短編 | ナノ

訓令兵になり始めた頃から「死」は特別遠くにあるものではなくなったけれど、かと言ってこの三年間急接近することもなかった。でもひとつだけ分かることは、私たちは生まれた瞬間から死に向かっているし、私はもしかしたら次の瞬間には死ぬ可能性だってある。それでも私たちがこうして平常に暮らしていられるのはただ単に人間がもとより楽観的すぎるからかもしれない。こうして哲学もどきなことを偉く考えた次の瞬間にも、どうせ私は直ぐにそんなことを忘れて相変わらず爪を切って、髪の毛の代わりに陰毛を切って、それからあの娘を見つめるあいつを見つめながら心の中の繊細な無数の琴線切っているんだろうな。今までそう過ごしてきたんだもの、そうだといいな。そうであってほしい。

「ジャン、」
「……なんだよ。」

その目つきの悪い視線は、今は珍しいことに私をしっかり見据えている。広場には今まで味わったことのない緊張感と絶望が支配していた。震える音と、誰かが嘔吐と嗚咽する音が遠くで聞こえる。死が、近づいてくる音がする。きっとここに居るみんなは初めて死を目前に感じている。

「ジャン。」
「……ああ。」
「爪切らなきゃ。」
「……は?」

拍子抜けしたような間抜けな声を出したかと思うと、彼は眉間にしわを寄せた。私は反対に思わず笑う。にわかに周りの人間が私に視線を送ったのがわかる。

「頼むぜ名前、おめえまでこんな状況でイカレちまったら、」
「大丈夫だよ。いたってふつー。素面。」
「じゃあ、なんで、こんな時にそんな話、」
「だって、最近バタバタしてたでしょ?ただでさえ忙しかったっていうのに、その上また壁を壊されちゃって、今はこのとおりてんやわんやだし。もうずいぶん伸びちゃった。」

ほら、といって両の手を見せる。彼は口をぎゅっと結んだまま私の手をじっくり見て、それから小馬鹿にしたようにソーセージみてえな手だなと笑った。

「失礼ね。」
「は、今更だな。」
「だから、今のうちに切らなきゃ。」

爪切りもらってこようかな、なんてぼんやりつぶやいて歩きだそうとしたら、ぎゅっと左腕を掴まれて、よろめきそうになるのをなんとか踏ん張った。

「待て。」

さっきまで小馬鹿にしたような目にはもうそんな感情はなくて、私をまっすぐ見ている。もともと背の差はあったけど、三年前とはずいぶん大きくなったなあ、なんてお母さんみみたいなことを思って、ジャンが死んだら、ジャンのお母さんもお父さんも本当に悲しむだろうなあって思って、なんだか無性に泣きたくなった。

「……俺が切る。」
「え、」
「どうせまた深爪になるだろ?だから俺が直々に切ってやるんだよ。」
「……ジャン」
「全部終わったら、俺が切ってやるよ、」
「……」
「だから、

点呼がかかる。私は彼に向かって笑って、それから掴まれた腕をゆっくりとほどいた。


(もし私が死んだら、きっと悲しんでくれるといいなと、ひっそり、思う。)

2014.06.08.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -