短編 | ナノ
優しいお頭が夢を叶えてくれる

「幽霊、じゃないよな?」

開口一番にそう言って何の悪気もなさそうににかりと笑う男に私は思わず面食らってしまった。何も言わずにすんすんと未だ落ち着かぬ呼吸をしたままに暗がりに映る彼を見つめていれば、彼は此方に歩みを進めた。ひどくぐしゃぐしゃになった顔を見られたくなくて慌てて手で濡れた両の頬を拭った。濡れた頬に海風が当たってひんやりして、上気した頬にはちょうど良かった。

「驚いた。遠くてよく見えなかったんだが、近頃の幽霊は随分別嬪さんなんだな。」
「…貴方は?」
「俺は、そうだな、海の妖精とでも言っておこうかな。」

そういって隣にどすんと腰を下ろした男性は片手に持っていたワインに口をつけた。彼も頬がほんのり赤く上気していたが、それはこのワインのせいらしい。気分がいいのか、私の隣で口笛を吹いている始末である。最初から驚きを隠せなかったが、私が一等気になったのが彼のその髪の毛だった。暗がりでも分かるほどに綺麗な赤である。そしてもう一つはその欠けた片腕であった。砂浜の砂の上で彼は私の隣にどっかり座ったまま、暫く動きそうにもなかった。この辺りの砂浜の砂はとてもサラサラで気持ちがよく、この浜は地元の人間もあまり来ないようなとても静かな浜辺だったので、私はどうしても泣きたくなった時や、不安に押しつぶされそうになるとここにきて一頻り泣くのだった。ここでは誰も見ることは無いから。でも今日は違っていた。

「いつもここで泣いているのか?」
「…いつもではありません。ちょっと辛くなったらここに来るんです。ここなら誰もいないから。」
「なるほどなあ。確かにこの浜は町からも大分離れてるし、地元の人間もなかなか来なさそうだ。」
「あなたはここの人ではないのね。」
「ああ。海の妖精だからな。色んな島を回ってるんだよ。だが、一週間前にここについたんだ。色々探索してたら、つい三日前にお嬢ちゃんを見つけたんだ。」

それを聞いて思わず驚いてしまう。と言うことは、この自称海の妖精のおじさんは、数日前から私がこの場所で夜になると涙を流しているところを見ていたということか。そう思ったらなんだか恥ずかしい。縮こまる私を見て隻腕の海の妖精さんは微笑ましげに笑うと、続けた。

「最初は早まろうとしてる御嬢さんなのかと思ってひやひやしてたんだが、次の日も、また次の日も同じ時間帯に来ては泣いてるのを見てな、そう言うわけではねえんだな、って安心したんだ。」
「もし私がそうしようとしても、放っておけばいいのに。」
「いやいや、そうはいかんだろう。可愛い御嬢さんを見捨てるほど神経は図太くないぞ。この見てくれでは説得力ないかもしれんが、」

男性はそう言ってだっはっはっ、と大きな声で笑った。酒瓶の中のワインが大きく揺れる。目の前の海がザザーッと静かに波を立てた。私も思わずつられて笑ってしまう。初めて会った人だというのに、この海のような豪快さと無遠慮な感じがかえって親しみやすさを感じた。きっとこれは彼の素晴らしい長所なのだろうと、初対面なのにもかかわらずそう思った。

「聞いてもいいか?なんでそんなに毎日泣いているんだ。そんなに悲しいのか?」

彼は何事も無かったかのようにあまりにも自然に問いかけて来たので、私は思わず動揺してしまって、暫くは目の前の海を見つめたまま、黙っていた。その間、海の妖精さんは別段話を促そうだとか、もういい、と拒絶することもなく、ただただ私が話せるようになるまでの心の準備に付き合ってくれていた。自分たちの間に、緩やかな時間が流れていくのを感じる。本当に静かな夜だった。雲一つない澄んだ夜空だった。

「すごく、恥ずかしい話なんですが、」
「ああ」
「私、とても愛した男性が居て、駆け落ちしたんです。」
「そりゃあ豪気なことだな。」
「ええ。倖せでした。彼をとても愛していたから。本当に純粋に一緒にいるだけで幸せだって思っていたんです。とても子供のようでしょう?…でも、今は彼はいません。」
「…もしかして悪ィこと聞いちまったか?」
「いいえ。多分誤解です。私、その彼に騙されて、この島に置いてけぼりにされたんです。荷物もぜーんぶ、彼が持って行ってしまって。それでいきなり無一文になった上に、駆け落ちだから故郷にも帰れない。それで悲しくて、やりきれなくて、如何すればいいか分からなくて、こうしてこの人気のない浜辺で一人、泣いていたんです。」

一通り一気に話せば、少しだけ胸の奥が不思議と軽くなった気がした。何せ、こんな話は人に喋ったことなどなかったから。彼は私の話を黙ったまま聞いていて、時折何かを考えるように目を瞑った。

「随分苦労してんだなあ。で、今はどうやって生きてるんだ?」
「着の身着のままの私を雇ってくれた小さなお花屋さんに身を置いています。お花をそこで育てるお手伝いもしています。植物はもともと好きでしたし、よく本も読みましたから。」

彼と話しているうちに涙は乾いていた。潮風が頬に当たって冷たい。伸びっぱなしの髪が風に揺られて時折隣にいる自称海の妖精さんの頬を撫でたので、髪を掻き上げた。妖精さんはそれにしても、と一言おいて瓶に口をつけて喉を鳴らした。

「随分ひでえ男もいたもんだな。こんな可愛い娘さん一人置いていくなんんてな。でもまあ、逆に良かったかもな。変なところに売り飛ばされるよりかは。」
「そうですね。最初のうちは本当に悲しくて、腹立たしくて。それは今もそうなんですけれど、少し時間が経ってからそう言う風に考えるようにしました。今考えれば、盗みは出来ても人を売るほど度胸のある男じゃなかったんだわって思えて、逆に彼と縁が切れて良かったかも、なんて思ってます。」

ふふ、と笑えば隣の彼も笑った。先ほどから思っていたけれど、私よりも年上にもかかわらず、彼はまるで少年のようにけなげで可愛らしく笑うのだなと思った。初対面だというのに気の置けないような、安心感があるように思えて好感が持てた。普通は初対面でこんな二人きりでいれば警戒するものだが、出会いが出合いなだけに不思議と警戒心は湧いてこなかった。

「だとしたら、なんでそんなに泣いてるんだかますます不思議だな。いや、実はな、俺ァ確かに御嬢さんが早まるんじゃないかと勘違いもしたんだが、何日も見に行ったのは、アンタがあんまり思いっきり大声で綺麗に泣くもんだから、不思議とこっちもスッと気持ちが晴れるような気がしたんだよ。」
「気持ちが晴れる…?」
「ああ。本当にお嬢さんは泣くのが綺麗だよ。こういったら失礼かもしれないがな、泣き顔なんて本当は誰にも見られたくねえだろうし、だからこそここで泣いてるのかもしれんが、正直俺よりも、泣いてるお嬢さんの方がよっぽど妖精みたいに思えたんだ。」

あまりに意外な告白に私は思わず目をまあるくして隣にいる彼を見た。すると彼は口元に弧を描いて真面目にそう言っていたので私は二度驚くこととなった。お髭の生えた随分逞しく男らしい彼の口からは想像もできないほどのロマンチックな科白に、私は思わずふいてしまった。すると、隣にいた彼はきょとんとした表情を浮かべた。

「人の顔見て笑うか?ふつう。」
「ごめんなさい、違うんです。素敵なお顔ですよ、男前です。」
「すっげえ響かねえな。」
「本当ですって。でも、何だか可笑しくて。まさか、あなたみたいな武骨そうな男性からこんなロマンチックなことを言っていただけるとは思わなくて、ふふ。」
「結局普通に失礼だな。俺はこう見えてロマンチストだぞ。何しろ、冒険が好きだからな。」
「へえ。流石海の妖精さんですね。何か目的でもあるんですか?」
「いやァ、何かをどうこうしようっつうわけでも無ェんだが、生きてる間に色々見てみたいんだよ。世の中って広いだろう?」
「ええ、そうですね。私も駆け落ちする前までは屋敷に閉じこめられていたようなものですから、全然知りませんでしたが、旅も結構いいものです。」
「なんだ、やっぱりいいとこのお嬢さんだったか。なんか随分育ちのいい感じだなと思ってたんだ。」
「いいえ、没落寸前の貴族の家でした。貧乏なのに、プライドだけは高い家だったんです。私はいつも屋敷で自分の部屋に一人ぼっちでした。そんな中出会ったのが使用人である彼だったんです。あの時の優しさは嘘でないと思います。心の弱い人だったけれど、確かに、優しい人でした。」
「……そうか」
「だからもう、あの家には帰ろうとも思いませんし、どうせ帰っても家名を汚したとか言って門前払いですから、貧乏でも一人で生きていこうと思ったんです。」

さらさらと指の間から砂浜の砂を徐々に落としていく。ゴーゴーと幽かに風の音が聞こえた。相変わらず波は規則正しく浜辺を濡らした。遠くの方でぼんやり無数のの漁り火が見えた。辺りが暗いので、海もまるで星空のように見えた。

「自由って、素敵ですね。」
「ああ。俺は何にも縛られずに生きて来たから、正直あんたみたいに閉じこめられる感覚はよく解らん。」
「ええ。…でも、自由であるためにはそれだけの対価も必要なんですね。今の私は何でもできるけど、何にもできない、弱いただの女です。生きることがこんなに大変だなんて知らなかった。一人ぼっちは慣れていると思っていたけれど、孤独にも色んな種類があるんですね。」
「…………」
「私がここで泣いているのは、男に捨てられたこともそうだけど、もしかしたら、とてもさみしいからかもしれないって、あなたと話して初めて気づきました。」

そういって力なく笑えば隣の妖精さんはじっと私を見つめた後、何も言わずにぼんやりと海に視線を移して瓶に口をつけていた。先ほどとは違って頬は上気していない。多分酔いが冷めてきたのだろう。そろそろ時間も随分立ったところだし帰ろうと思って立ち上がった。ワンピースに着いた砂を払いのけて、ぐーんと伸びをすれば、座っていた妖精さんもよっこらせ、とおじさん臭く立ち上がった。

「……さて、すっかり私ばかりが話してしまって、ごめんなさい。あなたに出会えてよかったです。ありがとうございます、ロマンチストな妖精さん。」

そういってにっこり笑えば目の前の妖精さんも笑顔をみせた。

「それはこっちの台詞だ。いきなり現れた俺にここまで話をしてくれるとは思わなかった。ありがとうな。…お嬢さん、暫くはこの島にいるのか?」
「ええ。と言うよりも、お金がないから暫くはここに居るしかないんですよ。でも、いつかまとまったお金が出来たら私もあなたみたいにいろんなところを回ろうと思います。私、生まれて初めて世間に放り出されて、目標が出来たんです。私も見てみたいんですよ、この世の中を。それでいつか冒険をまとめた本を書きます。ここにはこういう植物があるとか、固有種なのか、それとも違うのかとか…まあ、夢のまた夢ですけれど。私には覚悟もまだないですし。」

そう言えば彼は目を輝かせて私を見た。まるで子供がプレゼントをもらった時のような、喜びと希望に満ちた顔だった。

「いい夢じゃねえか!」
「ありがとうございます。」
「絶対叶う、いや、叶わないわけがねえよ。お嬢さんが本気なら、俺が一肌脱いだっていい。」
「ええ?あなたが?」
「ああ。そうだ。お嬢さんがその覚悟さえ固められりゃあ、多分俺は今すぐにでも夢を叶えてやれる」
「ええ?本当に?わたし、身寄りのないただの女なんですけれど…」

余りの唐突な提案に半分苦笑いの半信半疑で隣を歩く彼を見据えれば、赤髪の彼は至って真剣な顔で私を見ていた。波打ち際をのんびり歩いていたせいか、私のサンダルも彼のサンダルもすっかり濡れていた。

「寧ろそっちの方が都合がいい。あとは、御嬢さんの気持ち次第だ。」

余りの真剣な表情に私は立ち止まってしまった。彼もとてもまっすぐな表情で私を見下ろしている。何故だかわからないが、妙な説得力を持った彼の言葉に、私は不思議と興味と生命力がふつふつとわいてきて、今にも彼のその隻腕を引いて一緒にどこまでも行けそうな気がした。まるで魔法に掛けられているような感覚である。とはいえ、私は男にだまされた手前、男の言葉にはやや敏感になっているのもまた事実だった。

「……なんだか、キツネにつままれてるみたいだわ。」
「ははは、妖精の次はキツネか。それもまあいいか。そういやあ、お嬢さんの名前聞いてなかったな、何ていうんだ?俺はシャンクスだ。」
「私は、名前です。」
「そうか、名前か。良い名だな。」

そう言ってシャンクスさんはにこりと笑うと空になった瓶を波の上にぽんと落とした。空瓶は飲み込まれる様にして波にさらわれて、それからぷかぷかと群青色の沖の方へとゆらゆら揺れていった。私の心を表しているようだった。

「…本当に、私の夢が叶えられるんですか?」
「御嬢さんが望めばな。」
「どうしてそんなことが出来るの?」

おしえて、小さく消え入りそうな声でそう言ってシャンクスさんを覗き込めば、目の前の赤髪の男性は空いた隻腕を私に伸ばし、それから私の前に差し出した。とても大きくて、柔らかそうで、がさがさした掌だった。海の潮風をよく浴びる男性の手だった。私は乾いたはずの眸がまたわけもわからずうるんでくるのが分かった。彼は目を細めて私をしっかり見据えて、口を開いた。

「言っただろう、俺は海の妖精だって。」
「まさか、嘘じゃなかったの?」
「妖精みたいなもんだろう、年甲斐もなく夢ばっかり見てる大人げねえ大人だ。」
「…ふふ、変な人ね。でも、私も十分変な人かもしれないわ。」

そう言って彼の掌に恐る恐る自分の手を伸ばした。今度こそは、なんだかうまく粋そうな気がする。確証なんてないけれど、この大きな手なら、何度だって私を救い上げてくれる気がした。

「私を連れて行って、妖精さん。」

そう言えば彼はぎゅっと私の手を握って、それからにっかりと眩しいくらいの笑顔をみせた。反対に私は涙がとめどなくあふれて、それから笑わずにはいられなかった。

「なんだ、笑った顔の方が一等綺麗だな。」

そう言って彼は悪戯っぽく笑ったので、私は泣きたいのか笑いたいのかもう自分でも訳が解らなかったけれど、もう一人ぼっちじゃないことだけは、確かに分かった。


2016.02.03.
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