短編 | ナノ
鶴見さんと初詣にいくお話

ひゃっと思わず肩を震わせれば頭上からふふ、と小さくて低い声が聞こえた。視線を上げれば、丸くてかさついた霜焼け気味の私の頬を、柔らかく包んでくれた紳士と目が合った。私を見るその双眼は細められ、目の前でジリジリと燃えるどんど焼きの炎の光が反射していた。其の瞳はまるで望遠鏡で覗いた美しい宇宙の星々の様に思えた。彼を見上げた時に視界に写った空は群青色をして、遠くに朧げに白い三日月が見えた。だが星は小さなのが一つ瞬いているだけで星空と言うほどのものでは無かった。晴れの日でもそうで無い日でも、都会の空というのは平等に寂しいものだなとぼんやり思ったが、思いの外身近な場所に星々を垣間見れて、正直、思いもよら無かった。

「風が強いな。」
「終わったら甘酒貰いに行きましょう、鶴見さん。」

私がそう言えば、彼は「そうだな。」と言って私の頬から手を離した。鶴見さんは冷たいその手を自身のコートのポケットに入れると、何かを握りしめて私に見せてくれた。「御守り」とシンプルに刺繍の施された赤いそれは其の名の通り肌守りのようだった。

「御守り?」
「ああ、去年のをお返しするんだよ。」
「私もそう言えばお財布の中に入ってました、鶴見さんが呉れた御守り。」
「それはここのものだから、一緒にお返ししてあげなさい。ほら、この炎に投げるんだよ。お焚き上げをするんだ。」
「お焚き上げ?」
「ああ。燃やして空に返してあげるんだよ。」
「空に返すって、なんだか素敵ですね。」
「現実的には、“土に還す”なんだろうけれどね。宗教的には供養の意味を持つ大事な最後の儀式なんだよ。」

そう言って鶴見さんは少し口角を上げて、それから間も無くその役目を終えたらしい赤いそれを目の前の炎に投げ入れた。私もそれを見届けると、初詣で並ぶ列を気にしつつカバンの中から財布を取り出し、全く同じ色の御守りを取り出した。隣では小さな女の子がお父さんと一緒に投げ入れて、きゃっきゃと炎の勢いに怯むことなく燥いでいる。遅れをとらぬようにと掌にそれを納めて、赤くて小さな御守りに一年間の感謝を心の内で呟くと、彼に倣ってさっと炎の中に投げ入れた。
炎の中に入ったそれはパチパチと言う乾いた音を立てて炎の真ん中へと消えていった。あっという間に橙と赤と白の世界へと消えていき、ジリジリと外側から燃えて、間も無く形さえも判別できなくなってしまうのだろう。それは、まるで己を燃やし身を削りながら輝き続ける太陽にも見えた。太陽と言えば、今朝鶴見さんと見た元日の日の出は本当に美しかった。自分の身を呈して惑星に光をもたらすそれは、まさに神様のように感じた。目を細めても瞼の裏から伝わる其の温度と光に、太古の昔から人々が思わず拝みたくなった理由も、其の時ばかりは本気で解らなくもなかった。

「あったかいですね。」
「ああ。」

どうせ初詣客でごった返しているのだからと暫しあったまって行こうと、まるで囲炉裏のように両の手を炎に向かって当てていれば、真後ろで私を覆うようにして立っていた鶴見さんも暫し付き合ってくださった。鶴見さんは風が強いため、炎がこちらに来ないように注意を払いつつ、私がくしゃみを一つ零せば、自分が掛けていたマフラーを私の首に巻いたり、ただ立っているだけだと言うのにとても忙しそうだった(確かに年始からパートナーに風邪を引かれるよりかはマシだろう)。忙しそうと言えば道行く人々も実に忙しなさそうであった。師走の時期を過ぎて間もないが、新年開けても忙しいと言うのは何だか滑稽にも思えた。正月くらいゆったりと過ごすものだろうにと参道を繁く通り過ぎていく人々の群れを尻目に息を吐いた。

「元旦に初詣なんて、久しぶりです。実家だといつも寝正月だから…」
「私も大概そうだったよ。今日は君が来てくれたから来る気になっただけだ。人が多いしね。」
「そうなんだ。」
「初詣は元々江戸時代の頃は大晦日から元旦まで神社に籠って行なっていた“年篭り”が起源らしい。そのうちに大晦日に詣でる“除夜詣”と、元日に行う“元日詣”とに別れたらしい。」
「じゃあ、今日は元日詣ですね。」
「現代では1月中に行けば良いというから、時代によって風習は変わるものだな。」
「確かに現代で一日中神社に篭るのはちょっとキツイなあ…NHK見逃しちゃうし…」
「一緒に炬燵に入ってテレビを見ながらお雑煮を食べるお正月の方が私も嬉しいよ。」
「私も其のお正月の方が好きです。」

私がそう言って見上げれば、口角を上げる上品な着物に身を包んだ紳士と目があった。黒の肌触りのいい着物は、素人の私が見て触れただけでも実に上等なものであると分かったし、何よりも鶴見さんにとてもしっくりきていた。普段はお仕事のスーツ姿の方を見慣れていたので、着物をすっと着こなす彼に大変驚いて、「かっこいい」という、月並みで拙い言葉しか出なかった。其の時ほど自分の表現力と語彙力をとても恥ずかしく呪った事はない(おかげさまで今年の目標は語彙力を増やすに決定した)。
案の定、今年の初詣の着物の準備はバタバタだったけれど、鶴見さんがわざわざ着付けて下さったので、何とか同じ着物で初詣デートを敢行できた。去年は痛恨のインフルエンザでの年越しで、鶴見さんと初詣デートが出来なかった分今年は張り切ろうと自分から着物で初詣を申し出たが、着物の着付けは全くの素人であった。着物の着付けなど、実家の母親でも怪しいし、況してや私は一つも勝手が分からぬ故、滞りなく女性の着物を着付けていく鶴見さんの姿はどこか艶やかで色っぽく見えた。何だか申し訳ないような嬉しいような心持ちがしたし、着付けられている間、他の女性にも同じようなことをした事があるのだろうかと夢想して、悔しいような、複雑な気持ちになった。

「寒くないか?」
「はい、鶴見さんのマフラーのお陰でちっとも。」
「それは良かった。もう少ししたら並び直そう。」
「はい。でも、この分だと明日になっちゃいそうですね。」
「せめて日付が変わらないうちに家に帰っておせちを食べないと困る。」
「ふふ。流石にホテルやレストランみたいに裏道入場はできませんもんね。」
「新年早々、罰当たりなことは避けたいな。」

鶴見さんはそういって眉をハの字にすると苦笑いして、少しして「もう行こうか」と私の肩に手を置かれた。今一度石畳の参道の方を見遣ったが、先程と変わらぬ混み具合で、思わず眉を潜めてくしゃみがまた出そうになった。強請るようにくるりと振り向いて鶴見さんの胸に顔を埋めれば、どんど焼きの炎で少しだけ暖かくなった柔らかな繊維が顔全体を包み込んだ。

「お腹すいてきました。」
「甘酒をもらったら屋台の焼きそばを一つ買って帰ろう。」
「…どうして私が今焼きそばが食べたいって分かったんですか?」
「風に乗ってソースの香りがしてくるから、きっとそうだろうと思ったよ。」

はは、と笑うと鶴見さんは私の背に腕を回してぎゅっと抱きしめると、「もう行こう」と、今一度ゆっくりそう言った。もうすっかり日も暮れて、参道の灯篭には全て火が宿っていた。人の流れは絶えることはなく、列をなして蠢く其の様は、まるで大きな生き物のように思えた。巨大な意思を持った生き物がどんどん社に吸い寄せられていく。これから私たちも其の大きな生き物の一部となって吸い込まれて行くのだと思うと不思議な心地がした。
どんど焼きのジリジリと焼ける音を背にようやっと歩き出そうとした刹那、一言「待って」と声をかければ、私の手を握ろうとした大きくてカサついた冷たい手がピクリとその動きを止めた。彼が此方を向いた刹那、めい一杯両の腕を伸ばして其の冷たくて白い頬に手を伸ばせば、先ほどの私のように彼は驚いたように目を見開いた。

「私の手は暖かいでしょう?」
「ああ。本当だね。」
「ふふ、」

どんど焼きで温まった掌の温度を彼の冷たい頬に分けるようにしてやれば、彼は少しだけ屈んで私と目を合わせた。私の背後にある炎が彼の双眼に小さく写ってキラキラと輝いているのを見ていると、やっぱり小宇宙のようだとしみじみ思った。

「本当に、お日様みたいに暖かいね。」
「元々体温が高い方なの。赤ちゃんみたいでしょ?」
「とても羨ましいよ、温めてくれてありがとう。」
「マフラー取っちゃって悪いなって思ったから…。人間ホッカイロ。」
「人間ホッカイロとはよく言ったな。でも、確かに君はとても暖かいから、お布団の中でも素敵な湯たんぽになりそうだね。」

間髪無く、何の悪気も無さそうにそう言って退ける彼に思わず「あはは、」と笑って、それから間も無く其の深い意味を咀嚼して思わず固まってしまった。何だか鶴見さんと目を合わせずらくて視線を泳がせていたが、鶴見さんはニコニコとした笑顔を貼り付けたまま私を見つめ、今一度楽しそうに風で乱れた私のマフラーを正した。

「鶴見さんの湯たんぽなんて、そんな大役務まるかなあ…」
「大丈夫だ、十分だ。役不足なくらいだと思ったが、」
「いやあでも、お布団に入ったら私もう綺麗に着付け直せないから…」
「心配無用だ、私が何度でも着付けてあげよう。何なら、教えてあげても良いんだよ。」
「鶴見さん…これこそ罰当たりですよ。」
「なに、これくらい神様はお許しになってくれるだろう。きっと平和だなあと、笑ってらっしゃるよ。」

そう言いながらまるで絵画の中の神様のように上品なお顔で笑われる目の前の紳士に、一つや二つ文句を言っても良かったのだろうけれど、ここは神聖な場所だから争い事はご法度だ。そして何より顔がいいので、何にも言えやしない。結局、今年も去年と同じく、鶴見さんに弄ばれる一年になるのだなとしみじみ思うより他無いようだった。

2020.01.01.
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