短編 | ナノ
ベルトルトのつむじを見る方法

彼のイメージといえばおとなしくて大きい。口数は極端に少ないし、かと言って別にはなさないわけではない。話しかければ最低限の返事は帰ってくる。少し困った笑顔と一緒に。大きいけど、彼は空気みたいだった。協調性もありよく頼られる彼の親友とは正反対のような、オセロの黒と白のような、そんな感じ。でもそれがちょうどいいのかもしれない。お互い不足を補い合うような感じで返っていいのかも。空気みたいだよね、いつか誰かが彼を総評していたのを小耳に挟んだけれど、私はそれにすんなり特進したのを覚えている。そうだ、彼は空気のようで、もう一つ形容するならくまさんだ。ふわふわの髪の毛がそう連想させる。おとなしくて大きい彼のつむじを、私はまだ見たことがなかった。


「『肉体の悪魔』?」
「、うん。」
彼の手が一瞬止まって、それから私の方を見た。正確には見下ろされている。私が笑えば彼は例の眉を下げたような笑顔を見せた。放課後の図書館はもとより人が少ないけれど、今日のような曇天の、雨の降りそうな放課後は人はもう数える程しかおらず、ここの本棚は特に、私たち以外誰もいない有様だ。私はたまにここの文庫本を借りる程度でくるが、彼は週に何度かここに来るのが日課だった。それはここに来るたびに何度か彼を目撃していたからわかることである。彼はあらゆる本を読んでいたように思える。特にお気に入りは外国の本らしく、この間『星の王子様』を小脇に抱えているのを見たときはかわいいなと密かに笑ってしまったものだ。でもそのあと彼の読んでいたその本が全文英訳のものだと知って驚き感心してしまった。さすがに原文の仏語は読めないからね、気を使って笑った彼に少しだけイヤミを感じたけれど、多分彼はそんなつもりで言ったことはないことくらいわかっていたので笑ってごまかした。私は馬鹿ではないと自負してるけど、さすがに英文の本なんて『サザエさん』の英語訳くらいしか読んだことなかった。
「相変わらず難しいの読んでるね。」
「そう、かな。」
「うん。面白かった?」
「……う、ん。まあ。」
少しハギレの悪い返答に私は些か不審に思って何となく彼が返却棚に置いたそれを手にとった。さすがに日本語訳だった。思いのほかページに並んだ字は大きい。そういえば前にタイトルに惹かれて読んだことがあったんだが、そう思って横の彼を見れば、やはりどこか決まり悪そうにしている。もしやすると私が邪魔なのかと尋ねれば、そうではないと、彼にしては珍しくはっきりと直様返答が帰ってきた。
「これ、あれだよね。私らぐらいの男の子が19の既婚女性と、ほら。」
「……うん。」
タイトル通りだよね、笑えば彼はやはり困ったように笑った。どこか照れているように。でもそのへんの官能小説とは違うのだ。だから学校の棚に並ぶわけだが。
「ベルトルト、」
「何、名前ちゃん。」
「あなたっていつも本読んでるけど、自慰するときも本読みながらするの?」
その直後、ばたばたと横で騒がしい音がしたかと思えば、横でた数冊の本を床に落として慌てている高身長の男が見えた。
「え、ええ?」
「大丈夫?」
「え、あうん……うん。」
「ごめん、なんとなく気になっちゃって。」
「気になるって、」
「ほら、私の中のあなたのイメージって、本読んでて無口で空気みたいで、あ、今のは褒め言葉ね、それで、あんまりAVとか見るイメージないから。」
「AV……」
「なんか、本読みながら自慰するって、AV見ながらするよりもすごい気がする。あ、」
セクハラだね、ごめん。私が笑えば彼は少しの間私を見た。本を拾って膝を折っているので、自然と私を見上げることになる。そういえば、彼のつむじを見るのは初めてだった。それから彼は困ったように息を吐くと、黙ったまま頬を蒸気させた。ああ、やっぱりそうなんだ。古典的な文学でそんなことを。しかも図書館の本で、背徳感ってやつなのかな。私がふふ、と笑うと彼は恥ずかしそうに目を伏せたが、やがてゆっくりと立ち上がった。ふわりと彼の前髪が揺れる。
「この本でオナニーした?」
「し、しないよ。」
「ふーん。まあそりゃそうだよね。そんな生々しい表現ないはずだしこれ。」
「………」
「………」
「………」
「………」
「でも本見ながらオナニーすることは否定しないんだね。」
「、えっ」
彼のつむじをまた見ることができた。

2014.02.13.
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