ヲルゴール

彼の好きな人が亡くなったのは彼が高校を卒業して間もなくのことだった。流石に死因は聞けなかったが、彼のその表情を見て察するに複雑な事情が絡んでいることはうかがえた。

―――どんな子だったの?
―――可愛かった?
―――優しかった?
―――いい子だった?

あらゆる質問が私の心のうちに噴き出して、結局言葉に至らずに消えてしぼんでいった。まるで朝顔のようだと思った。彼はあまりおしゃべりな方ではないし、私も色々減らず口は叩けるけどきちんと空気を読むくらいには歳をとっている。お互いがお互いを傷つけないように考えるからこそ、そして尊重しあうからこそ、結局黙ることを選択してしまう。お互いもういい年をしているし、勝手な自分の価値観でパートナーを傷つけたくはないのだ。でも、やっぱりお互いどう思っているのかは気になるから、ほんの少しずつ、ぎこちなくなっていくのだろう。今まで回っていた歯車が、錆びて回りにくくなってしまうように。

「ここにずっと居たら、髪がぼさぼさになっちゃうね。」
「潮風だからしょうがない。肌もかっさかさになる。」
「やだ〜。」

うわあと言いながらベッドに転がり込めば、お風呂に入って生乾きの頭を提げた彼もベッドに腰を掛けた。ツインのベッドルームの奥にバスルームがあって、温泉は別の場所にいちいち行かなきゃだけど、バスルームからも窓から海が見えて文句なしのオーシャンビューだった。開け放ったバルコニーの窓からは夜の波の音と潮風のびゅうびゅう言う音が入りこんでカーテンを揺らす。彼の忠告に従って鞄の中からニベアローションを取り出すといそいそとそれを全身に塗り始める。彼は隣のベッドでくあ、と欠伸をしながら髪の毛を乾かすのもそこそこに体を横たえた。シモンズのふかふかベッドならよく眠れるだろうと安心しつつ時計を見遣れば既に夜の12時を回ろうとしていた。ベッドサイドには時計と電話機の置いてある傍らにイルカの置物があって、手に取ればオルゴールらしくポロロン、と軽快で楽しそうな音が流れたかと思えばあっという間に消えた。

「フレンチよかったね。いっぱい食べれたし。」
「ああ…おかげで眠い。よく眠れそうだ。」
「明日何時にお墓参り行くの?」
「夕方からでいいだろ。午前中午後行けば混んでるぞ。」
「ふうん。」

まあ私は何時でもいいけどとぼんやり思いながらテレビのリモコンを手に取った。なんか面白いのないかなあとチャンネルを回していれば、いつの間にか基さんは下のリビングに降りていて、そこからさっきコンビニで線香のついでに買ってきたビールとグラスを片手に上がってきた。先ほどしこたまワインを飲んだというのに、まだ飲みたいんだと少しだけ驚いたが、グラスを手渡されれば断るタイミングを失って、まあ一杯くらいいっか、と思いつつ注がれたビールを飲み込んだ。そうしているうちにどこから出したのか今朝の「いごねり」までご丁寧に一口大にカットされて出された。こうしてみると深緑というか、随分深みのある色をしているなとじっとそれを見ていれば彼は何事もなかったかのようにもぐもぐ酒の肴にそれを食べ始めた。この辺の人はいごねりをいう時「い」と「え」の中間のような音でこれを呼ぶことに気が付いた。基さんもいごねり、と発音するとき「えごねり」というのだが、恐らくそれもこの辺の方言の影響何だろうな、とぼんやり思いながら一口食べてみた。酢醤油がかかっているのかちょっと酸味を感じた。

「ところてんの海苔のやつって感じ。」
「ああ。」
「甘い方が好きかも」
「そうか…きな粉買ってくればよかったな…。きな粉掛けて食うこともあるんだ。」
「へえ」

テレビには新潟の地方テレビが流れていて、明日の天気を知らせた。明日は午前中は佐渡の方は小雨の心配があるが、昼頃からは晴れるようだ。良かったね、と言おうとしてちらりと隣を向けば、傍らでソファに身を預けながらごくごくとビールを飲む基さんが見えた。いつの間にか2つ目のビールに手を出していて、いつも以上にペースが速い気がした。彼の大好き「えごねり」も先ほどのフレンチフード以上にもぐもぐ元気に口に運んでいるし、ちょっとご機嫌そうだった。

「飲むねえ」
「そうか?いつも通りだろ。」
「うーん」
「まあ、明日に響かない程度にする。」
「あはは、冗談。飲みなよ。故郷に帰って嬉しくない人なんかいないよ。ほら、」
「…悪いな。」

そう言って自分で入れようとビールに手を伸ばしていた彼の手を制し、缶を掴んで入れて上げれば少しだけ口角を上げて彼は私のお酌を受け入れた。最悪の場合場所教えてくれたら私運転できるし、今日彼には色々やってもらったしたまには私の番だと言えば静かに彼は笑った。時刻はそろそろ深夜1時に回るところで、テレビも際どいバラエティ番組や大人向けの旅番組などが流れていた。だんだん眠くなってくあ、と欠伸を一つすると、隙を見てするりと基さんのお膝に入り込んだ。基さんは何も言わずにそれを受け入れると、私の頭に手を添えて、バラエティ番組のエンディングテーマに会わせて人差し指をとんとんとリズミカルに叩いた。もう空いたビール缶は既に3つとなっている。2人して黙ってテレビを見ていたが、地方独特なCMが流れ始めたタイミングで何となしに口を開いた。

「その子ってどんな子だったの?」

私がそれを口にすれば、とんとんとそれまでリズムを刻んでいた彼の人差し指が止まった。そして暫く時間ぎ止まったかのように辺りは静かになって、聞こえてくるのは波の音とテレビの音だけが間遠に聞こえてくるようだった。視線だけ動かして彼の表情を伺えば、彼は視線をテレビに向けたままグラスを口に付けて止まっていた。私と視線が合うと暫く基さんは私の表情を伺ったが、暫く私を見詰めた後、静かにグラスの中のビールを一口飲んで一息吐いた。

「本当にお前は聞きたいのか?」
「聞きたくないけど、聞きたい。」
「なんだそりゃ」
「…聞きたくないけど、聞かきゃ気が済まないの。お化け苦手なのに、本当にあった怖い話を毎年見ちゃう、そんな感じ。」

私がそう言えば基さんはくつくつ喉を鳴らすとはあ、ともう一度大きく息を吐いた。グラスの中のビールを飲み干すとグラスをテーブルの上に載せ、徐にいごねりを一口口にするともぐもぐ咀嚼した。そして再び私にあと一口だけと言わんばかりにフォークで刺したそれを差し出したので、仕方なしにそれを食べれば彼は私の表情を見て再び笑った。テーブルの上の花瓶には今朝買ったばかりの瑞々しい花束がそっと静かに私を見ている。基さんはすりすりと私の頬を撫でながら酷く優しい眼もとでゆっくり切り出した。

「えご草って知ってるか?」


2018.08.26.

まえ つぎ


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