短編 | ナノ
とある日

都心の精錬された麻布や白金の煉瓦敷きの綺麗さとは違う。少しごちゃついて統一感がなくて、高級洋菓子店の入った駅ビルと、少し古臭い赤提灯や商店街が同居するこのこの街が嫌いではなかった。駅前は雑然として、まとまりが無く混沌としている様子が、まるで私の様に思えたから。
流行りのタピオカ屋さんが出来たかと思えば、すぐ一本道を入れば昭和の匂いが漂う店名のピンサロやラブホテルが並び、その隣にまるで狙っていたかの様に薬局もある。色々な種の人間が行き交い、そして皆数え切れないほどの人とすれ違う。袖振り合うも多生他生の縁と言うけれど、それが本当なら、この街には一体いくつもの縁が渦巻いているのだろうか。

ハンドソープを探してもう4件目の薬局だった。今自分が住んでいる街の駅前とはいえ、いつもはこの風俗店やラブホになんて用事はなかった。昼間でも独特な空気を漂わせるここは正直いつまでたっても馴染めないのだと思う。結局、買えなかったハンドソープの代わりに固形石鹸を買って薬局から出た。尾形さんにとやかく言われるだろうなあと考えながら思わず口元が緩む。彼は見た目に寄らず計画的で几帳面な男なのだ。そんな事をぼんやり考えながら薬局から出た瞬間、視界の端に人が通るのが見えて思わず足を止めた。

男女が二人、奥のホテルからさほど遠くない角に佇んでいる。別段珍しくもない光景であったし、殊にここはそう言う通りだ。いつもなら私も気にせずそそくさと家路につこうと足を進めていたはずなのだが、そうさせなかったのは、きっと女性の声が少し嬉々とした感じを受けたのと、男の姿形に見覚えがあったからだ。何を話しているかはここからの距離では窺い知れない。反射的に電柱の影に隠れる様にして、少しだけその様子を注視する。

私と年の変わらなそうな女性は彼にジリジリと詰め寄り、その好意を隠さない。率直に美しい女性だと思った。のらりくらりの私とは違う、気の強い、それでいて薄いブルーの肩の出た綺麗なワンピースは彼女にはぴったりだった。でも、せっかくの服もここには不釣り合いに思えた。彼女が首を動かすたびに揺れるパールのイヤリングはきっと有名なジュエリーのそれだろう。男はいつもの様に涼しい顔をして、それを見下ろしてあまり喋らない。何だか昼間にやっている愛憎ドラマの様だと、まるで他人事の様に眺めていたが、やがて男が二、三何かを告げると女性は少しだけ不服そうに黙ってしまった。

会話はそれ以上は続かず、男は静かに咥えていた煙草を燻らせていたが、吸い終わると何事も無かったかのように男はその場を後にして、駅の方へと歩いて行った。女性も慌ててその後を追って行く。二人とも角を曲がったのでその様子は見えなかった。暫く数秒は何だか動けなくて、バイクが後ろから通り過ぎて行く音でふっと我に返った。薬局から漏れ出る有線の音が右耳から入って左耳から通り抜けて行くようだった。こんな時にプレテンダーなんて、なんて意地悪な選曲なんだろうとぼんやり思って、でも不思議と涙は出なかった。少しだけ、煙草の匂いが香った気がした。

「…朝か、」

開いたままの窓から都会の朝の喧騒が入り込んでくる。網戸はつけていたらしく虫は入ってこなかったが、代わりに風邪を引いたのか酷く寒気がした。ソファで一夜を明かすのは学生時代以来だ。テレビをつければ8時過ぎで、リモートワークで無ければ完璧に遅刻だなと乾いたため息の代わりにくしゃみを一つして立ち上がろうとしたが、上手く行かずによろけた。全身が怠くて疲れが取れていないのか、なかなか体が動こうとしない。もう二度とここでは寝ないと心に決めてもう一度起き上がると、肩にかかったブランケットが床に音もなく落ちた。夢うつつでブランケットでもたぐり寄せたのか、毛玉のついて色あせたそれをそのままに、洗面所へと急ぐ。顔も洗わず歯を磨かずに寝てしまった罪悪感が頭を過ぎり、洗面所の扉を開けようとしたその時、視界の端に何か白いものが見えて、思わず二度見てしまった。玄関に置かれた白い袋。手を伸ばせば、あれ程探して結局私では見つけられなかった見覚えのあるパッケージが二つ、当たり前のように入っていた。

「………」

「なんで、」の代わりに溢れ出たぬるい涙を何度か拭って、後もう少しで空っぽだったハンドソープの容器にそれを詰めて行く。彼の優しさは、とても分かりずらい。

2020.06.07.
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