短編 | ナノ
慎重に慎重を重ねるヴァシリA

『Алло(もしもし),』
『………』
『?』
『えっと…Вам удобно говорить(今お話ししても大丈夫ですか)?』
『!?』

私が片言のロシア語を伝えれば電話口でもわかるほど向こう側の男性が動揺を見せたのがわかった。思わず緊張が此方に伝わってきて、再びあの日のようにアワアワしそうになったが、今は電話口なのだからと心を決めると再び口を開いた。

『あの、名字です。ヴァシリさん、ですよね?』
『はい。』
『よかった。あの、明日のパーティーなんですが…』
『…はい』
『何を着て行けばいいかわからないのと、仕事のあとに準備をするので、すこしおくれるかもしれません。それでも、いいですか?』
『!いいです、全然、いいです』

彼はやや食い気味にそう言うと少しだけホッとしたように息を吐いている様子だった。あれからちょうど一週間経つが、今の今までなんだか気恥ずかしくて電話ができなかった。本当はお断りしようかと思ったくらいだったのだが、うっかり閉店準備の際にこの話を思わずぽろっとそこに居たマネージャー(上司、40代子持ち)に伝えたが最後、「行ってきなよ!」と捲し立てられ、あれよあれよと言うまに何故か土曜にラストまで入れられていたシフトが18時になってしまった。そしてこの話はマネージャーのせいであっという間にバイトの子達にも伝わり、バイトの子達も率先してこの日にシフトを入れてくれたり、パーティーの際のあれこれや、ロシア人男性についてのあれこれの話をするようになってしまった。別に、付き合っても居ないと言うのに。

もし今度お店に来たらお断りしようとも思いこの一週間彼の来店を待っていたのだが、不思議とあの日を境にさっぱり来なくなってしまったのだ。別に毎日来ていた訳ではないのだが、あの日を境に来なくなると何か意図しているのではと勘ぐってしまう。そんなこんなでこの一週間、周りからの圧力もあり、すっかり疲弊してしまった私はもう一層の事この機会を楽しもうと心を決め、ようやくこの電話をするに至った。バイトの子達が言う通り、“ヴァシリ”さんは確かに顔もいいし、思いの外いい人そうだし、成り行きでもラッキーなのは、変わりないだろうから。

『質問、いいですか?』
『sure,ドウゾ』
『パーティーって、ドレスで行くべきですよね…』
『すこし、officialなパーティーです。でも、そこまでまじめにしなくても、いいです』
『わかりました。』
『ミブンショウだけ、もってきてください。』

念のために。そう言って彼は少し黙ったが、私はその瞬間脳裏に「スパイ」や「KGB」と言う単語が浮かんできて正直どきりとした(単なる大使館職員であるとは思うけれど)。多分聞かれた時に提示するために念のための身分証なのだろう。大使館内は日本ではなくあくまで「ロシア」だ。彼がどんなに良い人で地位や役職があり、私に好感を持っていようと、何かあれば職務上私をロシア人外交官として取り調べる事も取り締まる事もできるのだ。

『(そこはお互い暗黙の了解をしなければならないって訳ね)分かりました。持っていきますね。』
『ありがとうございます。では、entranceによるの7時、むかえにいきます。』
『宜しくお願いします。』

一体どうなる事やらと思いつつも、正直久々のドキドキとワクワクに少しだけスリルと面白さを感じなくもなかった。大人になるとついついこう言う感覚を失ってしまうものだなあとぼんやり思って、スマートホンの画面を閉じた。




「ロシア人の男性ってめっちゃ褒めてくれるし、セックスの時も凄い高めてくれるらしいですよ。あ、でもこの記事にはケチだとも書かれてる。」
「分かりましたって。(勘弁してくれ〜)」
「ロシアの女の人って強いらしいから、日本の女性がか弱く感じるらしいですよ。あ、でもあんまり甘やかすとロシア人の男性も日本人男性みたいに家事は女がやるものって考えがあるみたいです。」
「はいはい、じゃあ、あと頼みますよ」
「楽しんで〜、後でレポ待ってます!」

きゃっきゃと私よりも何故かはしゃいだバイトちゃん達をよそにバックヤードへと急ぐ。土曜日のせいかどうしてもシフトはずらせないので(とはいえ皆の好意で18時に上がれた)、急いで準備に取り掛かる。この日の為に何となく通販で買った香水を振りまく。仕事中はいつもドルガバの香水と決めているが、こういう日は一層の事華やで特別感を出した方が楽しいだろうと思った。そしていざ行かんとすればもうちょうど良い頃合いだった。予報では雨は降らないと言っていたが、先程しとしとと降った小雨で道はしっとりと湿っていて、麻布狸穴の知的で歴史のある緑の香りと混ざって何処と無く情緒のある風情だった。

「(何だかシンデレラみたいな気分…いまいち現実味がないなあ。ああ、ロシアだからアナスタシアか?ん?)」

よく分からない事を考えながらも(恥ずかしいので)お店の裏口から出て、履きなれないハイヒールをかつかつ言わせて時計を見ればもう7時まであと数分、というところだった。(どうでもいい)バイトちゃん&マネージャー情報によると、意外にもロシアの人は時間にルーズだと聞いていたので、多分まだ大丈夫だろうと踏んで少しその歩く速度を落ち着かせた(あれだけからかわれて嫌だった謎情報が役に立つとは…)。

「あ」

てくてく大通りを歩いて飯倉片町の交差点を渡りロシア大使館の方に歩みを進めればエントランスに吸い込まれて行く人々の波の中に、一人ポツンと背の高い見たことのあるシルエットがあり思わずどきりとした。慌てて駆け寄ろうとすれば彼のほうがズカズカと近づいてきた。

「こんばんは。」
「こんばんは。すみません、遅くなってしまいました。」
「いいえ。ぜんぜんです。」
「よかった。」
「…とてもきれい。」
「あ、いえ。そんな、」

いつものカフェで見せる一人の時の仏頂面ではなく、暗がりの中でも分かるほど瞳を輝かせて彼はそう言うと口角を上げた。恥ずかしくて、全然、とブンブンといつもの癖で首を振ったが、そんな私のことなどは気にせずに彼は「いつもビジンだけど」と言うとても歯がゆいセリフを言って退けると、ドウゾ、と言って私をエスコートするように歩き始めた。いつもは閉ざされている門もこの日は警備員の数は増えているものの開いていて、いつもの無機質で大きな建物と言うよりかは本当に明るさを帯びていた。もちろん潜入は初めてである。人も多いので思わずドキドキしてきて彼のほうに寄れば彼が少しだけ笑ったのがわかった。

「大丈夫。にほん人もたくさんいます。」
「すみません、こういうのが初めてで…。ヴァシリさんもきょうはスーツでかっこいいですね」

私がそういえば先ほどまでは人のことを褒めていたくせに彼は少しだけドギマギしたように目を泳がせると、静かにボソっとありがとうございますと宣った。集まる場所は決まっているようで、大きな広間の方に皆一様に向かっていて、彼も私を其方にエスコートをしていた。思い切って入り込んでは見たが、実際別段外界と何かが違うという訳ではなく、其処此処にロシア人であろう人々と、時折聞こえる会話でここが大使館なのだなあ、というのをぼんやり感じる以外は別に特別感はなかった。通された広間は実に広い場所で、そこに人がたくさん集まりすでに開会式が済まされたと見えて皆一様に団欒としていた。入り口付近には国の原産品らしきものが並べられていて、氷の美しいモニュメントにロシアの国旗が挟まれたものなどもあった。写真を撮っていいらしく、私と同じように招待されたらしい人々がしきりに撮っていた。

「わあ、可愛いお人形さんですね」
「ロシアのにんぎょうです。」
「可愛らしいですね。…あ、これあれだ!有名な、ど忘れしたけど…」
「Матрёшка(マトリョーシカ)。さわってみますか?」
「あはは、ありがとうございます。」

彼がひょい、と手にしたのは比較的に小さなマトリョーシカで、一個、また一個とぱかっと開けて行くと終いには私の小指の爪くらいのマトリョーシカになってしまった。きゃっきゃと子供のようにはしゃいでしまったが、彼は咎めるどころかむしろそんな私を見て何が楽しいのか嬉しそうにしていた。広間には展示品が沢山あるので飽きないし、彼と一緒にいれば関係者として扱われるのでひとまずは安心だった。すれ違うたびに大使館関係者が彼にロシア語で挨拶したり、同じ日本人でもロシア語や英語が堪能な人が通ると無愛想ながらも言葉を交わす彼を見ていると、本当にここの所員なのだなあと当たり前だがぼんやりそう思った(私の知っているヴァシリさんといえば、窓際で本を読む物静かな男性のイメージが拭えきれないから)。ロシアの人は愛想笑いをしないと言うけれど、それはケースバイケースという事も分かった。確かにすれ違うロシア人男性は目が合っても多くの場合笑わないが、挨拶をすれば笑うし、彼、ヴァシリさんに至っては私と話すときは顔つきが柔和になった(目が余り笑っていないのでちょっと怖いけれど)。

「なにを、のみますか?シャンパン?ワイン?それともводка?ビールもあります。」
「ええっと、迷うな…ロシアのワインって、辛いですか?」
「あまいのあります。女のひとににんきの、もってきましょう。」
「ありがとうございます。」

彼はそう言って丁寧に私の側のソファに腰掛けるように言うと、少し先に居たボーイに頼んでくれた。広間の中央には大きなクロスのテーブルの上には沢山の食べ物があった。目移りするほど並ばれていて、どれもこれも美味しそうだ。ボーイに貰ったワイングラスを両手に戻ってくると彼はどうぞ、とグラス一つを私に手渡してくれた。

「あ、ロシア語に乾杯は何ですか?」
「にほんのカンパイ、とにたコトバはあります。なにかをお祝いするコトバをいいます。」
「ロシアの日だから、お祝いしましょう。」
「За встрéчу…」
「どう言う意味ですか?」
「カンパイ、とおなじいみです」
「За встрéчу(ザ・フストリェーチュ)!」

そう言ってグラスを掲げて(ロシアガラス工芸のいいグラスっぽかったので上に翳しただけで)口に含んだ。彼の言う通り甘口で口当たりが良く飲みやすい白ワインだった。私に合わせて彼も甘口になってしまったのが気になったが、彼は別段気にする様子はなくゴクゴクと飲んでいた。ご飯も立席パーティーらしく自分で好きな物を選べるようなので、おすすめのご飯をお皿に盛って食べてみた。ロシア料理はなかなか食べないのだが、これが実に美味しくて、特に気に入ったのはニシンのピンク色をしたよく分からない料理だ。どれも日本人の口に合うのだが、白ワインに特に合って気に入った。

分かったことといえば、見知らぬ人に愛想笑いをしないロシア人男性ではあるが、女性に対してのレディファーストが実に徹底されていることにも気が付いた(これはバイトちゃんたちとマネージャーでも仕入れていない情報だろう)。先ほどのワインもそうだが、なにに対してもヴァシリさんは親身に気を遣ってくださった。他の男性も私が困っていそうな際には一声かけてくれたし、道も先に通してくれた。これはとてもいい習慣だなあと嬉しくなった。最近、接客業で精神が死にかけていたので、この扱いはとても嬉しかった(別にお客さんに変な人が沢山いたと言うわけではないんだけど)。どんな年齢になっても女性として扱ってくれると言うのは本当にありがたい事なんだなあと身に沁みた。


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「私、誤解していました」
「ゴカイ?」
「ロシアの人って、もう少し淡白でクールなのかなって思ってたんですけれど、全然。親切で優しい人が多いんですね。」
「嬉しいです。でも、それは、名前が美人だから、男もよけいにやさしくする、きっと。」
「ふふ、そう言うところをいっているんですよ。」
「?」

彼は実に不思議そうに目を丸くしたが、次の瞬間にはボーイが空になったグラスを見つけてなにを飲むか聞かれたので意識はそらされた。白ワインの次は何にしようかと思っていれば、突然後ろから彼の名を呼ぶ渋い声がして私と同様彼も振り向いた。

「Илья,」

ヴァシリさんがずいと前に行くと後ろから来た男性はにこりと私に向いて笑ってこんばんは、と日本語で挨拶した。私がニコニコしながらもキョトンとしておればそれを察したらしいヴァシリさんが軽く説明をしてくれた。大使館の同僚のイーリャ(恐らく親しい仲で使う愛称でイリヤさん)と言う方で、一番彼と接するらしい。彼の隣には彼のお連れの女性がいて、どうやらおなじ国の方らしい。私よりもすらっとしていてすこしだけ萎縮したが、挨拶をすればきちんと返してくださったのでホッとした。

「Поздравляю День России(ロシアのひおめでとうございます。)」
「Спасибо за поздравление,Вы очень хорошо говорите по-русски.(ありがとうございます。ロシア語が上手ですね)」
「?」

思わず首をひねってずいとヴァシリさんの袖を引っ張れば彼はふふ、と笑って教えてくれた。

「ロシアご、上手です」
「あはは、本で見た言葉ですよ」
「だからすごいです、よく覚えている」
「えへへ」

彼はそれを二人にも説明するとお二人もさらにすごいと褒めてくださった。もう一つ分かったことだが、ロシアの人は大変に他人を褒めてくれる。実際、ヴァシリさんもイリヤさんのお連れの女性を熱心に褒めているように見えた(彼女が嬉しそうにドレスのスカートをくるりと見せたりしていたので、きっとそのドレスが似合うのだと褒めたのだろう)。後で知ったことだが、お国柄的に才能は育てるべきだと言う考えのもと、他人を褒めるのは彼らにとってごく自然なのだと言うことがわかった。特にレディーファーストが徹底しているので、女性を褒めるのだろう。

「…ノーヴァヤ・ザリャー?」
「Что(はい)?」
「Новая заря(ノーヴァヤ・ザリャー?)?」

突然女性から声をかけられてどきりとしたが、彼女は2回目にはっきりと「Новая заря?」と言って手首を擦り付けて首筋につける仕草をしたので、思わず「ああ!」と声をあげて頷いた。

「『Moscou rouge』You're very sharp!(『赤いモスクワ』です。よく気づきましたね)」

私がそういえば彼女はやったわ、と言う風に笑ってクンクンと私の首筋に近づいた。『赤いモスクワ』と言われた香水を今日はつけてきたのだ。古臭い匂いだとか、シャネルの5番に近いとか言われる比較的に安価な香水で、つい昔まではモスクワを始めとしたロシアにしか売っていなかった商品らしい。最近ではこのご時世で通販でも売っていたので買ってみたのだ。お婆ちゃん家にありそうな匂いではあるが(?)、調節して少し振りまいて見ればいい匂いにも感じる。

ロシアのオフィシャルな国の祝日と聞いて、何か因んだものを付けてみたいなあと思い探しているうちにたどり着いたのがこの香水だ。全くの浅い知識で買ったものだったので、まさか本当に気づいてもらえるとは思わなかった。正直、ソビエト時代からのものだったのでどんな反応されるかもちょっとヒヤヒヤしたが、別段そんなこともなく、国のものを国外の人が付けてくれていると言うことの方に彼らは大いに喜んでくれたらしかった(一安心)。

「подруга(恋人か)?」
「Это план(そうなるだろう)」
「ха-ха、Здорово !(ははっ、悪くないな!)」

イリヤさんの問いかけにヴァシリさんが答えると何故だか分からないが彼は大いに笑って、それから丁寧に挨拶をすると英語で例を述べて去っていった。何だか「後は若い者同士で…」感が否めなかったが、如何せんロシア語が分からないので深くは考えなかった。彼が次にウォッカを頼んだので、私はシャンパンにして少しまた歩くことにした。私が天井のシャンデリアをもっとよく見たいといえば、彼は快く案内してくれた。人がたくさんいてこんな大広間でもぶつかりそうになればきちんと彼がエスコートしてくれるので転ぶ心配も、誤ってシャンパンを零す心配もなかった。

歩けば歩くほど分かったが、ここにいるのは政府の関係者か、或いはロシアと日本の文化交流に一役買っている企業や個人の人々が招待されているのだと言うことが分かった。ただ一介のカフェ店員が来てよかったのか、かなり心配であったが、堂々としていれば大丈夫ですとの彼の助言により、静かにニコニコ歩いていれば案外どうにでもなった。

「綺麗。ロシアっぽいですね。」
「シャンデリア、国にかえるともっと大きいものがあります。」
「ヴァシリさんのおうちにもあるんですか?」
「おばあちゃんのいえ、古いので、ある」
「素敵ですね」
「はい」
「…行ってみたいな」
「………」

私がそう笑えば彼も小さく笑った。飲んだり食べたり好き放題し、身分証を見せなきゃいけなくなるようなこともなく無事にパーティーも閉会式を終えるともう夜の12時を回ろうとしていた。最後に紹介されたロシアでも有名な高級ウォッカに手を出したせいかひどく酔っ払いはしなかったが眠くなってきた。そんな私を見かねたらしいヴァシリさんはしっかりと自分の腕を取るように忠告し、いそいそと広間を後にした。シンデレラもそろそろかえる頃合だなあとぼんやり思って彼の手を引いて歩いていれば、もう門の方まできていた。今日は彼もお酒を入れるだろうから車ではなくてタクシーらしい。

「おうち、おぼえてますか?」
「もちろん。そこまでは、酔っ払ってないですよ!」
「良かった」
「ヴァシリさんはどこに住んでいるのですか?」
「田町の方。」
「嘘!一緒です!」
「良かったら、送ります。」
「いいえ。でも、同じ方角なら一緒にタクシーを使いましょうか?」

私がそういえば彼はコクリと頷いて、大通りに並んだタクシーに手を挙げた。あれよあれよと言うまにタクシーに乗せられていい気分で家路へと急ぐ。彼のほうがかなり飲んだと思われたけれど、全然顔にも出ていないどころか、タクシーの運転手さんに(私を気遣ってか)すこし冷房を下げるようにお伝えすることも忘れなかった。

「それにしても、ヴァシリさん、前より日本語が上手になりましたね」
「この一週間、もっとベンキョウ、しました。」
「すごい。」
「日本にくる前にもしましたけど。でも、名前ともっと話、したくて」
「…そっか、嬉しいです。本当に、ありがとうございます。」

私もロシア語もっと勉強しなくっちゃ。そう言って戯けてみたが、なんだかお酒も入っているので気恥ずかしくて窓の方へと視線を向けてしまった。こう言う時、きっとキュートでお茶目な外国人女性なら「嬉しい…!私のために!?」なんて一言言ってハグの一つや二つをするのだろうが、ジャパニーズガールまっしぐらの私ではそれができなくて、戯けるので精一杯だった。窓の外をみていると先ほどの華やかで絢爛な楽しいパーティーの姿とは打って変わって、東京の街並みと芝の方にある東京タワーがデーンと見えてすこし名残惜しくも感じた。

「…いいにおい」
「ふふ。これを言うのもなんですけど、ちょっとおばさんくさいかなって思ってたんですが、喜んでもらえて嬉しかったです。」
「нет(いいえ),良いかおり、とても。でも、いつもつけているperfumeもすき。いいにおい。」
「あれはドルガバです。有名なやつ。ヴァシリさんも良いにおいがしますよね」

彼が私の香水を嗅ぐ際に首筋にお鼻を寄せたせいか思いの外近かった。彼も酔っ払ってはいないが先ほどよりも車に揺られているせいかあくびをしていて、トロンとした目で私の首筋に鼻筋を寄せると、「いい匂い、すき」と呪文のように小さく何度もそう言ってクンクンと嗅いでいた。私も話の流れで彼の方に顔を寄せてクンクンと嗅いでみたが、さらに近づいたせいか思わず「あ、」と声を漏らしてしまった。彼はじっと私をみていて、恥ずかしくてブワッと肩が震えた。まさか緊張しているとは思わなかったようで、彼は私を心配そうに覗き込むと「お水を買いますか?」と言ってきたのでブンブンと首を振り大丈夫だと説明するのでやっとだった。

「でも何だか、名残惜しいなあ…パーティーなんて、本当に、行ったことなかったんです」

お誕生日パーティーしか行ったことないですよ、と自嘲気味に笑えば、彼はじっと私を見つめた後に何やら考え込むように車の向かう先を見つめていた。外はあっという間に三田の賑やかな通りを走りぬけ、慶應義塾大学を通り過ぎて田町の大きな道路へと差し掛かったところだ。ここから景色は一変し、工場や東京湾の真っ暗闇が支配するすこしだけ寂しい湾岸エリアへと差し掛かる。タワーマンションや家が最近増えてきて近頃は大分賑やかになってきてはいるが、夜になるとすこし寂しいエリアなのだ(穴場ではあるんだけど)。

「パーティー続き、しますか?」
「え?」
「За встрéчу(出会いを祝して)のパーティー。二人で、私のおうち、だめ?」
「あ、ええっと、その、でも、私、なんの準備もしてないし(?)」
「?」
「いや、でも、とはいえ、初対面、でもないけど、知り合い?なので、良い…(のか?)」
「Ура!…ボールペンも、おうちにあるので…」

気恥ずかしそうにそう言ってヴァシリさんはとても嬉しそうにふっと笑った。

(最初から仕組まれていた…?)


2019.06.23.
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