短編 | ナノ
名前の無い楽園

「こんなに遅くまで残ったの初めてかもしれません」
「そうか」
「尾形さんは好きですか、こう言うところ」
「別に。好きでも嫌いでもねえよ。」
「ふうん」
「お前よく来んのか」
「ううん、ここは二回め」

ぶっきらぼうにそう言って徐にポケットから煙草を取り出すと吸おうとし始めた傍の男をぼんやりと眺めて、禁煙ですよ、ここ、と言えば彼は思い出したように目を細めて、それから再び煙草をケースの中に押しやった。ご丁寧に、チッと言う舌打ちまでつけて、だ。フェンスに身を預けて息を吸い込めば潮風を感じた。目の前に広がるのはイタリアの街を模した美しい建築物と、時折波に揺られて蠢く小さな船たち。ごおおおと言う音が聞こえたかと思えば、ずっと先にある象徴的な噴火山からは楽しそうな黄色い声が聞こえてきて、先ほど自分も乗ったと言うのにまた乗りたくなるから不思議だ。橙色から群青色へと空が変わる頃にはあたりは段々と光を灯し、それと同時にこの作られた夢の国は別の顔を見せ始める。

「ランド派ですか、シー派ですか」
「言うほどどっちもよくいってねえから分からねえよ。」
「ふうん」

何処からともなく聞こえてくる夢のようなバックミュージックと、間遠に聞こえる人々の雑踏や楽しそうな声と一緒にすぐ側にあるであろう海風の音が聞こえた。海の方に行きたいと提案したのは私の方であった。ランドも好きだけれど、何処となく子供っぽくて、夢が詰まりすぎている気がするから胸焼けがするのだ。あまりに楽しいと帰りたくなくなる。シーもシーで勿論楽しいのだが、大人が多いので、ふとした瞬間にきちんと現実に戻れるような気がして、今日はわざわざここに行くことでお願いした。それに、私はアリエルが好きだったので、こちらの方が都合がよかった。小さい頃、何度も見たリトルマーメイドのVHSは擦り切れて、今はもう使い物にならずに実家の押入れの奥深くに眠っていることだろう。アンデルセンのお話では泡になって消えてしまう悲しいお話なのに、この場所は全てハッピーエンドで終わらせてくれる。そう、全てを素晴らしい思い出に変えてくれる、それがこの場所だった。この瞬間も、きっとそうだ。

「尾形さんは、子供の頃好きだったアニメは何ですか」
「サザエさん」
「え。意外ですね。」
「それしか覚えてねえから。」
「適当すぎませんか。まあ、別にいいですけれど。」

そう言って残り少な行くなったポップコーンに手を伸ばし口に運んだ。キャラメル味がいいと言えば尾形さんは何事も無かったかのように買ってくれたが、彼自身は手を伸ばさなかったので結局全部自分が食べてしまった。尾形さんはどのアトラクションに乗っても黙ったまま、別段何かに感動した様子も見せず、ただ単に私の傍にいた。楽しいとも、つまらないとも一切言わないので何だか申し訳ない気持ちになったが、言い出したのは私の方だし、これも最後だと思って子供のようにはしゃいでいた。

チュロスを始め、可愛いキャラクターの肉まんや、ジェラート、ポップコーンだって平らげた。todayに載っていたオススメのレストランにも行ったし、付けたい帽子を買って貰って付けた。お土産の心配などはしなくてもいいのだから、食べたいと思ったものは食べたし、身に付けたいと思ったものは身に付けた。乗り物も時間が許す限り乗った。平日にも関わらず人がいたので案外待ったが、いつも以上に乗り物には乗れたと思う。タワーオブテラーに乗ったときの尾形さんの顔を思い出すと面白いので今にも思い出し笑いしそうになる。久々で大いにはしゃいで走り回る私に尾形さんはきっと疲れたろうに何も言わずに付いて行ってくれた。たとえそれが彼にとって私の依頼だったからとは言え、この炎天下の中よく付き合ってくれたと思う。何だか感慨深くて真っ黒になった水面を見つめて少しだけ鼻をすすった。

「尾形さん、私みたいな人、多いの?」
「それはお前みたいな若い女が多いかと聞いてるのか。」
「ううん、私みたいにディズニーシーで最後くらい景気良くしようって子」
「はは、それはお前が初めてだよ。だいたいそういう奴らは陰気な顔して行くんだ。」
「ふうん」
「何だ、怖気付いたのか」
「ううん。ただ、知りたかったの。」
「そうでもねえよ。切羽詰まったやつはもう目も当てられねえくらい意気消沈してるもんだ。お前見たいなのは珍しいくらいだ。」
「へえ、」
「よく分からねえ山奥やトンネルに行きたがったり、最後くらい抱いてくれとか言い出す奴もいるからな。まあ、そう言う奴らは大概怖気付いて途中帰るんだが」
「そうなんだ」

散々ダメだと言ったのに、尾形さんは誰もいないことをいいことに一本だけだと言って吸い始めてしまった。これを見られたら大変に怒られるだろうに。

「俺からも一ついいか」
「何」
「何でお前はここにしたんだ。」
「うーん…。人間って、いい思い出だけを胸にしまっていたいでしょう。皆本当はハッピーエンドがいいって思ってるはずでしょう。」
「さあな」
「ううん、きっとそうなの。だからここは人を惹きつけるのよ。」
「ほお」
「人魚姫だって、シンデレラだって、白雪姫だって、皆本当はそう簡単にハッピーエンドになるお話なんかじゃない、残酷な話でしょう。昔話は皆、世の中は残酷なんだって教えてくれているけれど、でも、それだけじゃああんまりだもの。でも、ここならどんなに汚くて泥沼な人生だったとしても、最後には明るくしてくれる。無理やりにでも、綺麗にしてくれる。」
「………」
「ここにくれば、私の何の変哲も無い人に自慢できるような人生でなくても、最後くらいは綺麗にしてくれるかなって。私アリエル、好きだし。」

そう言って背伸びをする。向こう側でとても景気のいい楽しい音楽が聞こえてくると、初めてパレードが始まったのだと理解できた。見たいと思ったが、ここの景色もなかなか悪く無い上に、パレードのせいか全然私たち以外に人がいないのがまたよかった。ふと尾形さんを見れば煙草を咥えたまま私を見下ろしている。街灯に負けないくらい鮮やかで眩しい赤が眩しかった。でもそれを見るたびに反射的に肩がびくりと震えて、思わず下を向いてしまう。火傷のあとを隠すように長袖とズボンを着てきたが、無意識に捲った時に見える青痣やそれ以外の傷にはとても神経質になっている。もう傷や痣を隠すのが癖になっていた。

「初めて来たのはいつだ」
「小学生の頃。父と母と一緒に行った最初で最後のシーだった。」
「いい思い出ってわけか」
「うん。父がまだ優しかった頃にね。…ここはきっと色んな人のいい思い出が詰まってるんだと思うよ。素敵だと思いませんか」
「どうだろうな」

尾形さんは煙草を吸い終わるとそのまま目の前の海にぽちゃんと投げ入れた。掲示板で話をした時からぶっきら棒で無機質な人だなとは思っていたが、本当に変わった人だなあと思う。

「尾形さんは何でこんなことやってるの。」
「あ」
「何で赤の他人の自殺を見届けたりすんの」
「暇つぶし」
「暇つぶしで無関係な人の死ぬ瞬間を見届けるなんて、すごいね」
「まあな」
「尾形さんはそれで救われるの?」
「は」
「自分がそうすることで何か都合がいいからやってるんでしょう。まさか、本当に暇つぶし?」
「強いて言うなら、お前みたいな奴がいるからだよ」
「私?」
「ああ。お前みたいな、弱くて可哀想な奴がいるからだ。弱くて可哀想な奴は一人で死ぬことも出来ねえ。」
「…そっか」

そう言って思わず足元を見やった。遠くに聞こえるパレードの楽しそうな音に耳を傾ける。瞼を閉じて耳をすませるとシーと言うだけあって波のも聞こえてくる。本当に現実世界とは思えない。

「悪いのは父親なのに、何故お前自身が死のうって思ったんだ」
「そっちの方がいいんだよ。」
「は、」
「手っ取り早いの」
「何だそれ」
「それに、」
「あ」
「お母さんは信じてるから。」
「………」
「お父さんが、昔みたいに、優しいお父さんに戻るって、信じてるから。まだお父さんを愛しているから、」
「………」
「でも、私がいるとお父さんはずっと怖いお父さんのままだし、だったら、私がいなくなったら、それでいいのかなって。それで父さんが戻って母さんが喜ぶなら、いいかなって。」
「…ふん」
「あの、そろそろ行きましょうか」

そう言って身を預けていたフェンスから体を話すとぐうん、と伸びをする。すっかり暗くなった空はこの夢の国の地上の光を浴びているせいかあまりよく星が見えない。

「尾形さん?」

声をかければこちらに見向きもしない尾形さんがぼんやりと向こう側を見ているようだった。声をかけても返事がないので再び近づいて覗き込めば、ようやくチラと視線だけ此方に向けた。海風によって整えられた彼の前髪が一房ゆらゆらと揺れている。何か思案したように私を見たのち、彼はふん、と鼻を鳴らしてようやく口を開いた。

「今日のところはやめる」
「えっ」
「お前に今日一日連れまわされて疲れてんだよ、こっちは。」
「でも、お金は払ったし、あの、それってありなんですか?」
「金っつったって、お前がアルバイトで貯めたっつう3万ぽっちだろ。こっちはもう今日一日で赤字だ。」
「ご、ごめんなさい…」
「別に構わねえけど、今日はやめだ。」
「困ります、だって、私の全財産を渡したし、それに、もう家には戻らないって手紙書いちゃったし…」
「そんなの知るかよ」
「はあ?嫌です、今日死にます!」
「お前、声がでけえんだよ」
「今日じゃないならもっと大きい声出しますよ」
「うるせえよこの海に沈めんぞ」
「えっお願いします」
「おい話聞いてんのか、今日は見る気がねえって言ってんだよ」
「だって…」

帰るし場所ないよ…と小さく絞り出すようにそう言って思わずその場にへにゃりと倒れ込んでしまった。一体今まで何をしていたんだろうと思わず今日一日を回想してしまうほどだ。文字通り、命がけで今日は家を出て行って、生まれて初めて遺書に見立てた手紙を書いた。もう本当はこのままこの世からも行って来ますをするつもりで、覚悟を決めたのに。今更あんまりだ。もう帰る家も、どうやって生きていくかも分からなくない。18年余の人生で本当に生まれて初めて頭が真っ白になる、ということを知った気がした。父さんにぼこぼこにされるよりもある意味衝撃的だった。尾形さんは私の様子を面倒臭そうに見下ろしながら、それでもとりあえず変に悪目立ちをするのを避けたいのか、とりあえず私の腕を取ると立たせようとした。でも、此方もだんだんイライラして来て彼の手を跳ね除けた。彼もいよいよムッとして、それからがしりと先ほどよりも強い力で私の手を掴むとあらん限りの力で立たせた。

「いい加減にしろ、立て」
「もう面倒だからここから飛び降ります」
「普通に助けが来るだけだぜ、やめとけ。」
「じゃあもうどうすれば、」
「とりあえず泊まる場所がねえなら俺のとこに泊まればいいだろ」
「え」
「心配すんな、子供相手にちょっかい出さねえし、部屋は広いぜ。お前の実家よりもいいマンションだしな」
「さりげなく実家をディスらないでください」
「ディスりもすんだろ。巣立ちもまともに一人でできねえ甘ちゃん何だからな」
「………」
「一泊1000円な」
「(金とんのかよ)」


2019.06.01.
×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -