失うことなど



「(…あと少しだ、)」

今頃寒さで震えているのではないかと思うと少しだけ彼女が哀れに思えて、自分でも気が付かぬうちに歩みのスピードを速めていたらしい。予想よりも早く目的地に到着し、視線を周辺に向ける。最近は専らこの寒さである、あいつはいつも体を縮こませて、それからポケットはダッフルコートの中に入れて、顔なんかすっぽりとぐるぐる巻きのマフラーに入れて寒いのを小刻みに震えながら耐えているのだ。俺を見つけるや否や、俺に恨めしそうに視線を向けて、それからたたっと走って体当たりを下かと思いきや、突然ポケットに入れていた此方の手に冷たい手を無理やりねじ込んで人の体温を根こそぎ奪うのだ。これは十年前と全く変わらぬなまえの子供臭い習慣であり、自分たちの間では冬の風物詩のようなものだった。

「…ん?」

敷地内に入り、一通り公園内をぐるりと見渡したが、いつものように帰りの迎えを噴水の前で待っているはずの彼女の姿はそこにはなかった。午後四時を過ぎた公園は木枯らしがふき、空も随分群青に染まってきているが、子供たちの声だけは活気があった。向こうにあるグラウンドでサッカーをして遊ぶ子供たちの声が噴水の水音と一緒にとぎれとぎれで耳に届く。かつかつとブーツを鳴らしながらとりあえず噴水の前まで来ると、いつもは彼女が座っているはずの場所に今度は自分が腰を下ろした。ぼうっとそのあたりを眺めていれば、ぞろぞろと途切れなく若い男女が公園の道を行ったり来たりしていた。耳を澄ませば幽かに吹奏楽や部活動の声も聞こえてくる。これから帰るらしい数人の女性グループと目があった時は、なぜか此方をちらちら見て、それからこんにちわ、と言って手を振ったので笑って振り返せばきゃっきゃっとはしゃぎながら小走りで去って行った。

それを見送ると思わずため息が出てしまいそうになったが、再び意識を往来に集中させた。ふと、視線を左に向ければ、実に立派な楠の木々の隙間から、赤レンガの立派な建物群が少し遠くに見ることが出来た。人々はあの建物から出たり入ったりを繰り返すのである。時計を見ればもう午後四時半である。何かあったのなら連絡があるはずなのだが。そう思って携帯を開いたが、案の定連絡はなく、くだらないメルマガが二件入っているだけだった。

いよいよ不安になり電話をかけようとした刹那、左側から若い男女の声が聞こえて思わず視線を上げて、スマホの画面から声の方向に移動させた。そこには見知らぬ男が一人おり、随分上機嫌なのかもともと野太い声が異様に大きく響かせていた。男は傍らを歩く女性に対して明らかな好意を示しており、始終隣にいる女性を見下ろして覗き込むように話をしていた。何の話かは此処からではよく解らないが、大学の話のようである。女性の方は別段何とも思っていないようすで、何なら傍らの男の声のトーンとテンションの高さに少し引いているようにも見えた。そして女性は俺と目が合うと、驚いたように肩を跳ねさせた。

「…サボ。」
「ああ。今日は随分遅いんだな。」

よっこいしょと立ち上がって近づけば、彼女、なまえは助かったというような顔を一瞬して、それから少々気まずそうに視線を此方からそらした。なまえの隣にいた男は明らかに怪訝そうにこちらを見たが、なまえが慌てて自分の紹介をすると、静かに俺を自分のパーソナルスペースへと迎え入れた。

「幼馴染のサボです。大学は違うけど、学年は同じで、家も近いから(と言うよりも隣)いつも大学終わりに送ってもらうの。」
「へえ…そうなんだ。#myouji#ちゃんの幼馴染…。」
「サボ、こちらは同じ天体サークルの先輩の五李松さん。今日はたまたまサークルの集会があって、長引いちゃったのよ。で、変える方向同じだから、たまたま…ね?」

なまえがそう言って五李松という男(顔はたしかにゴリラに似ている)に同意を促すと、男はすんなりと頷いて見せた。警戒心はお互い解けないが、一応無礼も何もされていないし、自分よりも年上であるということも考慮して、礼儀正しくにっこりと笑いかけると、自然に右手を差し出した。お互いが握手をするところを見て安心したのか、なまえが視界の端で胸に手を当てて、小さくため息を吐いたのが見えた。俺はその様子に思わず笑いそうになるのを必死にこらえながら、男の手を解いた。そして視線をなまえに向け、にっこり笑う。なまえは何かを察知したらしく、げっとお言うような表情をした後、少しだけあとずっ去った。俺はその彼女の奇行を見つつ、口を開いた。

「…で、今日はどうするんだ?そのまま彼と帰るのか?それとも、」
「あー、えっと、今日は家の用事だから、申し訳ないんですが、ここで失礼しても…?」
「ん?ああ、そうだな。それにしても羨ましいな、お迎えがあるとは。では、おれもここで失礼する。自分は私鉄なんでな。」

そう言って存外すんなりと紳士的に帰ろうとする男に思わず拍子抜けして、何だか悪いことをしたような気がして思わず「送ろうか?」とその背中に提案したが、彼は振り返ると苦笑いをして、「お気遣い痛み入る」とだけ言ってそのまますたすた煉瓦道を行ってしまった。残された俺たちは暫く彼の大きな背中を見た後、今度はお互い視線を合わせた。だが、すぐにそらしたのはなまえの方だった。なんだか至極面倒になって、とりあえず駐車場に向かおうと歩き出せば、あ、と言う声を上げてなまえはついてきた。今日に限って、なまえは俺のポケットに無理やり自分の冷たい手を突っ込んだり、体当たりなどはしてこぬまま、黙ったまま静かにとぼとぼついてきた。

「サボ」
「ん」
「…遅れてごめんね」
「ああ。いいよ。」
「………。」
「………。」
「……許してないじゃん。」
「何がだ。いいって言ったろ。」
「言葉はね。」
「………。」
「………。」

むすっとした様子でなまえは助手席に座ると口をとがらせたまま窓の外を見た。怒りたいのはこっちだと言わんばかりにため息を吐く。謝られたとはいえ、こっちは三十分も連絡なしで真った挙句の果てに男と一緒の場面を目撃したのだから、そりゃあ口先でいいと言ったって不満はある。

「…シートベルトしろ。」
「…うん。」

なまえがシートベルトをするのを確認すると、そのまま車を出す。始終なまえは何か不満そうで、それから何かいいたそうに横目で俺を見ていたが、目が合うたびにそらされた。もうお互いいい年だというのに、一体こうなってしまうのはなぜだろう。いくら昔馴染みだからと言って、男女だと何年経っても言えないこともあるらしい。







あの男、サボ(またの名を外面良男)は私に対して基本的に甘い。そして怒るけど怒らない。ちょっと意味がよく解らないだろうが、“怒るけど怒らない”という言葉がどうしてもしっくりくるのだ。何か嫌なときはきちんと言うし、怒られる時は怒られるけど、私が本気で傷つくということは言わない。それはいいことなのかもしれないけれど、裏を返せば本当に言いたいことを彼は言わないということでもある。残念ながらそれはサボだけでなくて私も同じで、ある意味いいコンビなのかもしれないとエースに皮肉を言われる始末だった。

「なんだよ、またケンカしたのか。」
「…だってサボが」
「まーた、『だってサボが』、かよ。お前らほんと進歩しねえよな。」

目の前のエース(またの名をそばかす馬鹿野郎)は、言いたい放題言いながらあふあふ言いながらカツカレーを頬張った。がつがつ食べるエースとは反対に私はあまり食欲がなく食べるんだか食べないんだか分からない様子で居たら、結局エースに私の天丼は食べられてしまった。

「つうか早くくっつけよ。見てるだけで苛々するぜ。」
「サボにもいってください。」
「言ってる。二十年前から。お前にもだけど。」
「だって、幼馴染から恋人同士ってなんかもう色々アレじゃん。」
「何がアレなんだよ。『ご近所物語』みたいの女は好きだろ、そういうありがちなストーリー。」
「すっごい偏見だ。それに現実はそんな簡単じゃないし。」
「態と難しくしてる物好きが居るからな。」

きっと睨めば、爪楊枝を歯に突っ込みながらエースはぶっきらぼうにそう言うと無遠慮にげっぷをした。本当にこの男何とかしてほしい。でも、彼の言うとおり、私たちは確かに至極簡単なことを勝手に難しくしているのかもしれない。

「だいたい、わざわざ送り迎えしてもらうくらいならはっきり付き合っちまえよな。普通に考えて気持ち悪いィだろ。なんで付き合ってもねえ癖に送り迎えし合ってんだよ。過保護かよ。変態かよ。」
「…………。」
「お前もお前でよく受け入れられるよな。束縛されてんだぞ?付き合ってもねえのに。ありえねえよお前ら、病気だな。」
「うるせえ!」
「いた!脛蹴るな!変態!」
「変態はそっちだ!そばかす半裸野郎!」
「今は服着てるからセーフだ。」

エースは立ち上がって傍の売店でアイスを五個も買うと私に一個手渡してまた食べ始めた。

「えー、モウ?」
「うるせえ、贅沢言うな!お前の好きなイチゴ味だろうが。」
「だって、サボはいつもバーゲンダッツ買ってくれるもん。」
「俺はサボじゃねえ。あいつ見てえに金持ち坊ちゃんじゃねえし。」

そう言いながらもぐもぐとモウのバニラ味を咀嚼するエースを尻目に私もふたを開けて木のスプーンでピンクのアイスをすくって一口食べた。

「…まあまあ。」
「お前ェなあ…っ本当に、サボも何でお前が好きなんだろうなあ。」

そう言われてげしっと足でエースの脛を蹴ればうめき声をあげたので笑っておいた。

私がサボを好きになったのは別段特別な切っ掛けもなかったし、多分サボもそうだったと思う。一番一緒に時間を過ごす異性だったし、学校も大学までは一緒だった。サボは小さいころはエースやルフィと同じでくそガキにも程があったけれど、それでも顔は悪くなかったし、事故で顔に大きなけがを負ってもバレンタインのチョコはいつもたくさんもらっていた。

中学に上がってお互い思春期を迎えると、サボは他の女の子と接触が増えた。もちろんこんな私でも別の男の子が話しかけて親しくしてくれることもあった。でもお互い、その話には触れなかったし、今思えばお互い意図的にさり気無くそう言ったことからは遠ざかっていたのかもしれない。兎に角、お互いできるだけ異性に関することは言わなかったし、異性が自分に対して明らかな好意を見せれば自然と遠ざかるよう努めていた。

高校になってもそれは変わらず、それは彼に顕著に表れた。お互い自分たち以外の異性は出来るだけ近づかせない癖に、自分たちはくっつかない、そんな曖昧な二十年を経て、今に至るのである。いつも馬鹿をしてげらげら笑っている間柄が、突然恋人同士なんて嬉しいけど、何だか現実味がない。でも、好きって言ってほしいし、言いたい。でも言ったら多分今まで築き上げた何かが崩れて終わってしまうようで、とても恐ろしいのだ。多分、サボも同じことを考えているんだろうことは、明白だった。年をとればとるほど、歯車がかみ合わなくなるようになってくる気がしたし、息が合わなくなっていく恐怖を感じていた。この関係が失われることが怖いのだ。サボもきっとそうだ。幼馴染じゃなかったら、家が隣じゃなかったら、道端で偶然出会うような間柄であったなら、多分こんなに悩まなかったろうな、そう思って思わず欠伸をするふりをして涙を拭いた。




「お。サボだ。」
「ん」

校門を抜け、公園が隣接するいつもの煉瓦道をエースと歩きサボがいつも待ってくれている噴水場所に赴けば、案の定サボはいた。しかし、今日は一人ではない。彼の傍らには数人の女の子が居て、何やら楽しそうに談笑しているではないか。エースと顔を合わせて首を傾げあいつつも、とりあえず彼に近づいていく。するとそれに気が付いたサボは私とエースを見て良かったと言わんばかりに声を上げた。

「なまえ、エース。」
「よおサボ。なんだよ、楽しそうじゃねえか。」
「…いや、」

サボは困ったように眉根を下げ、そして私を見た。サボの傍にいる子達はこの大学の後輩らしく、顔は見たことないがいつもここを通るらしい。彼女たちはエースを見るとこっちもめっちゃイケメン!と言って恥ずかしげもなくはしゃいでいた。今どきの女の子った地だなあ、とぼんやり見ていたが、明らかにそうではなくて、サボにだけ熱し線を上げる子がいることに気が付いた。彼女は私を見ると明らかに気まずそうな表情を浮かべたので、思わずサボを目で問いただせば、サボはぽりぽりと頬を掻いた。傍らのエースは何か面白そうなことが始まりそうだと、言わんばかりににんまり笑うとニタニタいやらしい笑顔をみせた。騒いでた女の子一人が私たちに説明するように口を開いてくれた。

「私たち経済学部で、演劇サークルの者なんですが、いつもこの時間帯にこのサボさんとあなたがここで待ち合わせをしているのを見ていたんです。それで、今日初めてサボさんに声を掛けさせてもらったんですが、是非彼に出てほしいサークルの演目があって。」
「え、演劇?」
「そうです。彼のお話で、あなたが文学部の先輩だとお聞きしました。是非先輩からもいってくださいませんか?」

彼女の熱心な迫力に思わず顔が引きつる。とはいえ、あまりに唐突だし、突然そんなことを頼まれても困るという風に助けをエースに視線で求めたが、この黒髪そばかす悪魔は我は関せずと言った風に口笛を吹いて傍のベンチに腰を掛けた。

「いいじゃねえか、サボ、何の役やんだ?」
「王子様です。」
「「王子様ァ?」」
「そうです。」

エースの問いに答えたのはサボではなく、私に熱心に説明をした気の強そうな眼鏡の女の子であった。思わずエースと声を上げればサボはげんなりしたようにひきつった笑いを見せた。

「何のお話なんですか?」
「私たちのサークル部員が考えたストーリーです。一か月後の文化祭で披露しようと思ってるんですが、なかなか適役が居なくて困っていたところ、丁度あの子が似合いそうな人がいるって言ってくれて、それが彼だったんです。」

そう言って眼鏡の彼女が指さしたのが、サボの傍で大人しくしていた彼女であった。可愛らしい子で、恐らく一年生なのだろう。酷く畏まっている。サボはコホンと咳払いをすると、至極申し訳なさそうに声を上げた。

「お誘いは光栄なんだが、俺は何しろ顔に傷があるから、そう言った華やかな人間は似合わないと思うぞ。」
「いえ、大丈夫です。ちょうど物語のの王子様は幼いころから命を狙われてて、怪我被って成長をしたという設定なので。」
「…随分都合のいい設定だな。でも、やっぱり俺は…」
「あの、お願いします。」

彼の言葉を遮ったのは、メガネの彼女でも他の女の子でもなく、サボの隣で大人しくしていたその子だった。彼女は改めてサボと向き合うと、改めて畏まった様子で声を絞り出した。

「私もその舞台に出るんです、私は姫役で。対になる王子様役を考えた時、貴方が浮かんだんです。…それで、最初は諦めようと思ったんですが、今日お会いしてお話をして、やっぱりあなたがいいと改めて思いました。」
「ひゅう!」
「っえーす!」

熱烈な勧誘は勧誘を通り越してもはや告白のように思われた。もちろん彼女は純粋にサボに演じてほしいのかもしれないが、彼女のその頬を染めて懸命に言う姿は告白と思えても仕方がない程だった。現に、周りにいたメガネちゃん達も驚いたように目を丸くさせている。普段はあまりしゃべらない子が、大胆になった姿を見て驚愕しているようであった。サボもその瞳を見開き、どれだけ衝撃だったかを見せていた。その驚きは私にも駆け巡り、思わずエースを宥める声が上ずりそうになったほどだ。エースを見れば、ほれ見ろ、と言ったような得意げな視線で腹が立った。私も彼女と同じ立場だったなら、こんな感じで恥ずかしげもなく言えたのだろうか。そう思っただけでちくりと胸が痛んだ。ちらりとサボと目が合えば、私は思わず視線を反らしてしまった。多分、酷い顔をしていたと思う。サボは私を見た後、視線を彼女に合わせてから口を開いた。

「…ありがとう。」
「それって、」
「ああ。でも、俺ややっぱりやれないな。」
「お時間の問題でしたら、貴方の都合に合わせます。いつもこの時間帯でしたらいらっしゃいますよね?」
「ああ。だからこそ駄目なんだ。この時間がつぶれると、なまえと一緒にいられる時間が削られる。昔みたいに一緒に居られる時間がただでさえ少なくて困っていたんだ。だから、悪いが、丁重にお断りするよ。ありがとう。」
「そうですか…。やっぱりお付き合いしていたんですね。」
「…いや、俺の勝手な片思「い、じゃない。私も好きだから、その、…なんていうか。だから、私からもお願いします。彼以外の方を、王子様役にしてください。」
「…………。」

サボの言葉を遮る様に思わず声を上げれば、驚いたようにサボは私を凝視した。自分でも何でこんなことを言ったかよく解らないが、言ってしまったことはもうしょうがない。その場の空気が気まずい空気になってももう後の祭りであった。サボの傍の女の子も、メガネの子もぴしりと固まっていたが、唯一そばかす悪魔だけは何故だか欠伸をして涙を流していた。

「…だそうだ。お嬢さん方。この金髪束縛野郎は駄目だが、俺なら空いてるぞ、そばかすはあるが傷はねえし、基本この時間は暇だぜ?」
「…確かにそばかすの王子様も素敵かも…て、あなた誰ですか?」
「ポートガス・D・エースだ。」

何故だか眼鏡ちゃんとエースが盛り上がる中、サボと私は互いに対峙したまま、黙っていたが、一息サボが付くと、小さく笑って一言のたまった。

「…行くか。」
「うん。」

歩き出したサボの背中をいつものように追いかけて歩き出せば、サボはあ、と言って振り向いて、御姫様役の女の子に笑いかけた。

「文化祭の演劇って、いつやるんだ?」
「…えっと、●月●日から△日の13時からです。」
「ありがとう。必ず見に行く。応援してる。」
「…はい!」

彼女の返答を聞くとサボは満足そうに笑って、私の手をぎゅっと握って駐車場を目指してエースを置いたまま、歩き出した。私も黙って歩いた。なんだか先ほどの告白があったのかなかったのか、よく解らないくらいだった。でも掌に伝わるこの熱だけは確かに現実であった。







『…違う、これは俺の勝手な片思いで…』
『違うっ、私も、貴方が好きなの…!だからお願いお父様、彼以外の人をお姉さまの婚約者にして…!』
『ジョセフィーヌ…!』
『私の王子様はあなただけなの!』



「「…………。」」
「なあ、ジョセフィーヌってなんだ?」
「…さあ。」

目の前の舞台で繰り広げられる茶番に思わず隣にいるサボと遠い目をしながら何も言わずに眺めていたが、この場面がどうやらこの劇のクライマックスらしく、他の観客たちも固唾をのんでみていた。隣にいたルフィだけは始終ポップコーンを食べながら見ていた。思わず聞き覚えのあるセリフにお互い頭が痛くなったが、上演中は頑張って我慢した。何が腹が立ついえば、目の前の主人公のそばかすがオーバーアクティングな大根なのが許せない。何なら馬鹿にしたようなセリフの言い回しにサボが隣で歯をぎりぎり言わせているのが分かったぐらいでいである。とはいえ、演劇は無事終幕した。サボと一緒に選んだ差し入れと花束を手渡そうとカーテンコールののちに裏手に回れば、演劇サークルの方々は温かく迎えてくれた。眼鏡ちゃんと御姫様役に花束を渡し、一応エースにもねぎらいの言葉をかけた。差し入れを猛烈な勢いで頬張る呑気兄弟を尻目に、一番聞きたかったことを、サボは眼鏡ちゃんに問いかけた。

「なあ、あのセリフって…」
「ええ。サボさんたちのあのドラマティックな場面にインスピレーションを受けて入れさせていただきました。おかげで劇的に物語が面白くなりました。ありがとうございます。」
「…いや、お役に立てて光栄だ。(インスピレーションって言うか、普通に●パクリだったような)」
「で、その後お二人はいかがですか?」
「えへへ、お陰様で無事ようやく恋人としてお互い慣れてきました。ちょっと気恥ずかしいけど。」
「良かったですね。」

お互い左薬指に光るリングに思わず視線を向ければ、目ざとい眼鏡ちゃんはニコニコしながら私たちを見た。これはその後サボがそれとなく何事も無かったかのように(頬と耳は分かりやすく赤かった)くれたものだった。周囲からは付き合っても全く変わらない私たちを見て呆れる人が多かったし、確かに自分たちでもそう思うのだが、このリングはせめてもの恋人であると証明する証でもあった。

「でもね、相変わらず喧嘩ばっかりなの。すれ違いも多いし。やっぱり全然息が合わないことの方が多いよ。」
「でもケンカするほど仲がいいって言いますし、気にすることは無いと思います。」
「そう言うもんかな。とはいえ、何はともあれお前たちのおかげだ。」
「いいえ。お二人が自分たちで決めたことですよ。」
「そうかな…」

なんだかむずかゆくてお互い恥ずかしくて視線を逸らせば、メガネちゃんはさらに笑って答えた。

「でも、よかったらその後のお話とか是非今後も聞かせてください。今回の公演大成功だったので、これからもなまえ先輩とサボさんのお話を題材に舞台をやりたいと思いますので、応援お願い致します!」
「「お断りします。」」
「息ぴったりですね。」

恋人になっても存外失われることはそうないのだと、リングの柔らかな光と斜め上の横顔を見て、確かにそう思った。


2016.02.24.

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