場。捨ててきたもの達を直視する行為は痛みを伴う。だから傑は私が何を天秤に掛けて傑を選んだのかを、今まで表立って問うことはなかった。ある種の優しさだ。けれども私も傑も肌を重ねる温もりだとか目に浮かべる表情だとか、そういった言葉以外のものに頼りすぎていたのかもしれない。
「となると、消去法で内面か。私の性格は我ながら褒められたものじゃないと思うんだけどね」
「……簡単なことだよ」
 ばか。なんでわからないの。そう詰りたくなるのをグッと堪えて私は唇を噛んだ。もどかしい。
「……菜々子が」
「ん?」
「私を優しい、と。よく言っていた。名前もそう思っているのかい?」
 答えは言えない。けれどきっと情けない顔をしている私を見れば、その答えは一目瞭然だった。傑はふっと口元を緩め目を伏せる。
「正解、か。私を優しいだなんて言ってくれるのは、君と他の家族くらいだろうね」
「傑は優しいよ、優しすぎるくらい。だから私は傑が大好きだし、心配してる。家族のみんなも同じだよ」
 傑も私も、正しくない。大義の名のもと非術師を猿と軽んじようが、散々な酷い仕打ちへの復讐であろうが、人の命を奪う罪に変わりはないのだから。けれども最悪の呪詛師と呼ばれたって、私は夏油傑より優しい人を知らなかった。
 高専生の頃は非術師のために、今は同胞のために。夏油傑はいつだって他人のために生きている。意思とは関係なく生まれ持った力で、時に担ぎ上げられ時に虐げられる。こんな世界に蔓延る理不尽から目を逸らすことのできない傑は、なんて優しくて損な性格なのだろうか。だからせめて私は、傑のために生きると決めたのだ。美々子も菜々子も家族はみんな傑に感謝して大好きでたまらなくて、だからこそ一人で抱え込むのはやめて欲しいのに鈍感なこの人はわかっていない。
「傑が思ってるよりもずっと、私は傑のことが好きだよ。私は今まで選択を間違えたなんて後悔したことない」
 正体不明の部屋で、どうして私は愛を告白しているのだろう。そう思うけれど、この部屋の力を借りなければ、私はきっと今日も聞き分けの良い女の子のままだった。
「ありがとう。私は幸せ者だ」
 傑が細い目をさらに糸のようにして笑う。彼の笑顔が好きだ。いつの間にか目尻に溜まっていた涙を誤魔化すために私は上を向いた。
「次は私の番か。うーん……傑なら私の顔や体じゃないだろうし。流されやすくてチョロいところとか? なんてね」
 ガチャリ。冗談まじりの言葉に呼応して、静寂に鍵の回る音が響く。
「エッ。開いた」
 唖然として凝視していたけれど、遅れてその意味を理解する。壊れた人形のようにギリギリと首だけで傑の方を振り返ると、傑は露骨に「しまった」と焦りの表情を浮かべていた。思わぬ形で知らされた真実に「どういうこと!?」と袈裟の襟元に掴みかかる勢いで詰め寄る私に、傑は「待ってくれ」と両の肩を掴む。
「傑は私のことずっとチョロいと思ってたの!?」
「違うんだ。でもいつも情に流されてるのがかわいいなと……」
「褒めてる?」
「優しいなってこと」
 なんだかいいように言いくるめられている感が否めないが、深く掘っても傑に不都合な真相ばかりが発覚しそうでほれ以上追及するのはやめた。傑のためならどんなにチョロい女になったっていい。傑に牙を剥く世界で、私くらいは彼の思い通りになるのも悪くない気がする。
「気分を害したなら悪かった」
「……悪いと思ってるならキスして」
 突拍子もない要求にも、傑は「もちろん」と笑って間髪入れず口付けられた。何度も繰り返してきた行為だ。熱い呼気が口腔内で渦巻き、毛繕いのように唇を舐めて開くよう促される。観念して口を緩めると、侵入した厚い舌が歯列を撫ぜた。私が小さく喘ぐと、傑は息だけで笑う。どちらのものともわからない唾液を飲み下して、私は傑の袈裟の胸に縋り付いた。
「……舌入れてとまではお願いしてない」
「ご愛嬌さ。さあ戻ろうか、私達の日常へ」
「……うん」
 傑が私に差し出した右手に、私の左手を重ねる。少しだけ名残惜しいけれど、今の私達には帰る場所と待っている家族がいる。
 扉をくぐれば、また私達の日常が始まる。猿を欺き猿を殺し、理想郷を夢見る果てしない日々。存在証明などなくとも、私は愛する人のために生きていける。傑もそうであったら、どれほど良かっただろうか。




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