それは些細な始まりに過ぎない



※クザンさんはまだ海軍に居ます



チキンハートで定評のあるこの私が海軍に入隊して早数年。石の上にも何チャラの通り、つらく苦しい訓練兵時代を乗り越え、最前線にも運よくまぬがれ、持ち前の情報処理能力と直感の鋭さを買われたのか、私は本部で書類や情報の処理、その他上司の雑務等を任される課に配属となった。最初の頃は花の秘書だと浮かれて、これでいよいよ私も伝説のモテキというものを体験できるのではと思っていたが、現実はそんなに甘くないらしい。おまけに私の自慢の第六感は色恋沙汰となるとまるで機能しなくなる。本当こういう時に力を発揮してほしいというのにまことに不本意である。おまけに私を恋愛から遠ざけているもう一つの要因は、何を隠そう我が直属の上司に原因があると思われる。私の上司は「だらけきった正義」を抱えるやる気のない上司なのである。秘書業は内勤でほのぼのとしたように見えるかもしれないが、日ごろの雑務や通常業務、その上上司は確固たる地位の方な訳で、急な仕事も入りやすい。おまけに変わった上司に振り回されれれば、当然忙しくなる。その肝心の上司と言えば普段は勤務中にうたたねをする、わがままを言う、私にセクハラをするなどの行為に勤しんでいる。そのため、私には休日以外に平日には基本時間が無く、恋人もいない(というよりもこの仕事を続けている限りできない気がする)。もう恐らくこの人には直観とかも無意味らしい。

「…あの、大将」
「……」
「お、起きてくださーい…たいしょーう」
「……」
「………クザンさん」
「ん、なに。」

この野郎、と思わず握っていた書類をくしゃりとしてしまうところであった。呆れて思わずため息を吐けば、目の前の男はそのアイマスクをひょいっと上げた。彼はその長いおみ足をテーブルの上に載せて、座り心地のいい椅子にぐだっとだらけきったように背を預けていた。窓から差し込む朝日が彼をほわほわと照らす。思わず二度目のため息を吐いて、それから重要書類を彼に手渡した。

「まずこちらの高級紙の書類はセンゴク元帥からの書類ですから、“今すぐに”目を通して印をお願いします。それから、こちらの冊子は次回の七武海会議の一連のスケジュールと議題について、こちらの資料は昨日もお話しましたが今日午後11時半からの大将会議の議題の改訂版でして、それから、」
「あれ、なまえちゃん髪型変えた?」
「え、よく解りましたね!実は昨日変えたばかりでして…」
「やっぱりねー。似合うよ。」
「本当ですか!?」
「うん。可愛い可愛い。」

身を乗り出して腕を伸ばし、私の髪に自身の手を絡ませてくるくると弄ぶ上司に照れ臭くえへへ、なんて頭を掻いて、思わずはっとする。いけないいけない、またこのひとのだらだらオーラに飲み込まれるところであった。こほん、と咳払いをすると彼の手を退けるように牽制してそれから書類に目を通すように釘を刺した。そうすれば我が上司様は面白くなさそうな面倒くさそうなお顔をなさった。

「てゆうか、もうどれがどれだか分からんし、どれを先にすればいいか分からないんだけど。どれを優先すりゃいいんだっけ。」
「…大将、普通仕事の優先順位って上司が決めるものですよね…?」
「俺は普通の上司じゃないのよ、素敵で無敵な上司なの。あと名前で呼んでってば。」
「……わけわからん」

まあ確かに大将だし無敵かもしれないがとりあえず机にちらばっいているそれらを整理し、怒られる前にセンゴクさんの書類に先にサインをするよう部下である私が何故か指示をする。しかしこんな茶番ももう慣れたもので、最近ようやっとてきぱきとやれるようになった。三年ほど前にこの人の秘書(という名のお目付け役かかり)に任命された最初のころは本当に苦労したものである。この人はいつも無気力でだらだらしては私にもだらだらビームをかましてくる。挙句の果てには自分のペースに持っていき、仕事中にもかかわらず、食事に誘う、セクハラをする、などのハラスメントを噛ましてくるのだ。さぞかし前任の秘書(男性の方)は苦労したことだろうと同情したものだ。こんな人だと知る前は、ぼーっとしているように見えて実はすごくしっかりした方なんだろうなあと思っていたけれど、何とも見た目通りであった。このままでは次の秘書さんにも迷惑が波及してしまうので、なんとか自分の代でこの人を少しでも書類を早くさばけるような人にしなければと常々思っていた。

「なまえちゃん、」
「なんですか。」
「このあと暇?」
「この後はクザンさんはお暇じゃないでしょう?大将会議だって言ってるじゃないですか。またセンゴクさんに怒られますよ。」
「いいじゃないの。だいたいいつもあの人は怒ってんだから。じゃ、会議終わったらご飯ね。あのいつものレストラン予約しといて。」
「私は他にやることがありますので車とレストランの予約は致しますが、おひとりでどうぞ。」
「相変わらずだねー、なまえちゃん。」

はあ、と一息吐いたかと思ったら青雉さんは席を立って私の頭をぽんぽんと撫でると、そのままその長いおみ足を動かして部屋を後にした。私は印鑑をもらった重要書類を慌てて手に取ると、一応予約の電話をしてから会議室へ行こうと秘書課へと向かって行った。


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「あ、#myouji#ちゃん、お疲れ。」
「お疲れ様です。」

わがままでやる気のない上司のご要望通り、でんでんむしで予約を済ませて会議室へ向かう途中、一つ上の代の顔なじみの海兵の男性と廊下で鉢合わせた。人当たりのいい笑顔で、いつも本部ですれ違えば気持ちよく会話をする程度には良好な関係である。一応秘書として様々な人と交流し信頼を築くことは大変重要である。

「ちょっと急かもしれないけど、仕事の後何か予定あるかな?」
「え、えーと、」
「もしよかったら、ご飯食べに行かない?新しくできたすしバーがあってさ、なまえちゃん前に生魚平気だみたいなこと言ってたよね?」
「ああ、そういえば、」

そんなこと言ったっけ、と思いつつも曖昧な生返事をしてしまった。あまり立ち話も勤務中であるし、会議室で色々準備せねばならないので早くこの場を逃れたい。大将も待ってるだろうから(恐らくぐてんとしてるだけだろうが)、お茶を出さなきゃだし、とそこまで考えてふと自分の上司とのあの強引な約束を思い出して、思わずあ、でも、と言葉を発してしまった。

「すみません、実はこの後上司の食事に同席しなければならなくて(不本意だけど)……」
「ああ、そうだったの…にしても、本当に仲がいいというか、なんだか随分青雉大将に気に入られてるよねえ、なまえちゃん。」
「え、いや、そんなことは…」
「いやだって、ここ二、三年交代してないじゃない?前は年に一度は後退してたよな?」
「ああ、そういえば……」

そう言われてみれば、確かに交代の話も配属変更の話も聞いたこともなかった。毎日雑務に忙殺されてあまり考えられずにいたが、そう言えば私には転勤の話もここ数年聞かないし言われない。なんでだろうか。基本的には長い方が秘書としては仕事も効率よくできるようになるのでそちらの方がふつうであるが、軍隊ではスパイ活動や情報漏えいの関係からか、配属先がコロコロ変わることは珍しくない。その中でも自分は随分長く今の上司に仕えている。

「(なんでだろ。秘書課の課長にも何も言われてないし……)」
「ちょっと、何か遅いと思ったら、こんなところで油売ってたの?」
「た、大将。」

そう言って隣にいた上司は突然目の前に現れた大将に敬礼をした。私は思わず聞こえたテノールに視線を上げて驚いた。

「すみません、自分が彼女を引き留めてしまって…」
「困るんだよねえ。一応勤務中だしさ、俺の秘書だし。」
「す、すみません…」
「申し訳ありません、只今会議室へ参ります。」
「ん。」
「(自分だって勤務中に寝たり遊んだりしてるのに…。)」

そう言って我が上司は私の肩に手を置くとそのまま連れ立って廊下を歩き出した。私は先ほどの上司に目配せすると促されるまま歩き出した。今の上司には別段男性としての好意を持ってはいなかったが、こういうことがあるのでなかなか恋愛に疎くなってしまうのはやはり勘弁してほしいところがある。このまま結婚まで遠ざかったらどうしようと、思わず頭を過ってしまう。なんだかしょんぼりして、私の肩をつつむ人物に視線を上げた。横目で見た我が上司は何故だかちょっとご機嫌斜めのご様子だった。


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「やっぱり」
「何よ、やっぱりて。」
「いや、まだいらっしゃったとは…」
「いちゃダメみたいな言い方だな。」
「いえ、そう言うわけでは、」

ないようなあるような。会議が三十分も満たずに終わり(安定である)、それからお昼時を迎えた。雑務を終わらせてとりあえず自分も昼食にありつこうと秘書課の部屋の扉のドアノブに手に触れた刹那、何となく嫌な予感がした。とはいえ出ていかないわけにもいかないのでそのまま思い切って扉を開けば、案の定、視界には見覚えのある服が見えて思わず声が上がって、今に至る。

「車を待たせているのであればどうぞお早く。」
「そうそう、じゃあ行こうか。」
「や、可笑しいですよね?」
「なーんにも可笑しくないよね?」
「なんで疑問形なんですか?」
「さあなんででしょうねえ?」

ずずずと半ば強引に引きずられて、先ほどのデジャブだろうか。あれよあれよという間に私は用意した車に乗り込んで、そしてあれよあれよという間に彼のペースに乗せられてしまったのだった。この人本当に職権乱用も甚だしすぎてかえって清々しく思えてきたと思わず心の内で感心した。昼時のダイニングレストランは混んでいて、だが予約を舌だけあるのか席はテラスの特等席であった。本来ならば今頃食堂のパスタを咀嚼していたところが、特製の魚介パスタを食べることが出来たのは確かにラッキーだったと言えばラッキーか。大将は相変わらず餌付けよろしく私にパンはどうだとか水は大丈夫だとか、付け合せの野菜も食べなさいだとかこういう時に限って甲斐甲斐しく私に面倒をかける。仕事では私がうるさくする分、外出先では何かとこの人は私に文句やお世話のの一つや二つしたがるのだこの上司は。

「…クザンさんはやる気の出し方が可笑しいです。」
「何、だらけすぎだって?」
「まあそれもそうですけど。仕事の時はやる気ないのにこういう時だけてきぱきしてらっしゃるから。」
「まあ、そうね。」

カモメが遠くで鳴いている声がよく聞こえる。潮風が吹くたびにカーテンが揺れた。遠くでぽっかりと大小二つの雲が仲良く並んでのんびり青い空を渡っていた。すぐ傍の海には小さな船と大きな船が港から出たり入ったりする様子がここからよく見えた。もぐもぐ口を動かしながらその雲からふと視線を目の前に戻せばばちりと彼と目があった。

「おじさんもなまえちゃんの頃にはまあ若いし元気あったから、燃えてたこともあったけど、この年になると流石にね。」
「燃える…?あなたが…?」
「何その不信な目は。まあいいや。でも今でも大事なことには熱心だけどね。こう見えても。」
「たとえば?」
「目の前のスーパーぼいんのかわい子ちゃんを甘やかせることとかかな。」
「…セクハラですね」
「今は勤務外だからノーカンノーカン。」

飄飄とした様子で食べ物を咀嚼する様子からは到底見受けられないが、この人も真面目だったときなんてあったんだとやはりにわかに信じがたい。セクハラに熱心なことはよく知っているけれど(いつも尻拭いは私だ)。甘やかすと言えば、まあ確かに当たってるかも知れない。でもたぶんこれもセクハラの延長線上だろう。いつものことだから。大体この人自分勝手だし(というよりも大将の御三方皆自分勝手だけど)、数年一緒だけど何か何考えてるか分からないし。

「あ、そういえば、私もうかれこれ三年目に突入しますが、交代のお話とか全然来てないので、来年も引き続き私かも知れないです。」
「うん。」

さも不思議ではない様子だったのでなんだか拍子抜けで、何となく刺激してやろうとにたりと笑って続けてみる。

「残念でしたね。もしかしたら本当にぼいんな可愛子ちゃんがくるチャンスだったのかもしれないのに。」
「全然。」
「全然って、何ですかそのリアクション。」
「だって全然だもの。」
「でも、不思議じゃないですか。何の縁か知りませんけど全然交代しませんし、それに、」
「そりゃそうよ、だって俺が交代するなって秘書課に言ってるんだもの。」
「え。」

おもわずフォークでさしたプチトマトが皿に落ちた。思わず顔を上げて目の前の我が上司をあらためたが、別段変わった様子がない。聞き間違いかなと一瞬思ったが、彼がパンをかじりながら続けた。

「なまえちゃんが他のとこの配属にならないように俺が口止めしてんの。気が付かなかったの?」
「……全然。」
「多分そんなことだろうとは思ったけどね。なまえちゃんこういうの疎そうだし。まあそうゆうところも可愛いけど。」
「……あの、なんでそんなことを…?」
「さっきも言ったでしょ?可愛子ちゃんを甘やかせるのと、」
「はあ」
「あとは、タイプだからかな。」

さらりと、それこそ「俺A型だから」、みたいに彼はそう言う。タイプ。タイプって、つまりそう言うことですかねえ、と頭の中で考えて、思わず動かそうとしたフォークを動かせなくなってしまった。

「た、タイプって、つまり、」
「女の子として魅力的だよ、なまえちゃんは。ま、こんなおじさんじゃ君とは釣り合わないかもだけど。」
「いや、そんなことは!(何で急に!どうしたんだこのおじさんは!)」
「優しいね。前から思ってたけどやっぱりなまえちゃんのそう言うところ好きだよ。だから、もう少しおじさんのわがままに付き合ってよ。」
「…何故、急にこんなことを…」
「なまえちゃんが他の男のとこに行かないようにね、今のうちに予防線はっとこうと思って。私情も挟んだけど、優秀な部下なわけだし。」
「……左様ですか。」
「うん。愛想尽かされない程度にはサービスしないとね。」

そう言って彼はデザートのジェラートを一つ頼んだ。ここに来ると必ず頼む品で、私の為の品である(かつて初めて来たときに食べて感動してからというもの、彼は必ず私にこれを奢るのである)。ぼんやり空を眺めていたら朝に廊下で繰り広げられたほんの一幕が頭を過った。思わずふ、と笑えて来て、随分彼が可愛く見えてきた。この人もこういうところあるんだな。そう言う気持ちでいつも彼は私をこのように連れだって出かけてくれていたのだろうか。この人言われなきゃ答えない節があるからこういう時に困る。これじゃあ相変わらず振り回されなくりだが、正直、悪くないかもだなんて自分でも思って仕舞っているのも事実であった。

「私は、自分からクザンさんの元を離れる気持ちは、今のところ、無いですから、」
「そう。」
「その、もう少しだけ、お傍に居させてください。」

なんだか今更いうのも照れ臭いと思いつつジェラートを口に含めばふ、と笑った目の前の男性と目があった。ああ、恐らくこれから私は彼と上司と部下、という一線を越えた仲になるんだろう、と、珍しく色恋に関して直感が語りかけてくる。いや、というよりも、もうここまで彼に言われればふつうどんな女の子でも気付く筈か。そう思えばこの状況がいかに重要な告白現場であったかをますます認識させられた。その衝撃野すさまじい事、もはや自分の中では歴史的事件に値する。恥ずかしさに死にそうになってきた。ああ、本当にもうなんて自分は鈍いんだろう。スプーンを握る手に汗が止まらない。

「なまえちゃんて男女間のことになると本当に直感鈍るんだね。」
「…うるさいです。」
「図星だな、そう言うところが可愛い。」
「…………。」
「可愛いなあ。」
「…………。」


それは些細な始まりに過ぎない



(どうしよう、もうすでに色んな意味でこの人の秘書で居続ける自信がなくなってきた。)


2015.12.13.

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