李と林檎

 名前を呼ばれている。鼓膜を揺らす、愛しい人の声。ぬるま湯のような心地良い微睡みにまだ浸っていたかったけれど、次に強めに肩を揺さぶられて、眠りの底からゆっくりと意識が浮上した。
「名前。起きて」
「……傑?」
 やけに重い目蓋を押し上げると、夏油傑が至近距離でこちらを覗き込んでいた。起床へと誘った呼び声の主は他でもないこの男だ。四方八方に跳ねた寝癖と視界に広がる肌色の面積に、途端に昨夜の情事がありありと思い出される。体を重ねてお互い一糸纏わぬまま寝落ちてしまったのだ。素肌の肩には赤い歯形の痕がくっきりと刻まれていて、そういえばぴったりと隙間なく抱き合ってイッた拍子に噛んでしまったことを思い出した。快感でぐずぐずに溶かされた頭と体で「噛んでいいよ」との傑の言葉に咄嗟に甘えてしまったものの、完全に力加減を間違えてしまった気がする。恥ずかしいような申し訳ないような気持ちで、目の前の裸体から思わず目を逸らした。カーテンの隙間から差し込む日の光に惜しげもなく晒された男性器は、数時間前には私も夢中で咥えたり扱いたりしていたはずなのに、我に返ってしまえば目のやり場に困る。
 それにしても眠い。気を抜けば今にも上瞼と下瞼がくっついてしまいそうなのを、それでも二度寝を踏み止まったのは傑がやけに焦った表情を浮かべていたからだ。
「血が」
「血?」
 掛け布団を掴んでバサリと捲った傑の指差す先には、真っ白いシーツの上に乾いて赤黒くなった染みが数箇所、点々と続いていた。辿った先は私の臀部。つまり血の出どころは私の下半身だ。
「すまない。昨日私が中を傷つけてしまったかもしれないな。爪はこまめに短くしていたつもりだったが……」
 眉を顰め険しい表情を浮かべた傑は、右の人差し指と中指を注意深く確認している。しかし深爪に分類されるであろう四角い男爪は、いくら内壁を擦ろうと内臓を傷つけようもない気がした。そもそもAVのような激しい指の出し挿れなんて彼は絶対にしない。寝ぼけ眼で芋虫のようにもぞもぞと寝返りを打ってみても、下の茂みに痛みはなかった。膣に引っ掻き傷ができた日には、普通は鈍く痛んだり滲みたりするものだけど。
 働かない頭で指折り数えて、はたと気づく。前回からぴったり二十八日。
「……あ。生理だ」
 そういえばここ数日は乳房が張っていて、大きな手に揉みしだかれると少し痛かった。昨日はベッドに入ってからもなぜか体の奥がそわそわと落ち着かない気分で、珍しく私から傑をセックスに誘ったのだった。そしてやけに盛り上がり行為に耽ってしまったのも、生理前だったからかもしれない。女の体とは単純なもので、なんだかんだホルモンバランスにいいように振り回されている。
 至極単純な答えを聞き、ほっと息を吐いた傑も「ああ。そういえばそろそろだったな」と乱れた前髪を掻き上げた。怪我や不正出血の類でなかったのは幸いだが、自覚した途端にずん、と下腹部が一層重くなった気がしてため息が漏れる。
「ごめん……傑のシーツ汚しちゃった」
「いいさ。私が洗うよ」
「ううん。お湯で洗うと落ちないし、恥ずかしいから私がやる」
「そうかい?」
 中に出して溢れた精液ならまだしも、生理の後処理は彼氏に任せるのはさすがに気が引ける。二十年近くも女をやっているのだ。良くも悪くも慣れてしまったし、恥じらいだってある。
 私がかぶりを振ると、傑は困ったように眉を下げた。心配と憐憫とが綯交ぜになった眼差しと、声には私の身体に対する気遣いの色が滲んでいる。男性が決して経験することのない事象にも理解を示そうとしてくれるのに、理由を突き詰めるならば愛なのだろう。呪術高専でも鎮痛剤で痛みを誤魔化しきれない私のために、傑はよく任務を肩代わりしてくれた。どうにもならない部分まで思いを馳せ心を擦り減らしてしまうのが傑の悪癖であり、生きづらさの一因である気もするけれど、やはりそれは紛れもなく優しさなのだ。
「女性は大変だな」
「もういい加減慣れちゃった」
 約四十年間、月の四分の一も出血しているのは冷静に考えればどうかと思うけれど、しかし生理が来なかったら来なかったでひどく狼狽ることは目に見えているのだから、毎月定期的に訪れるに越したことはない。今のところ妊娠は望んでいないのだから。
 気怠い身体に鞭打ち、欠伸を噛み殺しながら上半身を起こす。この気怠さは昨晩の無理が祟ったのか、月の物のせいか、はたまたその両方か。そろそろ別室で寝ている美々子と菜々子も目を覚ます時間だ。いつも通り朝食の準備をして、双子を起こしに行かなければ。そして洗濯機を回して、溜まった洗濯物をシーツごと一気に片付けてしまおう。
 ブラジャーの肩紐に腕を通しながら、未だ隣でガシガシと頭を掻いている恋人に「傑もいい加減服着て」とベッドの隙間に丸まって落ちていたトランクスを投げ渡した。



 今日が晴れていて良かった。カラリと乾いた空気と抜けるような青空は夏の訪れを予感させ、冷たい水道水に触れる手も痛みを訴えることはない。腕捲りをした私は屋上で背中を丸めて、しつこい血痕と格闘していた。
 水を張ったタライにシーツと食器用洗剤――血液汚れによく効くのだ――を投入しジャバジャバと水飛沫を立てていると、お昼寝から目覚めたばかりの双子がてくてくと歩み寄ってきた。寝ぼけ眼を擦りながらも、興味津々といった風に覗き込んでくる。そっくりの動きをする瓜二つの顔が並んでいて、それに本人たちも気付いていないのが微笑ましい。
「名前。なにやってるの〜?」
「お漏らしした?」
 なぜか勝ち誇ったような顔をする菜々子に、思わず笑みが溢れる。
「しないよ。大人だから」
「なんだ〜つまんないの!」
 文句を言う菜々子の隣で、無口な美々子は口にこそ出さないものの、やはり不満げに唇を尖らせていた。血を分けた唯一無二の相手だけあって、一見正反対のようでよく似ている。「こら。かわいいのにブサイクな顔しないの」と膨らんだ頬を軽くつつけば、ぷすっと気の抜ける音がした。餅のようなすべすべもちもちとした手触りに、思わず撫でくり回したくなる衝動をぐっと堪える。
 二人と二人。共に暮らし始めてはじめての夏を迎えようとする今、少しは「家族」らしくなれてきたのではないかと思う。急拵えでも不恰好でも、たしかな温度があるのだ。虐待の後遺症か当初は精神的にかなり不安定だった双子も、近頃は夜のトイレの失敗もすっかりなくなり、いくらか自信を取り戻したようだった。健全な自尊心と、無条件の愛着。本来幼少期に当たり前に与えられるべきものだ。それに応じて生意気な顔がどんどん顔を出すものの、他人の顔色を窺っては怯えてばかりいた頃と比べればよほど良い。多少の悪戯だって笑って許せてしまう。
「起きたら生理になっちゃってて。血を洗ってるの。洗濯機に入れるだけじゃ落ちないから」
「せ〜り?」
「名前怪我したの?」
「……そっか。知らないよね」
 教えてないのだから、知らなくて当然だ。山奥の寒村でずっと幽閉されて育ってきた美々子と菜々子には、傑と私を通してのみしか世界を知る術がない。物心つく前に母親を亡くしているらしい彼女達にとっては、おそらく最も身近な女が私だった。しかし生理の間は私も入浴が被らないように避けていたため、毎月恒例の湯に流れ真っ赤に染まる浴室の床を双子が知る由もない。
「えーっとね、女の人は月に一度お腹の中で赤ちゃんのつくる準備をして、できなかったらお股から血が出るの」
「お尻から?」
「厳密には違う穴かな……女の子には赤ちゃん産むための別の穴があるんだよ。私にも美々子と菜々子にもね」
 苦笑いする。お尻から出ないとも言い切れないけど、それはそれで病院へ行かなければならない案件だ。例えば痔とか。子どもの発想は時に大人なんか目じゃないほどに、突拍子もなくユニークだ。その思いもよらない柔軟さに驚かされることも多い。
 しかし性教育らしい性教育をこれっぽっちも受けてきていない彼女達に、人体の仕組みをどう説明したらよいものか。専門家の硝子ならまだしも、私だって己の身体に起こる現象のメカニズムを完璧に理解できているわけではないのだから。とりあえず認識している事実のみを、迷いつつも伝える。
「赤ちゃん産めるのはもっと先だけど、生理は十歳くらいからはじまるんだよ。大体一週間続いて、たまにお腹痛くなったりもするけど」
「名前は?」
「……ん?」
 唐突に名を呼ばれ、洗濯に勤しんでいた手を止めた。同じ方向に首を傾げた二人の頬に切り揃えた髪がさらりと影を落としていて、こんなところまでシンクロしている。
「名前と夏油様の赤ちゃん、できないの」
「赤ちゃんってどうやってできるの?」
「え」
 なんだって? 嫌味なほど晴れ渡った青空の下、三人の間に不自然な沈黙が落ちる。危うく聞き返そうとして、深掘りしてもロクなことにならないと気づき辛うじて思い止まった。他意があるわけではなく、至って純粋な興味から生じた質問なのだろう。傑と私、恋人の男女が一緒に暮らしながらどうして赤ちゃんが増えないのか、ならばどんな条件下ならできるのか。子どもの思考の流れとしては何ら不自然な点はない。……ないけれども。きらきらと澄みきった無垢な瞳にじっと見つめられ、言葉に詰まる。この場でじっとりと背中におかしな汗を掻いている、私の心だけが汚れているのだ。
 セックス。答えるならば、そうなるはずだ。この子達は聡いから、精子と卵子が出会ったところから説明をはじめたところで納得してくれるタマではない。追及は免れないだろう。だからといって六歳児に一から十まで教えるわけにもいかない。セックスそれ自体は悪いことではないけれど、具体的な内容を知ってしまえば幼心には些かショッキングに映るはずだ。父と母によるその過程を知った時の、思春期特有ながらに感じた微妙な気持ちを思い出す。身内のそれは、なんとなく気まずい。私だって呪術高専で傑と初体験を済ませるまでは、それがどこか穢らわしい行為だという認識を捨てられていなかった。
 小学校の性教育では、何をどこまで教わっただろうか。なにしろ二十年近くも前のことなので記憶が朧げだ。保護者としていつかは教えねばらないと覚悟はしていたものの、こんないきなり豪速ストレートをぶつけられるとは予想外だ。そして見事にデッドボールを受けて満身創痍の私は、焦りでやけに上擦った声を出してしまう。
「ど、どう? その、ええと、大人の男の人と女の人が、うん。愛し合って……? すっぽんぽんで抱き合ってね、大事なところを……いや、さすがにそれは早いか」
 露骨すぎる表現は避けたいけれど、コウノトリだとかその場凌ぎの適当な迷信で誤魔化すのも憚られ、申し訳程度にオブラートに包む。気が動転しつつも口を突いて出た表現としては及第点ではないか、とほっと息を吐くも、美々子と菜々子は眉を寄せて顔を見合わせた。これは伝わっていない顔だ。
「? よくわかんない」
「夏油様なら知ってるかな」
「聞いてみる?」
「それは傑も困るからやめてあげて……」
 しどろもどろで答えに窮する私を、双子は訝しげな顔で見上げている。兎にも角にも「夏油様と名前もしたの?」なんて聞かれなかったのは幸いだ。一度持ち帰って、今後の教育方針をよく考えなければならない。
「そのうちちゃんとわかるから」
「ほんと?」
「うん」
 今は、まだ。彼女達も遠からずその行為と意味を悟る日が来るだろうし、私も頃合いを見てちゃんと話すつもりだ。生理も避妊も身を守るために必要な知識は、私も女の先輩として授ける義務がある。母親ほど歳が離れてはいないが、姉ほど近くもない。私も弁えているつもりだ。だからこそ距離の測り方が難しいところではあるけれども。
 しかしそんな私の願いも虚しく、その日の夕飯の席で「夏油様、赤ちゃんってどうやってできるの?」と切り出した双子に、傑は言葉じゃ形容できないくらいのものすごい顔をしていた。



 そんな笑い話も、もう五年も前のことだ。
 呪術師から身を隠しながら非術師を唆し金を巻き上げ、用済みになれば処分する。華やかで血生臭い舞台とは裏腹に、打ち捨てられたビルでの慎ましくもにぎやかな四人での暮らしは、いつしかかけがえのない「普通」になっていた。かつての青春の日々が恋しくないわけではないけれど、年齢と共に移ろいゆく生活は決して不幸なことではないのだと、今なら胸を張って言える。
 傑が呪いと金を集めて教団を率いる傍らで、それを支える私は必然的に家事の時間が長くなる。今日も掃除機片手にカーペットの埃と格闘していると、菜々子が血相を変えて走ってきた。ショートパンツから覗く白い太ももが寒そうに思えてしまうのは、私も歳だろうか。もし小学校へと通っていれば双子も高学年になる頃だ。
「名前!」
「菜々子。そんなに慌ててどうしたの」
「ちょっと来て、早く! 美々子が!」
「え、なに」
 訳もわからないままぐいぐいと腕を引かれ、手を洗う猶予も与えられずトイレのドアの前に連行される。「夏油様は?」との質問に「さっき仕事に出掛けたけど」と答えれば、菜々子はやけに潜めていた声のボリュームを通常に戻した。一体何なのだろう。困った時に頼ってくれるのは嬉しいものの、事情を掴めないことには大人の私も馬鹿みたいに突っ立っていることしかできない。
「美々子が大変なの!」
「美々子? どうしたの、お腹痛い?」
 とりあえずドアに耳を近づけて中を窺うも、特に吐いているような様子はない。何かに当たった? しかしテーブルを共にした他の家族はピンピンしている。朝食と昼食のメニューを思い返していると、おもむろに外開きのドアが開いて、至近距離に居た私は危うく顔面をぶつけるところだった。間一髪だ。そして十数pの隙間から顔を覗かせた美々子も、心なしか青い顔をしていた。
「……ち、ちが」
「血?」
「パンツに、血が。トイレ入ったら……」
 下着に出血。美々子と菜々子の年齢。いくつかの要素を鑑みて「ああ」と合点する。いきなり見ればびっくりしてしまうだろうが、女性にとっては身近なごくありふれた現象だ。
「生理だね」
 はじめての生理。つまり初潮だ。
 そう告げれば、美々子も菜々子もぽかんと呆気に取られた顔をした。知識として知ってはいても実感としては希薄だったのかもしれない。無理もない、かつての私もそうだった。少女と女性の境目に立ちながら心と体の変化に戸惑い心許ない気持ちを、十数年越しの少女時代ぶりに思い出す。
「せいり」
「うん。生理は知ってるでしょう? おめでとう」
「おめでとう……?」
「はじめてでしょう? これから月一回、煩わしく感じることもあるかもしれないけど、成長は喜ばしいことだよ」
 誰かの幸せを心の底から願い、風邪の一つや二つに取り乱しては安堵したり、ひとつひとつの成長を目の当たりにして心震えるような喜びがあることを、かつての私は知らなかった。そこに血の繋がりなどは、おそらく問題ではないのだ。慈しみ守るべき存在は人間の弱さでもあり、高邁さでもある。美々子と菜々子のおかげで、私は愛される喜びから愛する喜びを知れた。幸せだと思う。
「とりあえず今は私のナプキンと生理ショーツを貸して使い方を教えるから、買いに行こうか。菜々子もそろそろでしょ。ちょうどいい機会だから二人分揃えちゃおう」
 初潮が来たからといって今すぐ妊娠できる身体になるわけではない。身体も心もまだまだ未成熟だ。それでもあの日痩せっぽちで怯え身を寄せ合っていた痣だらけの子どもが、こうしてすくすくと健やかに育ってくれたことを思うと、つい涙腺が緩みそうになってしまうのだ。


 そうして双子を連れ立ってドラッグストアと衣料品店とをハシゴした帰り道、少しお高めの洋菓子店が目に入って足を止めた。TVでお馴染みの芸能人がいつだか食レポしていたその店のスイーツは、そういえば美々子と菜々子も食べたがっていたっけ。ふと妙案が浮かぶ。
「そうだ、今日はお祝いしようか。好きなもの買って帰っちゃおう。もし二人が嫌じゃなければだけど」
「……名前は嫌じゃないの?」
「私が? どうして?」
 思いつきの提案だったが、俯いてぼそぼそと喋る美々子の横顔は暗い。もしかして初潮が嫌だったのだろうか。これからは月に一回、問答無用に訪れる体調不良に憂鬱になる気持ちも痛いほどわかるからこそ、せめて成長だけは肯定的に捉えて欲しいと思ったのだけれど。すると呆れた表情を浮かべた菜々子が横から口を挟んだ。
「前から思ってたんだけどさ、名前は私達が大人になるの嫌じゃないの? 言うこと聞かないし、昔よりかわいくないじゃん」
「あはは。反抗期の自覚あったの? それに何言ってんの、私と傑からしたら美々子と菜々子はまだまだ子どもだよ。前みたいに甘えてこないのはちょっと寂しいけどね。それに何歳でもあなた達はかわいいし、元気に育ったのが嬉しくないはずないでしょ」
「超子ども扱いじゃん! なんか複雑〜」
 思わず吹き出した私に、菜々子が不服そうに唇を尖らせる。美々子も同様の心配をしていたのか、答えを聞いてほっと安堵の息を漏らしていた。
 一丁前に反抗する癖に、見放されないかと不安で常にどこかで愛情の確認をしている。一種の試し行動なのだろう。この子達の生育環境を思えば無理もない。ちくりと古傷が痛むような感傷を覚え、いじらしくて堪らなかった。
「ん。じゃあ、お祝いする。……でも夏油様には、秘密にして」
「わかった。美々子がそう言うのなら私も黙っておくね」
 女同士の秘密。むず痒くなるような響きだ。これから先、少女から女性になっていくこの子達は階段を颯爽と駆け上がって、いろんな秘密を増やしていくのだろう。初恋に、はじめてのキスの味。美々子と菜々子は互いに、唯一無二の姉妹であり親友であり心強い相棒だ。遠からず私を必要としなくなる。ほろ苦い喪失感が胸を掠めるけれど、そうなればいいな、と不恰好な親心で願わずにはいられないのだ。



「珍しいじゃないか。今日は何かいいことでもあったのかい?」
「ん〜秘密。奮発しちゃった。たまにはいいでしょう?」
「もちろん。いつも名前には料理を任せっぱなしで悪いね」
 その晩は食卓に並ぶ奮発した料理に、傑が目を丸くした。初潮を祝う赤飯はあからさますぎる気がして、結局は予算を度外視して双子のリクエストに従った。寿司の桶に山盛りのフライドチキンに一台のケーキ。まるでクリスマスかと見紛うラインナップだが、好物でお腹を満たしてくれれば細かいことはいいのだ。ホールケーキをフォークで崩しながら笑い転げている美々子と菜々子を見て、体は大人に差し掛かってもやはり子どもなのだと、なんだか微笑ましくなる。
 隣でソファーに腰掛けてその光景を眺めていた傑が、私にだけ聞こえる声量でぼそりと呟いた。
「君が居て良かったよ。私一人じゃ女性のあれこれはわからないからね」
「……! 気づいてたの?」
「なんとなくね」
 目を細めた傑が少しだけ所在なさげに、手慰みに両の手の指を組み替えた。傑ほど察しのいい男の前では、いくら隠し立てしたところでバレバレだったのかもしれない。知ったところで異性親である彼が何かをできるはずもなく、こうして苦笑いを浮かべているのだから私も捨てたものではないのだと思う。
「そっとしておいてあげてね。女子からしたらアレコレ詮索されるの、恥ずかしいんだがら」
「わかってるさ。でも美々子と菜々子もそんな歳か。早いなぁ、子どもの成長は」
「……そうだね。本当にあっという間」
 ふぃ、と睫毛を伏せた傑の優しい横顔には注視しなければ見逃してしまいそうなほどの、ほんの少しの寂しさが滲んでいる。不思議と今だけは、傑の気持ちが手にとるようにわかる気がした。
 理子ちゃんに灰原。もう二度と歳を重ねることのなくなった彼らを思う。時計の針を止めて、逝ってしまった。無垢な少年少女のまま記憶の中で生き続けている彼らの姿は、目を閉じれば今も瞼の裏に鮮明に思い描ける。
 呪術高専を離れて、大義のために奔走してきた日々。思えば無我夢中で歩を進めてきたけれど、すべて昨日のことのようだ。このかけがえのない日々を、一粒たりとも取り溢さないようそっと抱きしめて、愛していきたいと思う。めくるめく変化だ。まるで蛹が孵り蝶になるように、幼い子どもが聡明な少女となり女性となるまで、きっと瞬きの間なのだから。




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