その指先は彼女を掬う



浴室の扉を開けた瞬間ひんやりとした空気が未だ水の滴る素肌に滑り込んでくる。ぽたぽたと堕ちる雫がバスマットに落ちて、その度に私のつま先を濡らした。寒さに静かに耐えながら傍に遭ったバスタオルを手に取り、髪の毛と体を一頻りバスタオルで拭う。キャミソールと下着、ハーフパンツを身に着けて、未だ濡れたままの髪を下げたまま洗面器の鏡へと進む。少しだけ開いた浴室の扉からは微かに加湿器と間遠に波の音が聞こえるだけだった。本当に静かな夜だと思った。流れ作業のように頬や額にクリームを延ばしていれば、だんだん瞼が重くなってくる。濡れたままの髪を一房取り、まじまじと見つめる。毛先からは真珠のような丸い水滴が生まれてそして足元に落ちて消えてしまった。

「早く拭かないと風邪ひくぞ。」

すぐ傍で声がしたかと思えば、もうすでに浴室から出て下着を纏った彼が、ごしごしと武骨にフェイスタオルで自身のふわふわの金髪を拭いている。自分だって上半身裸で何を言うかとなんだか滑稽で笑っていれば、きょとんとした視線を向けられた。

「何だよ。」
「だってサボの方が風邪ひきそうな格好してるから。」
「今から着替えるんだ。」

服持ってくるの忘れたんだよ、と言いながら、彼は真新しいフェイスタオルを棚から引っ手繰ると私の濡れた頭にぼふ、とかけて私の横を通り過ぎ脱衣所を後にした。視線を鏡に映す。そこには寝ぼけた眼を下げて酷く髪の濡れた女が立っていた。そろりとバスタオルを傍に掛け、ドライヤーを片手に脱衣所を後にして寝室に向かって歩いた。電気の付いていない廊下はとても冷たくて、少しだけくしゃみが出た。









「お前なァ、」
「…ねむい。すごくねむいの。」

どすん、と濡れた髪のまんまにベッドに背中からダイブをすると、扉の向こうで歯ブラシを口に突っ込んで呆れたように眉間に皺を寄せる彼と目があった。彼はため息を吐くとそのまま廊下へと消えていってしまった。私はごろりと体勢を整えると、ベッドサイドのテーブルに手を伸ばす。かちりとスイッチを押せば年季の入ったアンティークランプは橙色の灯火をつけた。ちらりと視線を横にすれば窓から仄かに青を帯びた月が水面を照らしているのが見えた。少しだけ開いた窓から波の音と潮の香りが入り込んでくる。今日は満月なんだったっけ、そう言えばコアラがそう言っていた気がする。満月の日は女性は食欲が増すのだという俗説を朝食の際に私に披露し、今日はあまり食べないようにしないと、と言って結局私と同じくパンケーキを三つと付け合せのハムエッグ、暖かなオニオンスープを完食してたのを思い出して、少しだけくすりとした(その後、彼女は私と同様お昼もおやつのマドレーヌも、そして夕食も残さず全て食べた)。

「今度は何が楽しいんだ?」

ぎしりとベッドが鳴って、沈んだので彼が居ることに気が付いた。彼はベッドに転がっていたドライヤーを手に取り、コンセントにつないだ。そして今度はその手を私の晒された太ももに滑らせると、もう一方の腕を私の首にかかっていたタオルに伸ばした。そして私太ももに滑らしていた手を今度は私のお腹に回すと、逃げ出せない様に自分の膝の上に乗せた。

「乾かせって言ったのに。」
「眠いの。」
「そればっかりだな。」

ぶつくさ文句を言いながらも彼はタオルでわしゃわしゃ撫でつけ、乾かしてくれる気で居てくれる彼の行動に思わずまた笑いそうになる。彼からは絶えず自分と同じシャンプーのいい香りがした。髪の毛も私より短いせいかもうすでに乾いているらしかった。もふもふと柔らかなフェイスタオルで頭をごしごしされるとすごく気持ちよくて眠くなってくる。背中にはサボのあったかい胸があって、余計に眠いのかもしれない。

「まだ寝るなよ。乾かしてから寝ろよ。」
「んー……私の髪の毛は長いから、面倒になっちゃうの。」
「長いからこそ手をかけなきゃならねえんだろうが。手を抜くとなまえの場合すぐわかる。次の日すっげえぼさぼさだからな。」
「そう言えばコアラが言ってたんだけど、」
「ん」
「なまえの髪の毛がすごくサラサラな日は、夜にサボ君が拭いてくれたんだなあってすぐにわかるって笑われた。」
「ほら見ろ。笑われてんだぞ、嫌じゃねえのか。」
「いーもん、別に。」

開き直ってふんぞり返る私に後ろのサボは苦笑いと呆れた顔をしたんだろうなと思う。彼はひとしきり髪を拭き終わると今度はどこからともなくコームを取り出してとかし始めた。もはやプロ並みの手際で、これも私の‘おかげ’なのだろう。彼からしたらやらされていることになるのだが、今まで一度としてやっつけ仕事のように私の髪に触れることは無かった。いつだって酷く優しい手つきで私に触れるものだから、私は思わず彼に甘えてしまう。

「熱かったら言ってくれ。」
「うん」

波の音が支配していた部屋に突如大きな空気音が響く。髪の毛の内側にふんわりと熱風が入り込んで気持ちがいい。人に髪の毛を触られるのがもともと好きだから、一日の終わりにこうして彼に触ってもらうことは本当に幸福なことだった。でも流石に毎日というわけには行かない。彼も私もやることがあるし、やりたいこともやらなきゃいけないことも山積みで、こうして二人でいられるのも実はそう多くない。彼もそれをわかっていて、甘えたでわがままな私の要望を聞いてくれるのかもしれないと思う。そんなに歳も変わらないけれど、サボの方が数万倍も大人なのだ。

「いいにおいだな。」

そう言ってサボは私の髪の毛を一房取って鼻に寄せた。彼はいつもこうして乾いた私の髪にキスをする。自分とは違う髪の色と髪質に興味があるらしかった。サボのパーマがかった金髪も私は好きなのだが、彼はあまり自分のことに関心は無いらしい。髪の毛はすっかり乾いて、再び静寂が訪れた。潮風がさらさらと髪の毛とさらされた首筋や足に撫でた。彼がサイドテーブルに物を置いている最中、私は手持無沙汰なことをいいことにごろんと上体を後ろに倒すと、自分の頭を彼の膝に乗せた。

「こら、枕はあっちだぞ。」
「んー」

困ったように眉をハの字にしながらも、私を退けようとしないので私はそのまま彼の膝を堪能する。相対して彼は私の太ももに手を伸ばしてすべるように撫でる。サボは私の髪の次に好きなものはこの足らしい。時折むにむにと柔く抓ってはやわらけーとか言いながらセクハラ行為に勤しんでいた。お風呂の時も彼は私のお腹の肉を抓っては弄ぶのだ。

「くすぐったい。」
「柔らけえから触りたくなるんだよ。」
「嫌味かしら」
「心外だな、褒め言葉だぞ。」

サボはにっこり笑ってそう言うと私の体に腕を回して自分の方に抱き寄せたので、私も欠伸をかみ殺してなすがまま、彼に腕を回した。いいにおいがする、私と同じ匂いだった。ぎゅう、と抱きしめれば彼も私の肩にあごを乗せた。私が一頻りくんくん彼のにおいをかいでいれば、彼はその手を私の背中に回して、それからキャミソールをずらすと肩に唇を落とした。背中の方の右肩には先日私が任務中に負ってしまった怪我がある。大したことは無いのだけれど、サボは酷く心配して、怪我負ったと知るや否や別の場所に居たのにすぐさま飛んできたのだ。あの時の焦燥しきった顔を思い出すだけで笑ってしまって、その度に彼は本気で私を叱った。今はようやく落ち着いてきたけれど。

「…治ってきたか。」
「うん。」
「でもうっすら傷残すだろ、これ。」
「まあいんじゃない?」
「いいわけないだろう、もう少し危機感持てよな。」
「サボだって傷ついてるじゃない。」

ここ、と言って彼から少しだけ離れると、彼の顔に手を伸ばした。かちりと彼と視線が合う。ランプに照らされて彼の傷のついた顔が橙色に染まっていた。

「いいんだよ、俺は男だから。お前は違うだろうが。」
「嫁入り前の娘さんだからね。」
「そうだよ。」
「まあ、元がよすぎるからね、ハンディよ。」
「どうだかな。でも、ま、もし売れ残ったら仕方がないから、俺が拾ってやるか。」
「上から目線。」
「当たり前だろう。こんなわがまま娘、相手できるの俺ぐらいだ。」

言い返せなーいとけたけた笑えば彼はふっと笑って私の額にキスをした。今度は私も彼の傷のついた方の瞼にキスをする。サボは私を抱き寄せると、そのままベッドに横たわらせ、サイドテーブルのランプを消した。部屋を、波の音と青白い月の光が支配する。彼は私にブランケットをかけると自身もその中に滑り込んだ。

「さ、もう寝るぞ。明日も早い。」
「…なんだか眠気がなくなってきた。」
「おいわがまま娘。」
「だってサボがぎゅーってするから。あ、ねえ!腕枕してよ。そうすれば眠くなるわ。」
「お前の頭重いからなァ、」
「頭いいからね、脳みその重量がね、」
「寝言は寝てから言ってくれ。…ったくしょうがねえ。」

そう言いながらも腕を私に差し出す彼の優しさに思わず笑ってしまう。ぎゅっと近づけば彼は私の頭を受け入れたので、そのまますり寄った。相変わらず逞しい胸板に思わず両の手でおさわりしていればセクハラだと言われた。自分だって人のお腹だの太ももだの触るくせに、心外だ。サボはもう一方の手で私の耳たぶに触れてふにふにとまた摘まんで遊び始めた。私はだんだん瞼が重くなってきて、うーんうーんと小さく唸りながらまるで子供の用に彼の体に彼の足よりも短い自分のそれを回した。

「……寝る…ちゅう、」

ん、とほっぺたを差し出せばむにゅ、と柔らかな唇が頬に当たった。

「おやすみ、なまえ。」
「おやすみなさい…」

潮風と海の音を聞きながら夢の世界へと船を漕いで行く。薄れ行く意識の中で、さらさらと自分の髪に触れて撫でる手の温度が心地よくて、私に触れるその指先があんまり優しくて、頬に流れた一筋の雫もそのままにしてゆっくりと意識を手放した。


2015.02.01.

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