家族になろうよ

 再会の熱も冷めきらぬ中「会ってほしい子がいるんだ」という傑の言葉に、私は素直に頷いた。逃亡後の潜伏の拠点としているらしい住居へ連れて行ってもらう。話が纏まってしまえば、なんだか意外なほど呆気ない。
 そういえばケータイも通帳も、健康保険証も何もかも呪術高専に置いてきてしまった。ケータイのGPSを調べられるのも口座が差し押さえられるのも時間の問題だろうから、むしろ良かったのかもしれないけれど。文字通り身ひとつの一文無しとなった私に、傑は「また新しく用意しないと」と笑った。
「何も聞かないんだね」
「なんのこと?」
「家族のことも、どうせ知っているんだろう? 死体は消せても残穢は消せない」
「……亡くなったんだってね」
「殺したんだよ」
 傑の声に感情はない。隣を歩くこの人が人殺しだという事実を改めて突き付けられて、背筋がひやりとする。不自然なほど淡々と語る傑の自嘲した横顔が痛々しくて、私は汚れたスニーカーのつま先に目線を落とした。
「……傑がどうしても非術師を許せなくて、術師を守りたいのなら私はそれでいいと思う。間違ってるとか、正しいとか。その時にならないとわからないもん。私は傑の選んだ道を信じるよ」
 無責任かもしれない。いや、無責任なのだろう。非術師を見下す私と、それを否定する私。呪術師なら本音を選択すべきだ。けれどもどちらかの道を選ぶのと同じく、他人に人生を賭けることもまた、ひとつの選択なのではないだろうか。
「ここだよ」
「……ビル?」
「安心してくれ。一応キッチンもお風呂もある」
 狭く入り組んだ裏路地を奥へ奥へと進み、傑が一軒の雑居ビルの前で足を止めた。
それなりの築年数が経っていそうな四階建てのビルは、薄汚れたコンクリートに所々ヒビが入っている。入り口には錆びついたテナント募集の看板が傾いていて、長らく誰にも使われていないようだった。正直なところ、今にも取り壊されそうだ。もしや不法占拠かと心配になるが、暮らしているなら水道ガス電気は通っているはずだ。光熱費はどうしているのだろうか。
「未成年なのによく借りられたね」
「名義を貸してもらったんだ。今は盤星教のエージェントの手を借りてる。裏社会で方法はいくらでもあるのさ」
「そうなんだ」
 どうやら今は後ろ暗い連中と手を組んでいるらしい傑に、少しだけ心配になる。表の世界に居場所を失った以上、手段を選んではいられない。私だってこの先は、綺麗ごとは通用しない環境に身を置いて生き抜かねばならないのだ。甘えたことは言っていられないと、ひっそりと覚悟を決めた。
 それはそうと、例の会ってほしい子とは誰なのだろうか。新しい恋人? まさかこの短期間で誰かと同棲なんてしているとは思えないけれど、内心では不安が拭えなかった。
「ただいま」
 扉を開けた傑が声を掛ける。やはり誰かいるのだ。私が緊張で身を硬くしたとき、元気溌剌な声が耳に届く。
「げとうさま、帰ってきた!」
「おかえりなさい」
 パタパタ、と軽やかな足音が近づいてきて、目線よりずいぶん低い位置にひょっこりと顔を出した。
「子ども?」
 それも二人だ。金髪と黒髪のおかっぱ頭の女の子が、くりくりとまん丸な目で見上げている。よく見れば顔立ちが瓜二つだ。双子だろうか。しかし傑の後ろに立つ私を認識した途端に、その顔が強張った。ぱっと扉のかげに隠れて警戒を露にする。金髪の子が片割れを守るように私を睨み付け、黒髪の子のぬいぐるみを抱く腕にぎゅっと力が入るのが見えた。
「……! その人だれ?」
「怖がらなくていいよ。お姉さんも同じものが見える人だ。今日から一緒に暮らそうと思う」
 傑が膝を折って優しく語り掛ける。同じ、ということは彼女達も呪いが見える側の人間なのだろう。
「私の新しい『家族』だよ」
 家族。その言葉は血縁関係のある人々を指した言葉だったはずで、傑はその肉親を亡き者にしたばかりだ。新しいとはどういう意味だろうか。
 そして目の前の明らかに心を閉ざした子ども相手にどうすればいいのか見当がつかない私は、初対面の基本に立ち返って自己紹介することにした。腰を屈めて目線を合わせると、ビクリと二人の肩が跳ねた。なるべく刺激しないよう、できる限り穏やかな声を心がける。
「はじめまして。私は苗字名前といいます。あなた達のお名前は?」
「……」
「あっ」
 双子は無言で踵を返し、逃げるように部屋の奥へと駆けて行った。何かしてしまっただろうか。彼女達のトラウマを刺激するような何かを、私が持っていたとか。おおよそ幼児がするとは思えない、不信と怯えでいっぱいの目がやけに脳裏に焼き付いて離れない。そういえば、彼女達の服の隙間から除く包帯やガーゼの白さが妙に気にかかった。そんなにあちこち怪我をするものだろうか。
 困惑で立ち尽くす私に、傑は「名前が気に病むことはないよ」と軽く言い放った。
「名前はないんだ。わからない、と言った方が正しいかな」
「ない?」
「ああ」
 私の手を引いて、傑が玄関の敷居を跨ぐ。コンクリート打ちっぱなしの殺風景な部屋に、テーブルやソファが雑然と運び込まれている。元は会社のオフィスだったのだろう無機質な空間と丁寧とは言い難い生活感がちぐはぐで、子ども二人を育てるのにまだ十分な環境とは思えなかった。
促されるままに、埃っぽいソファに腰掛ける。傑が隣に座るとソファがさらに深く沈んだ。
「あの子らは、集落で日常的な虐待を受けていた。呪いの被害を呪力のせいにされ、まともな衣食住も与えられない……あの怪我を見たかい? はじめて会った時、彼女達は座敷牢で顔の形が変わるほど殴られていた」
「そんな……」
 ショックで口を手で覆う。あまりにも惨い話だ。あんな幼い子供に、暴力を振るうなんて。いくら未知の力を持っているとはいえ、無抵抗で弱い子供に大の大人が寄ってたかって一方的に。信じられない。どんなに孤独で痛くて怖かっただろう。理解の範疇を超えた非情さに、頭がくらくらした。
「ひどい……!」
「ああ。ひどい話だろう? 愚かで傲慢で、弱い癖に異物を排除する。そもそもの呪いの元凶は猿共なのに」
 肘をついて組んだ手に顎を乗せた傑は、ぞっとするほど冷たい目をしていた。怒り。憎悪。軽蔑。傑のあらゆるやり切れない感情は猿非術師へと抱いたものだ。
 ああ、それが傑の引き金になったのか。ストン、と腑に落ちた。傑のしたことは許されることではないけれど、どうしても許せないことだってある。納得すると共に少しだけ安心してもいた。傷ついた子どもを見捨てられないなんて、いかにも傑らしいではないか。
「そういうわけで、本人達も名前を知らないんだ。親も早くに亡くして記憶にないらしい」
「なんてこと……」
 戸籍もないのだろう。逃げ場のないムラ社会で、何年も迫害され虐げられる。他人を救えるはずの術式が、他人から傷つけられる理由となってしまうなんて。家が呪術師である私や、運良く呪術高専の目に留まった傑は、どれだけ恵まれていたか。
 胸が痛い。俯いた私に、傑が語りかける。
「私は、あの子達の親になるつもりだ」
「親?」
「実の親に取って代わろうなんて思ってはいないさ。家族は人間の触れる最初の社会だ。そこを追放されたなら、また別の社会が受け入れるだけだ。血縁は重要じゃない。術式を持って生まれた私達には、それができると私は信じている」
「……呪術高専は、その社会にはなれなかったの?」
「あそこはダメだ。非術師を守るために、呪術師は死ぬまで使い潰される。灰原のように」
 傑の主張はあながち間違いでもないのだと思う。理子ちゃんや灰原。呪術と関わったが故に若くして死んでいった仲間を、私達は散々見てきた。いくら強くなろうが私達は歯車で、上層部の思惑の中だ。
 非術師に蹂躙されてきたあの子達に、非術師を守るために戦って死ねだなんて、口が裂けても言えるはずがない。それこそ残酷だ。じゃあ非術師にも呪術師にもなれない女の子を、誰が守るというのだろう。答えはおのずと決まっていた。
「君にも無理に母親になってくれなんて言うつもりはない。でも、もし仮に君が許してくれるのなら……私は君とあの子達と家族になりたい」
「なる」
 無意識に頷いていた。あまりの即答に、傑はぽかんと間の抜けた顔をする。
「本当にいいのかい? 私から頼んでおいてなんだが、子育てはこの先十年二十年と続くんだ」
「知ってるよ。私だってまだ子供だし、いきなりちゃんとお母さんやれるかはわからないけど……あの子達に幸せになってもらいたい。誰かに甘えたり、世話されたり。人並みの経験って大切だと思うの。自分に宿る術式を恨むほど、不幸なことはないはずだから」
 己の運命を呪いながら生きることは、つらく悲しいことだ。不遇な幼少期を送ってきたあの子達が、せめて「生まれてきてよかった」と思えるように。家族の温もりだって、傑とならば感じられる気がしたのだ。
「ありがとう。正直、私ひとりじゃ不安だったんだ」
 傑はほっとしたように眉を下げて、息を吐いた。私が傑を追って来なければ、男手一つで二人を育て上げるつもりだったのか。何とも無茶な判断に、つい笑いがこみ上げる。
「ふふ。それでこんなものを?」
「あ!」
 ソファの背に挟まっていた本を引っ張り出す。ピンクの表紙にポップな書体とオムツ一丁の赤ちゃんのイラストがかわいらしい。『女の子の幸せ名づけ辞典』と書かれたその本には、既に何枚もの付箋が貼られていた。十八歳の傑が書店でこの本を購入している光景を想像すると、微笑ましい気持ちになった。
 パラパラとページを捲る私の横で、傑は少し気恥ずかしそうに前髪を掻き上げた。
「名前は、親が子に与えるはじめてのプレゼントだからね。ずっと悩んでいたんだ。せっかくなら双子らしい名前がいいのだろうけれど、どうやら私には名づけのセンスはないらしい」
「子どもの名前を考えるなんて、普通の人でも人生でそう何回もあることじゃないからね」
「ああ。でも、非術師の名前を参考にしたところで意味ないのかもしれないな。どれもピンとこない」
「苗字もわからないなら画数では決められないし、こういうのは親の願いを込めるものなんじゃない?」
 そう口にしてふと、傑の両親は息子の名前にどのような願いを込めたのだろうと考えた。とびぬけて優れた人に、との意味を持つ「傑」は、呪霊操術を持ち特級呪術師となった彼にふさわしい。奇しくも親御さんの願いは叶ってしまったのかもしれない。けれど選ばれた存在として生まれ落ちたたがために、その名をつけた親を殺すことになるなんて、なんとも皮肉なことだろう。
 私の意見に、傑もふむと頷く。
「なるほど。願い、か。『みんなに愛される人になりますように』でみ、な……。君と硝子から『子』の一文字もらってミコ、ミナ。いや、ミミコとナナコはどうだろう」
 傑は近くにあったチラシを裏返して『美々子』と『菜々子』とボールペンを走らせた。整っていて、きれいな響きだ。みんなに愛される。疎まれ酷い扱いを受けてきた彼女達の今までを思えば、傑の願いは痛いほどわかった。
「……いい名前。素敵」
「本当かい? お気に召すといいけど」
「きっと気に入るよ」
「そうかな」
「そうだよ」
 与えることもまた、幸せなのだ。大人と子どもの境目にいる私は、その時はじめて親の気持ちの片鱗を理解できた気がした。

 お風呂を借りて、体を清める。シャワーで湯を頭から勢いよくかぶると、ずっと張りつめていた神経がやっと緩んだ。呪術高専での軟禁、脱走、傑との押し問答、新しい家族。勢いできてしまったけれど、目まぐるしい変化だ。気づけば今さらどっと疲れが押し寄せてきて、もう今日は泥のように眠りたかった。
 手持ちの服が一枚もないため、とりあえず傑のTシャツを借りる。ワンピースかと見間違う有様だったが、これはこれで具合が良い。
「あれ? どうしたの?」
 重い体を引きずり脱衣所から廊下へ出ると、先ほどの双子が無言で佇んでいた。びっくりして、心臓が跳ねる。映画『シャイニング』にどこか似たシーンがあった気がする。二人は手を繋いで、やはり黒髪の子は人形を抱いていた。私の顔色をちらちらと窺いながら、おずおずと交互に口を開く。
「あのね、さっきはごめんなさい」
「……怒った?」
「ううん。怒らないよ。私こそごめんね。急に知らない人と暮らすなんて言われて、びっくりさせちゃったよね。嫌じゃない?」
 膝に手を当てて、腰を屈める。上目遣いでおどおどと遠慮がちなこの子達は、大人から怒られた経験ばかりなのだろう。ところが二人は私の問いに、今度ははっきりと首を振った。
「げとうさまが大丈夫って言う人なら、大丈夫」
「私達ね、げとうさま、大好きなの。助けてくれたから」
傑への信頼と感謝を語る彼女達の目は、きらきらと輝いていた。傑はたくさんのものを捨てたけれど、こうして救えた命もあった。今度こそ間に合ったのだ。星漿体のあの事件とは違う。
「……そう。私もね、傑が好き」
 「一緒だね」と内緒話をするように顔を寄せると、二人も花がほころぶように笑った。子供らしい屈託のない笑顔。
 もう一度、彼女達の名を問う。
「お名前を聞いてもいいかな」
「私ななこ!」
「み、みみこ」
 双子でももちろん性格の違う二人は、嬉しそうに新しい名前を教えてくれた。まだ慣れないのか、少し舌足らずだ。
「名前」
「え?」
「げとうさまが、そう呼んでた」
 不意に私の名を呼ばれ、目を丸くする。ぽかんと口を開けてフリーズした私を心配してか、美々子が私の手を握った。温かい。白くてやわらかい子供の手。爪も小さくて、腕も指も細くて心許ない。そんな薄い肌にはいくつもの紫や黄色の痣が散っていて、私はそっと優しく触れた。どうか早く治るといい。
 この子達は、これからどんな人生を送るのだろうか。それはおそらく私達の肩にかかっている。なんて責任重大で、なんて尊いのだろう。泣きそうになって、顔を手で覆う。そんな私を、四つの目が不思議そうに見上げてくる。
「どうしたの? どこか痛い?」
「ううん。なんでもないの。……ただね、よかったなって」
 笑いながら泣く私に、菜々子が「変なの」と唇を尖らせる。いつかこの子達もわかるといい。痛くて怖くて泣くのではなく、嬉しくて安心して流す涙があることを。
 傑が全てを捨ててでも守りたかったものを、私も守りたい。傑が居て、この子達が居て、手にはこの温もりがある。この生活に一体なんの不自由があるというのだろうか。




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