Goodbye, my friend

 海を見たことがないという美々子と菜々子のために、水着を買った。時間が止まったような山奥の村でずっと幽閉されて育った彼女達の世界は、共に暮らし始めると驚くほどに狭かった。まだ人混みに気後れする二人を連れて原宿に向かい、可愛らしい揃いの水着を買い与える。「夏油様も一緒に行ってくれるかな、ウミ」「どうだろう、傑は忙しいから。でも私からも頼んでみるね」「楽しみだなぁ」段々と年相応の反応を見せるようになってきた二人が愛おしい。高専を捨て傑の手を取ることを選んでからというもの、教祖として裏世界で血生臭い日々を送る傑とは反対に、母親の真似事をする私の日々は呪術師の頃よりずっと穏やかだった。両の手それぞれで二人と手を繋ぎながら原宿の雑踏の中をゆっくりと歩いていると、久しい声に呼び止められた。
「いつの間に子持ちになったんだよ。名前」
「……悟」
 どうしてここに。まさか高専の連中は私だけでも捕らえに来たのか。咄嗟に辺りの呪力の気配を探るも、目の前の男以外に呪術師は見当たらないようだった。悟の顔も強張っていることから、きっとこの邂逅は偶然の産物だったのだろうと結論づける。
「私と傑の子なの。可愛いでしょ?」
「はっ、つまんない冗談だな。その子らどう見ても5歳超えてるだろ」
 吐き捨てるように言う悟のサングラスの奥の目が笑っていないことは明らかで、つい先日まで同級生だった男から発せられる明確な殺気に私の背筋を嫌な汗が伝った。百人以上の一般人を呪殺した夏油傑と、それを逃亡幇助した私。それだけのことをしたのだ、当然のことだろう。
「この人だれ?」
「知り合いだよ。大丈夫だから」
 平然を装いつつ、私を不安げに見上げる美々子と菜々子を庇うように後ろへ下がらせる。この男とまともにやり合えば私に勝機はない。私の命をここで犠牲にしてでも、せめて二人をこの場から逃さなければ。動揺を悟られぬよう横目で周囲の様子を見回す私に、悟は「心配しなくても殺しはしねえよ」と唸った。
「……高専でお前の除名が決定した。最初は行方不明扱いだったけど、お前が自分の意思で行方を眩ませて傑と逃げたとの判断だ」
「そう。今さら戻る気はないし別にいいよ」
 どうしてそんな傷ついた顔をするのだろう。悟にとって一番大切なのは夏油傑で、それは傑にとっても同じはずだった。私は路傍の石、とまではいかなくとも彼にとってはただの同級生に過ぎないだろうに。
「傑と一緒に居るんだろ。どうして裏切った?色恋に目でも眩んだか」
「……『どうして』?」
 何を分かりきったことを。悟の目を真っ直ぐ見返すと、彼のサングラスの奥の瞳が揺れた。不遜な態度を崩さなかった悟が、ここまで精神的に打ちのめされているのを見たのは初めてかもしれない。高専での三年間、いつだって自信満々な悟の鼻を明かしてやりたいとずっと思っていた。それがここで思わぬ形で叶ってしまったことに、少しだけ胸が痛んだ。
「自らの肉親すら手にかけた傑を、一人ぼっちにはできないでしょう?」
 自分でも驚くほどに呆気なかった。呪術師としての使命感だとか仲間への責務や血のしがらみを全て捨てて愛する男の手を取ることは、やってしまえば実に簡単なことだった。罪悪感が無い訳ではない。傑の思想が正しいのだと確証がある訳でもない。私を、ろくでもない男に絆された愚かな女だと嗤う人もいるだろう。けれど何よりも、誰よりも悩み誰よりも傷ついた夏油傑を放っては置けなかった。五条悟は、一人で誰にも届かない高みへとあっという間に登り詰めて行ってしまった。それなら今は一体誰が、傑の隣に居てあげられるというのか。
「……俺は一人でも大丈夫ってことかよ」
「悟に私は必要ないよ」
 残酷な言葉を投げ掛けている自覚はある。これ以上話を続ければそれこそ他の高専関係者に見つかってしまうかもしれない。これで最後だ。きっともう次に顔を合わせることはないし、もしその時が来たらそれこそ殺し合いだ。最後に彼の顔を目に焼き付けて「じゃあね、悟」と背を向けると、「……勝手に決めんなよ」とまるで溢れ落ちたかのような言葉が耳に届いた。その声が濡れていたのは気のせいだろうか。振り返らず歩き出した私に知る術はない。さよなら、強く美しい人。信頼してたし愛してもいた。ただ、隣に居ても遠すぎただけで。
 「今日の晩ご飯なにー?」「カレー」「またー?」「料理苦手なの。ごめんって」足元に纏わりついてくる美々子と菜々子の頭を撫でて、笑う。これが私の選んだ生活だ。仮初の平穏と、不完全な家族。
「早く家に帰って、四人で食べようね」




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