短編 | ナノ
エンドロールの後のこと

「きつい…結構歩くんですね、ここ…。」
「保養所まだ全然先ですけどね。」
「そうですか…最近運動不足だからか、ちょっと歩くのでもきつくて…」
「まあ、入社当時よりもふくよかになりましたもんね。」
「え…。」
「あ、傷つきました?」
「…宇佐美さんって、結構私のことちゃんと見てくれてるんですね。」
「貴女のその前向きさ、是非分けて欲しいくらいですよ」

皮肉を一つ言うと彼はあははと小さく笑って目を細めた。ハアハアと息切れをしつつも横を歩く彼の顔をチラと盗み見る。(初対面の人用の)余所行きの人畜無害そうな黒く澄んだ瞳ではなく、いつものハイライトの無い虹彩の美しい瞳が横から見えた。足の遅い私のことを、遅いだの何だのと詰るが、私の歩調に合わせて歩いてくれている。ガードレールのないこの細い道で、バスが通る度に「あの、死にますよ。」と言いながらも自分が道路側に立ったり、或いは私を先に行かせて先導するあたり、察するに彼は比較的ご機嫌であるらしかった。こんなご機嫌な宇佐美さんは正直珍しかった。鶴見部長と接触した直後の宇佐美さんに匹敵するほど、何故か分からないが機嫌が良かった。

「駅伝の人たちって、こんな過酷な道を走っていくんですね。しかも冬に。信じられん…」
「」

ここ箱根に会社の保養所があるとうこと自体は入社当時からもちろん知っていた。とはいえ、会社設立時からあると言うから、古いし造りもサービスも微妙だろうと勝手に決めつけて利用したことは一度もなかった。月日は経ち、私が今の会社に勤めて3年ほど経った今年。ここ数年会社の業績が良かったせいか、保養所は晴れて移転することとになり、多少駅から遠くなってしまったが、新しい施設へとこの夏から生まれ変わった。会社的にも折角巨額の投資をして新しくしたのだから、利用する社員を増やしたいらしい。社内での宣伝は例年に比べてかなり気合の入ったものだった(ここで英気を養って、会社により一層貢献しろ(社畜しろ)、と言うことなのだろう)。

またまたそんな折、今年の部署の慰安旅行の旅行先を考えていたうちの部署の企画係と、保養所の利用率を上げたい総務部との利害が完全に合致したのもまたこの年出あった。よって、部署の慰安旅行が近場ではあるが綺麗で且つ交通の便の良いこの箱根となったのは当然の結果であったように思う。例年旅行先を色々考えて、業務以外に肩が凝り固まってしまっている月島係長的には願っても無いチャンスだったに違いない。飛行機に乗るのを面倒臭がって毎年参加していなかった他の面々も、箱根くらいならと参加し、結果的には例年より慰安旅行参加者も、保養所利用者も増えて彼らの思惑通りにはなった、と言うことだ(かく言う私もまんまとその誘導に嵌った一人なのだが)。

「保養所利用するの、僕たちが初めてらしいですよ。」
「へえ、通りで新築とはいえ綺麗すぎると思いました。キャ●ンの保養所並みにいい趣味してるし、これなら毎年使いたいなって思いますね」
「確かに、エ●シブにお金を出し渋るような輩には、ちょうどいいかもしれませんね。」
「私の脳内勝手に覗くのやめてくれませんか。」
「エ●シブくらい出せばいいじゃないですか。貧乏くさいな。」
「女一人旅にそんな豪勢し過ぎたらバチが当たりますって。」
「女一人旅の予定だったんですね…。」
「そんな可哀想なものを見るような目で見ないでください。いつもの性格悪そうなハイライトのない目でいいですよ。」
「道路側歩かせますよ」
「宇佐美主任は本当に紳士だなー」

棒読みでそう言えば宇佐美さんはふんすとしながらも辛うじて道路側を歩いてくれた。夏の箱根は暑い。清涼な風が吹いてくれればそこまで暑くはないのだが、最近の暑さは地球温暖化のせいか本当に堪忍ならないほどの暑さだ。青々とした箱根の山々の木々が辛うじて頭上を遮ってくれるおかげで直射日光からは逃れられるが、このもわんとした独特の湿った空気は頂けない。車とすれ違う度に、ああ、車借りれば良かったなあ、とか、行きと同様バスで戻れば良かった、だとか思ったがもう後の祭りだ。ただでさえ汗っかきだからと二の腕をバカにされるのを覚悟でノースリーブで来たがダラダラ出てくる汗は止め処ない。横の宇佐美さんはいつも通り飄々としているが、その額や項に滲んだ汗がその暑さを物語っている。

「こりゃあ駅伝選手じゃなくても痩せますね。」
「良かったじゃないですか。」
「確かに。まあ、ご飯食べたらプラマイゼロでしょうけれど。」
「十中八九、プラスでしょうね」
「(一言余計だな本当にこの人)」

それにしても大体、何でこうして彼と歩くことになったんだろうと歩きながらぼんやり考えた。今朝は自由時間と言うことで一人で箱根の森美術館にでも足を運ぼうとしたら、勝手についてきたのが宇佐美主任だった。何で付いて来るんですかと言えばたまたま僕も行くところだからと言っていたが、こうしていると本当にたまたまだったのか怪しく思う。今朝は鶴見部長がお偉いさん方のみで近くのゴルフ練習場に行かれてしまい、付いて行けなかったのを不服に思い不貞腐れているかとと思いきや、いつものように元気だった。まあ、本当に単に暇で美術館にでも足を運ぼうとしたのかもしれないけれど。この人は鯉登さんや谷垣さんと違って何を考えているかよくわからない。全く持って、尾形主任と同類だ。

チラと再び横の彼を盗み見れば、流石に暑いのか片腕で汗を拭っていた。汗を拭う度に彼が使っているらしい柔軟剤のいい匂いがする。私生活が見えない彼からこうして時折生活感を垣間見ることができるのは不思議な気持ちがする。もしこれが谷垣さんならば、「いい匂い。どこの柔軟剤ですかー?」と世間話の一つや二つできるのだが、この人だと何と無く遠慮される。とは言え、こうしてようく見るとやはり綺麗な顔をしているなあとも思う。まず肌が白いし、鼻筋は通っているし目が大きい。変な黒子が付いているけれどまあそれも個性と言えよう。綺麗に切りそろえられた坊主は触るときっとしゃりしゃりとするのだろう。正直、似合っていると思う。それまでの坊主と言えば私の中ではサザエさんのカツオくんを安直に連想していたが、今の私は坊主と言えば「宇佐美さん」と言うほど馴染んでいた。デスクも隣だからかよく視界に入るのだ。

「宇佐美さん、お腹空いたのでどっか寄りませんか。そろそろお昼ですよね。」
「この辺何もないですけど…」
「あ、そうだ。卵食べに行きましょうよ、卵。」
「はあ?今から行く気ですか?」
「別に嫌なら一人で行きますけど…(そもそも一人で行動する予定だったし)」
「あ、タクシーだ。乗りますよ。」
「え、あ、はい」

次の瞬間には何故かタクシーを停めてあれよあれよと言う間に先に乗ると、宇佐美さんは私の手を引っ張ってタクシーに乗せた。扉が閉まると同時に大涌谷へと向かうよう運転手さんにお願いすると、この辺の運転手さんは随分もう慣れているせいか二つ返事で車を発進させた。「こんなことになるなら最初からタクシー使えばよかったですね」と笑えば、宇佐美さんは「少しくらい歩いた方がいいでしょう、旅行なんだし」といつになく面白い皮肉も言わずに普通に返答を返した。クーラーが聞いているお陰ですぐに汗は引き、姥子駅に着くまでには涼しいくらいになった。

箱根は山の地域だから天気が読めないのだが、この連休中は箱根もずっと晴れだと予報で出ていたのできっと大涌谷の方も落ち着いているだろうと踏んでいた。風が強ければ乗れないが、この分なら大丈夫だろうと青々とした夏の晴天を視界に写してそう思った。


































































「宇佐美さん、髪伸びました?」
「自分こそよく見てるじゃないですか。」
「会社の席も隣ですからね。何と無く視界に入るんですよ」
「視界に入ると言えば、そろそろあのデスクに置かれた」
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