「兄様、明日は父上の一周忌です。…葬儀にはお越し頂けなかったので、せめて、花を手向けてはくれませんか。」
「……」

目の前の好青年はそう言って自分を見つめた。彼の瞳の中に移る小さな自分をぼんやり眺めて、それからいつもの癖で煙草をポケットから取り出すと咥えた。それを見ていた勇作さんと目があったので、反射的に煙草を一本差し出せば、目の前の男は少しだけ口角を上げて一本だけ、と言って受け入れた。ライターで火を灯してやれば彼は慣れてはいないがかと言ってぎこちない感じでもない雰囲気を見せて煙草を吸い始めた。昔からこの男はこういう男だった。卒なくなんでも熟す、いい男であった。

久々に帰った実家は案の定庭に草がぼうぼうに生えていて、家の中は玄関を開けた瞬間カビ臭さに満ちていた。叔母が時折空気の入れ替えと掃除をしに来ていたみたいだが、やはり人が住まないと家は急激に老朽化するらしい。家全体の窓を開けて水を出しっぱなしにしてこれからどうしたものかと考え込んだ矢先、突然インターホンがなったかと思えばそこに居たのは久しく見ていなかった我が弟の姿であった。

「お庭の前にBMWが停まっていたのできっとそうではないかと思っていました。ちょっと緊張したんですが…」
「勇作さん、毎年ここに帰ってるんですか」
「いいえ。今年は、父のことがありましたから…。兄様も、それで今年は帰ってこられたのではないのですか」
「…いえ、たまたまですよ。祖母の3回忌でもありましたし。」
「兄様のお母様が亡くなって、ちょうど10回忌でもありますよね。」
「はは、覚えてるんですね」
「ええ。もちろん。兄様のお母様のことですから。…去年の父上の葬式にはなまえさんも来ましたよ。兄様に会えるんじゃないかと思っていたに違いありません。」
「………」
「よかったら、お呼びしましょうか」
「勇作さん、余計なことはせんで下さい。」

ぴしゃりとそう言えば少しだけ悲しそうな目でこちらを見る優男と目があった。久々にこうして間近に見た彼は予想以上に背丈が伸びて、大人の顔つきとなっていた。ひぐらしの声が間遠に聞こえてきて、縁側から差し込む橙色の光が眩しくて思わず目を細めた。仄かにいい香りがするのは横にいる男の香りのようだった。縁側にある自分の靴と目の前の男のハイブランドらしいいい靴が規則正しく一定の距離を保って並んでいるのを見ると、何だか滑稽に見えた。彼は昔と変わらず姿勢が良く背筋がピンとしていて、納戸にもたれる怠惰な自分とは大違いだと思った。ぼんやり彼を眺めていれば、目の前の男は視線を少しだけ下げて、それから意を決したように再び視線をこちらに向けるとゆっくりと口を開いた。

「彼女は兄様に会いたいと、言っていました。」
「は、」
「お恥ずかしい話なのですが、私は一時期なまえさんに好意を寄せていました。あの夏から…、東京に彼女が戻ってきた時から、今度は兄様に変わって僕が彼女を守る番なのだと、そう勝手に決めてそう思い込んでいました。」
「………」
「彼女といるといつも兄様のお話が出てきました。僕がしきりに聞いたというのもありますが、兄様のお話をする時の彼女のお顔がとても生き生きとしていたので、嬉しいような羨ましいような、そんな複雑な気持ちによくなりました。彼女はよく兄様に何度も手紙を書いているのに返事が返ってこないこと、今何をしているかも分からないことなど、よく私に相談してきたんですよ。」
「………」
「私は兄様が口止めをされたので、きちんと守ってきました。しかし、もう、それもいいんじゃないでしょうか。私たちは十分に歳をとりました。僕は彼女が兄様に会うべきだと思うし、同じように兄様は彼女に会うべきだと思うのです。それとも、兄様はそんなに臆病な方だったのですか?」
「会わないうちに随分口が達者になったようですね、勇作さん。」
「私ももう、子供ではないので。」
「………」
「この通り、どんなに緊張しても、インターホンも一人で押せるようになりました。」
「それは皮肉ですか」
「そう聞こえましたか?」

そう言って笑った拍子に勇作さんは煙草の灰を即席で作った灰皿の空き缶にトントンと落とした。その薬指に光った金色の指輪は橙色の光を浴びてなお一層光り輝き、黄金色の光を放っていた。勇作さんがお土産にくれた千疋屋の大きな紙袋の中身は西瓜らしかったが、こんな大きなものを一人で食うのも正直億劫に思えた。

「兄様、私は自分の手で幸せを掴んできました。兄様に疎まれようとも、私は兄様をたった一人の兄弟であると今でも思っています。葬式に来なかったのだから結婚式に来ることはあまり期待してません。でも、他人の幸せに関心がなくても、せめて、自分の幸せを考えることだけは、放棄しないでくださいね。」
「………」
「兄様は、お母様とは違う。どんなにひどい事をしてもその手を振りほどかずに、きちんと答えてくれる人が、すぐ見える所にいることを忘れないでください。」

そういうと勇作さんは小さく笑って、それから吸い殻を空き缶に放り込んだ。そしてそろそろお暇しますと一言そう言うと、そのまま縁側から退出していった。

「あ、それから、」
「あ」
「もう、連絡してしまいました、彼女に。…では、さようなら。」
「………」

そう言って珍しく悪戯っぽく笑った腹違いの弟に思わず面食らってしまったが、次の瞬間には脱力して、随分小さくなってしまった煙草を思いっきり草がぼうぼうに生えた庭に投げ入れようと腕を振りかぶった。だが、次の瞬間には息を吐いてグッとその衝動に耐えると、勇作さんと同じように空き缶の中に綺麗にしまい込んだ。頭上で数匹の赤とんぼがくすくすと笑うように飛んでいるのが、実に恨めしく思った。









日はすっかり沈んでしまった。裏山を去る前に再び丁寧に沼に向かって手を合わせて、それからお互いにしっかりと手を握って下山した。怖いけれど、怖くないような、訳のわからない、心臓が無性にばくばく言うような、そんな心地がした。神社の鳥居のある入り口付近は人だかりが出来ていて、すでに先陣を切って灯篭を流し終えた人々の帰る波をかき分け逆らうように歩いて行った。

運がいいのかよくわからなかったが、最後に1つだけ残っていたらしい灯篭を一つ買うと、そのままその場で百ちゃんはライターで火をつけた。出店の人に聞いたが、この灯篭は海の方まで行ったら、漁港の人が一網打尽にして回収するのだそうだ。環境問題ってやつだな、と言っておじさんが笑う横で尾形君はふん、と鼻を一つ鳴らした。

「綺麗だね。」
「全部同じだろ」
「どこで流せばいい?」
「適当でいいんだよ」
「百ちゃんはどこに流したの?」
「この辺」
「じゃあこの辺で流そう。」
「転ぶなよ」
「そうやってフラグ立たせるのやめて」

川の砂利で転ばないように注意しながら彼の手を引いて灯篭を川に乗せれば、あっという間に灯篭は水の流れのままに行ってしまった。思いの外緩やかに、そして先に行ってしまった沢山の光の玉を追いかけるように流れて行った。灯篭のともし火の揺らぎが何処と無く切なくて、なんだか言葉に詰まるような、胸を締め付けるような、そんな気がした。暫くぼうっと二人してその灯火が小さくなるまで眺めていたが、私がくしゅん、と小さくくしゃみをすれば、彼はもう帰るぞと一言そう言った。意外にあっけないものだと思う。田舎の灯籠流しなんて本来こんなものなのだろう。私が昨日見た灯籠流しはとても幻想的に見えたが、あれはきっと奇跡に近いものだったのかも知れない。まさか十年越しにあの灯篭を再び見ることができるだなんて思わなかった。

「一瞬なのね。」
「こんなもんだろ」
「昨日百ちゃんが流した灯篭は、海まで行ったかな…」
「その前にぶっ壊されてるかも知れねえけどな。」
「そんなことないよ。きっと海にまで行ったよ。」
「一網打尽だってあのおっさん言ってたけどな。」

むすっとして口を尖らせれば彼はくつくつと喉を鳴らした。トボトボと歩いて家路につく途中通った橋の上で再び灯篭を眺めた。百ちゃんは隣で煙草を吸うかと思えば、珍しく同じようにぼんやりと眺めていた。正直、百ちゃんはもっとリアリストなんだと思っていたけれど、酷く何かに固執するところがあったなということも思い出した。百ちゃんの闇深さは私がよく知っているが、大なり小なり、人はそういう部分を持って生きているのかも知れない。私とて同じだ。

こうして記憶が無いことをいいことにのうのうと生きてきたのだ。その間、彼はどんな気持ちで私との連絡を絶っていたんだろうかと思う。そんな中でもし私が消えた穴埋めをあの指輪に求めたというならば、途端に彼が人間らし思えてきた。尾形百之助という男が急に現実味を帯びてきた気がした。普段何を考えているかも分からない人だけど、でもおかしくはないかも知れない。実際、彼のお母さんは愛に生きてこうなってしまったのだ。彼はその血を間違いなく継いでいる。

「百ちゃんてロマンチストだよね」
「言っとけ」

そう言ってガシガシと私の頭を乱暴に撫でた。そして一頻り撫で回すと満足したのかその手を止めた。背後に間遠に聞こえていた人々の声もすでに薄れかかって、もうビックイベントが終わったことを知ることができた。蝉の鳴き声が少しだけ和らいで、カエルの鳴き声がそこここに聞こえてきた。お腹すいたと呟けば、ああ、とぼんやりと返事が聞こえた。もうすっかり見えなくなってしまった灯篭に少し名残惜しさを感じつつも帰ろうかなと彼の方に向き直した刹那、突如彼は首から下げていたそれに手を伸ばすと、徐にブチっと乱暴に剥ぎ取った。

そして何を考えていたのか知れないが、それを握りしめて大きく振り被った直後、突然前方の真っ暗闇の川へと投げ入れてしまった。月の光を浴びて投げられた指輪は一瞬キラリと輝きを放ち、そして絵に描いたような美しい放物線を描いて、そのままチャポンと川の方に吸い込まれていってしまった。口をあんぐり開けて唖然としてその様子を見ていれば、彼は顔色一つ変えずにチラと私を見た。光の灯った灯篭とは違って、指輪は一瞬の光を放って、呆気なくすぐに暗闇へとまぎれて見えなくなってしまった。

「な、なんてことを…」
「ああ」
「ああって…」
「なんだ、欲しかったのか」
「いや、欲しくないけど…って言ったらなんか角が立つから。」
「欲しいならもっといいもの買ってやるよ。あんな安物。」
「安物じゃないでしょ…そういう事じゃなくて…形見だったのに。」
「もういいんだよ、」
「………」
「必要じゃなくなった。」

今のさらっとしたものはプロポーズとして受け取ってもいいのかとも一瞬真面目に考えてしまったが、それどころでは無かった。心底大事に首に提げていたので相当大事にしていたかと思っていたというのに、久々に再開してから何かつかめるかと思いきや、なお一層彼の事がわからなくなってきた。

「指輪、大事にしてたんでしょう?」
「指輪なんかじゃねえよ、鎖みたいなもんだ。指輪なんていうから聞こえがいいが、俺の母親はそのせいで死んだようなもんだ。」
「………」
「世の中の女は大層有り難がるが、これはそんないいもんじゃねえ。鎖だよ。」
「…じゃあ、その鎖を今度は百ちゃんが私につけるの?」
「ああ。」
「ああって…」
「みょうじなまえって女は危なっかしくて見てらんねんだよ。鎖で繋ぐぐらいの事しねえと、すぐ転ぶからな。」

また記憶が失われても困る。そう言って本気とも冗談とも分からぬニッコリとした笑顔を向けると、彼は静かに煙草の煙を吐いた。そしてすっかり小さくなったその煙草を華麗なるフォームでぽいと川に投げ捨てた。環境破壊もいいところだねと言えば無視して、それから私の手を引いて再び歩き始めた。色々言いたいことはあるが、確かに、そろそろ帰らないときっとお婆ちゃんが心配してしまうだろうから、黙ってそれに従った。

「また来年もやろうよ、きっとお父さんもお母さんも喜ぶだろうから。」
「面倒くせえ。」
「薄情だなあ…」

そう言えば痛くも痒くもないのか百ちゃんは「はは、」と笑う彼を横目で見ながら、そっとその太い指に自分の指を絡ませた。

「勇作さんの結婚式の方が、まだマシだな。」

なんだ、ちゃんと連絡取り合ってるんじゃん。そう言いかけてかぶりを振ると、黙って絡まる大きな手をぎゅっと握り返した。


2019.08.13.








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