ロイヤルアーク

「おめ…月島…月島くんか?」
「あ…」

声を掛けられた方向を向けば其処には年齢は基さんと同じ位のお店のエプロンを着た男の人がいて、基さんを見た直後突然声を上げたかと思えば、私を見て再度ぎょっとしたように目を見開いた。基さんを見遣れば最初誰だお前、のような表情をしていたが、暫くした後に思いだしたのか「あ〜…」と言うような微妙な声を上げてそれから声を上げた店員さんに視線を向けた。そしてあまりそれに構わず私がもぐもぐと出された定食を食べ始めてしまった。

「お兄さん基さんの知り合い?」

私がそう話しかければお兄さんははっとして意識を戻すとあはは、と頬をかきながら私に口を開いた。「高校の同級生なんですよ」と私に向かって努めて標準語でそう言って、ちらりとお店のお兄さんは私の手元を見て、それからお盆を持ってそのまま立ちながら(頼んでもないのに)話を嬉々として続けた。基さんは何処かちょっと面倒くさそうにしながらもぐもぐご飯を食べ始めていた。遅めの昼食をと車を走らせて適当に止めた港町でまたまた適当に入ったのがこのお店だった。何か味のある感じがしてここがいいなと私がいつもの如く彼の腕を引っ張っていったのだが、今回は流石にミスってしまったかもしれないとちょっと反省した。友達がいない、とはっきりというくらいの彼のことだから、もしかしたら会いたくない人だったかもしれない。

「いやあ、まさかあの月島君が、こんな綺麗な女の人連れてくるとは思わなかったんですよ…お姉さん、東京の人?」
「はい。」
「まあ、そうか。月島君がまたここ(佐渡)に戻って来るとはなあ…」
「はあ…」
「高校卒業以来いっこせいこいけせんで、どげしたと思って…」
「そ、そうですか…」

ちらと基さんを見れば自分の知り合いなのに我関せずといった具合でおしんこをパリポリ噛んでいて、お兄さんの方言がだんだん厳しくなってきたところで基さんはずず、とお味噌汁を啜ると一言、「墓参りに来た」とだけ宣った。するとそれまで陽気に喋りかけていたお兄さんもふと微かに目を見開いて、それから「そうか…」と言って何かいろいろのことを察したのか、次のお客さんが来たからかそのまますっと入口の方へ行ってしまった。

「仲いい人?」
「別に。そこまで仲のいい奴でもないし、話しかけられなければ気づかなかったしな。」
「そう…」

もぐもぐと釜炊きのご飯をたべるが何だか不思議と味がしない。ご飯をたべている最中ずっと考えていたのはこのお兄さんと基さんの事だった。そう言えばここに来る前にいじめっ子の話をしていたが、もしかしたらそのいじめっ子が彼なのかもしれない。直接本人にはもちろん聞けないし、聞いてもきっと覚えていないかもしれない。意地悪や虐めというのはいつだって加害者の方は忘れてしまうのだ。虐められた人だけ、いつも心の隅に冷たいナイフのようにその記憶が巣食っていて、何かの折にぐさりと心の柔らかい場所を傷つける。付け合わせに盛られたえご草のえごねりを一口食べてお味噌汁を飲み干すとお箸を綺麗に並べて置いた。

「ごちそうさま」
「なんだ、もういいのか。」
「うん、お腹いっぱいになっちゃった。」
「…そうか。」

お互い口にはしないが居心地の悪さを感じてもくもくと食べ終わると早々に店を後にした。帰り際、お勘定の際に基さんは少しだけ先ほどの淡白な対応に罪悪感を抱いたのかは知れないが、あの店員のお兄さんにひらりと手を振って暖簾をくぐ手出ていった。帰り際にちらと視界の端で店員のお兄さんを見たが、どこかぼうっとしたような目つきで基さんの背中を見つめているようだった。私も軽く会釈をして店を出ると、先を行く基さんの背中を追いかけて小さく駆けた。するりと彼の腕に自分の腕を絡ませれば、潮風を受けて少しひんやりとした腕の温度を感じた。小雨も降りやみ濡れた地面から雲間からでたり入ったりする太陽の日差しに照り付けられて蒸気が出てくるようだ。水平線の向こう側に小さな舟や戦艦のような船が散らばっているのが見える。それを写真に収めたくてポケットをまさぐっていれば急に基さんがその歩みを止めたので、私も倣って歩みを止める。なんだろうとふと彼に視線を向ければこちらを横目で見ている基さんとばちりと目が合った。

「車に戻る前に、少し散歩するか。」
「うん」

私がそう言えば基さんはにこりと口角を上げて、再びとぼとぼと歩きだした。ここに来るまではすごく狭くて閉鎖的なイメージを持っていたが、いい意味でその予想は覆された。エリアによっては都会のチェーン店はだいたいあるし、思っていたよりも広いので因習の残るような村社会という印象も意外になかった。とはいえ、さっきみたいに知り合いに会うことはもちろん多いだろうし、本島に行くのには時間はかかるのを抜きに考えれば平野もあるし、地酒や温泉も有名で居心地の良い島だと思う(基さんがお風呂と日本酒が好きなのはもしかしたらこの土地柄なのかもしれないともちょっと思った)。海は綺麗だし、人も観光客に慣れているのか非常に親切だった。こんないい故郷なのに、基さんは避けていたんだと思うと少しだけやはり胸が痛んだ。ただ交通の便がちょっと悪いだけで十年以上も故郷に帰らないのは、やはり普通ではないと思う、そう思いながらスマホのカメラのシャッターを切った。ふと視線を上げれば基さんは海の方ではなく違う場所に視線を送っていたのでその視線をたどれば、そこには自転車に乗る男女二人の高校生が反対側のガードレール沿いに走っていた。此処からは話し声は届かないが、楽しそうににこにこ笑っている。恋人同士だろうかと思いつつ、なんだか甘酸っぱいような気がして思わずシャッターを切った。

「基さんの母校もこの辺?」
「ああ。『佐高』。」
「さこう?」
「高校。あの制服がそうだ。」
「ふうん。」
「この辺と言ってもここから自転車で20分以上はかかるけどな。」
「毎日通うの大変そう」
「慣れだな。しかも高台にあるから自転車がしんどいんだ。おかげで部活は行ってないのにそのうち男も女も筋肉が付いてくるぞ。」

嬉しそうに目を細めてそう言いながら基さんは思い出を思い起こしている様子だった。この島の学校と言えばそう多くはないはずだ。きっとこの辺の子供たちは皆高校を卒業するまでずっと同じなのだろう。先ほどの高校生爽やかカップルがどんどん遠ざかって小さくなっていくのを尻目にぼんやりそう考えていたら、ふと、彼女も基さんときっとずっと一緒だったんだろうなと想像ができて思わず足元に視線を落とした。基さんもぼんやり海を見つめたまま口をきゅっと結んで何かを考えているようだった。御盆休みだからか、どこもかしこも子供たちの元気な声が聞えて、それから複数の軽快な足音が聞こえてくる。その瞬間、頭の裏で砂嵐のようにある映像がフラッシュバックした。

「、」
「どうした?」
「ううん…基さん、」
「ん?」
「もしかして、この辺りに崖はないかしら。隠れられそうな岩陰がいっぱいあるような場所…」
「そうだな、一か所だけそんなところがあったな。松の木がよく生えてる場所で…知ってるのか?」
「…いえ、そんな気がしただけ。」
「そうか。」
「ネットで見た様な気がして。…そろそろ行きましょうか。」
「ああ。…それより大丈夫か?」
「はい?」
「顔色が悪いぞ。」
「ちょっと潮風に当たりすぎたかも。」
「…なあ、無理しなくていいんだぞ。」
「え」
「もし、ホテルに戻りたいなら今からでも…」
「行きましょう、基さん。」
「名前」
「行かなきゃいけない気がするんです。基さんの為でもあるし、私の為にも。」
「………」

行きましょう。目をじっと見据えて再度そう言えば、彼は私の手を引いてこくんと静かに頷いた。頭上では何か食べ物は無いかと探りに来たらしい鳶が二羽飛んでくるくる回っている。番だろうか。さっきの高校生とちょっと似ていると思った。車に戻る途中、ちらと先ほど高校生二人が通った道を見遣れば、当たり前だがそこにはもう影もなかった。良く分からないが、心臓がバクバクとうるさくて、思わず私の腕を引く基さんの腕に自分の腕を絡ませるとぎゅっと握った。本当は行きたくない気もするけれど、ずっとこのままこの気持ちを引きずるのも嫌だった。得体のしれない強迫観念に背中を押されて、私たちは数奇な運命のもとにここに居るのだと、根拠はないのだけれど今それが分かった気がした。置いてけぼりを食うのも食わせるのも、何も言わずに逃げるのも、もうたくさん、頭の中でそう叫んでバタン、と勢いよく助手席の扉を閉めれば、返事を返すようにぼおおおう、と船の鳴く声が間遠に聞こえた。



2018.09.08.

まえ つぎ


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