■ ■ ■

「何故それを…」

時間が止まった気がしてもう一呼吸をしてみる。目の前の男はじっと私を見て視線を動かさなかった。

「八橋先生が俺のことを知っているように、俺も先生を知っているこということです。」
「…全部、ご存知だったのですね。」

私がそう言えば彼はするりと握っていた手を離し、その手を今度は私の頬に伸ばした。どくどくと脈が早まる。彼は別段動揺など見せずに淡々として再びつづけた。ゆらゆら揺れるランプの光と、窓の外で降り始めた雪が風で静かにゆらゆらと揺れている。だんだんと喉が乾いてくるのが分かって、つばを飲み込むことさえも忘れてひたすら彼を見つめることがやっとだった。

「勇作さんが教えてくれたのですよ。親同士が決めたが、いい人がいるってね。」

久々に耳にした名をまさか目の前の男が言うとは思わずふっと、微かに喉が鳴った。自分の心臓の音がまるで他人事みたいに聞こえて頭の裏で反芻した。

「『この戦争が終ったら、兄様に会ってほしい人がいる』と、昔そう言っていたのですよ。…結局、直接会わせてもらえませんでしたけどね。」
「………」
「興味は然程ありませんでしたが、勇作さんの仰る『会ってほしい人』は一体どんな人物なのか想像をしたことはありました。きっとどこぞの良家の娘だろうと予想はしていました。世間も何も知らない、さぞお優しく育ちのいい、一生家に閉じ込められるような、そんなか弱い女なのだろうと……そう思っていました。」
「………」
「流石に会おうともは思いませんでした。引き上げてからは、俺もそれなりに忙しかったんでね。」

口を開きながら彼ははらりと布団をどかすと体を動かし、ベッドに腰を掛けた。そして向かい合うように据わったかと思えば、折れた方の腕を自身の腕の前に出すと、何を思ったのかそのまま先ほど付け替えたばかりの包帯をするすると解き始めた。

「何をしているのですか。」
「もう俺には必要ありません。」
「あと一週間は、」
「一週間も一日も大差などない。」
「どうなっても知りませんよ。」
「どうにかなったら俺のせいです、心配無用です。」

解かれた包帯が彼の足元に落ちて螺旋を描いてく。深く深呼吸をして事態を飲み込もうと頭を回転させればさせるほど酷く泥沼に嵌っていくような感覚がした。先ほどは足もとが抜け落ちていくような、絶望にも似た衝撃が背筋を貫いたが、不思議と先ほどまで乱れていた心音も深呼吸を繰り返せば心臓だけは落ち着きを取り戻せていた。いよいよ彼は包帯を全部はずすと、視線を再び私に合わせた。いつも彼の横顔を見ていたが久しく彼ときちんと向き合った気がする。

「…で、その『か弱い女に』出会ったご感想は?」
「感心しました。」
「感心した?」
「ええ。あのお優しい勇作さんにしてはいいご判断だと、感心しました。貴方は俺の予想以上でした。」
「どういう意味ですか…」
「思っていたより貴方が『いい女』で驚いたと、褒めているんですよ。今もこうして、皮肉をいうくらいには頭の回る、いい女だとね。」
「…私が勇作さんの『いい人』だと知って、今までわざわざ夜に診察をさせたのですか?」

私がそう言えば彼は悪びれた様子もなく頷いて見せ、そして縫合痕の残る顎をするりと撫でた。

「始めは驚きましたよ、俺を手術したのが貴方だったとは。だが、いい機会だと思ってね。黙っていたのは詫びを入れますが、まあ、そこはお互い様ですよね?八橋あやめ先生。」
「…そうですね。お互い様だったと聞いて、少しだけ、気が和らぎました。」
「………」
「正直、このことは最期まで黙っていようと思っていましたから。ずっと、心に引っかかっていました…。貴方に後ろめたさを感じながらいつもあなたと向かい合っていました。」

膝の上にあった自分の両の手をじっと見つめて一息りそう言えば、暫しの沈黙がこの小さな病室に流れた。あれだけ饒舌に話していた尾形上等兵殿も口を閉ざし、じっと私を見ているらしかった。

「医師として最善を施していたのは偽りがありません。私とて一応医者の端くれです。…ですが、私はきっと、あなたを通して、もう会えない人の僅かな影を、見ていたのかもしれません。」
「………」

ふと視線を上げればじっと私を見る双眼と眼があった。そして口角を上げると私を見据えたまま久しく口を開いた。

「知っていました。」
「………」
「だからこそ、俺のわがままを、聴いてくれたのでしょう。」

目を細目てそう言うと、彼はベッドの下にあった靴に手をかけ、それに足を通した。どこに行こうというのかを問いかける暇も余裕も、今の私にはなかった。

「…あなたは、それで良かったんですか。何のために、こんなことを…」
「………」

私の問いかけに少しだけ視線を寄越して一瞥したが、私の質問に答えることなく彼は立ち上がった。そしてするりと私の横を通り過ぎた。静かに病室を後にしようと歩みを進める背中をぼうっと見詰めたまま、声をかける事さえ躊躇われた。いつもは彼を残し病室を後にするのは私の方であった。私がこうして病室から出ていく彼を見送るのは、後にも先にも、これが最初で最後であった。

「俺はもう行きます。…八橋先生、世話になりました。」












「八橋先生、お休みを暫く取られるとお聞きしたのですが…。」
「はい。少々調子が悪くなってしまって。医者だというのに、面目ありません。」

そう言えば目の前の月島軍曹殿は少しだけ困ったように眉根を下げて、いえ、反射的に声を上げた。鶴見中尉殿のいつものお薬を取りに来た彼は噂を既に聞きつけていたと見えて、気を遣って下さっているようだった。そのような彼にふっと笑いかけ、再び口を開いた。

「鶴見中尉殿には既にお伝え済みです。いつ戻るかはまだ分かりませんが、少なくとも、半年間は研究に没頭し、それからこちらに戻ろうと思います。」
「…そうですか。」
「ご迷惑をおかけします。」
「いいえ。先生にはいつも昼夜問わず、良くして頂いていましたから。きっとご無理が祟ってしまったんでしょう。…面目ないのは私たちです。」
「いいえ。後任の先生は日露戦争で従軍経験のある先生です。腕も申し分ないはずです。三日後にいらっしゃるはずですから、その時にまた、ご紹介します。」
「わかりました。」

月島軍曹殿はそう言って帽子を被りなおすと、一礼をして扉の奥に消えていった。それを確認すると、途中だった机の整理を再開した。凡そ自分の私物は行李に入れ終わり、北海道に居を構える叔母の方に送る手配をしていた。用意された病棟の宿舎にあった荷物も全てまとめている。机の引き出しの中も粗方整理が付き、自分が作成したレポート等も全ているものいらないもので仕分けは済んだ。後は掃除を済ませ、次の後任の先生に手渡すものを用意して置くことに集中した。引き継ぐ期間は数日となく、それの準備に追われつつも今いる患者の診察の手を休めるわけにはいかない。とはいえ、朝早くからこのような作業に追われていたせいか、一息つこうかとした刹那、とんとんと軽くノックが聞えたので反射的にどうぞ、と言えば、扉の向こうから古参の看護師が顔を覗かせた。

「八橋先生、書類をお持ちしました。」
「ありがとうございます。そこに置いておいてください。」
「あと、一息つかれた方がよろしいかと思って…」
「…すみません。」

看護婦は書類を机の適当な場所に置くと、長椅子の前のテーブルにいつものように珈琲の入ったマグカップを差し入れてくれた。小さく笑って礼を述べると、少しだけ手伝いましょうかと散らばっていたカルテの山の整理を買って出てくれた。暫く二人でもくもくと作業をしつついつものように他愛のない話に相槌を打っていたが、ふと、何を思いだしたのかあ、という声を上げて古参の看護婦は私を見遣った。

「……そう言えば、尾形上等兵殿が失踪されたとか。」
「…ええ。」

私が力なく声を上げれば看護婦は小さくうなずいて私を見遣った。あの夜以来尾形上等兵は兵舎に戻ることなく失踪を遂げた。噂ではもう一人の兵士も同じころ合いに消えている。何かが起きているのだろうと思ったが、私があの時止めることができなかったので何も言うことができなかった。彼が何を考えあんな病み上りの体を引きずってまでここを後にしたのか、一体全体分からなかった。噂も錯綜していたので真実かどうかだなんてわからない。ただの脱走兵として表では取り扱っている様子であったが、他の兵士たちが話をしているのを聞いてしまったのだ。彼らの噂では尾形百之助上等兵が鶴見中尉に造反を企てていたのではないかとのことだった。とどのつまり、私は知らなかったとはいえ、鶴見中尉殿の配下の兵をみすみす逃してしまったことになる。わざとではないとはいえ。

「…差し出がましいとは思いますが…別段、先生の責任ではないと思いますよ。」
「ありがとうございます…。でも、それとは関係がありません。昔から考えていたことです。」
「そうですか…」

看護婦はそう言うと苦笑いを一つして書類の手伝いの手を動かし始めた。このように考えるのは彼女だけではないだろう。きっと先ほどお会いした月島軍曹も少なからずそう思っていたはずだ。確かに彼の一件は深く私の心に傷をつけたことは間違いなかった。傷口を抉られるような衝撃であったし、彼もまた私を見ていい気分を抱くことはきっとなかったはずだ。だが、もう終わったことである。この出来事はトリガーに過ぎず、研究に没頭したいというのは実際本当に以前から思っていたし、せっかく北の大地に来たのだから、ここでしか研究しえないことを学びたいと思っていた。アイヌ民族やこの地の薬草などを研究してみるのもいいと思っていた。民間療法の中にも現代の医学に十分通するものがあるのは事実であるし、西洋医学が取り沙汰されてばかりいるこの時代にこそ、こうした古くから効能が実証されている薬や療法を研究すべきだと強く思うところがあった。後は、単純にこの地の歴史にも興味があった。もとより好奇心は強く、勉学には多少心得がある。いい機会だったのだ。彼のことは、そのうち忘れるに違いないだろう、そう思った。

「…確かに私は、内に閉じこもれない性分かもしれませんね。」
「はい?」
「何でもありません。随分片付きました。ありがとうございます。」
「いいえ、これくらいしかできませんから。」

看護婦はそう言うとにこりと笑って行李鞄を閉じた。随分殺風景になってしまった机を前にして溜息を深く吐くと、長椅子に腰を下ろして珈琲を一口飲み込んだ。嵐が過ぎ去ったような、そんな心地だった。窓の外を見れば本日は快晴で、地面の雪をも解かすほどに日差しが優しく仄かに暖かかった。

「…一休みしたら、午後の診察をします。」
「わかりました。よろしくお願いします。」

そう言って看護婦のいそいそと扉へと向かって行く背中をボンヤリ見詰めながら、かすかに暗闇の中のあの男の広い背中を思い起こしたが、次の瞬間にはかぶりを振って視線を別の場所に移した。自分ももうそろそろこの雪解けのように諸々の折り合いをつける頃合いなのだろうなと心の内でそうぼんやり独り言ちて、暫く窓の外を見た。彼もきっともう会うことはないだろうと踏んであの夜そう言い放ったのだろうと思うことにした。珈琲を全て飲み干し唇を拭うと、一息ついてから午後の診察の準備をしようと長椅子から立ち上がった。














「ああ、八橋先生、いいですか。」
「中尉殿、どうぞ。」

こんこんと扉をノックする音がして振り返らずに返事を返そうとすれば、聞き覚えのある声にはっとして声を上げる。間もなく扉は開かれてひょっこりと見慣れたお顔が見えた。ちょうどお茶を淹れようかというタイミングで、傍の給湯室でお湯を沸かしていたので良かったと小さく笑って言えば、彼はにこやかに笑んで長椅子に腰を掛けた。尾形上等兵殿が(勝手に)退院し勝手に失踪をしてからというもの、非常に穏やかな夜を過ごしていた。反対に鶴見中尉殿はここ数週間道内を行ったり来たりで大変御忙しそうだった。尾形上等兵殿のことを彼が数日前に戻られた際に詫びた際にもお会いしたが、鶴見中尉殿は私を責めることは無かった。それどころか今までの勤務に感謝し、私をいたわった。鶴見中尉殿をはじめ、他の皆には彼の失踪に関しては、私の眼の離したすきに失踪してしまった、とそう伝えている。それは別に自分の罪を軽くしたかったわけでもないが、之が最後の彼に対する少しばかりの情けであった。そのかわり、責任を感じて自分もけじめをつけるためにここを後にする、というのは確かにここを出るのにもっともらしい理由であると判断し、今回お休みをいただくことになった。この件に関しても真っ先にお伝えしたのは鶴見中尉殿だった。

今日はこの病棟最後の作業となる夜で、明日からは推薦した別の先生がこの医務室の主な医師となる。既に諸々の引継ぎは終えて、予定よりも数日遅れてしまったが何とか鶴見中尉も含めて皆に紹介を済ませていた。今日の夜は最後の夜ということで別段何かすることがあったわけではなかったのだが、最後に今まで見ていて次の先生にも引き続きお願いしている数名の患者に対する注意点や特徴など、少しでも役立てばと思いカルテに諸々付箋をつけて思いついたことをつらつら書き込んでいたところであった。

「中尉殿、アールグレイはお好きでしたか。」
「ああ。頂くよ。」

一応確認をとって言えば彼は穏やかな口調でそう言った。淹れたての紅茶をテーブルに置いて差し上げれば、彼は早速カップを手に取り優雅な手つきで香りを楽しんだのち、口をつけた。頭はずる向けだが、にじみ出る上品な育ちの良さとこの年齢特有の男の色香に少しだけ感心しながら、私も向かい合うように腰を掛けて紅茶を飲んだ。

「先生の淹れてくれるお茶が暫く飲めないのは、本当に残念ですよ…」

しゅんと実に寂しそうに鶴見中尉殿はそう言ってカップをソーサーに戻した。今日が最後なので、わざわざご挨拶にいらしたのだろう。今朝も後任の先生と一緒に挨拶したし、明日も発つ前に顔を見せようと思っていたのだが、まさか来てくださるとは思わなかった。反対に自分がいけばよかったのだろうかと一瞬思ってしまったが、気まぐれな鶴見中尉殿のことはわからぬのでこれでよかったのだろうとぼんやり頭の裏で思った。

「わがままを聞いていただき本当に感謝しています。」
「近頃先生もお痩せになられたし、ろくにお休みもとられていないと聞いたのでね。この機会にご自身をいたわるのもいいことでしょう。後任の先生も申し分ないほど腕があるようですし…」
「ええ。本当に素晴らしい方です。患者にも人当たりが良く評判に言い方なのです。」
「助かりますよ。……ただ、そうだな一つだけ難点を言えば…」
「?」
「華がねえ…」

そう言ってうーんと唸る鶴見中尉殿に苦笑して、それから紅茶を一口飲んで口を開いた。

「女性よりも男性の方が気が楽かもしれませんよ。」
「そうでもありませんよ。時には男性同士の方が気を遣う。どうせ気を遣うなら、先生のように美しい女性に遣いたいものです。」
「相変わらずお上手ですね。」

笑いながらそう言えば彼は得意げに片目を瞬いて見せた。欧米人が良くやるボディランゲージの一つである。彼は時折西洋の紳士のようにごく自然にこの手の表現を遣るので、私はその度に留学時代の華やかな生活や周りの人々思いだす事ができた。彼は暫く紅茶を飲みながら他愛もない話をぽつぽつ続けていたが、体を前かがみにして私の方に重心を向けると先ほどとは違う雰囲気を見せ、改まって話しを始めた。

「先生、失礼は百も承知でお聞きしますが…もし、今回の退出の理由が、尾形上等兵が理由であるならば…」
「いいえ、鶴見中尉殿、それは違います。」
「…そうですか。」
「お気遣い、本当にありがとうございます。でも、本当に気にはしていません。確かに、もう少し私が目を配っていればよかったのかもしれないと、思うことはあります。ですが、これは前前からお話していた通りです。」
「確かに、先生はアイヌやこの地の民間療法や薬を研究されたいと、以前より仰っていましたね。」
「ええ。まだ確定はしていませんが。」
「ということは、北海道を離れるつもりはない、ということですね。」
「はい、ここで色々研究をするつもりですから。後は、この地にいる民間療法のみに頼っている先住民の検診も善意でするかもしれませんね。そのかわり、色々教えてもらえればいいなと、思っています。」
「…そうですか。」

彼はいつものように思案するようなそぶりを見せて、ひじ掛けに肘をつき、それから顎に手を置いて目を細めた。そしていつものように優雅に足を組んだ。

「一つだけお願いがあるのですが…」
「はい。なんでしょう。」
「もし何かあれば、すぐに私に連絡をくれませんか?或いは、定期的に手紙をください。私も書きましょう。」
「連絡や手紙は構いませんが、何か、とは。」
「何でもですよ。アイヌに伝わる面白い伝承や噂、或いは、身体に変った特徴や、症例の見られる人間が、これから先、先生の目の前に現れたり、見たり聞いたりしたなら、私に直接教えてほしいのですよ。」
「…はあ、」
「離れていても、私は先生の力になりたいのでね」

そう仰って彼はにこりと笑まれた。彼の意図が分からず不審に思いつつ首を傾げていれば、彼はまたその目を細めた。私の掛ける椅子の背後にある窓が夜風にゆれてガタガタ微かに音がする。今夜は肌寒い風が吹く夜で、つき一つない外は墨を塗ったかのようにまっくらで、窓を見遣れば自分の姿がくっきり浮かび上がるくらいには暗闇が支配していた。鶴見中尉殿の視線がちらと私の肩越しの窓に行ったかと思えば、それから突然あっと声を掛けるといつぞやのように身を乗り出された。驚いてえ、と小さく声を上げたが、次の瞬間には鶴見中尉殿の手が私の肩に伸ばされ、もう片方の手も私の背中に回された。微妙な距離は保たれているが、傍から見れば抱き合っているようにも見えただろう。ぎょっとしている私にお構いなしに彼は肩に伸ばした手で何かを掴むと、耳元で囁くように口を開かれた。

「蜘蛛です。先生の肩に小さな蜘蛛が…」
「えっ、と、取ってくださいましたか?」
「ええ。今取りました。小さいとは言えど、命ですからね。逃がしてあげましょう。」

そう言って彼は至近距離を保ったまま、私の耳元でふう、と吐息を吐かれると、小さな蜘蛛を逃がしたらしかった。この季節に蜘蛛だなんて、珍しいなあと思いつつも、近頃この部屋を掃除したので出てきてしまったのかもしれないと思い、鶴見中尉殿に感謝を述べた。そうすれば彼はお顔を私の目の前に移し、じっと見つめた。何時ぞやの既視感に驚いていれば、彼は突然両の手で私の頬を包み込むように触れたかと思えば、次の瞬間には、むに、と私の頬を柔く摘んだ。

「お休み中もきちんと食事は摂られて下さいね、八橋先生。」
「…はあ、鶴見中尉殿も、どうかお身体にはお気をつけて下さい。」

彼の不思議な行動に呆気にとられつつも返事を返せば、鶴見中尉殿は実に満足そうに口角を上げて、ようやっと身体を離された。一体この方は何がやりたいのか、この一年余り一緒にいたが、全然分からずじまいだったなあ、としみじみ思ってため息を吐いた。刹那、後ろから何か視線のようなものを感じてはっとして横目でちら、と窓を見たが、やはり暗闇に自分とランプの光が反射するだけだったのですぐに視線を戻し、話を始めた鶴見中尉殿に意識を戻した。



2018.06.01.

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -