短編 | ナノ
鶴見さんととある女の子

「どう対処すれば良いのか、分からないのです。」
 
 そう言えば目の前の男性はわずかに口角を上げて、それから静かにカップを口に付けた。所作の一つ一つがまるで演技かのように優雅で落ち着き払っている。
 
「はっきり断る方と良い。そうでなければまた懲りずに来るだろう。君が思っているよりも、男と言う生き物はずっと前向きな生き物であると知るべきだ。」
 
 彼は私を見据えながらきっぱりそう言った。相談をしたいと申し出たのは自分からだったが、多忙な彼がまさかこんなすんなりと話を聞いてくれるとは思わなかった。鶴見部長、と声を掛ければ彼は再び視線を僅かに上げて此方を向き、その眦を僅かに下げた。
 店内は昼下がりとはいえ平日の為か人は疎らで、隣の席ではスーツを纏った数名の男性が珈琲を啜り談笑している。席に着いて間もなく、鶴見部長が間髪入れずに「どうしたんだ」、と聞いてくれたおかげで、私はすんなりと話をすることができた。
 取引先の男性に執拗に言い寄られ、アポも無いのに隙あらば会いに来るのでアドバイスが欲しい。単刀直入にそう言えば、彼は表情を変えずにふむ、と静かに頷いた。正直、話す前はどんな反応が返ってくるか内心ヒヤヒヤとしていた。思いの外彼は私の話に静かに、そして真剣に耳を傾けてくれたのでホッとした。
 
「鶴見部長は好きな女性には、前向きですか?」
「私は逆だ。」
「逆?」
 
 私が聞き返せば彼は静かに頷き、フォークに絡めたクリームを器用に舐め取った。甘党の部長らしい純白のショートケーキはこのお店の一番人気だと言う。彼はどんなスイーツでも綺麗に食べた。目の前にある芸術的なスイーツでも、コンビニで売っているような真新しいスイーツでも、まるで流れ作業のように平らげた。
 口の端についたシロップやカスタードを絡め取る舌の動きさえ、時にはそのスイーツ以上に甘美に見えた。スイーツ男子という言葉が生まれて久しいが、彼はその昔からこの甘いお菓子達を愛してやまないのだろう。感心しつつ、片やボロボロとお皿の上でスコーンを崩す自分が少しだけ恥ずかしく思えた。
 
「私は若い時分から心配性でね。もう性質だから、治そうと思っても治らないのだ。もうこの歳になってすっかり諦めた。」
「そうでしたが。」
「これも個性だと思うことにしたよ。」
「なるほど。私も少し神経質かもしれません。」
「今の所は仕事は良い方向に作用しているから心配ない。」
「ありがとうございます。」
「…だが、諄いようだが、今度のことは本当に憂慮すべきことだ。食事の誘いを笑顔で断っても男には効かない。若い男なら尚更だ。笑顔で断るのはよくない。悪いと思われていないと錯覚を与えてしまうんだ。」
「…そうなんですね。」
「そうだ。君の笑顔はとても素敵だから、勘違いしてしまう気持ちはわかるけれどね。」
 
 まさか。と言って苦笑すれば、鶴見部長はふるふると首を横に振った。
 
「私なら、仮に好いた女性だったとしても外堀を埋めずにはいられない。彼女がこちらを向いてくれるような、決定的な『何か』、が欲しくなる。…それ故に、件の彼には少々羨ましく思うよ。勇気というよりかは、若さゆえの無謀とも取れるがな。」
「そうですか…」
「意外か?」
「ええ。意外です。鶴見部長ほど素敵な男性もそういないと思いますが…。」
「それは、光栄だな。」
「本当のことですよ。部長は本当に完璧です。弱みなんて、ないと思っていました。それくらい抜かりなくて、リスク回避もするし、万が一恐れていた不足の事態が降りかかっても、リカバリーが出来るし、完璧な人に思っていたんです。もう、怖いくらい。」
「………」
 
 ふふ、と笑ってそう言えば、彼はニコリと笑顔を見せて、久しくナイフとフォークをお皿に置き、ナプキンで口を綺麗に拭った。いつも切り揃えられ蓄えられた顎髭をひと撫ですると、やや視線を上に向けた。

「君は、どういう男性に魅力を感じる?」
「私ですか?」
「ああ。」
「私は…リードしてくれる歳上の男性が良いかなあ。自分では余り決断力がなくて。頼り甲斐のある人や、自分を導いてくれる人に魅力を感じます。自分からはなかなかアプローチできないので。」
「…君は取引先の彼のようなアプローチがお好みなのか?」
「あ、あれは、違います。彼は確かに歳上だし、アプローチもしてくれましたが、私のタイプでは…。すみません、優柔不断なんですよね」

 そう言って笑えば、部長はそうか、と頷いた。私も彼に釣られて上を見た。頭上には年季が入ったアンティークな水晶のシャンデリアが吊るされている。外からの日差しと電球の光を受け、四方八方に反射しまばゆい光の影を見せる様はじっと見ていても飽きない。シャンデリアなどの宝飾品には疎い私でさえも、この美しさや輝かしさには目を奪われる。
 最近小さな水槽で飼い始めたハーフムーンのベタのように、キラキラとしているなあと静かに回想しながら、ぼうっと私も眺めていれば、目の前の男性がゆっくりと口を開いた。
 
「…人間は醜いものや不快なものは遠ざけるが、このように美しいものや快楽は受け入れ争うことなく享受し続ける。そして出来るだけ手元に置こうとするし、自らも美しくあろうとする。そうすれば大抵の人間は自分を受け入れてくれるからだ。」
「はい」
「出来るだけ美しく誠実に見せ、できる限り不快感や不信感を与えずに隠すのが重要なのだ。そうすれば大凡裏で何かをしていても楽観的な我々人間は予想もしない。」
「すみません、何のお話ですか?」
「不足の事態、に対する処置だよ。さっきも言った通り、私は心配性で臆病な人間なんだ。私の手が届く範囲であれば何か適当な理由を付けて異動なり何なり出来たんだがな。今までだってそうしてきた。君は気が優しく優柔不断なので、男性に好かれるから本当に苦労したよ…。だが、流石に外部となれば別だ。私でもどうにも制御はできない。取引先とくれば下手に無碍にも出来んからな。」
「………」
「だが、これももう良い機会だ。小細工などせず、開き直って単刀直入に行動するのも一つの手だ。君が彼に言わずとも、私の方から忠告しておこう。そうすればもう二度と君に連絡をして来ることはあるまい。」
 
 ウンウン、と一人納得して頷く彼を見つめながら私は静かに口を噤んだまま動けなかった。彼の言っていることがよく飲み込めなくて眉間に皺を寄せる。一体何の話なんだろうかと彼の言葉を咀嚼しようとすればするほど、頭の中にバグが起きたように処理が出来なかった。
 何を言えば良いかも正直わからなくなり、ナイフとフォークを持ったまま、視線を上げれば、こちらをじっと見つめる光のない黒い双眼と目があってどきりとした。
 
「あの、…シャンデリア、綺麗だなって…」
「ああ、そうだな。だが、君の7畳の1ルームにはやや大きすぎるだろう。しかし角部屋であることは僥倖かもしれないな。日差しが入って良い塩梅に光ってくれるだろう。最近君が飼い始めたベタも気に入ってくれるといいが、ベタは繊細な生き物だからね。あまり眩しくないように水槽を移すと良い。今置いている窓際は少々眩し過ぎるので、ベッドの横におくと良いだろう。」
「…鶴見部長、」
「この頭上のシャンデリアと同じものを取り寄せよう。女性一人では天井に吊るすのも難儀だろう?私が脚立を持ってくるから心配はいらないよ。解錠は不要だ。もう手配はできているからね。大丈夫、お望み通り私がリードしてあげようじゃ無いか。何も心配は要らない。」
「……どうして、」
 
 部長、と彼を呼ぶ声はにわかに震えていた。彼はじっと私を見つめたまま口角だけを器用に上げると、ニッコリと先ほどと変わらぬ美しい笑顔で続けた。
 
「さて、君はこの状況をどのように対処する?」
 
2021.05.29.
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