短編 | ナノ
それなりに幸せな尾形さんとお花見

「このままじゃあ直ぐに散ってしまうかもしれないですね」
「さあな」

私がそう言えばえば隣の男は余り興味なさそうにそう返事を返し、ぼんやりとした目で外を眺めながらお猪口を傾けた。男は時折その目を猫のように細めたり、かと思えば見開いたりした。ある意味私よりも熱心に、この薄紅色とも白とも言えぬ不思議な色をしたそれを眺めては静かに舐めるように酒を飲んでいた。時折吹く強い風に煽られて、小さな粒が一斉に風に舞い、私のグラスの中にも入り込んだ。下に降りてみないかと提案したが、それを提案した瞬間に嫌な顔をされたので結局、大人しく自分もグラスの中のオレンジジュースを飲み込んだ。桜の木々の隙間からぼんやり見える月は朧げで、よく見ると周りは虹のように反射した色をしている。何となく掛けっぱなしにしていたラジオからは狙ったかのように「moonriver」が流れてきた。
この家を決めた時、傍の男は何も言わずにここにしようと言っていたが、理由は言わずとも分かっていた。桜と川の様子がこの部屋ならよく見えた。だからきっとここにしたのだろうな。眼下に広がる美しい桜の景色をベランダから見てそう思いながらも、私も黙って頷いたのを覚えている。もうあの日から一年経つのか。時が経つのは本当に早いものだ。ライトアップされた桜を見るのは初めてではないが、毎年毎年不思議と飽きることなくこの花を見て、その度に何だかジーンときてしまう。こう言うのエモいと言うのだろうか。

「勇作さんがくれたお酒美味しい?」
「全然」

意地悪、と言う目で見やれば隣の男はふん、とした様子で片手で徳利を傾けた。口と行動が真逆なのでそれを指摘してやりたかったが、つまらない喧嘩をしても面白くない(いいお酒なのだから美味しくないわけがない)。私もバヤリースのペットボトルの蓋を開けるとコポコポとグラスに注いでいく。カラランと鳴る氷も何だか風流に感じるなあと思っていれば、一段と強い風が吹き込んで、家に数枚の桜が入り込んできた。部屋の電気を決していても桜のライトアップの照明で仄かに明るい。

「尾形さん、オードリーヘプバーン好き?」
「別に好きでも嫌いでもねえよ」
「私は好き。目が大きくてお鼻が高くて、眉がキリッとしてて。」
「字だけ書いたら俺じゃねえか。」
「尾形さんは目だけでしょ。それに眉毛も変な形してるし」
「ああ?」
「でも、目が大きいのは羨ましいかも。目もいいし。」
「視力0.3にはそりゃあ羨ましく感じるだろうな。」
「勉強を頑張った代償はでかいな…」
「暗闇で嫌らしい漫画ばっか読んでたからだろ」
「尾形さんと一緒にしないでください」
「読まねえよ」

はん、とバカにしたように笑うと男は再び一気にお酒を煽った。今日の風は生暖かくてそう寒くないからか尾形さんは半袖で(NORANEKOと書かれた)、久々に見たなと思いながら欠伸を一つした。ベランダの下からは絶えず往来のガヤガヤしたような音や笑い声、景気のいい声が聞こえてくる。時折下の屋台からはたこ焼きや焼きそば、じゃがバターのいい香りが風に乗ってきた。美味しい香りを嗅ぎながらテーブルの上の空になった屋台のお好み焼きと鶏皮焼きのパックをじっと見つめる。不思議とまたお腹が空いてきた気がした。ゴロンと横に寝転がって許可なく彼の膝に頭を乗せれば嫌な視線を寄越されたが、ニコニコと笑えば面倒臭くなったと見えて抗議の視線は再び桜へと移された。

「なんかお腹すいた。」
「さっき食ったろ。」
「しょうがないじゃないですか、こう言う状況なんだから。」
「どう言う状況だよ。だいたい食った直後に横になったら豚になるぜ」
「やだあ、尾形さん、それを言うなら牛だよ」
「どの口が言ってんだよ」

ケタケタと笑えば再び嫌そうな視線を寄越されたので再び笑えば気に入らなかったのか鼻をつままれた挙げ句の果てに「低い鼻だな」と笑われた。本当に失敬な奴だなとむっとすれば、はは、と尚の事笑われた。そうだ、この男天邪鬼だった。

「そういうところは勘弁して欲しいですよね」
「は?」
「ううん、何でも無い。尾形さんみたいに大きい目だといいですねー」
「ふん、ついでに鼻も俺にしとけよ」
「いや、注文されても困るんですけど」
「言うだけはタダだからな。」
「確かに。オードリーヘプバーンみたいになりますように、」

パンパンと景気良く手拍子をすれば彼は「本当に言うだけはタダだな」と皮肉を言って笑って、それから目を細めて桜を見た。反対に、私はここからこの男を見上げてみた。本当に変てこな眉の形してるなと笑ってやりたいのと同時に、彼の喉仏や鎖骨、胸板や腕の筋肉質なところが見えて、よく見ればいい男だなと改めて思った(最近煙草を控えてお酒ばっかり飲んでいるせいか少しだけお腹にお肉がついてきた気もするけど)。風が吹いて彼の髪がそよいで一房だけ髪が乱れて前にかかる。再び桜が数枚入り込んできて、カーテンがふんわりと生き物のように靡く。

その瞬間、いくつかの光景がまるで夢を見ているかのように脳裏に浮かんで来きた(春の夜の夢のごとし、とはまさにこの事だろうか)。吸うなと言っても飄々と部屋で煙草をふんすと燻らせる姿。喧嘩した後アイスを買ってきて無言で差し出す姿。自分が食べたいからって勝手に冷蔵庫に食材を足していく姿。温泉デートができなくて拗ねたら逆ギレされて宿を貸切にしてくれた姿(あれは今考えてもちょっと如何かと思う)。あの夜、私が号泣したら珍しく優しく抱きしめてキスしてくれた姿。エッチの時に少しだけ優しい目で見つめる姿。腹違いの弟を前に嫌な顔をする姿。自分とお母さんを捨てて違う家庭を作ったお父さんの事をぽつぽつと話す寂しそうな姿。月の光に照らされて桜を見つめて静かに酒を飲む姿。本当にこの短い間でも色々な尾形百之助を見てきたなあと、しみじみ思う。

「おい」
「違う、お酌してあげるの」

すっと起き上がって徐に徳利を持てば少しだけ焦ったようにそう言った彼だが、私がそう言って徳利を傾ければ彼は大人しくお猪口を寄越した。

「尾形さん来年は私にしてね。」
「来年も妊婦じゃなけりゃあな」
「ふは、しんどい。体力的に。」
「冗談だ。………多分」
「なにその間は」

そう言えば彼はにたりといつものように笑って、それからお猪口に口をつけた。やや大きくなった自分のお腹に触れていた私の手にゴツゴツとした冷たい掌が重なってきてするりと手の甲を撫でてくる。本当にこの男は回りくどい愛情表現をしてくるなと感心する。これからもきっと私は色々なこの人の姿を見ていくのだろうし、この先この男は一体どんな姿を私に見せてくれるんだろうか。それを思うと不思議とこの生暖かい春の風のようにお腹の底から息吹きを感じた気がした。

2019.4.8.
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