短編 | ナノ
ニートと世間話

電車の車窓から美しい西日が見えた。大きな雲間から差し込む光はまるで西洋の宗教画に出てきそうだと思った。天使のはしご。隣で黄色い帽子を被った小学生が呟いた。なるほど、梯子に見える。なんだか今日は気分がよかった。メトロポリタン側の階段を上がる。乗換の電車を待ちながら、空を見る。大きな百貨店が視界をほとんど占める中で、少しだけ空のうす橙が見えた。小さくて四角い空だった。幾重にも重なる電線がまるで五線のようだ。この時間帯になるとちらほら帰宅する人たちが現れる。よいしょと思いキーボードを背負いなおした。

「あれ、キーボードが歩いてら。」

聞き覚えのある声に後ろを振り返る。そこには無駄に背丈の高い図体の大きな男が一人。長い髪の毛がさらりと都会のにおいが混ざった風になびく。そうして私の横に並ぶとふわりと笑う。並んだらきっと親子のようだろう。黒田先輩と並んだらもうトトロとめいちゃんみたいだとよく笑われる。彼は肩掛けの鞄を一つと、スティックのホルダーを下げているだけで非常に身軽である。

「しょうがないじゃん、高校時代から一ミリも背丈伸びてないんだもん。」
「冗談だって、小さい方が可愛いよ。」
「説得力ないよニート。」

政宗とは違ういい香りのする髪の毛がゆらゆらする度に触りたいと思った。彼は欠伸一つすると空中でドラムをたたく真似を始めた。今日はサークルのミーテで、その次は私のグループの練習がある。遠くから幽かに電車の音が聞こえて、それから間もなく緑の電車が風を起こしながら目の前を通り過ぎた。見た感じで座れなさそうだ。思わずため息を吐く。大荷物の時は決まって大概座れない。電車のアナウンスが響く。

「さて、それ貸しな御嬢さん。」
「え、いいの?」
「そのままじゃあ潰れちまうよ。」
「わーい。慶次はニートでもいいニートだよ。」
「はは、全然嬉しくねえや。」

とりあえず身軽になった身で乗り込むと、窓際に二人とも落ち着いた。学校までは数駅かかる。同じ車両に乗っていた女子高生やら同じくらいの年齢の女の子が慶次を見てはにかんでいるので、私がそれを指摘すれば慶次は何でもないように彼女たちに笑って見せた。やっぱりこいつはいいやつだなあと思った。政宗や幸村ならこうはいかない。況してや三成先輩や毛利先輩なんかはかえって無視するか、もっと悪ければ冷ややかな視線さえも送るのだから。しかしながら最近の女の子は趣向が変わっているとでもいうか、なんというか、それでも嬉しそうにする人が最近は多い。友達に聞いたら流行のツンデレらしい。本人はそんな気持ち微塵もないと思うけれど。

「慶次は練習進んだ?」
「それがまだ二曲しか覚えてないんだよー」
「どんまいって言いたいところだけど、私もまだに曲ぐらいしか覚えてないや。ライブまで二週間もないのにやばすぎ。」
「まあなんとかなるさ!」
「なんとかならないんだけど。だって予定では五曲やるとか言ってるし、おまけにバンマス毛利先輩なんだけど。」
「あー、毛利の兄さんか。…ドンマイ。」
「うぜえ。」

軽快な機械音が停車駅を知らせる。いつの間にか空はどんどん宵の色を濃くして、こんな汚い空気の中でも一番星がきらりとうっすら光っている。あと三駅で到着駅である。先ほど慶次がくれたミルキーを舌の上で転がしながら包み紙をぽっけに突っ込んだ。慶次がミルキーを進んで買うなんて少し滑稽だと思ったら急に笑えてくる。

「ていうか慶次もバンマスがすごいじゃん。孫一さんも妥協しなさそう。」
「まあねー。俺は全然平気だけどね!バンマスよりもメンバーがすごいな。」
「そもそも三成先輩と家康先輩組み合わせたら駄目な気がする。」
「でもなーベースとギターで丁度良かったんだよ。まあ、喧嘩ぐらいどうってことないよ!喧嘩するほど仲がいいってね!」

今にも三成先輩の怒号と、それを笑いながら受け流す家康先輩の顔が目に浮かぶ。寧ろ俺も入れてほしいぐらいだよなんて冗談交じりにけらけら笑う慶次を余所にゆったりと開いたドアと共に歩き出す。後ろから大きなキーボードを持った大きな男の声がしたけど無視しておいた。大丈夫だ、何を隠そう、あいつは喋る空気だから。兎に角私の頭の中は毛利先輩にどうやって言い訳しようかでいっぱいだった。天使のはしごはもう見えない。

2012.08.09.
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